臆病者の回り道 ① 売り言葉に買い言葉 

2018/10/07
既にご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、昨年5月に途中で下げていたシリーズをもう一度完走するべく再開します。
高校3年生になった乱馬とあかねの他にクラスのオリキャラ、良牙、右京、シャンプー、ムースなど登場します。
原作の関係だったりそうじゃなかったり様々ですが、皆が臆病で少しずつ狡い思惑を抱えている…そんなお話かもしれません。
なお、2話目以降はR描写の有無にかかわらず全て鍵を掛けますのでご了承ください。



臆病者の遠回りblog




「おれ、今日はここで寝るから」
 
 その言葉を耳にした瞬間、あたしの口から真っ先に出たのは「はあ?」という短い二文字だった。
 こんな時間に人の部屋を訪れたと思ったら一体何を言い出すのか。
 冗談にしては余りにもタチの悪い発言に、あたしはまじまじと乱馬の姿に目をやる。ふてぶてしい態度でふんぞり返る格好はナルト柄が散らばったいつものパジャマではなく、下は足首までのズボンに上は黒いタンクトップ一枚だ。その広く開いた鎖骨の辺りには、真新しいみみず腫れが赤く浮いている。

「どうしたの、それ。獣に引っ掻かれたみたいになってる……あっ、もしかしておじ様に?」
「親父の話はすんじゃねえっ」

 あらら。いつになく感情的になった乱馬は胸元を拭うや否や、碌に見もせず「こんなの大した傷じゃねえ」と語気を強める。

 そういえば夕飯後、大事な話があるとか言って道場に呼び出されていたっけ。てっきり新しい技でも試しているのかと思っていたが、この様子だとそれだけではないようだ。

「ねえ。おじ様と喧嘩でもしたの?」
「へっ。べつにそんなんじゃねーよ」

 言葉とは裏腹に深い皺を眉間に刻む。どうやらこれ以上は話したくないらしい。
 それにしても、乱馬とおじ様がここまで縺れるというのはなかなかめずらしいことだった。
 どちらかというと二人とも単純……もとい、素直な性格である。さっきまで言い争いをしていたと思ったら次の瞬間にはケロリとなんでもない顔をし、ズルズルと尾を引かないのがこの親子なわけで。
 おかずの取り合いや文字通りの水掛け論はさておき、高校三年生になっても実の父親と一緒に修行を積んだり同じ部屋で生活している様は、世間一般的に見ても微笑ましいと言えるだろう。
(あ……、血が滲んでる)
 キャンパスに描かれたような三本のみみず腫れ。その表面にじわじわと血液が滲み、乱馬の胸元を赤く染める。当の本人は全く気にする素振りのないものの、見ているこちらのほうがひりひり痛くなるのは気のせいか。滲んだ鮮血はやがて粒状に膨らみ、どうにもお尻の辺りが落ち着かない。
(しょうがないわね)
 ひとつ溜め息を落とし、あたしは椅子から立ち上がる。まずは救急箱を取りに行こう。喧嘩の理由はそれからだ──が、その手を掴んで阻止したのは、口をへの字に曲げた乱馬だった。

「待て。おめーどこ行くつもりだよ」
「どこって居間よ。怪我の手当てをするのに救急箱を取りに行くの」
「んな大袈裟なもんじゃねーだろうが」
「そういうわけにいかないわよ。出血もしてるし跡になっちゃうわよ」

 そうよ。消毒がてら少しここで気持ちを落ち着かせ、その後で部屋に帰せばいいんだわ。
 不満げな乱馬に気付かれないよう、ヘッドボードに置かれた時計を確認する。短い針は既に十一時に近付いており、もともと早寝遅起きのおじ様はもう寝ているかもしれないと思った。けれどそれならそれで都合がいい。この部屋で傷の手当てをして自分達の部屋に帰る頃にはおじ様もおば様も、そして一階で寝ているお父さんやかすみお姉ちゃんだって既に熟睡して夢の中だろう。となれば乱馬としても戻りやすくなるというわけで。

