酔いしれの花嵐・前編 (夜桜乱あ祭り) 

2017/04/08
ポパイさん(@0430popai)主催の桜乱あ祭りに夜桜バージョンとしてもひっそりと…。


※ ヌルいですがR-18の描写・モブキャラによるやや不快な表現があります ※

R-18の類が生理的に苦手な方、原作のイメージを損ないたくない方は
絶対にお読みにならない様、お願いいたします。苦情等もご遠慮願います。
(後編はいつも通りパスワードを設けます)


《 20秒で分かる社会人編おさらい 》
こちらは社会人編になります。
高校卒業後 中国に渡って変身体質を治した乱馬は格闘の世界で頭角を現し、短大を卒業したあかねは
老舗スポーツメーカーに事務員として就職後、その知識と容姿を買われて翌年から広報部所属に。
お互い もうすぐ23歳を迎える大人な未来設定です。(乱馬とあかねは今も天道家で同居中)



【 酔いしれの花嵐 】



何でこんなことになってしまったんだろう。
春の風が吹き荒れる度、ガタガタと忙しない音を鳴らすのは木造の小屋に設けられた頼りない小窓だ。
普段のこの時間帯なら真っ暗な景色しか映さないであろうそのガラスの向こうには遠く微かにオレンジ色の提灯明かりを捉え、部屋の中を隠すようにベタベタと桜の花びらが窓に張り付いている。
それでも人が近くを通ればその長く伸びた影がすっと室内を翳り、暗闇に潜んでいる身体が反射的にびくりと跳ねる。
いや、これは何も人影のせいだけではないのかもしれない。
はあ、はあ…と、木で作られた用具置き場の空気が二人の吐く息で濃度を変え、熱く湿ったものに染められていく。


「あ…っ、そこ…、…!」
「…声、他の奴に聞かせたくねーから、我慢して」
「~…、ん…っ…!」

薄い壁一枚隔てたすぐ隣では見ず知らずのカップルが営みを交わす中、あたしは自分の唇を噛み締め、その隙間から漏れる熱の塊を乱馬の前髪にぶつけた。
肩までたくし上げられたニットが二つの膨らみに沿うように緩やかなカーブを描き、春の冷たい空気に触れて淡い実は既に芯を持って硬くなっている。
それを口に含みながら、ちらりと上目遣いであたしの表情を伺う黒い瞳が妖しく光った。

「足…ちょっと開ける?」

履いていたズボンをするりと腰から滑り落とされ、剥き出しになった下半身を月明かりの下に晒しているのは顔を真っ赤に染めたあたしの姿…。
身に付けた下着は既に はしたないまでに濡れそぼり、それを指先で確かめた乱馬が嬉しそうに「やらしい」と口にした。


(どうして…)


くちゅくちゅと脳内まで侵していくような水音に早くも意識を手放しそうになる。
つま先までぎゅっと力の入る足を片方持ち上げられ、壁にもたれ掛かるようにして立つ不安定な身体を弄る手は止まりそうもない。
いや、寧ろここで止まるわけにはいかないだろう、お互いに。



(どうしてこんなことに…)


到底 言葉では表現出来ないような潤んだ音が部屋一杯に響き渡る。
そのすぐ横でギシギシと壁越しに規則正しく振動する薄い木の壁が、外で何が起こっているかを雄弁に物語っていた。

「乱…馬っ、あ…っ、」

くしゃりと胸の前の髪の毛に手を差し込み、手繰り寄せる。
のぼせ上がった頭の中で、あたしはつい先程までのことを思い出していた。








「へ?花見?」
「うん。毎年の恒例行事なんですって」

その話をしたのは十日程前のことだったか。
いつものように稽古の後の汗を流し、いつものようにあたしの部屋を訪れ、ついでにいつものようにあたしのベッドの中でその日にあった他愛のないことを話す二人だけの時間。
床に落とされたパジャマを着る気分にもなれず、乱馬の胸にもたれながら あたしはその日に備えようと半分愚痴をこぼすように「はあ…」と深い息を吐く。


「ほら、あたしも広報に配属になってちょうど一年でしょ?だから今年は二年目恒例の大仕事である花見の幹事ってわけ」
「え。っておめー、一人で仕切んのかよ」
「流石にそんなことはないけど。男性社員が場所取りやビールの手配だとしたら、あたし達女性はおつまみの調達や当日のお酌係ってとこかしら。簡単に言うと雑用係よね」
「……男もいんのかよ」
「あのねえ。男も、じゃなくて広報部全員がいるのっ。ゲストも含めてね」
「ゲストだぁ?」
「そう。ほら、うちって一応は老舗のスポーツメーカーじゃない?だから当然アスリートの方達にもお世話になっているわけだけど」
「…」
「普段は海外遠征で留守がちな選手の方にも桜を愛でていただく…っていう名目で、要は体のいい接待よね。それでもなかなか好評みたいで毎年色んな方がちょっと顔を出すみたいよ」
「へー。んなとこにわざわざ出向くなんてよっぽど暇人なんだな、そいつら」
「あら。あんたはそういうのに興味ないわけ?もしかしたらスポンサー契約に繋がるかもって意気込んで来る人もいるのに」
「へっ、くっだらねー。そんな酒の場での約束なんかアテになるかよ」

まあそうでしょうね。
そう言うとは思ってたけど。

あたしはやれやれと肩をすくめると、背後から絡みついている逞しい腕を外してベッドの下のパジャマに手を伸ばす。


「じゃあ乱馬の参加は無しってことで」
「あん?」
「この前あんたの取材した時にね、言われたのよ。"早乙女さんも来てくれたら盛り上がるのになー"って」
「誰に?」
「…………鈴木君に」

正確には目をハートにした女性社員たちと、それを引き気味で見ていた鈴木君に、なんだけど。
だけどわざわざ言う必要もないだろう。
乱馬が花見の場に来ないことに半分安堵し、もう半分はやや落胆しながらも「いや、来たら来たでまた何かと面倒だ」と頭の中を切り替える。
そう。
たかが花見。
会社の花見。
そもそも 年齢を重ねたいい大人達が集まる場なのだ。
流石に学生のようなノリもないだろう。
あたしは下着を足に通し、パジャマの上着だけ羽織ってボタンを閉める。
早くもそのネル地の下からもそもそと這い出す手の甲をペチンと叩きながら、ゆっくりと重たくなる瞼に身を任せるように夢の中へと溶けていった。







