帰る場所 

2017/05/30


「ねえ、早乙女のおば様」
「なあに、なびきちゃん」
「私、おば様にずっと聞きたいことがあったのよね」
「あら、何かしら」

食器を拭いたおば様が前掛けの裾で手の雫を押さえるようにしながら、あたしとなびきお姉ちゃんが寛ぐ居間のテーブルへと腰を下ろす。
ずっと立ちっぱなしで台所仕事をしていたのだ。せめてお茶くらい いれようと思ったら、らんまそっくりの笑顔で逆に湯呑みを差し出された。
白い湯気の立つお茶をお行儀悪くズズッとすすり、なびきお姉ちゃんが口を開く。


「おじ様も乱馬くんも 物心ついた時には修行の旅に出てたんでしょ?」
「ええ、そうよ」
「おば様はその時、反対とかしなかったわけ?」
「反対って?」
「だってー。いくら強くなるためって言ったって、離れ離れになるわけじゃない?」
「そうねぇ」
「寂しくなかった?」
「そりゃあ、寂しかったわよ。あの頃はまだ乱馬も幼かったし」


「はい。これいただきものだけど」
そう言って、夕飯を食べ終わったばかりだというのにおば様が紙袋からどら焼きを取り出し、二つしかないそれを一つずつあたしとなびきお姉ちゃんに手渡す。
ありがたく受け取ったあたしは丸い円盤型を半分に手でちぎり、半分はどら焼きを包んであったフィルムの上に置いた。
隣では丸ごとのどら焼きにかぶり付きながら、「うーん、さすが“とらや”は美味しいわ」とお姉ちゃんが舌鼓を打つ。
まったく。これだけ食べておきながら、大して運動もしないのに太らないのは羨ましい限りだ。
早くもどら焼きの半分近くをパクパクと胃に収めたお姉ちゃんは、そのままゴクリとお茶を飲んで喉を潤す。


「それにしても、やっぱり私は嫌だわー」
「ちょっとお姉ちゃん、失礼よっ」
「あら、だって考えてもみてよ。大事な一人息子を連れていかれた上に いきなり放浪の旅に出られるのよ。あんただったら耐えられる?」
「そ、それは…、」
「お金だってない。どこで何をしているかもわからない。もしかしたらその間に浮気だって――」
「お姉ちゃんっ!」
「なによ、あかねってばお子様なんだから。ちょっとした仮定の話よ。たとえ話」
「それにしたって趣味が悪いわよ」

そんな姉妹のやり取りを、おば様は目を細めて微笑みながら聞いているだけだ。
まったく、これがあの乱馬のお母さんだなんて 未だに少し信じられない。



「ふふっ。やっぱりいいわね、姉妹って」
「え?」
「ほら、乱馬は一人っ子でしょ?もしも兄弟がいたら、こんな風にもっと賑やかだったのかしらと思ってね」

脳裏に一瞬過ぎるのはあのコピー騒動だ。
乱馬が二人…。想像するだけで賑やかを通り越して恐ろしいのだが、まさかそんなことを言えるはずもない。曖昧な笑顔を浮かべている隣では、なびきお姉ちゃんが勝手なことを言い始める。

「そーよぉ。だからおじ様だって修行なんか行かずにもっと子作りに励めば、」
「お姉ちゃんっ!!」

「す、すみません」と謝るあたしに「いいのよ」と笑みを浮かべるおば様。
その表情を見ていると、一週間前に修行に行ったきり 連絡の一つもよこさない薄情な許嫁の顔を思い出して胸がチクンと痛んだ。
悔しいから 会いたいなんて思わないけど。
寂しいなんて絶対に言ってやらないけど。


「確かになびきちゃんの言う通りね。主人だって男ですもの。もしかしたらその可能性だって無くはないかもしれないわ」

柔らかな口調のままおば様が口にした台詞に思わず心臓が跳ねる。
その可能性って、まさか浮気の話?
おじ様も男だから?

……ってことは、乱馬にだってその可能性が無いとは言えないっていうことなの?