「ね、とにかく腕を離して。消毒だけでもしなくちゃバイ菌が入るわよ」

 あたしはわざとらしいくらいに優しげな声を出す。が、乱馬が納得する様子はない。

「消毒はいいっつってんの」
「なんでよ。いつもあたしに手当てさせるくせに」
「あれはおめーが勝手にしてるだけだろーが」
「よく言うわ。泣きそうな顔で大人しくしてるのはどこの誰よ」
「うるせーなぁ。大体あかねはお節介が過ぎるんだよ」
「なにその言い方。あたしのどこがお節介だっていうわけ?」
「自覚がねーとは相変わらずニブい女だぜ。それでなくとも誰彼構わず愛想ふり撒きやがってよ」
「ちょっと、」
「言っとくけどみんな本気じゃねーんだからな? それを勘違いしていい気になってんじゃねーよ」

 ……なんなの、一体。
 乱馬が何をそんなにイライラしているのかあたしには見当もつかない。それでも「ちゃらちゃら浮かれやがって」という台詞だけは聞き捨てならなかった。


「あのねえ。あんた一体何が言いたいわけ?」
「……べつに」
「あたしがいつ誰に愛想なんてふり撒いたっていうのよ」

 それに加え、ちゃらちゃら浮かれてる?
 冗談じゃないとあたしは鼻息を荒くする。
 そんなあたしの様子に若干怯みつつも、「だってよー」と尖らせた口はそのままだ。 

「わかったわ。そんなに言うならさっさと自分の部屋に戻んなさいよ」
「やだ」

 いつになくキッパリと拒絶する乱馬。
 そういう態度は三人娘に迫られてる時こそ発揮して欲しいものだが、未だそれが実現されることはない。
 大体、人のこと言う前に自分はどうなのよ。相変わらず三人娘に追い駆けられ、はっきりした態度も示さずのらりくらりとやり過ごすだけの日々。それにあたしがどれほどやきもきさせられているか、きっと乱馬には想像もつかないのだろう。しかしこれを言うとまるであたしがひどいヤキモチを妬いているようで、それもまた癪だった。
 何より今はそんなことを言い合っている時間ではない。
 あたしは嫌味の一つも言いたくなるのをなんとか飲み込むと、絨毯の上で胡坐をかいている乱馬と視線を合わせる。

「あのね? 拗ねるのは勝手だけどここはあんたの部屋じゃないのよ」
「だからなんだよ」
「あんたが何を怒ってんのかは知らないけど、あたしもそろそろ寝なくちゃならないし」
「……」
「明日も学校でしょ? 消毒だけしてあげるからそしたら部屋に帰んなさいよ。ね?」
「なんだよ。そのバカにした言い方は」
「バカになんかしてないってば」
「へっ」
「乱馬」
「……」

 駄々っ子よろしく返事もしない乱馬は幼稚園児のようだ。
 大きな背中を丸め、組んだ足の爪先を掴んでゆらゆらと揺れる落ち着きのなさからは言いたいことをわかってもらえないジレンマが伺える。
(もしもあたしに子どもが出来たらこんな感じなのかしら)
 お父さんに似て強情で意地っ張りで素直じゃなくて……。そこまで想像し、慌てて首を振る。これじゃあまるで誰かさんを相手に想定しているみたいじゃない。
 そこにボソリと呟いたのは乱馬のほうだった。

「そーやって親父やおふくろに言いつけるつもりだろ」
「はあ?」
「おれがおめーの部屋にいて邪魔だって」
「なにも邪魔とは言ってないじゃない」
「じゃあいーじゃねーか」
「あんたね……」

 あたしは鼻から大きく息を吸い、天を仰ぐ。

「どうしちゃったのよ今日は。あんたがおじ様とそんな拗れるなんてめずらしいわよね」
「うるせーな。おめーには関係ねーだろ」
「はいはい、関係ないわよ。けどね、実際あんたがあたしの部屋に居座ってるのは事実でしょ」
「だったらなんだよ」
「だからあたしにも少しくらいは口出しする権利だってあるつもりなんですけど」
「……べつに大したことじゃねーよ。ただ、親父がいい加減なことばっか言うから」
「あら。いい加減なのはあんただって同じじゃない」
「同じじゃねーよっ! おれはちゃんと……っ」
「おれはちゃんと?」
「……っ、と、とにかくもういーだろ!? 今夜はおれ、この部屋で寝るからなっ!」
「ちょ、ちょっと!?」

