甘い香りに誘われて 

2016/10/13
以前、リクエストでいただいた金木犀をモチーフにしたお話です。
拍手に小話が続きます。

+ + + + +



不意に金木犀の香りが鼻先をくすぐる。
甘い香り…そう感じると同時に 秋の訪れを肌で感じて。
つい先日まで半袖で過ごしてもなお汗が噴き出していたというのに、ここ数日を境に朝晩は頼りない制服のブラウス一枚ではひんやりとした空気の冷たさを感じるようになってきた。
季節はゆっくりと移り変わるだなんて思いがちだけれど、物事が変わるのと同じように案外切り替わるときはあっという間なのかもしれない。

あたしは去年 乱馬と一緒に帰っている時のことを思い出す。
いつものように斜め後ろのフェンスの上を歩く乱馬に声を掛けた時のことだった。

「あたし、金木犀の香り好きなんだ。なんか秋が来たって感じがしない?」
「そうかー?なんか金木犀ってトイレと近所の家のばーちゃんの匂いってイメージなんだよな」
「…ほんと、色気の"い"の字もないわね、あんた」

なんて言ってたのに。





「…あ、なんか甘い匂いがする。なんだっけ、これ」
「ああ、もう金木犀の時期なのね。あたし やっぱりこの香り好きだな。このオレンジ色の花が咲くと"秋が来たー“って思うわ」

昨年と同様、フェンスの上を歩く乱馬に応える。
また どうせ乱馬はばかにするんだろうけど。

「あ、なんかわかる気すんな。この匂いがするとなんか季節を感じる」
「…」
「んだよ?」
「…あんた、熱でもあるの?」
「るせーな。人がちょっと真面目に答えりゃそーやってバカにしやがって」
「別にバカにはしてないでしょー」
「その言い方がバカにしてんじゃねーか」

最近はこうやって素直に同調してくれることも ほんの少しだけ増えた気がする。
なんでもない帰り道。
そのなんでもない帰り道がとても心地よくて。
そして どこかで言葉にならない物足りなさを感じていた。




それから一週間ほど経った日のことだろうか。
お互い委員会と補習という理由こそ違えど いつもより少しだけ遅くなった学校の帰り道、不意に乱馬が思いがけないことを口にした。

「…なんか喉渇いたな。おれ ちょっと寄り道して帰るわ」
「ええ?もうすぐ夕飯よ?」
「いーんだよ、ちょっとくらい」

そりゃ確かに、高校二年生にもなって寄り道の一つや二つは当たり前なんだろうけど…。
でも喉が渇いただけなら自動販売機だってすぐそこにあるわけだし、わざわざ寄り道するほどのことでもない。

「あかねも来るだろ?」
「え?」
「なんだよ その返事。…嫌なら別にいーけどよ」
「い、嫌なんて別に言ってないじゃない」

ただ、少しびっくりしただけで。

「あっそ。んじゃ、いこーぜ」
「え?どこに?」

こっちは いつもの帰り道の方向じゃない。

「いーから。行けばすぐわかるっつーの」
「なによもう」

だけど。
いつになく有無を言わさない乱馬の様子に 少しだけドキドキしている自分がいた。








「ここ…?」

そこは金木犀に囲まれた小さな公園だった。
ううん、公園というよりも二人掛けのベンチが2つとおまけ程度の遊具が少しあるだけの、気持ちばかりの休憩所。あまりに小さな空間に、家の近所にこんなところがあるなんて知らなかった。住宅街にぽつんとある控えめな公園は その二方向を金木犀の植木で囲まれており、外の通りからはあまり見えない造りになっている。
その入り口に唯一設置されている自動販売機に小銭を落としながら、乱馬が聞いてくる。

「おめーは?何か飲むか?」
「うん。じゃあ 乱馬の奢りで温かい紅茶にする」
「誰が奢るっつった」
「なによケチ。付き合ってあげてるんだからいいじゃない」
「ったく調子いーよなー」