なのに。
それなのに。



コップの中のビールをグビリと煽る、この目の前のおさげは一体どういうことなのだろう。
あたしは思考の整理が付かないまま、まるでバケツリレーのように回ってくるビール瓶を両手に持っては宴席の奥からぐるりと右回りにお酌をして回る。
この様を見て「なんて時代錯誤な」と眉を顰めるものもいるかもしれない。
それでもあまりお酒の強くないあたしとしては、無理に飲まされるよりも「やることに追われています」という体でその場に引き止められないことの方がずっと重要だった。
時間と共に気持ち良く酔いが回り、他の社員と談笑して一緒に酒瓶を空にしていく女性社員。
幹事の業務から徐々に脱落していくメンバーを横目に見ながら、ちらりと乱馬の方に視線を走らせる。と、そのしなやかな筋肉の両側を可愛い女の子に挟まれ、満更でもない笑顔を浮かべている姿がそこにあった。


……。



(……ふーん。あんなに「来ない」って言ってたくせに)


あたしにはあんな優し気に笑う表情なんて滅多に見せないクセに、他の女性の前だと違うんだ。
なによ、高校生の時は「やめろよ」なんて一応口先だけでも言ってたクセに。
いつも家では憎たらしいことばっかり言う大きな子どもみたいなクセにね。
そんな社会人みたいな表情でニコニコしちゃって。
ふーん。
ふーん。
ふ―――ん。


…っていうか。
どさくさに紛れて腕、組まれてますけど?
胸、押し付けられてますけど?
気付いてますよね?それ。


いつものオフィス内と違って土の匂いのする公園とはいえ、今は立派な仕事中で。
にもかかわらず思わずじっとその様子を凝視していると、そこへ眼鏡を掛けた いかにも仕事の出来る見本のような男性があたしに声を掛けてきた。

「やあ天道さん、お疲れ様」
「あ、お疲れ様です。えっと…」
「ああ、申し遅れました。僕、△△に所属するNのマネージャーを務めている稲江と言います」
「稲江さん。あの…」

△△チームのNといったら、五年程前はその輝かしいばかりの成績と独特の勝利ポーズで一世を風靡したものだ。
が、この数年は怪我に悩まされ、表立って活躍する機会もめっきりと少なくなってきたと同時に、あれだけ毎日目にした数々のCMも今では別のタレントに入れ替わってしまっている。
これも旬の時期の短いアスリートならではの厳しさなのだろうか。
目の前の稲江が指差す方を向くと、なるほど、Nが広報部課長の横でビール片手に酌をしているのが見える。まったく、これじゃあどちらが接待をしているのかわからない。

「あの、でもなんであたしのことを…?」
「天道さん、先日 弊社の女子チームの体験取材にいらしてましたよね」
「ええ、確かに伺いました」
「あの時、正直言って僕 驚いちゃったんですよ」

彼が言うには体験取材というのはあくまで体験であり 要は撮影や紙面の構成に必要を迫られて行われることが殆どで、あたしのように本気を出して取り組む女性社員は珍しいらしい。
言われてみたらあたし、あの日は自前のジャージを持参した上に朝から身体を温めてお邪魔したんだったっけ…。

「やだ、なんかムキになって恥ずかしいですね」
「いやいや、そんなことないですよ。それだけ本気で体当たりしていただいて取材される側も冥利に尽きるというものです」
「そんな…」

どうやらその時に反対側のコートで練習をしていたのが男子チームであり、たまたまその取材の様子を見ていたというのだ。


「それで僕もNもすっかり天道さんのことが気になっちゃって」
「あ、ありがとうございます」
「ただ可愛いだけじゃなくて仕事熱心で。今日だって誰よりも率先して気を利かせているし、きっと天道さんは職場でも人気者なんだろうなぁ」
「そ、そんな、褒め過ぎですから」

とはいえ、大人になってここまで面と向かって賛辞を送られることは滅多にない。
確かにこの一年間、自分なりに右往左往しながらも時には歯を食いしばって奮闘してきたつもりで。
だからこそ、こうして自分を認めてくれる言葉がまるで魔法のようにあたしの中にするりと溶けては、胸の奥をじわりと温かくしていく。

「どうですか、天道さん。もしも迷惑じゃなければ休憩がてら、ちょっと一杯」
「ありがとうございます。でもまだ業務中ですし…」
「もうみんな酔いも回って好きにしてますよ」
「でも…」
「そういう僕も今まで挨拶回りでろくに桜も酒も楽しめていないんです」

なるほど。
確かに顔を見ても酔っている様子は一切なく、既に出来上がってしまっている一部の人達との温度差は明確だ。これでいきなりあの空気の中に飛び込んでいけというのもいささか酷な話だろう。
皆思い思いに好みの酒に手を伸ばし、デパートに発注したちょっと豪華なオードブルに箸を伸ばしては愉快な笑い声をあげている。
ここでわざわざ素面のあたしが酒の酌をして回る必要もない。そう思えるほどに、程よく宴は盛り上がっていた。


ちらり、と。
あたしはもう一度 甲高い声に挟まれたおさげの存在に目をやる。
一瞬不貞腐れたような視線とぶつかったような気がしたが、何事もなかったようについっと目を逸らすと先程よりも更に余所行き用の笑顔でまたグビリとコップを仰ぐ乱馬。


……ふーん。
そうなんだ。
そんな態度なんだ。
へー。
ふーん。
あー、そう。


「…そうですね。あぶれ者同士、"一緒に"飲みましょうか、稲江さん!」
「そうこなくっちゃ」


これ以上そんなデレた姿は見たくないと暗に伝えるよう、あたしはくるりと乱馬に背を向け腰を下ろす。
その後ろでコップに口を付けたまま、苦虫を噛み潰した様な表情で乱馬があたしを見つめていたことなど、その時のあたしは知る由もなかった。




それにしても、この稲江という男性はよく気が利くタイプらしい。
あたしの話を程よく引き出しては適度な距離感で相槌を打ち、相手の喜ぶポイントを突くように気持ちのいい言葉を投げてくれる。
おかげでいつもなら一杯目で止まるはずのビールが、今日は早くも二杯目のお替わりに突入していた。

「天道さん、お酒はいけるクチ?」
「いえ、それが全然で。こうやってすぐに顔が赤くなっちゃうから恥ずかしいんです」
「そんなことないよ。寧ろ男性からしたら可愛いけどなあ」

これもきっとほろ酔いのせいなのだろう。
いつもだったら安易に言われた男性からの"可愛い"なんて軽い嫌悪感を伴って無視するだけなのだが、仕事に対する情熱を褒められたあたしとしてはご機嫌以外の何者でもない。
ふふふと笑うことで照れくささを隠し、さり気なく話題を変えようと試みる。