 なに勝手なこと言ってるのよ。
 この部屋でって、それってあたしの部屋で寝るってことなのよ?
 あたしは乱馬の言葉がいまいち理解出来ずに聞き返す。
 
「それって、あたしの部屋で寝るってこと?」
「おう」
「あたしの部屋の上の屋根で寝るんじゃなくて?」
「あほ。こんな季節に外で寝たら風邪引いちまうだろーが」

 そういう問題だけじゃないんだけど。という言葉は取りあえず飲み込む。

「ねえ、ちょっと落ち着いてよ。言っとくけどこの部屋にはベッドも一つしかないのよ?」
「んなの、見りゃわかってるっつーの」
「それに、その……」

 いけない。ここで変に言い淀むとまるであたしだけが意識しているみたいじゃない。
 あたしは敢えて何でもないような声を心掛けながら、乱馬から少しだけ視線を逸らして続ける。

「い、一応その、あたしだって年頃の女の子なんですけど」
「バーカ。おめーが年頃の女の子ってガラかよ」
「言うと思った! ほんとあんたってデリカシーないわねっ」

 そりゃあね。かつて右京がこの家に泊まった時も、結婚しているフリをしながらあたしの部屋で乱馬が一夜を明かしたことはあったけど。そして勿論、何かの間違いが起こるわけもなく、お互い指一本触れることのないまま朝を迎えたわけだけど。
 だからね。今日だって意識するだけバカらしいっていうことは嫌っていうほどわかってるんだけど。わかってるんだけどね。
 おそらくこれ以上自分の部屋に帰れと言っても 余計に乱馬は頑なになって拒むだろう。ならばとあたしはアプローチを変えてみる。

「お風呂は?」
「へ?」
「お風呂。乱馬達、ずっと道場にいたでしょ。お風呂は入ったの?」
「入った」
「そう……」

 その割にはいつものパジャマ姿じゃないのが不思議だった。そんなあたしの視線を感じたのか、乱馬が口を尖らせながら弁明する。

「パジャマを取りに行ったらまた親父と顔を合わせちまうから、居間の洗濯物から服とって風呂入った」
「そうなんだ」

 ということは汗を流すことを口実に一階へ帰すことも難しい。
(さて、どうしたものか……)
 あたしは腕を組みながら、ひとり頭を悩ませる。
 とにかく今日の乱馬といったら頑固だ。元々人の話を聞かないところはあるが、今日はその比ではない。まるでこの部屋で一晩を明かさなければならない。それしか選択肢がないというように、この場を去ろうとはせずどかりと腰を下ろしている。
 時刻は既に十一時を回っている。いくら許婚とはいえ、恋人同士でもない男女が二人きりでいるには遅過ぎる時間。なにより、このままでは埒が明かない。

「あたし、もう寝たいんだけど」
「寝りゃいーじゃねえか」

 だから乱馬がいたら眠れるものも眠れないと言っているのに。
 思いつめたような表情を浮かべる乱馬から何を考えているのか読み取ることは不可能だった。

「乱馬」
「しつけーなぁ。なんと言われようとおれは帰んねーぞ」

 ……………………そう。そっちがその気なら。
 あたしは聞こえよがしに大きな溜め息をつき、首を横に振る。

「……わかったわよ。じゃあどうする? また前みたいに境界線を作って乱馬は床で寝る?」
「え?」
「あ、でも前と違って乱馬の分の枕がないけど。まあクッションを代わりにすれば大丈夫かしら」
「えっと、」
「なによ。この部屋で一晩過ごすって言ったのはあんたの方でしょ」

 そうよ。こうしてあたしが積極的に装えば、きっと乱馬のことだから恥ずかしくなって自身の発言を撤回するに違いない。
 我ながら上手い作戦だと心の中でほくそ笑む。案の定、目の前のおさげがそわそわと落ち着きを失くすのがわかった。わかり易い動揺を見せる乱馬に、あたしはもう一押しと畳み掛ける。