もごっと飲み込んだどら焼きが 喉の奥に詰まったように息苦しい。どんどんと胸を叩きお茶で流し込めば、「漫画じゃないんだから」とお姉ちゃんにバカにされたけど、内心それどころではなかった。
あたしは先程までおば様の味方をしていたのも忘れ、思わずぐっと詰め寄る。


「ね、ねえ、おば様。その時、おば様は修行について行こうとは思わなかったんですか?」
「いいえ」
「じゃ、じゃあ、行かないでって頼んでみたりとか、」
「…いいえ」


そしてどこか懐かしそうに遠くを見つめると、まだ湯気の立つ湯呑みに軽く口を付けながら 思い出すように言った。


「そりゃあね、これでもおばさんだって乱馬と別れる時は引き留めたのよ」
「なら――」
「でもね、どのみち許していたと思うわ。主人と乱馬のこと」
「え?どうして?」
「だって…」


そこで一度ゆっくりと目を伏せて息を吐く。
割烹着を着た姿なのに、ぴんと背中を伸ばした姿勢は百合のように美しいと思った。



「だって、おばさんは格闘家の妻ですもの」
「あ…、」
「好きになった主人のこと、私が信じてあげられないなんて妻失格でしょう?」
「おば様…」
「私はね、主人を愛しているの。一見いい加減に思えるあんな人だけど、やりたいように生きてきた主人の人生だからこそ、おばさんも一生添い遂げたいと思ったのよ」
「そりゃまあ、パンダになるわ息子は女にするわ、やりたい放題よね」
「お 姉 ち ゃ ん っ !」
「ふふっ。確かにパンダちゃんに変身するのは想定外だったわねぇ」
「す、すみません、お姉ちゃんが失礼なこと言っちゃって、」
「いいのよ、本当のことなんだから」


どこまでも穏やかに、コロコロと鈴が鳴るような声で笑う。
そのくせ、目には一度決めたら貫き通す芯の強さが光っていた。


「でもね、おばさん思うの」
「何をですか?」
「もしも私の言い成りになって冒険の一つも出来ないような主人と息子なら、私は主人を好きにはなっていないわ」
「おば様…」
「ふふふ。おばさん、こう見えて強いんだから」
「まあ、言われなくても あの二人の怯えようを見たら強いのはわかるわよね」
「もうっ、なびきお姉ちゃんったらさっきから茶々ばっかり入れてっ」
「だってぇ。ここで三人とも深刻になったってつまらないでしょ。中和してんのよ、中和」
「まったく、調子がいいんだから」
「ふふふ」


あたしは半分に切っておいたどら焼きをおば様に差し出す。
「ありがとう、あかねちゃん」
やっぱり らんまそっくりの笑顔で礼を言うと、それを上品に手でちぎって一口 口に運んだ。
「あら、美味しい」と頬を綻ばせるだけで、おば様の周りの空気がふわりと温かいものに変わる。
着飾らなくてもかわいい人。
それはきっと、おば様のような人のことを言うのだろう。
その隣ではすっかりどら焼きを食べ終えたお姉ちゃんが、絨毯に足を投げ出して言い捨てる。


「私はまっぴらごめんだわー。ま、それ相応の仕送りをしてくれるって言うんなら考えなくもないけど」
「…あたし、時々お姉ちゃんと姉妹でいることが信じられない時があるわ」
「だから良かったんじゃないの。こうして男の趣味が違うから乱馬くんの取り合いにならなくって」
「べ、別にあたしは乱馬とそういうんじゃっ、」
「はいはい。そーいうのも もういいわよ」
「ちょっとっ」
「まったく、あんた達も大概よねえ。乱馬くんも素直じゃないけど あかねも意地っ張りなんだから」
「一緒にしないでよ」
「あら、なんでよ。似た者同士でお似合いって言ってあげてるのに」
「全然嬉しくないっ」


ああ、もうお姉ちゃんにかかればすぐこれだ。
どうやったって口では敵わないから、あたしは残ったどら焼きを口に放り込むと もぐもぐ咀嚼する。
要は“今は食べるのに忙しいから言い返せません”という体だ。