そんな軽口を言い合いながら、「ほらよ」と小さめのペットボトルを投げられる。
しっかりキャッチした指先からじんわりと熱が伝わってきて温かかった。

そのまま、なんとなく空いたベンチに二人で並んで腰を掛ける。
そんな二人の距離は拳二つ分ほどの距離が空いていて。
ふわりと広がった制服のスカートを手で整えたら 木造ベンチの木目がちらりとのぞいて見えた。
この触れそうで触れない距離感がまさに今のあたし達みたいで。
当たり前のように傍にいるのに、いざ触れようと思うとその距離は果てしなく遠い。
この距離感が「当たり前」になってしまっているあたし達は 当たり前に拳二つ分の距離を空けて隣に座る。
これがシャンプーや小太刀なら膝までぴったりくっつくほどに密着して座るのだろうけど、もちろんあたしにそんなこと出来るわけもなく。
かといってクラスの他の女子とも違う なんとも言えないこの距離感。
乱馬から受け取ったペットボトルが 熱過ぎるくらいにじんじんと指先を温める。
ぺキ…とキャップを回し、一口紅茶を含むと喉の奥にふわりと熱が広がった。
はあ…と小さくついた息までもが心なしか温かく感じる。

ちらりと隣を伺うと、この寒空というのに乱馬は冷たい炭酸飲料をゴクゴクと飲んでいる。
寒くないのかしら?
そう思うのと同時に、上下に動く喉仏が妙に男っぽく感じて なんだか目が離せなくなる。
多分、間抜けな顔をしていたんだろう。
不意にあたしの視線に気付いた乱馬がこちらを向いた。

「なに?」
「あ、べ、別に。なんで?」
「いや、なんかじっと人の顔見てっからよ」
「そんなことない…けど」


本当は横顔に見惚れていただけよ。
とてもじゃないけど そんなことは言えなくて。
慌てて別の話題を探すけど、あいにくこんな時に限って学校で面白い事件もなければ 伝えなくちゃいけない家族からの伝言もない。
ううん。
もしかしたら本当は楽しい話題だっていっぱいあるのかもしれないけれど、この二人でいる時間にわざわざそれを話す必要があるのかと思うとそれもなんだか違うような気がして。いつもよりも口数の少ないあたしにならうように 今日の乱馬もあまり喋らない。
あ、でも……。


「ねえ。そんな冷たいの飲んで寒くないわけ?」
「って これか?」

そう言って目の前で揺らすのは見るからに寒々しいデザインのアルミの缶。
軽く振っても音がしないところを見ると どうやら既に飲み切ってしまったようだ。

「そう。だってもう10月よ?」
「別に10月だって関係ねーじゃねーか」
「関係あるわよ。あたしなんか長袖のシャツ着ててもやっぱりちょっと寒いし…」

それに。

「乱馬の手だって冷たくなっちゃってるじゃない」
「あ…」

思わず握ってしまった乱馬の右手。
その指先は熱が奪われたように冷たくて本能的に温めたいと思ったその直後、思わぬ乱馬の反応に今度は急に猛烈な恥ずかしさが襲ってくる。
今までだって何度か乱馬と手を繋ぐことはあったけど、それは必要に迫られてだったり前後の流れだったりで こんな風にあたしから急に乱馬の手を取ることなんて滅多にない。
そんな恥ずかしさを誤魔化すように、あたしは慌てて手を離す。

「なんてね。と、とにかくそろそろ家に――」
「あかね」

……手を離したはずだった。
だけど 乱馬の手の上に重ねたはずのあたしの手は、いつの間にか乱馬の大きな手の中にすっぽりと包まれてしまっている。
その手が、まるでこのベンチから立ち上がることを許さないと言っているようで。
気のせいか、ほんの少しだけぐっと引っ張られたような気がした自分の左手を見つめていると もう一度乱馬があたしを呼ぶ声が聞こえた。



「あかね」
「な、なに…」


ああ、カッコ悪い。
ただ名前を呼ばれただけなのに こんなどもってしまうなんて、まるで自分の中の期待みたいなものを見透かされたような気持ちになってしまう。
だけどこんな時、胸の内のドキドキを隠すのが癖になってしまっているあたしは 咄嗟に目に付いたものの話題を口にする。

「な、なんかこの公園、すごいわね。金木犀に囲まれてるっていうか」
「そーだな」
「あたし この香り大好きなんだけど、こんなに囲まれてるとちょっと酔っちゃうっていうか」
「あー、わかる。なんかすげー甘ったるくて…」

…乱馬?