「けどこの時期に床で寝るっていうのも冷えそうよね」
「あかね?」
「どうしようか」
「……、」
「乱馬さえ良ければ一緒にベッドで寝る?」
 
「なーんてね」って。
 間髪入れずに続くはずだった。
 


「…………んじゃ、そーする」

 ぽつりと呟かれた短い返事。抑揚のない声はやけに大きく聞こえた。そして先程まで微動だにしなかった体を起こし、乱馬がベッドの縁に腰を掛ける。その目元は前髪で隠れているため、あたしからはよく見えない。
 この思いがけない反応に驚いたのは他でもないあたしだ。

 なんで? なんで、なんで?
 先ほどまで主導権を握っていたはずの余裕は音もなく崩れ去り、途端に自身の声が上ずりそうになる。
 ぐわんと激しい衝撃が襲い掛かったように頭と心が揺さぶられ、視界も歪んだ気がした。きっとあたしの頭の上には無数の疑問符が飛び交っているに違いない。
 反射的に沈黙を埋めようとする自分がいた。乾いた唇の表面を舌で舐め、あたしは意識して明るい声を出す。

「もう、いい加減ふざけるのはやめなさいよ。明日も学校で朝早いんだからね」
「なんだよ。おめーが一緒に寝るって言い出したんじゃねーか」
「そ、それは、乱馬がこの部屋で寝るなんて変な冗談言うから、」
「冗談じゃねーよ」
「え?」
「冗談でこんなこと言ってるわけじゃねえ」
「ちょ、ちょっと……!?」

 ……これって。何だかマズいんじゃないかしら。
 ううん、でも乱馬のことだもの。今までだって自分が優位に立つためにはどんな手段も躊躇わずに選んできた男、それが乱馬なのだ。ここであたしが言葉通りを真に受けようものなら「やーい、その気になってやんの」と向こう三年はバカにされ続けるだろう。
 だけどそうはいくもんですか。
 あたしは引き攣りそうな頬を奥歯で噛みながら、乱馬の座っているベッドに一歩近付く。

「へえ……」
「……」
「じゃ、じゃあ、乱馬は本気であたしと一緒に寝るつもりなんだ」
「べつに一緒に寝るくらいいーだろ」

 …………一緒に寝る“くらい”って。
 
「なんだよ。なんか問題あるか?」
 
 そんなの問題しかないでしょう!? ……とは、なぜだか言えなかった。
 
「ベ、べつにっ。あんたと一緒に寝たってあたしは全然気にしないけど」
「ならいーじゃねえか」
「き、気にしないけど、その、シ、シングルベッドだから狭いし」
「あかねが暴れなきゃ平気だよ」
「なによそれ。っていうかあんたがよくてもあたしはベッドから落ちるなんてまっぴらですからね」
「わかったわかった。落ちねえようちゃんと押さえててやるから」
「押さ……!? な、なななななに言って、」
「あれ? もしかしてあかね、何か期待してんのか?」
「バ、バッカじゃない!? だ、誰が期待なんて──っ!」
「バカ! 声がでけーよっ!」

 咄嗟に口を塞がれ、その勢いでボスンと体に伝わる柔らかな衝撃からここがベッドの上だとわかった。見上げた視界には蛍光灯の照明を背に乱馬の輪郭が浮かぶ。あたしの上に圧し掛かり、片方の手はあたしの口を、もう片方の手はあたしの手首を拘束するその表情は逆光でよく見えない。

「わ、わりいっ!」
「う、ううん、」

 目が合った瞬間、二人して跳び起き上半身を起こす。
 反動でしなりを上げるベッドのスプリングがやけに大きくた。その音に隠れてばくばくと暴れるのは他でもない自分の鼓動で。
 パジャマの上からぎゅっと胸を押さえる。そうしていないと、まるで心臓が服を突き破って出てくるような気がした。ちらりと隣を伺えば、両手の指をくっつけたり離したりする乱馬の顔もまた赤く染まっている。
 ああ、やっぱり。勢いだけであんなことを言い出したものの、おそらく引っ込みがつかないのだろう。