「私 普段は殆ど飲むことがなくて、飲んでも甘いカクテルばっかりなんです」
「へえ」
「そんなのジュースじゃないかって言われちゃうんですけどね」

…恋人にね。
そこで女の子にベタベタされて振り解くこともなくヘラヘラ楽しそうにしている恋人にですけどね。

そんなあたしのどす黒い感情など気付く筈もない稲江といったら、どこから取ってきたのか手に小さな瓶を持っている。
そのパッケージにはパステル調の色使いでサクランボの絵が描いてあり、いかにも女性が好みそうな代物だ。
そういえばお酒の発注をする際、ビールだけではなんだからと他にも日本酒や焼酎、それから各種甘いカクテルに、こっそり自分達が飲んでみたいあれやこれなんかも追加して頼んでいたっけ。

「これね、今女性に人気のカクテルなんだって。天道さん、知ってた?」
「いえ、これは初めて見ました」
「そうだろうね。人気で品薄中ってテレビでやってたくらいだから」
「そうなんですか」

そんな風に言われると余計に気になるのが人の常で。
元々そんなに好んで飲むことのないビールに比べたら、可愛らしいイラストの描かれたそれのほうがずっと口当たりが良さそうな気になってくる。

「最後に一本残ってたの、天道さんのために取ってきちゃった」

そう言っておどけたように肩をすくめる稲江から素直に瓶を受け取るあたし。

「あ、でもコップを取ってこなくちゃ…」
「いいんじゃない、そのままで。みんなそのまま口を付けて飲んでるよ」

そう言われ、それもそうかとアルミのキャップに手を掛けた時だった。




「やめとけ。それ、見た目と違ってすげーアルコール度数高えぞ」



手に持っていたはずのカクテルを奪い取られ、振り向いたすぐ頭上にいたのは 先程まで女の子達と仲良く談笑していたはずの乱馬の姿…。


「大体、酒が弱いっつってる女にこんな度数のたけーアルコール渡すか?ふつー」
「ぼ、僕は別にそんなつもりは…」
「わざとらしく表示の部分を指で隠しやがってよー」
「乱…さ、早乙女さん!失礼じゃないですか!」
「ほー。天道さん…だっけ。じゃあおめー、それ飲むつもり?」
「もちろんですっ。せっかく持って来てくださったんですから」
「へえー…。後で後悔したって知んねーからな?」
「早乙女さんに言われたくはありません」
「あのなぁ」
「あ、ほら早乙女さん。さっきの女の子達が呼んでますよ」
「ちょ、あか――」
「どうぞ楽しんでくださいね、お・は・な・み!」


ふんっ!
さっきから女の子にベタベタ触られちゃって一体何を愛でに来てるんだか。
あたしは鼻息荒くにっこり作り笑顔で応対すると、乱馬から奪い返したカクテルの蓋をおもむろにキリリと回す。
プシュ…と微かに炭酸の漏れる音と共に鼻先をくすぐる甘いサクランボの香り。
言っときますけどねぇ、あたしだってこの一年で少しは飲めるようになったんだから!
いーっと舌を出したくなる衝動をぐっと堪えながら、コクリと流し込んだ液体が喉の奥に熱を伴って下に滑り落ちていく。
それがあたしの身体を本格的に酔わせるのに、そう時間は掛からなった。








それから30分程経った頃だろうか。
あたしの目の前でちびちびとコップを口に運んでいた稲江が不意に腰を浮かせた。

「天道さん、トイレってどこにあるかわかるかな?」
「あ、お手洗いだったらすぐそこにありますよ」
「うん、そうなんだけどね。さっきから人の往来が多いから混んでそうなんだよね」

それはそうかもしれない。
東京ドームが丸々30個分以上も入ってしまうこのだだっ広い公園は都内有数の桜の名所としても有名だが、この宴を設けているこの辺りは特に桜の大木がこれでもかというくらいに密集しており、右を見ても左を見ても人、人、人の混雑っぷりだ。
確か この大通りを真っ直ぐ横に突っ切ったところにも要所ごとにトイレが設けられていたような気もするが、それも記憶が定かではない。
というか、あたし自身この公園に来るのは人生で二度目なのだからはっきり言って分かるはずもない。
それでも何となく考えるフリをしていると、

「そういえば天道さんも随分と頬が赤いね。ちょっと酔い覚ましに歩いた方がいいんじゃない?」
「いえ、あたしは…」

もう一度ちらりと乱馬の方を伺う。
間違いない。
今度こそ不機嫌さを隠さずあたしの方をじっと見つめるその周りには、その近寄り難い雰囲気のせいか 先程まで取り巻きのように纏わりついていた女性陣の姿はどこにも見当たらなかった。

「水で顔を冷やすだけでも随分と違うよ」
「え、でも…」
「ね、それに夜の公園は女性一人で歩くには危険だし」

やんわりと断る姿勢に気が付かないのか、それともわざとなのかは分からない。
それでも強引なまでにあたしの腕を取ると、そのまま中腰になるように引っ張り上げる。

「きゃ…っ」
「ほら、やっぱり少し酔っちゃったかな?帰るまでにちょっと新鮮な空気を吸った方が良さそうだ」
「あの、本当に――」
「あ、じゃあ僕が天道さんをトイレまで送ってあげるよ」


一体どこをどうしたらそういう話の流れになるのだろう。
あたしは掴まれていた腕を反射的に突っぱねるとぎゅっと自分の胸元に引き寄せる。
と、途端にふわりと足元がふらつくような感覚が襲ってきた。


「さ、天道さん。行こう」
「え、ちょ、ちょっと待って下さい。あの…」
「なに?」

なんだか、人が変わったみたいだ。
でもこれはあたしが酔っているせいかもしれない。
だって相手は社会人で、身元もしっかりと分かっている人で。
もしかしたらあたしは自分が思っている以上に酔っぱらっているように見えるのかもしれないし、人前に晒すには恥ずかしいほど真っ赤な顔をしているのかもしれない。
なのにここであたしが大袈裟に拒否などしたら、それこそ自信過剰で笑い者になるとこだろう。
ううん、それどころか相手は大切なゲストであるアスリートのマネージャーなのだ。
今後も仕事を続けていく上で、あたしが勘違いも甚だしい行動を取った日には会社にも大きな迷惑を掛けることになるだろう。
いや、もしかしたらそれだけでは済まない事態になってしまうのかもしれない。
あたしは咄嗟に自分の鞄を手に持つと、脱いでいたコートも上から羽織ってようやく靴を履く。


「え?天道さん、荷物を全部持って行くの?」
「いえ、その、なんだか肌寒くなっちゃって。それに鞄の中にハンカチや化粧ポーチも入っているのでついでに…」
「ふーん」


「これは都合がいい」と顔に書いてあるように見えたのは気のせいだろうか。
「じゃあ行こうか」と今にもあたしの手を取りそうな勢いをさり気なくかわし、後ろを振り返る。
そこにはもう、乱馬の姿はなかった。


(乱馬のバカっ!もしかしてもう帰っちゃったとか?)