「…なんか上手く言えねーけど…甘いもんに引き寄せられそうになる」

そう言って 乱馬の真っ黒な瞳があたしをじっと射貫く。
動きたいのに動けなくて。
寒くもないのに震えそうになる足にぎゅっと力を入れると、コン…と空になったアルミ缶をベンチに置く音が響いた。


「あ、あの…」
「…」


え?
え?
いつになく真剣な乱馬の顔…。
こ、これって……。

ゆっくりと。
あたしの顔の上に影が落ちてくる気がした。

ど、どうしよう。
目を閉じるべきなのか、
それとも もう少し乱馬の顔を見つめていてもいいものか。

そう迷った直後だった。



「ママー、あのお兄ちゃん達 なにしてるのー?」
「しっ…!」
「だって何も喋んないで…」
「いーから!行くわよ」











「………か、帰るか」
「う、うん」


……びっくりした。

びっくりした。
びっくりした。
でも、今のって…。

ちらりと乱馬の方を伺うと、下から見上げるその顔は首まで赤く染まっている。
そして、きっとあたしも…。


秋の燃えるような夕焼けの中、それよりも赤くなったあたし達はそれを夕日のせいにして会話らしい会話もなくそのまま帰路についた。










「今日でもう六日かぁ…」

カレンダーを見て思わず漏れる溜め息。
あれっきり、乱馬とは特に何も変わりは無い。
朝も一緒に家を出るし、帰り道だって一緒だ。
その道中、シャンプーや小太刀の襲撃を受けるのも相変わらずだし それに対して煮え切らずのらりくらりとかわす乱馬も、全てが今までと何も変わらない。

「はあ……」


…あの時。

キス、されるって思ったんだけどな。
もしかしたら それもあたしの勘違いだったのかもしれない。
もしかしたら髪の毛に埃が付いていた、とか宿題を見せて欲しい、とか。
もしかしたら。
全部があたしの期待がさせた勘違いなのかもしれない。
時間の経過と共に そんな風にすら思えてくる。


金木犀の花の時期はあまりにも長くて。

『…甘いもんに引き寄せられそうになる』

…もう、我慢できないあたしがいた。










その翌日のことだった。


「あかね。おれ 今日部活の助っ人があるから先帰ってろ」
「わかったわ」

こうやって一人で帰るのもなんだか久し振り…そう感じるほど、最近はずっと乱馬と一緒に登下校をしていたらしい。
いつもフェンスの上ばかり見上げて話をしていたけれど、こうして一人で歩いていると景色はすっかり秋のものになっていて。
その中にオレンジ色の小さな花を見つけ、何気なく足を止めて眺めていると植木の隙間から思いがけず声を掛けられた。

「あら あかねちゃん」
「あ、おばあちゃん!」

それはあたしがまだ幼い頃、しょっちゅうラムネや飴なんかの駄菓子をくれた近所のおばあさんだった。
いつにこにこ笑顔が優しくて、あたしもお姉ちゃん達と一緒によく遊びに立ち寄ったっけ。

「今 学校の帰りなの?」
「ええ、そうです」
「いいわねえ。あかねちゃんを見ているとなんだか青春って感じだわ」

記憶の中のおばあちゃんより、ずっと小さく感じるのはおばあちゃんの腰が少し曲がっているせい?それともあたしが大きくなっただけ?
それでも 優しい笑顔は健在だ。
この金木犀の甘い香りとおばあちゃんの柔らかい空気が良く似合っている。


「おばあちゃん、あの…」

そして 気付いたらあたしは自分で思ってもみないお願いを口にしていた。









その晩、部活の助っ人で外が真っ暗になってから帰宅した乱馬は夕飯を済ませていつものようにあたしの部屋にやって来た。
次の日に英語と数学がある晩は その目的が決まっている。
自力で宿題をするなんていう考えが毛頭ない乱馬。以前は問題を解くあたしの後ろで少しは遠慮がちに胡坐をかいていたものだが、今では我がもの顔でベッドで寛ぎながら雑誌を読んでいるのだから図々しいものだ。
とはいえ、乱馬があたしの部屋に来ることが当たり前になっているのは実はあたしも同じで。
来なきゃ来ないで「ちょっと。明日の宿題は大丈夫なわけ?」なんてお節介に聞いてしまうくらいだから つくづくあたしもお人好しだなぁなんて呆れてしまう。