ちらりと壁に掛かったカレンダーに目をやる。
そこには、今日の隣の日付に赤い丸印。
そんなあたしの視線に気付いたのか気付いていないのか、

「明日、帰って来るわね」

とおば様が呟いた。



「なんだかあっという間ねぇ」
「…そう、ですね……」

一週間。
長かった、とは言いづらい。
何となく話を合わせるように相槌を打てば、横から「無理しちゃってー」とまた冷やかしが入る。



「あのね?あかねちゃん」
「な、なんでしょう」
「あかねちゃんは そのままでいてね」
「そのままって?」


黒目がちなおば様の目に吸い込まれる。
そう思ってしまう程、凛と澄んだ瞳はあたしを真っ直ぐ射貫いて離さない。


「主人も乱馬も 安心して修行に出られるのは、ちゃんと帰って来る場所があるからなのよ」
「あ…、」
「だからお願い。あかねちゃんは そのままでいてね」


全てを包み込むように にっこりと笑う。
その意味がわかるような、わからないような。
もしかしたら100は理解出来ていないかもしれない。
それでもおば様が言わんとしていることが、胸の奥にするりと絹糸の様に滑り落ちてくる。



「……はい、おば様」



待つ者。
待たせる者。


それぞれの覚悟を胸に秘めながら。

あたしはそれを静かに受け止めるように、手の中で少しだけぬるくなったお茶をゴクリと飲んだ。






< END >




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comment (12) @ (勝手に)捧げもの

   
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comment

初めまして : たらこ @-
いつもこちらにお邪魔させて頂いておりましたが、
キチンとしたコメントを残した事がありませんでした。捧げ物のお話に申し訳ありません。コメントさせて頂きます。私の文章が拙いとは思いますが、素人故御了承頂けますでしょうか?

今回ののどかさんのひとつひとつのお言葉に、強さに深く感動しまして、「好きになった人のこと、私が信じてあげられないなんて……」と、正直自分に当てはまるところがあり、とても大切な事を教えて頂けた気がしました。

相手を想うからこそ離れても信じて待ってあげること。拍手にもありましたが、帰ってきた人に「おかえり」と、言ってあげれる。どんなに離れてしまっても見守るそんな強さを自分も見習いたいなと感じました。
タイトルを拝見しまして、自分も大事な人の為に「帰る場所」としてそのまま変わらずにいてあげたい。
そう思いました。

捧げ物に大変申し訳ありませんがこちらのお話を読めて本当に心の支えになれました。纏まりのないコメントでお目汚しになってしまうかもしれません。それでも気持ちをお伝えしたくなりました。
拝見できて良かったです。
これからも応援させてくださいね。

本当にありがとうございました。
2017/05/30 Tue 21:38:46 URL
・・・うん。 : 憂すけ @-
送り出す方の覚悟。信じて待つ身の揺るぎの無さ。実は、のどかさんってメチャクチャ、強いっスよね。玄馬氏は、幸せ者だと、つくづく思います。待たせる方も気が気ではないのだと、そう思いました。(拍手を拝読してね) ・・・・きっと。戦って、戦い抜いて帰って来た時には・・・・うん。一回り大きく、強くなって帰って来てくれるんでしょうね。信じて待つのは、もどかしい部分も有りますが。待ってる人が居るから、頑張れるって信じたいです。(^^ゞ
2017/05/31 Wed 15:13:57 URL
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/05/31 Wed 21:52:13
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/06/01 Thu 08:46:07
Re: 初めまして : koh @-
たらこさん

こんにちは。はじめまして。
この度はご丁寧なコメント、ありがとうございます✨。
温かい言葉一つ一つに感激しています。

私がのどかさんや玄馬のお話、ましてや乱馬が出てこないお話を書くなんて相当異色だと思うんです。でも最近ありがたいことに 二次を通して少しずつ他の方と仲良くさせていただいているうちに、
『色々あるけれど私はここで大好きな方を待っていよう』
と思う気持ちが強くなってきて。
こんなことを書いたらとても大袈裟なナルシストみたいで恥ずかしいのですが💦、“大丈夫?”と聞かれても本当にしんどい時って胸の内すら吐き出せない時があると思うんです。だから苦しいっていうか。
そんな時、一歩引いたところで「大丈夫だよ。待ってるからね」と応援したくて…。
自己満足でもその気持ちを伝えたくて、普段なら連載投稿中は寄り道しない主義なのですが こちらのお話となりました。

たらこさんにもまたHPに遊びに来ていただけると嬉しいです♡
コメントありがとうございました✨。
2017/06/01 Thu 11:58:50 URL
Re: ・・・うん。 : koh @-
憂すけさん