 こんなことは過去にもあった。そう。一番古い記憶では、三千院とのスケート対決で怪我だらけになった乱馬を道場で手当てしていた時だ。あの時は確か、ちゃっかり覗き見していた家族に邪魔されそれどころではなくなってしまったんだっけ。
 互いに挑発し合い、意地になってしようとしたキスは未遂のまま。

(…………キス、かあ)

 もしもあの時、乱馬とキスしていたら、そしたら今頃、あたし達の関係は何かが変わっていたのかしら。
 こんな風におじ様と喧嘩したからあたしの部屋で寝るという意地ではなく、純粋にあたしを求めるためにの部屋で一晩過ごすと言われていたのかもしれない。そこまで考え、ハッとする。
(なに考えてるのよバカ! これじゃあまるで何かが起こることを期待してるみたいじゃない)
 今度こそあたしは自分の頬が赤くなるのを自覚すると、何も喋ろうとしない乱馬を諭すようにゆっくりと語り掛ける。

「ねえ。いいからもう帰んなさいよ」
「……」
「おじ様だってとっくに寝てるわよ。ね?」
「…………に嫌なのかよ」
「え?」
「そんなにおれがこの部屋にいんのが嫌ってか」
「嫌とかそういう問題じゃないでしょう?」
「じゃあいーじゃねーか」
「乱馬?」
「さっきから聞いてりゃおれを邪魔者扱いしやがって」
「それはあんたが、」
「おれがいたら迷惑なのかよ」
「め、迷惑とか迷惑じゃないとかじゃないじゃない!」
「だったら一晩くらいいーだろ? 許婚なんだからケチケチすんなよ」
 
 ……許婚なんだから、ケチケチすんな?
 
 …………なに、その言い方。
 こっちは心配してあげてるのに。
 それだけなのに。

「……っ」

 あたしはパジャマの裾をかたく掴む。ツンと鼻の奥が痛くなり、ああダメだとゆっくり息を吐いた。
 こんなところで涙なんて見せるもんか。
 じわりと圧迫される目の熱をやり過ごし、痛いくらいに下唇を噛み締める。

「な、なんだよ、急に黙りやがって」
「……」
「おい、何とか言えよ、」
「……………………奥」
「へ?」
「奥、詰めて」
「あかね?」
「一緒に寝るんでしょ。こんなとこだとベッドから落ちちゃうからもっと奥に詰めて」
「お、おい……、」
「何よ、あんたが言ったんじゃない。一緒に寝るって」
「あ、あれはっ」
「それともやっぱり本気じゃなかったんだ」

 あたしは敢えて挑発するよう煽ってみせる。パチンと明かりを消した部屋の静けさとは裏腹に、頭の中は溢れる感情が激しい渦を巻いていた。
 

 悔しかった。
 乱馬の発した何気ない一言がただ悔しかった。
 
 許婚だからケチケチするなって、何よそれ。
 あたしと乱馬の間に許婚らしい出来事なんてどれほどあったっていうの? そんなの数えるほどもないじゃない。
 あたし達の関係は出会った高校一年生の時から何も変わらなくて。優柔不断な乱馬に、かわいい台詞の一つも言えないあたし。周りに言ったところで到底信じてもらえない現実は、未だに合意のキスだってありゃしない。

 そんなあたしにとって、許婚という肩書きは最後の砦だった。お互い口には出さなくとも、心の中では通じ合っている。今はただ、この関係を乱さないように慎重になっているだけ。そう信じていたのに。
 芽生えた想いを密かに育みながら、許婚という響きに”いつかは”と期待を込めていたあたしの気持ちは所詮一人だけの空回りだったというのか。
 先ほど放たれた一言があたしの心を深く抉る。