「よっ。もう宿題終わったか?」
「まだよ。今ちょうどやってた途中」
「そっか。んじゃーあかねが終わるまで ちっと寝てようかな」
「ってあんた どこで寝る気よ!」
「んだよ。ケチケチすんなよな」
「あのねー。少しは自分で解いてみようとか思わないわけ?」
「いやー、あかねの邪魔すんのもわりーし」

まったく。
この男の辞書に"遠慮"という文字は無いのかしら。
とはいえ、先程と服が変わっていることからお風呂だけは済ませてきたことがわかる。
ふーん。
さすがにあたしのベッドで寛ぐのにそのぐらいの心遣いは持ち合わせてるのかしら?それともただ単に汗を掻いて気持ち悪かっただけかもね。
そんなことを思っていると、不意に乱馬が鼻をクンクンさせて呟いた。

「あれ?なんか甘い匂いがする。これって…」
「ああ これ?近所のおばあさんに一枝いただいたの」

そう。
あたしの机の上には水を張った小さな花瓶に可憐なオレンジ色の花が咲いている。

「こうやって部屋に持ち帰ると 一枝でも充分香りがするわよね」
「確かにそーだな」
「ね、そういえば明日の英語って乱馬 あたるんじゃない?たまには一緒に勉強しようよ」
「あ、ああ…」

甘い香りに引き寄せられたから?
それとも もっと傍に近寄りたくて?

いつもより 少しだけ積極的なあたしに、いつもより少しだけ素直な乱馬。
あたしの机の横に折り畳み椅子を置いて、めずらしく文句を言わない乱馬がそこに腰掛ける。




「― でね、この句動詞は前置詞のせいでいつもの動詞とは少し違った意味になって…」
「…」
「…聞いてる?乱馬」
「あっ、えっと…なんだっけ」
「もう。せっかく人が真面目に教えてるのに」

いつになく集中力のない乱馬。
もちろん、普段の授業も集中しているかといわれれば体育以外総じて首を縦に振ることは出来ないけれど、それにしても今日の乱馬の様子はどこかおかしくて。
「聞いてる?」と顔を覗き込めば 大袈裟なくらいに仰け反って「き、聞―てる!」と空返事を繰り返すだけだ。



「ねえ、どうしたの?」
「べ、別にっ。そ、それより なんかこの部屋寒くねーか?」
「そう?珍しいわね、あんたが寒がるなんて」

とてもこの前、あんな寒空の下で冷たい炭酸を一気飲みしていた人の台詞とは思えない。

「お、おめーもその…ボタン、上まで留めたほうがいーんじゃねえか?」
「えー。別にいいわよ、そんな寒くないもの」
「い、いや、そうじゃなくて…あ、あのな、あかね…」
「なに?」

何かを言いたそうな乱馬。
時折、確かに熱い視線を感じるのに。
なのに 決定的ななにかがない…。

別に"なにか"が起こる必要なんてないのに。
だけど確実にそれを意識してしまっているあたしがいる。
そんな 悟られたくない本音を隠し 表面上は普通を演じていると、不意に肘が当たって机の上の消しゴムがこん…と床に落ちる。

「あ…と。いけない」

そう言って上半身を折り曲げ 机の下に手を伸ばして消しゴムを拾った時のことだった。
一瞬、強い乱馬の視線を感じた気がして 無意識にあたしもそこへ目をやる。
と。
あたしの勘違いじゃなければ、乱馬、あたしの胸…見てた……?
瞬間、カァッと頭が沸騰する感覚と恥ずかしさに堪えきれず、あたしはつい かわいくない態度をとってしまう。


「な、なによ。ちゃんと勉強に集中してよね!」
「お、おれだってちゃんとやってただろ!おめーのほうこそ、んなちゃらちゃらした格好しやがって」
「え?」
「さ、さっきからその、ちらちら見えてんだよ、そ、その、むむむ胸元とか!」
「あ…な、なに勝手に見てんのよ!この変態!スケベ!」