それも充分にあり得る気がした。
もともと こんな大勢の飲み会の場が特別に好きというわけでもない。
勿論 今日の様子を見ているとそれなりに楽しんでいた気もするが、美味しいとこだけ掻い摘んで長い夜になる前にさっさと姿をくらますなんて如何にも"らしい"ではないか。
それに引き換え、あたしが家に帰れるのは一体何時になることやら。
よく考えてみたらまだ日の明るいうちに公園に着いたにも関わらず、準備だ何だとろくに桜の花すら楽しめてはいない。
それどころか 乱馬と一緒にお花見が出来ると浮かれた気持ちは一瞬にして消え、気が付いたら何となく断りづらい状況に自らを追い込んで、行きたくもないトイレに立つ羽目になっている。


(こんなことなら他の女子社員みたいに途中でお酌なんて切り上げちゃえばよかったな…)


さり気なく乱馬の横に座って。
ゆっくりと頭上を見上げて満開の桜を眺めて。
そしたら少しは楽しい花見になったのかしら。

だけど乱馬が帰ってしまった以上、それも虚しい妄想になるだけだ。
あたしの目の前にはらはらと淡い花弁が舞い落ちてくる。
それがなんだか、あたしの寂しさを表しているようで。

「大丈夫?一人で歩け――」
「大丈夫ですから」

あたしはふらつきそうになりそうな足にぎゅっと力を込め、きりっと表情を作る。
しっかりしろ、あたし。
いざとなったらこの鞄でフッ飛ばして撒いちゃえばいいんだわ。
先程まで「社会人だから」「いい大人同士だから」と自分に言い聞かせていた思いが少しずつ警戒心を伴って別の感情へと変わっていく。
これで何もなかったら自信過剰の取り越し苦労だと笑い話にでもすればいい。
とにかく仕事の延長戦上とはいえ、用心するに越したことはないのだ。


「やあ、それにしても今日は月がきれいだね」

まるで歯の浮きそうな台詞を吐きながら、一歩前を歩く稲江が空を見上げて感動したように呟く。
こんな台詞、乱馬だったら絶対言わないわよね。
満月を見てもせいぜい「あー腹減ってきた。餅が食いてえ、突きたての餅。肉まんでもいいな」なんて言うんだわ、きっと。
思わず苦笑いを浮かべたあたしに何を思ったのか、先程よりも気を良くした調子であたしの横に立つように少しだけ歩く速度を緩めて稲江が口を開く。

「あの…こんなことを唐突に聞くのは失礼かもしれないけれど」

失礼だと思うならば聞かなければいいじゃない。
…とは言えなかった。
なぜだろう。お酒が入るともしかしたらあたしはちょっと攻撃的な性格になってしまうのかもしれないな、なんてどうでもいいことを考えながら、
「なんでしょう?」
と社会人三年目の作り笑顔を見せて応対する。


「天道さんって、その、お付き合いしている人とかいるのかな?」
「…どうしてですか」

……ああ、やっぱり。
この手の問い掛けは昔から沢山聞いてきた。
それは別にあたしのことが好きとか付き合いたいとかそういうものではなくて、その殆どは興味本位か隙あらばという感じ。
乱馬に知られたらまた「おめーは隙があり過ぎんだよっ!」と小言の一つも言われそうだが、

「今日は良い天気だね」
「そうですね」
「雨が降らなくてよかったね」
「そうですね」
「付き合ってる人いるの?」
「関係ないですよね、それ」

くらい極々ありがちな、一種の挨拶みたいなものなのだろう。
ましてや今はお酒も少なからず回っている。
その酒の勢いを借りて相手が会話を引き出そうというのなら、あたしも少しだけ無礼講に返すのみだ。
普段だったら「さて、どうでしょう」と暗に恋人の存在を匂わせる程度の回答だが、きっぱりと一切の誤解を招きようもない程に

「お付き合いしている人ならいますよ」

と顔を見ずに答えてやった。
まあ、そのお付き合いしている人はあたしを置いてとっとと帰っちゃったんですけどね。
他の女の子と楽しそうにして、あたしには何の声も掛けずにさっさとね。
きゃーきゃー言われて鼻の下を伸ばしてたあのおさげの男が、実はあたしの恋人なんですよ。
そう言ってしまいたくなる気持ちをぐっと堪え、「はい、この話はここでお終い」というようにようやく稲江の方を向く。

「そう…それはお気の毒に」


そう聞こえたのは果たして気のせいだろうか。
気が付けば彼の後について歩いてきたこの辺りは公園のやや奥まったところにあたり、先程と比べてうんと人通りも少なく感じる。
いや、もっと正確に言うとあたし達以外、人影などどこにも見当たらない。
一定間隔で設置された薄暗い外灯が二人の影をぼんやりと照らし、視界には桜の花びら一枚散ってはいなかった。


……。


「稲江さん、あの、一体どこまで行かれるんですか?」
「ああ、もうすぐですよ。ほら、そこに明かりが見えるでしょう?」
「え?」
「そこ、比較的空いてるトイレなんですよ」


まるで以前からこの公園のことを詳しく知っているかのような口ぶりだ。
あたしの中の警鐘がドクンドクンと早鐘を打つように騒ぎ立てる。


(まだ…まだはっきりとしたわけじゃない。そうよ、いざとなれば走って逃げ出したって構わないわ。それで後から何を言われようと、多少苦し紛れでも笑って誤魔化してしまえばいいのよ)


バッグの取っ手を握る手にぎゅっと力を込めると、あたしはわざと周囲に響くように明るく大きな声を出す。
そう、これは引っ掛けだ。
あたしは酔っ払いで、相手も酔っているから。
だから無礼講ってことでいいでしょう?


「なんだかやけにお詳しいんですね」
「そんなことないですよ」
「さっきはあたしにトイレの場所を聞いたくらいなのに」
「そういえば宴会場所に行く前にこの前を通ったことを思い出しましてね」
「へえ。なんだか随分と都合のいい記憶力なんですね」
「おかげさまで」
「稲江さん、どうぞ先に行って来てください。あたし、ここで待ってますから」
「いや、天道さんも顔を冷やした方がいいですよ」
「あたしは大丈夫です。歩いたおかげですっかり酔いも覚めました」
「そんなこと言わずに」
「大丈夫です」
「でも」
「大丈夫ですから」
「っていうか」






「ついて来てくれないと困るんですよ」



月明かりを背に薄ら笑いを浮かべたその顔に、もうどこにも紳士らしい面影なんて無かった。





「どういう意味ですか」

あたしは手に持ったバッグを胸の前に抱え、稲江から一歩距離を置く。

「言ったでしょう?僕、あなたが体験取材に来た時に一目見て気になったって」
「光栄ですけれど――」
「だけどそれは僕だけじゃなくってね」


気が付いたら、すぐ目の前にNの姿があった。



「おせーよ」
「すみません。なかなか自然にというのも難しくて」
「待ちくたびれて他に手ぇつけそうになっちまったぜ」
「それは流石にまずいでしょう。あなたの場合は世間に顔が知れてるんですから」
「だよなあ」