 ──許婚なんだからケチケチすんなよ

 乱馬の言う許婚の定義は何? 許婚だったら年頃の男女がひとつのベッドで一緒に寝ても平気だっていうわけ?
 そりゃあね、乱馬はそれでいいかもしれないわよ。
 でもあたしは。
 あたしは、たとえ一緒に眠るだけでも驚くし戸惑うし緊張だってする。
 そこに相手の気持ちが見えなければ尚更だ。 
 それにね。
 こんなことを悟られるのだけは絶対に避けたくて精一杯強がってみせるけど。
  
 あり得ないことを。
 想像、してしまう。
 
 まるで自分だけが意識していると突き付けられているようだった。
 それが無性に悔しくて。
 だからあたしも“こんなの大したことじゃない”ってフリしたかった。
 それは乱馬に対しても、そして自分に対しても。
 目を瞑ってしまえば朝は来る。そしたらまた顔を突き合せてお互い憎たらしいことを言い合いながら、笑い話になって一緒に学校に向かうんだわ。
 そう、何もこれは特別なことなんかじゃない。
 
 あたしは自分にそう言い聞かせると、あとは乱馬次第と全てを委ねる。
 あたしはただ、いつものように自分のベッドで寝るだけ。
 あたしの隣で乱馬が一晩過ごすかどうかはあくまで乱馬の問題なのだ。
 
 
 ギシリと耳の下でスプリングが軋む。
 どんなに身を小さくしているつもりでも、横向きになったあたしの背中は乱馬の胸に触れる。
 ここはシングルベッドの上。どう足掻いてもあたしのパジャマと乱馬の衣服が擦れ合うし、あたしの首筋には乱馬の息がぶつかるのを避けられない。
 とにかくもう、こんな時は寝てしまうに限る。
 照明を落とす寸前に見た時計の針は既に零時を回っていた。あたしは口元まで布団を引き寄せ、乱馬のほうを向かないまま「おやすみ」と声を掛ける。それに対する返事はない。

 カチカチと、秒針の振れる音だけが部屋に響く。
 長い───長い暗闇の始まりだった。
 
 
 
 
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comment (16) @ 高校生編 臆病者の回り道

   
臆病者の回り道 ②一線  | ないしょのアンダー・ザ・ベッド 

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2017/05/09 Tue 00:33:22
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2017/05/09 Tue 03:36:54
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2017/05/09 Tue 08:55:50
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2017/05/09 Tue 17:22:16
おおお∑(゚Д゚)おおお : RA♪ @-
高校生で一緒の部屋で一緒のベッドで寝るなんて…‼︎‼︎∑(゚Д゚)
うひょーーーー(゚∀゚)♪♪♪
居候ならでは♡
許婚ならでは♡
どーなる?どーなる?
楽しみでしかないでーす(^_−)−☆



2017/05/10 Wed 01:15:57 URL
Re: タイトルなし : koh @-
2017/05/09 Tue 00:33:22 コメント主様

おはようございます。
まあ、王道中の王道…っていうやつですね笑。
思春期あるあるだと思いますが、私も○○年前を思い出して捻り出してみます(^▽^;)。
自分で書いておきながら難しいんですよね~💦。
2017/05/10 Wed 08:54:48 URL
Re: No title : koh @-
2017/05/09 Tue 03:36:54 コメント主様

おはようございます。
このコメントを拝見した時の私。
!?♡✨☆!♡✨✨✨♡♡♡~!!!
でした。ありがとうございます✨✨✨。
この始まりから展開するパターンは二つ考えてて、もう一つは王道の焦れ焦れをどこかで書きたいと思います笑。
なんだか既に自分の中で難航していますが、またぶらっと覗きに来てくださいね♡
あーもう本当に嬉しかったです…✨。
2017/05/10 Wed 09:00:02 URL
Re: 久々に非公開コメントです : koh @-
2017/05/09 Tue 08:55:50 コメント主様

おはようございます。
そうだったんですね。
今回は王道中の王道展開なので その中でどう乱あの色を付けていくのかまだ手探りですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
GW、全然身体は休まらないですよね~💦
私はひたすら台所にいた気がします…(^▽^;)。
猫ちゃんも大変なんですね!家計的にも我が家だったら火の車です💦。
おそろしや~(/ω\)。(でもやっぱりかわいいんですよね~♡)
2017/05/10 Wed 09:04:26 URL
Re: No title : koh @-
2017/05/09 Tue 17:22:16 コメント主様