思わず言葉と同時に振り上げたあたしの右手が 気持ちいい程の音を立てて乱馬の頬にヒットした。

「痛ってぇ!あ、あのなーっ、見たくなくても勝手に見せてんのはそっちだろーがっ!」
「なんですってぇ!?」
「んな小さな胸さっさとしまえ、見たくねえ!」
「な…っ!」

なによ、その言い方。
人がせっかく…。

声が震えないようにスカートの裾をぎゅっと握りしめると、俯いたまま声を絞り出す。


「…わかった。もういい!」
「お、おい、もしかして泣いてんのか?」
「泣くわけないじゃない!いいからもう出てって!」


手あたり次第に乱馬のノートごと投げつけ半ば追い出すようにしてその背中を押しやった後、乱馬がいなくなった部屋であたしはクッションをに顔を埋めて声を殺す。
なによ、バカ!
なにも あんな言い方しなくったっていいじゃない。
バカバカ、乱馬の大バカ!


『んな小さな胸さっさとしまえ、見たくねえ!』



「…」

……バカみたい、こんな格好して。
少しは意識して欲しくって。
それを見透かされたような…ううん、その思いを木端みじんに打ち砕かれたようで 情けなくて恥ずかしくて。

「…もうやだ」

きっとこの前の公園でのことだって あたしの勘違いだったんだ。
そう思ったら泣きたくなるほどに切なくて悲しくて。
急に色を失った世界に机上のオレンジ色の花だけがやけに目につく。
金木犀の甘い香りが ただ胸に苦しかった ―。







翌朝、あたしは普段よりずっと早起きして早々に家を出た。
乱馬とは顔を合わせたくない。
どうせ学校に行ったら嫌でも顔を合わせてしまうけれど、それでもとてもじゃないが二人きりで登校する気分になんてなれなかった。

(乱馬…どう思ってるかな、昨日の晩のこと)

もしかしたら もう全然気にしてないのかもしれないな。
きっと「いつものことだろう」、そんな風に思っているのかもしれない。
だとしたら こんな風に意識しているあたしだけがますます惨めで情けないように思えてくるから嫌になってしまう。
不意に胸の奥がぎゅうっと痛くなって、水色の制服の上から手で押さえる。
けれどその痛みが消えてなくなることはなくて。
この苦しいようなぽっかりとした寂しさは 秋のせいなのだろうか?
大きく吸い込んだ冷たい朝の空気が またあたしの胸をきゅっと締め付けた。





結局、今日は学校でも乱馬と会話らしい会話は無かった。
時折何か言いたげな乱馬からの視線を感じるけれど、それを避けるようにあたしはゆかやさゆりと一緒に教室移動をし、お弁当を済ませる。
私自身 どうしていいのかわからない、というのが正直なところだった。
今まで当たり前のように一緒に登下校して、考えなくてもポンポン言いたいことを言い合って。
でもどちらかが急に意識をすると、それはこんな呆気なくバランスを崩してしまうものなんだな。
なんだか まるで他人事のように考えながら、ホームルーム終了のチャイムと共に あたしは乱馬に声を掛けられないよう、教室を後にした。



「はあ…そろそろ帰らなくちゃな」


ちらりと腕時計に目を落とすと、その針はもうすぐ七時を指そうとしていた。
窓の外はすっかり暗くなり、部活を終えた生徒達も身支度を整えて続々と帰宅している。
部活もないのに意味もなく校舎に残っているのなんて おそらくあたしくらいのものだろう。

(…まだ帰りたくないな)

家に帰ったら今度こそ夕飯で乱馬の隣に座るだろう。
あのデリカシーのない家族のことだ。
いつもと違うあたし達の様子に「どうしたの?また喧嘩でもした?」とズケズケ聞いてくるに違いない。
これが喧嘩ならどんなにマシか。
でも……。


(…明日は休みだし、ちょっとくらい遅くなっても平気よね)