何を。
何を言っているんだろう。

じりじりとあたしを両サイドから挟み込むようにしながら、ゆっくりと近付いてくる。
その目はもう、獲物を狙ったケダモノそのものだ。


「やっぱ可愛いね、天道さん。広報の片隅に置いとくにはもったいねえな」
「ちょっと…どういうつもりですか」
「なーに、その意味は直ぐにわかるよ。大人しくしてればすぐに済むって、なぁ天道さん?」
「な、何言って……」
「おい、いつもの通り見張っとけよ」
「まったく…騒ぎにならない程度にお願いしますよ」
「そんなヘマはしねえって」


これは…これは一体、どういうことなんだろう。
はっきり言ってワケがわからない。
あたしも人並み外れた規格外と長年連れ添ってきたつもりだったけれど、それとは違うもう一つの異世界の話に頭が、思考がついていかない。


「こ、こんなことしてタダで済むと思ってるんですかっ」
「タダで済むかどうかはあんた次第だろうね」
「それ どういう意味よ」
「俺はね、国民的スターなわけ。そんな俺と一端のあんたの言うこと、世間はどっちを信用すると思う?」
「ふざけないで――」
「おーっと、そんな興奮すんなよ。大きな声出すのはアノ時だけにしてさぁ」
「な…っ」


…おかしい。
この人達、完全におかしい。

あたしは咄嗟に踵を返し、全力で地面を蹴る。
だけどどうしてだろう。
一生懸命地面を蹴っている筈の足はふわふわと雲の上を歩くように頼りなく、真っ直ぐに走っているつもりの足はまるで自分のものではないように絡みついて思うように動かない。

「天道さーん。お酒を飲んでそんな走ったらますます酔いが回っちゃいますよー」

背後で下品にギャハハと笑う声が聞こえる。
ゾクリと。
襲ってくるのは言いようのない不快さと貞操の危機感だけ。




『おめーはいつも隙があり過ぎんだよ。男を甘くみやがって』



ごめんね、乱馬。
悔しいけれどあんたの言う通りかもしれない。
あたしは今更ながらその言葉の意味を反芻すると、泣きたくなる気持ちに蓋をして己の心に喝を入れる。
逃げなきゃ。
とにかく今は泣いている場合ではないのだ。
人気のないこの場所から逃げ切れば、後は何とでもなるだろう。
が、あたしがその場を離れようと加速しようとするその前に、無情にもNの巨大な身体が立ちはだかる。
その顔は狙った獲物を逃がさないというように下品な笑顔を浮かべ、テレビで観る爽やかな印象とはおよそ似つかわしくない。

「いーから大人しくしろっつってんだろ」
「嫌よっ!」
「あれー、いいのかなぁ、大切なゲスト様にそんな口利いちゃって」
「誰が大切なゲストよっ!あんたみたいな卑劣な奴、男の風上にも置けないわっ!」
「見かけによらず気が強いねぇ。まあ、そういう女を服従させるのがまた堪んねえんだけど」
「卑劣!ケダモノ!人間のクズっ!あんたみたいな男の言い成りに何てなってたまるもんですか!」
「へえ」
「そんなんだからレギュラーからも外されちゃうのよっ!」
「っ!…の野郎。言わせておけば…っ」


殴られる…っ!
咄嗟に防御の構えを取り、手にしたバッグに顔を埋めるようにして歯を食いしばる。
せめて顔と頭だけでも守らなきゃ。じゃないと月曜日には出社どころじゃないだろう。
こんな時ほどそんなどうでもいい事が瞬時に頭を過ぎり、そして次に襲ってくるであろう衝撃に耐えるよう、ぎゅっと両目を閉じた時だった。





「汚ねえ手であかねに触んじゃねぇっ!」



…ウソ。

ウソ。
ウソ。



そこにいたのは。
あたしとNの間を遮るように相手の肩を押し返し立っていたのは、見飽きるほど眺めてきた あの揺れるおさげの後ろ姿だった。


「てめー、あかねに手ぇ上げるとはいい根性してんじゃねーかっ!」
「なんだお前は」
「てめーみてーなゲス野郎にいちいち名乗る義理なんてねーよっ!」
「なんだとっ!?」

激情したNが途端に目の前の端正な顔を目掛けて襲い掛かる。
が、その相手が乱馬だと知らないことが運の尽きだった。
まるで跳び箱を跳ぶようにひらりとNの肩を飛び越えると、反動でバランスを崩したNが加減のない勢いそのままにコンクリートの床に頭から転げ落ちる。
まさか避けられるとは思わなかったのだろう。
ゴンと鈍く響く音が暗闇に響き、それだけでも軽く脳震盪を起こしそうなほど激しく頭を打ち付けたことがわかった。
よろめきながらも反射的に立ち上がろうとする巨大な背中を更にちょいと踵で押し返す。と、また無様にもアスファルトへ顎をつくN。
その隙に一つの影がその場から一目散に逃げ去るのを視界の隅に捉える。
つくづく稲江という男は卑怯な奴だったのだ。

「て、てめー、よくも……!」
「それはこっちの台詞だっつーの!いーから立てよ、おらっ!」

…ダメ。
絶対ダメ!
こんなところでこんなつまらない相手に拳の一つでも振り落としたら、それだけで乱馬の選手生命を脅かしかねない。
あたしは咄嗟に乱馬の名前を飲み込むと精一杯の制止を試みる。

「あのっ、本当に大丈夫ですから!お騒がせしてすみませんっ!」

が、そんなことでは到底怒りが収まらないのだろう。
見上げた乱馬の横顔は月明かりの下ということを差し引いてもお釣りがくるほど、「危険」だった。
目を見た瞬間に貫いたのはマズいという直感。
Nが危険なのではない。
このまま暴走したら取り返しのつかないことになる。瞬時にそう判断し、先程とは違う冷たい汗が背中に伝うのがわかった。
揺れる黒髪。その間から爛々と暗く光る瞳が怒りの感情を滾らせている。
身体中から発する怒気を隠すことなく、まるで全身の毛を逆立てた虎のようだ。
ぎゅっと摑んだ腕がぶるぶると小刻みに震えてるのがコート越しでも伝わってくる。
きっと乱馬がその気になったらあたしの腕を振り解いて殴りかかることなど他愛もないことだろう。
それをせず紙一重のところで耐え忍んでいるのは自身のためと、そして何より、あたしのため…。


「てめー、今度こんな真似したら警察に突き出してやるからなっ!」
「け、警察って大袈裟な…ちょっとその女が物欲しげだったから誘ってやっただけじゃねーか」
「てめえ…っ、」