おはようございます。
昨日はコメントありがとうございました。
返信不要とのことでしたが、一言お礼を伝えたくて…。
昨日、コメント主様からいただいたメッセージで本当に救われました。
あそこまで落ち込んだのも久し振りというか、もう何と言っていいのか分からないほど荒ぶっていたところに、コメント主様の励ます気持ちがすっと沁み込んできてすごく嬉しかったです✨。
そして言いたいこともちゃんと伝わってます(*^^*)。
私も読みながら、「うんうん、そーなの、その通り!」と頷いていました。
ありがとうございました✨。
2017/05/10 Wed 09:20:16 URL
Re: おおお∑(゚Д゚)おおお : koh @-
RA♪さん

おはようございます。
このスタートからは二つの展開を妄想したのですが、今回は王道中の王道、そしてシリアスな方を選択してみました。
純粋に楽しい…とはいかないお話かと思いますが、二人にとって許嫁ってなに?と考えながら、私なりにのんびりスタートしたいと思います♪
2017/05/10 Wed 09:24:15 URL
ゴメン!好き! : 憂すけ @-
kohさん!!大好きっスーー!!堪らんっス!!
意地の張り合いと、分からない相手の気持ち・・・!!乱馬が学校でのあかねちんの態度に何かを思っているらしいですが、それと併せて、玄馬氏と一体ナニをんーなに拗らせてんのか!?原作感バリバリで尚且つ!原作で見られなかった二人のやり取りにドキドキしながら拝読!一回、用事を済ませて又すぐ!続きへダイブしに来ます!!ヽ(^o^)丿
2017/05/10 Wed 13:41:11 URL
Re: ゴメン!好き! : koh @-
憂すけさん

こんにちは。
これね、他の方へのコメント返信にもある通り、妄想二パターンの内のどちらでいこうか非常に迷ったのです。
が、今回は敢えて…の方向を選びました(^▽^;)。
しかも憂すけさんのコメントが鋭い(笑)。
色々…色々、この歳ならではの小さなことが重なったんでしょうね、きっと。
少しずつそこら辺も書いていけたらと思います♡
2017/05/10 Wed 16:16:44 URL
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2018/10/07 Sun 13:25:24
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2018/10/07 Sun 17:54:19
Re: ありがとうございました!! : koh @-
m~コメント主様

まず、コメントを拝見して「そんな前からこのブログに足を運んでくださっていたの!?」と驚いてしまって!
確か、コメント主様が初めてこちらにメッセージを寄せてくださったのは昨年私がうだうだ悩んでいた時なんですよね。それから何度もあたたかいコメントをいただき、8月末からは毎回いただくコメントが自分的にはまるで交換日記をしているような感覚で、気付けばmさんからのコメントを心待ちにしている自分がいました。
あんまり言うとプレッシャーや強要になってしまいそうで憚られるのですが、いつも楽しみにしています。ありがとうございます。
どうか無理はせず……と思いつつ、コメント主様が待っててくださるからまた書こうと思えるのも事実で。
不快なんてとんでもない!コメ欄では出来るだけフラットを心掛けつつ、本当に大好きです♡
2018/10/08 Mon 09:15:16 URL
Re: No title : koh @-
Y~コメント主様

楽しみにしてくださって嬉しいです^^。
色々あって一度は下げたものの、どうしても心に引っかかったまま一年以上経ってしまいました。
正直、一度止まってしまったものを動かすって新しいお話を書くより何倍も大変なんです。
でもやっぱり自分が投げた以上、最後まで完結させたいな、と。
なんて偉そうに言っていますが、実はまだ三割ほどしか書けていなくて汗。
毎度そうなのですが、乱馬やあかねと一緒に私も悩みながらどうしよう、どうしようと進んでいく物語…。
今度こそ完走させたいと思いますのでのんびりお付き合いいただけると嬉しいです。
2018/10/08 Mon 09:23:14 URL

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