そう思うと、あたしはふらふらと引き寄せられるようにあの金木犀の公園に足を運んでいた。








一週間振りに訪れた公園は先日より更にオレンジ色の花が目立ち、まさに咲き乱れているといった表現がぴったりだった。
頼りない外灯の下も薄暗闇でもしっかりと浮かび上がるオレンジ色の可憐な花、そして甘い香り。
そのむせ返るような香りに包まれながら、あたしはベンチの隅っこにちょこんと腰掛ける。


昨日の晩。
なんであんな言い方をしちゃったんだろう。
照れくささから乱馬の言い分も聞かずに叩いてしまった右手をそっと左手で押さえる。
でも…。
でも乱馬だって あんな言い方をしなくてもいいじゃない。
例えその場の勢いだったとしても、あんな台詞を浴びせられればあたしだって酷く傷付くのは当然なわけで。
男のくせに 時にあたしよりも豊満なバストを持つ乱馬。そんな普通じゃない特異体質に張り合ってもしょうがない。頭では分かっているのに言われた言葉がナイフのようにあたしの心に突き刺さる。
なによ、バカ。
あんな言い方されたら 女の子なら誰だって怒るに決まってる。
だからつい カッとなって…。

「……」

…ううん。違う。
本当はあたしの方が期待してたから。
乱馬となにかが起こることを期待して。
だからあんな格好をして二人だけの部屋にいたのに。なのに何もないから。
だから余計惨めで恥ずかしくて あんな酷いことを言っちゃったんだ。
こんなこと、今更なのに…この前のことがあったから。

「バカみたい…」

呟いた後、じわりと視界が歪む。



と、

「ほんと バカみてー。このさみーのにそんな薄着で公園なんかにいやがって」

急に聞こえてきた聞き覚えのあり過ぎる声。
そしてそれは今、一番会いたくない声の主だった。



「この不良娘。こんな遅くまでなんの連絡もしなかったら おじさん達が心配すんだろーが」

そう言ってバサリとあたしの上着を頭に投げた後、「ほれ」と渡されたのは先日と同じ 温かいレモンティー…。
あたしはどうしていいのかわからず顔を上げないままもそもそと上着を羽織ると、膝の上でペットボトルを両手で握りしめて俯くしかない。
きっと乱馬もどうしていいのか戸惑っていたんだろう。
しばらくベンチの前で立っていたと思うと、この前と同じ拳二つ分を空けてあたしの隣に腰掛けたのがベンチ越しの振動でわかった。



「…どうして?」
「え?」
「なんであたしがここにいるってわかったの…?」
「どーしてって…あんなすぐに教室を出てったのに家に帰ったらあかねの姿はねーし、だからちょっと気になってもう一回学校行って…」
「…」
「あ、言っとくけど別におめーだけを探してたわけじゃねーからな!?だ、大介に借りた漫画もちょうど返さなきゃなんなかったし、ついでに出し忘れてた補習の――」
「わかったわよ」
「え?」
「別にあたしを探してたわけじゃないんでしょ?わかったからそんな言い訳がましく説明しなくてもいいわよ」
「あかね…?」


本当は。
本当は「探してくれてありがとう」なんて素直にお礼の一つも言えたら かわいいのに。
こんな言い方をしているけれど、本当は乱馬があたしのことを心配してあちこち探し回ってくれたことくらいわかってる。
けれど、昨日の乱馬の台詞を思い出すとどうしても素直にお礼を言う気にはなれなくて。
あたしのことなんてまるで女の子として意識していない。
そう思うとまたぎゅっと胸の奥が苦しくなって、あたしは上着の前をしっかりと手で押さえた。



どれくらいそうしていたんだろう。
手の中のレモンティーがほとんどその熱を感じさせないくらいになった頃、不意に乱馬が口を開いた。

「金木犀も今がピークだな」
「…そうね」
「あ、あの……」
「……」
「あのさ……」
「なによ」
「その…………昨日はごめん……」
「別にいいわよ。だって本当のことだし――」
「で、でもな?夜に二人であんな格好でいられると、その…一応、おれだって男だから、その、色々問題があるっつーか…!」


…え?