今度こそ乱馬の目の色が変わる。
そして道に転がったままで上半身だけをかろうじて起こすNの胸ぐらを掴むや否や、

「次そんなこと言ってみろ…っ、そん時は二度と表を歩けねー面にしてやるぜ!」

まるで汚いゴミでも見るように顔を歪ませ、吐き捨てるように言葉をぶつけると大きく首を振り上げた。

「っ、…ダメっ!頭突きもダメっ!!」

間一髪とはこういうことを言うのだろうか。
羽交い絞めするように後ろから抱きついたあたしの声で我に返ったのか、ハッと一瞬乱馬の動きが止まる。その隙をついて転げるように身を離すと、足をもつれさせながら一目散に暗闇の中へと消えていくNの後ろ姿。

「あの野郎…っ、逃がしてたまるかっ!」

そう言って後を追おうとするその腕を掴んだのは他でもないあたしだった。

「大丈夫!もう大丈夫だからっ!」
「けど…っ」
「お願い、行かないで…っ」
「…っ」


極度の緊張から解放され、多分あたしはゼリーみたいにふにゃりと摑みどころの無い顔をしていることだろう。
急に足の力が抜け、ガクガクと膝の震えが止まらない。
それを乱馬に悟られまいと内腿にぎゅっと力を込めて踏ん張って見せるけれど、情けないくらいに耳の奥で自分の歯の根がガチガチと鳴っているのが聞こえた。
はあ…と大きく息を吐き、Nを追う事を諦めるとしがみ付いているあたしの方へと身体ごと向き直す。


「…おめー、震えてんじゃねーか」
「だ、大丈夫っ!ちょっと寒くなってきたから、それだけっ」
「あかね」
「ごめんね、心配させちゃって。でもあんな奴、その気になったらあたしだって顎を叩き割って―」
「あかね」
「だから、その……」
「あかね」
「ぜ、全然こわくなんか…、」
「……」


…あれ。
あれれ。
目の前の乱馬の姿がぐにゃりと歪んで見える。
おかしいな。
そんなに酔ってるつもりはないのにな。

……ああ、そうか。
これはきっと。
悔しいけれど。
あたしの目から、大粒の涙が零れているせい。



「……っ、…ふ…、」
「……」
「…こ、こわかった……、」
「…うん」
「ふ、普段なら絶対あ、あんな奴に、捕まったりしないのに…、」
「うん」
「あ、足が思うように、う、動かなくって…」
「うん」
「く、やしくて…、」
「…うん」
「き、気が付いたら、乱馬が来てくれて……」
「…わりい、遅くなって」
「…っ」


ぶんぶんと首を横に振るあたし。
それを宥めるように頭ごとすっぽりといつもの温かい胸の中に包まれる。


「…あいつさ、すげー評判わりーみたいだな」
「え?」
「Nってヤツ。色々不穏な噂が飛び交ってたらしーけど あくまで噂レベルで証拠がねえつってた」
「…誰が?」
「さっき。花見の席で酔った勢いのまま、俺の周りにいた奴がベラベラ喋ってた」
「……ふーん」
「酒に弱い女に一見口当たりのいい度数の高い酒を飲ませるのも常套手段みたいだぜ」

ちらりと釘を刺す様にあたしを見下ろす瞳に居たたまれず、あたしはぎゅっと乱馬の胸に顔を押し付けることで表情を隠す。

「まあ、早い話が酔い潰してヤっちまおうっていう最低野郎ってことだ」
「でも、何でそんな…そんな事したらすぐバレちゃうでしょ?」
「それがさ。そんなNに付いて行く女も女だって言われんのが怖くて結局泣き寝入りしちまうみたいなんだよな」
「そんな…、」

だけど。
その気持ちも何だかわかる気がした。
本人の意思がどうであろうと、噂は好き勝手に一人歩きをしてしまう。
ならば元からなかった事にしてしまうその弱者の気持ちが、あたしには痛いくらいに理解が出来る。

「だからさ、あいつのマネージャーが度数の高い酒を持ってきた時にピンときた」
「あ…、」
「なのにおめーは人の忠告も聞かねーでグビグビ調子に乗りやがって」
「ちょ、調子に乗ってなんかないもん!あれだって殆ど飲んでないし…!」
「はーか、んな真っ赤な顔で言ったって説得力なんかねえっつーの」
「う…、」
「大体なぁ、男の前で無防備に瓶なんか口にしてんじゃねーよ。どこで野郎のスイッチが入るかわかんねーんだからな!?」
「な…っ、」

ある行為を連想させる様な事をさらりと言ってのける乱馬に、思わず言葉の詰まるあたし。
もしかしたらお互い、少しだけ酔っているのかもしれない。
だってこんな直接的な事を乱馬が口にするのは珍しい。
あたしはカア…と熱くなる頰を誤魔化す様に下を向いて髪で隠すと、話の矛先を変えようと試みる。

「で、でも、だったら声掛けてくれたらいいのに」
「何が」
「だから、その、一緒に飲もうとか。だったらこんな事にもならなかったでしょ?」


「ったくあかねは勝手だな」と吐き捨てる様に溜め息をつき、乱馬がおもむろに腕を組む。


「だから止めに入ってやったのに、それを拒否したのはおめーじゃねーか」
「あれ?そうだっけ?」
「そうだっけ?じゃねえ!"楽しんでくださいね、お花見"とか嫌味ったらしく言いやがって」
「だ、だってあれは、あんたの言い方が失礼だったから…!」
「こっちは万が一の時に備えて入念に情報入手してんのによー」
「なによ、その情報入手って」
「だからな?例えばこの公園の中だったらどこら辺がそーゆうスポットだとかさ」
「…」
「どんな風に誘われたら付いて行くかとか」


……なによそれ。
それってまさかとは思うけど、遠回しに誘われてるんじゃないでしょうね。
そんなつもりはないのだとしても、他の女の子とそんな話をしていたと思うとそれはそれで何だか面白くない。
あたしは乱馬にもたれ掛かるように肩でドンと小突くと、まるで条件反射のように再び腕の中に囚われる。
だけどこの腕に他の女の子が触れていたと思ったらまたつまらなくて。


「…へえー」
「あかね?」
「あんなイチャイチャしながら、そんな秘密のお話してたんだ」
「なんだよ、その言い方」
「別に。あーんな腕なんか組まれちゃって」
「ば、ばかっ、あれは別に組んでたわけじゃなくて――」
「ぎゅーって胸なんか押し付けられちゃって。良かったわね、あたしと違って大きな胸で!」
「お、おめーなぁっ、つい今さっきまで泣いてたんじゃねーのかよ!?」
「泣いてません。ちょっと目にゴミが入っただけだもん」
「ほー」
「…っていうわけで、そろそろあたしも会場に戻らなくっちゃ」


そう。
誰が通るともわからない公園のど真ん中でいつまでもこうしていられるわけもない。
あたしは取り乱してしまった恥ずかしさと、一連の隙を作ってしまったことの情けなさ、それから離れがたい今の感情全てを誤魔化すように宣言すると、硬い胸板をぐっと押し返す。
が、そんなことではビクともしないというように、まるで腕を振り解こうとしないのがこの恋人で。
あたしの話なんて聞いたこっちゃないというようにグイグイと自分の胸にあたしの顔を押し当てると
「今更 誰かが抜けても気付きやしねーよ」
と無責任なことを言ってのける。

「そんなことないわよ、あたしだって撤収の手伝いしなくちゃ――」
「へえ。じゃ、おめー、あの場でまたあいつらに会ったら普通に接することが出来んのか?」
「そ、それは…っ」

確かに出来ることなら会いたくない。
会いたくないけれど、何もあたしは別に悪いことをしたわけではないのだ。
だからけっして後ろめたい思いを抱える必要などどこにもない。
自らにそう言い聞かせてキッと乱馬を見上げると、そこでぶつかった視線は余りにも予想外なものだった。
じっとあたしを見つめる二つの黒い瞳。
そこには心配、不安、恐怖、それから安堵の感情が複雑に混ざり合った色が浮かんでいる。


「…っつーか」
「な、なに…?」
「俺が帰したくねーの」
「ぁ……、」


ぎゅうっと。
今度こそ、全身を強く抱きしめられる。
それに応えるように、精一杯の「もう大丈夫」を込めて両手を広げながら乱馬にしがみつくあたし。
もしも誰かがこの前を通り過ぎたとしても、互いの顔をそれぞれの身体に埋めているから見えることはないだろう。
あと十秒。
ううん、あと五秒だけこのままで……。

まるで全身の力が抜けていくようにクタリと乱馬の胸に身を委ねる。
それを支える逞しい胸板からは、いつもよりも少しだけ速く鼓動を打つ心臓の音と、それから汗の匂いがした。



「……、」


離れたくない…なぁ。



もしかしたらその思いを口に出してしまっていたのかもしれない。
ふ…とあたしを抱き締める腕の力を緩めたと思ったら、無言のままあたしの手首を掴んで足早に公園の奥に歩を進めていく。


「ね、ねえ、どこに行くの!?」
「…」
「ねえ、本当にもうあたし戻らないと…!」


これじゃあ、まるでちょっとした駆けっこだ。
言葉通り引き摺られる様に手を取られ、何一つ喋ることなくどんどん暗闇の中へと迷わず突き進んでいく。そしてトイレからさほど離れていない 木造の簡易的な小屋の前に到着すると、遠慮なしにその扉を足で蹴り上げた。

「きゃ…っ!」

めきり…と鈍い音を立てて呆気なく開く木の扉。
見ると気持ち程度に設けられた南京錠が、それを固定する木の板もろとも外れてしまっている。

「ちょっと、何して――」
「…っ」

強引なまでに身体を小屋の中に押し込められ、乱馬の後ろ手に閉ざされるたった一つの薄い扉。
その扉を背中で押さえるように立ちはだかると 事情の呑み込めていないあたしの二の腕を引っ張り、問答無用に唇を塞がれる。

「…っ、ん…、!」
「…」


ぐちぐちと。
余りにも性急で、優しくもない深い口付け。
咄嗟のことに息をするのも忘れてドンッと胸を叩くと、一瞬酸素を取り込む隙を与えられてまた口を塞がれた。
歯列をなぞり、ざらりとした舌の表面で口内を弄られる。
ふ…と香る苦いビールの味に思わず腰がゾクリと跳ねた。
それを目敏く感じ取ったのか、太い腕が背中からお尻の辺りに回され、尚も温かい舌があたしの中を侵していく。


「…だ、だめ、もう、本当に…っ」


あたしは持てる限りの理性を総動員して乱馬の身体を押し退ける。
だって、本当に もう。


これ以上したら、我慢が利かなくなるのはあたしの方。



呼吸が乱れ、息が荒くなる。
これはきっと、お酒のせい。
きっとそう、お酒のせいだから。
あたしは濡れた口の端をこっそり拭うと、今すぐにでも溶かされてしまいそうな自分の熱を隠して尚も抗う。


「ね、もう戻らなくっちゃ」
「…そんな目して何言ってんの」
「そ、そんな目って…」
「俺のことが欲しくてたまんねーって目ぇしてさ。ここで止めろなんつー方が無理だろ」
「そ、そんなことないっ、大体、今は仕事中で…っ」
「へえ。おめーはあーやって他の男にちょっかい出されんのが仕事なのかよ」
「違っ…、そうじゃなくって」
「お仕置きが必要だな」
「お仕置きってなんの――」
「男を甘く見た罰」


…ああ。
だから本当に、その瞳は危険なんだってば。
あたしを射貫く瞳には欲情の色がありありと浮かんでいて。

熱い息が耳に掛かる。
ダメなのに。
こんな所でこんなことをしている場合じゃないのに。



「あかね」


あたしを呼ぶ声一つで、その色香に酔わされるようにあたしの奥の何かがトロリと溢れてくるようで。
あたしの両腕を拘束しながら、挑むように上から見下ろしてくる表情はどこまでも憎らしくて愛おしい。


「…るい」
「え?」
「ずるいよ、そんな顔されたらあたし…っ、あたしだって…、」
「あかね」


風が吹き荒れる。
ゴウ…とどこからともなく桜の花びらを舞い上がらせながら、嵌め殺しの窓がガタガタと派手な音を立てた。
流されるわけにいかない。
こんな時に、こんな場所で。
だけどもう、あたしのもう一つの思考は完全に別の思いに乗っ取られてしまっている。


(いっそ、ここで……)



そんなあたしを試すように、乱馬が少しだけ背中の位置をずらすと後ろにある扉を半分あたしに見せる。

「…どうする?あかねがどーしてもってんなら無理矢理はしねーけど」
「…っ、」
「…戻る?それともここで、俺といる?」


…ずるい。
ずるい。
ずるい。

だってもう、あたしには考えるフリをする余地も残されていない。


「…あ……、」

だけど何かを言わなきゃ。
そう思って口を開きかけた時だった。




「ねえ、本当に人が来ない…?」
「大丈夫だって。こんな広い公園で誰も俺達なんて見つけっこないって」
「だけど……ん…っ、」
「…いい?」


ボソボソと。
それでもはっきりと聞こえてきたのは、薄い木の壁一枚隔てた所に居るであろう、見ず知らずのカップルの声だった。
それが何を意味しているのかは、嫌でもわかる。