「あ、あかねはおれのことをそんな意識してねーんだろーけど、おれは、その…っ」


それって……。


思わず顔を上げてまじまじと乱馬の顔を見る。その顔は耳まで真っ赤に染まって秋だというのにうっすらと汗まで浮かんでいる。


「な、なんだよっ!んなじっと人の顔見んじゃねーよ!」
「…問題ってなに?」
「へ?」
「あたしと夜二人でいると問題があるって今 乱馬が言ったんじゃない。問題ってなに?」
「な、なにっておまえなぁ…!」
「なによ」
「わ…わかってて言ってんだろ!?そうなんだろ!?」
「わかんないから聞いてるんじゃない」
「…っ!」
「…言ってくれなきゃ わかんないわよ……」


じゃないと またあたし一人でバカみたいに期待してしまう。
もうあんな惨めな思いをするのはまっぴらだった。
乱馬といえば「なんだよ!」とか「マジか」なんて言いながら、頭をがしがし掻きむしっている。

「…別に言いたくないなら無理やりは聞かないからいいわよ」

そう言って立ち上がろうとした時だった。
「あー、くそっ!」という なんとも品のない掛け声と共に腕を引っ張られてベンチに引き戻される。


「あ、あのな、あかね!これからおれが言うことに引くんじゃねーぞ!?」
「そんなの 聞いてみなくちゃわかんないわよ」
「いちいちかわいくねー女だな、おめーは!」
「しょうがないでしょ、かわいくないのは生まれつきだもん」


はあぁ……。


大きな大きな溜め息が聞こえた後、膝の上に片手で頬杖をついた乱馬が観念したようにぼそぼそと話し始めた。


「…あのな?さっきも言ったけど夜に二人でいる時に、あ、あんな格好でいられたら、その、おれも男だから目のやり場に困るっつーか、いくら許嫁っつったっておれだけ変に意識してたらマズいだろ?」
「意識……?」
「だ、だからだなっ、その、あかねにそんな気がねーってのはわかってるつもりだけど もうちっと考えてくんねーとおれも困るっつーか…」
「…」
「んだよ、その顔は」
「乱馬……あたしのこと、意識してたの?」
「へ?あ…べ、別にそういう意味じゃあ…!」
「……」
「あ…の、だから……」
「……」

もう一度ゆっくりとベンチから立ち上がろうとした時だった。
今度こそ 身体ごと一気に引っ張られてそのまま乱馬の腕の中に捕えられる。

「乱…っ」
「い、意識してたらわりーかよっ!?」

それは抱きしめるというよりもぎゅうっと胸に押し付けるような力強さで。
頬に当たるさらりとしたチャイナ服の感触の下からは あり得ない程にドクンドクンと心臓が波打っているのがわかる。
その鼓動の大きさが「嘘ではない」と言ってくれているようで。


「お、おれだってなぁっ、ずっとおめーのこと…!」
「…あたしも」
「え?」
「あたしも意識してたよ。乱馬のこと」

男の人だと意識して…だから……。
それは言葉になったかわからない。
そのかわり、あたしより一回りも大きい身体を抱きしめ返すようにぎゅっと背中に腕を回す。


「あ、あかね…?」
「…」


恥ずかしくて。
顔なんかとてもじゃないけど見れなくて。
だけどその何倍も嬉しくて。
さっきまで寒くて震えそうになっていた心も身体も、じんわりと乱馬の熱を奪って温まっていくのを感じる。

「あかね…?」
「…」
「あの…お、おれさ…」
「…なに?」
「こ、こーしてるとやっぱ我慢できなくなるっつーか…」
「…」
「あかねも、その、おれと一緒って言ってくれたから、あの……」
「…うん」
「…………ス、してーんだけど…」


最後の台詞は情けないくらいに上ずっていて、いつもの自信満々な乱馬からは想像もつかないくらいに小さな小さな声。
あの乱馬でもこんな風になっちゃうんだ。
思わずくすりと笑ってやっと乱馬の顔を見上げると。