「…はい。時間切れ」


そう言うや否や、壁に立て掛けられていたモップの柄を乱馬が手に取ると、音を立てないようにそっと扉の支(つっか)え棒として這わす。
その意味ももう、充分過ぎるほどにわかっていて。


「あかね」
「…っ、」


「待って」という体裁みたいな言葉は丸ごと、覆い被さるように重なった影と塞がれた唇に飲み込まれた。





中編


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comment

(✽ ゚д゚ ✽) : yoko @-
εεεεε======\__〇_ズサーッ
久しぶりに参上しました、スライディングyokoです♡
本日、余分にスライディングしております。
もう!もう!kohさぁんっ!!読み始めて30秒でスライディングの準備運動に入りましたよっっ(笑)
桜乱あ祭万歳、夜桜万歳、ポパイ様万歳(巻き添え)
あのシチュに今からヨダレが止まりません…。
それに加えて、社会人編ならではの二人の雰囲気が相変わらずのドツボですー(*゚∀゚)=3ムッハー
特に、花見の話をしてる時、きっと事後なのにその関係がもう当たり前になってるさり気なさとかたまらなかったんですけどー!もうあの部分だけで残りの春休み乗り切れます(笑)
ありがとうございましたぁぁ♡♡♡
2017/04/01 Sat 01:19:56 URL
: yoko @-
あ、そういや、Twitterの小窓が!
訪問させて頂く楽しみが増えました(≧∇≦)b
2017/04/01 Sat 01:22:54 URL
:;(∩´﹏`∩);:→(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎ : RA♪ @-
あかねちゃん危なああああああいっ‼︎‼︎

ハラハラしながら読んでました:;(∩´﹏`∩);:
ああ
乱馬くん来てくれて良かったあ(*⁰▿⁰*)♡
それでこそ乱馬くん(*´꒳`*)カッコイイーーーーーーーー(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
からの小屋ーーーーーーーー‼︎‼︎‼︎
もードキドキしかない(*´Д`*)きゃん
小屋
2人きり


乱馬‼︎男らしくね‼︎‼︎
2017/04/01 Sat 01:33:57 URL
なんという💦 : ひなた @-
おはようございます💦あれ?まさかの寝落ち(T^T)💦
再度きちゃいました。それでですね、えっとまんま正直に書きます!
最初からえっ!あれ?はれ!まぁ!(≧ω≦*)なんて
変わる展開にドキドキし過ぎてあかねちゃんの危機に「ちょ!!待てよっ!!」とキムタクになりそうでしたよ。社会人ならではの葛藤や体裁をね見ながら、でも乱馬には通用しないだろうな!と。ちゃんとお互いの気持ちを吐き出してるのを見て大人になったね、と見守りたくなりましたよ。
俺が帰したくないのに胸がズクンと✨←言われたい台詞No.1(笑)離れたくないなぁにキュウン❗も~こっからは叫びっぱなし|д゚)キャ!こんなんなりながらえっ!そんな!やだ!師匠ったらムラムラさせるんだから←出た!早く続き書いて( ☆∀☆)カッとなりましたよ!大丈夫!春休みはこの話だけで乗り切りますからぁ☝✨
ハフゥ(ノ´∀`*)

ありがとうございました❤
2017/04/01 Sat 05:55:27 URL
Re: (✽ ゚д゚ ✽) : koh @-
> yokoさん

おはようございます✨。
yokoさん、このシチュエーション、どっかで見覚えないかな?
そう、アレですよアレ。
『揺らめく陽炎・あとがき』コメントにあった伝説のスライディングyokoから妄想すること
一カ月弱(笑)。
あんなに喜んでもらえたからには どうしても形にしたくて(マジです)、やっと書けました♡
真 面 目 か \(´▽`)/ ヒャホー☆
とはいえ、行き当たりばったりなんだなぁ。えへへ…。
後編はガッツリR-18になりますが、つ、ついて来てくださると嬉しいです💦。
あー、スライディングyoko、汎用性があるわ(笑)。
2017/04/03 Mon 06:15:26 URL
Re: タイトルなし : koh @-
> yokoさん

Twitterの小窓ね~💦、うるさいかなぁと個人的には思ったりもして見慣れるまでちょっとお試し。
といっても創作しだすとTwitterにはほとんど現れず…。
速く春休みが終わって欲しいなぁ(^▽^;)。←心の叫び
2017/04/03 Mon 06:17:46 URL
Re: :;(∩´﹏`∩);:→(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎ : koh @-
> RA♪さん

おはようございます✨。
こ、こんな長くなるはずじゃなかったのに…リハビリ後はなぜか度のお話も長~い💦。
でも楽しい♡うふ(´艸`*)。

もうね、書きながらイライラですよ
何にって?Nと稲江に。
ちなみに稲江とは「こんな奴いねえよ」の「いねえ=稲江」の当て字になっております(笑)。
全国の稲江さん、誠に申し訳ありません(>_<)。

さてと。
邪魔者もいなくなったし後半はガッツリ仲良くさせようかな。…どうしようかな。(オイッ! 乱馬)
少し間が空いてしまって申し訳ないのですが、後半もお付き合いいただけると嬉しいです✨。
2017/04/03 Mon 06:23:17 URL
Re: なんという💦 : koh @-
> ひなたさん

おはようございます✨。
ひなたさんがキムタクなら私は中居くんか草彅君がいいなぁ♡(違う)

もうこのお話は完全な見切り発車なのでどうなるのかが私にもさっぱり(^▽^;)。
ただ、ちょっと今までになく社会人編にしてはあかねちゃんの危機もあり、ストーリー性を
(いつもの社会人編よりも)重視してみました。
俺が帰したくない、なかなかいいでしょ?(笑)

おかげさまで今、創作意欲はメラメラしてます。
ただ現実的な時間がなかなか取れないだけで💦。
最近は週末が完全に×に加えて春休みってところがアイタタタタです(ノД`)。
間が開いてしまって申し訳ないのですが、近々続きを書く予定なのでもうしばらく前半の
おさらいをして(おいッ!)お待ちください(´艸`*)☆
2017/04/03 Mon 06:28:47 URL
: yoko @-
もちろん覚えてましたよー!
忘れられるわけがありませーん(笑)
もう、ありがとうございますありがとうございます…真面目なkohさんが大好きです(*´ω`*)
どこまでもついていきます♡
2017/04/03 Mon 07:01:52 URL
Re: タイトルなし : koh @-
> yokoさん

きゃ~♡本当に!?
なんでも書いてみるもんだなぁ(笑)。
こうしてまた一つ、新たなR-18が誕生するのであった…。
完。

あ、終わっちゃった💦。
いかんいかん、これから乱馬のオイタが始まるんだった 汗。
(今、爽やかな朝よね?)
2017/04/03 Mon 07:14:31 URL

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