「…どうしようかな」
「こ、こんな時までかわいくねーっ!」
「かわいくなくて悪かったわね。でもあたしは」
「…あかねは?」
「乱馬のことが好――」

その言葉を言い終わらないうちに二人の唇が重なった。






季節はゆっくりと移り変わるだなんて思いがちだけれど、物事が変わるのと同じように案外切り替わるときはあっという間なのかもしれない。

そしてあたし達も。

一歩を踏み出す時は 意外とこんななんでもない瞬間なのかもしれないと のぼせた頭で感じていた。
ぎゅうっとしがみつくように力を入れて腕を回した乱馬からは、温かな体温と一緒にふわりと汗の匂いがする。それがあたしを探していたと言っているようで。
でもそんなことを言ったらもう二度と探さねーと言われてしまいそうで、あたしはもう一度乱馬の匂いを吸い込むと その胸に頬を寄せる。
これが夢ではないことを確かめるように。



ざあっと吹いた風が甘い香りを一層強く運んでくる。
薄暗い秋の月明かりに照らされて まるで花火のように浮かび上がった金木犀。
そのオレンジの温かな花弁だけが 今宵静かにあたし達を見ていた。




< END >




関連記事
comment (6) @ 高校生編 短編(日常)

   
おやすみ  | 10月9日 るみぷち2へ行ってきた・後編 

comment

管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016/10/13 Thu 06:57:09
好き! : 憂すけ @-
kohさーん!私、このお話、SSも含めて大好きですー!原作より一歩進むのが、もどかしくて!それがねーまた、ツボでございます。(≧▽≦)子供の頃は、乱馬と同じに〝トイレットの匂い”と思っていた金木犀。今、大人になって、季節を強く感じられるとても好きな香りになりました。あかねちゃん、これからはどんどん寒くなるからね。「どてら」ちゃんと着てた方が良いわよ!PCの前で母はニヤリと呟いちまいました。(∀`*ゞ)テヘッ
2016/10/13 Thu 14:04:50 URL
Re: No title : koh @-
> 2016/10/13 Thu 06:57:09 コメント主様

こんばんは。
先日は金木犀のリクエストありがとうございました♡
すっかり遅くなってしまってすみません💦。
個人的に金木犀=甘くて初々しい…というイメージがあり、お話はパッと浮かんだのですが
なかなか文章の形にならず…エプロンとかまとめ的なものばかり書いてる場合じゃないですね(^▽^;)。
ちなみに私も金木犀の香りがすると 季節を感じて嬉しくなる派です♡
2016/10/13 Thu 18:23:59 URL
Re: 好き! : koh @-
> 憂すけさん

いつもは二人の進展をどこかイベントに絡めがちなのですが、あえて何でもない日に頑張ってもらいました♡
そしてあかねちゃん。あかねちゃんならきっとドテラ姿でもなんでも可愛いよ。
むしろドテラの下からすらりと伸びる白いおみ足なんてたまらないじゃないかっ。
まだまだそこら辺がわかってないなあ、乱馬は。
これから冬を越して温かくなってきたころ、おさげの狼くんが暴走しないか
お母さんは心配です(^▽^;)。
2016/10/13 Thu 18:38:59 URL
素敵だぁ〜 : あんず @-
今回もまた素敵な作品、ありがとうございます!
肌寒いこの季節にリンクしてて、外に出たらどこかに二人が本当にいるんじゃないかなんて想像しちゃってました(´艸`*) 高校生ならではの二人もいいですね〜、いくつになってもおばさんはドキドキしますよ(笑)。
大好きなバストバトルのお話の台詞も入っていて嬉しくなり♪そして、その後のどてら制裁、面白すぎでした♡
2016/10/14 Fri 08:35:35 URL
Re: 素敵だぁ〜 : koh @-
> あんずさん

おはようございます。
なんだか今年は一気に寒くなりましたね(>_<)。
秋を通り越していきなり冬が来てしまったような寂しさがありますが、あんずさんにこう言っていただいて
すごく嬉しいです♡
外に出たらどこかに二人が~なんてとても素敵な感想までいただけて、こういうコメントをいただくと
「あ、また時間を作って書こう♡」って舞い上ってしまうお単細胞です(´▽`*)。
バストバトル、かわいいですよね♪
私も大好きなお話です。でもね、乱馬くん。
あかねちゃんは決して小さなお胸じゃないぞ?
むしろ私からしたら…ゴニョゴニョ。
2016/10/15 Sat 04:57:13 URL

コメントを送る。

URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する