こんにちは。
このお話は勢いだけでバーッと書き上げたのですが(確か夕方4時過ぎに書こうと思い立ち、そこから思うままに指を動かして5時半過ぎには拍手まで投稿していたと思います💦)、その時の私の中に“伝えたい”という気持ちがすごく強かったお話だと思います。

何かを思う時、私は出来るだけ「~で~でこんな風に思う」と説明するより、投稿したお話の中から受け取る読者様それぞれに感じ取っていただける部分があれば…と思っていて、今はこんな気分なんです。
待たせる方も「申し訳ないな。ちゃんと帰って安心させよう」という思いがあるし、待つ方も「大丈夫かしら。でも不安な顔は見せずに待っていよう」という覚悟がある。
そんな感じで。
そう思える絆があるからこそ、一周り強くなって人は強くなれるし、そうであって欲しいと願っています✨。
2017/06/01 Thu 12:07:39 URL
Re: タイトルなし : koh @-
2017/05/31 Wed 21:52:13 コメント主様

こんにちは。
お返事不要とのお気遣いをいただいたので、簡単に一言だけ…。

私も自分が家で待つ側だからか、ついついのどかさんに肩入れしてしまいます(*^^*)。
でも信じて待つって強いですよね。
もしも同じ環境に立たされたら私にはそこまでの覚悟はないけれど、ただ大切な人を待つ気持ちだけは持っていたいと思います✨。

なびきキャラ、いいですよね。私の姉がまさにこんな感じで、時折イラッともくるのですが裏表なくポンポン言って場を深刻にしない気遣い(?)に救われることも沢山あります(*^^*)。
2017/06/01 Thu 12:23:54 URL
Re: ほっこり。 : koh @-
2017/06/01 Thu 08:46:07 コメント主様

こんにちは。
お忙しいお仕事も少しは落ち着いた頃でしょうか(*^^*)?
多忙な中、こうしてHPに足を運んでコメントを残していただき、ありがとうございます///。

のどかさんは強いですよね。
私にはそんな強い意志を持って主人を送り出すことなど絶対できないと思うので、見た目の可憐さとは違う芯の強さをまざまざと感じます。
そしてコメント主様の仰る通り、その意思をのどかさんからあかねちゃんに引き継がれることによって未来に繋がるのかなぁと。
今はまだ100%じゃなくても、その覚悟と器があるあかねちゃんの大らかな心が大好きなんです✨。
私も自分の伝えたいことを的確に表現するには全然至らずいつも玉砕してはひっくり返っていますが、コメント主様の温かいメッセージを胸にまた新しい妄想を広げたいと思います♡
ありがとうございました✨。
2017/06/01 Thu 13:48:57 URL
こんばんは : kohさん @-
ちょっとショートストーリーが読みたいなあと思ってお邪魔しました^_^
皆さん書かれていますが、「信じて待つことの強さ」って、口で言うほど容易くないと思うので、のどかさん、素敵だなあって思います。
拍手の決意を新たにしたあかねちゃんも、ほんと可愛いです。
あんな無鉄砲でモテる(笑)許嫁、あかねだから待てるんだろうなあ。
素敵なお話し、ありがとうございました(^^♪
2017/06/23 Fri 00:08:50 URL
大変失礼しました(*_*) : クリ @-
一つ前の6/23 0時8分のコメントですが、
kohさん、と呼びかけるつもりが、
コメント記載側の名前に間違えて記載してしまいました!
ごめんなさい。失礼しました!^_^;
2017/06/23 Fri 16:04:55 URL
Re: こんばんは : koh @-
クリさん

こんばんは☆
コメントありがとうございます(*^^*)。
前に書いたお話にもコメントをいただけるってすごく嬉しいです♡

なんでも待つって大変ですよね。私なんてせっかちだからどっしり構えて待つということが何より苦手で…。
でもその点、やっぱりのどかさんは強いなぁと思うのです。
そしてあかねちゃんもきっとこれから こんな思いをしながら、乱馬のことを支えていくんだろうなぁと。
でも逆に玄馬や乱馬の立場からしても信じて置いていくっていうのは並大抵の信頼では難しいですよね。
言葉がなくても根っこの部分で信じ合えるって羨ましいし、頑張れ!と応援したくなります(´艸`*)。
2017/06/25 Sun 02:41:22 URL
Re: 大変失礼しました(*_*) : koh @-
クリさん

いえいえ💦、コメント主様のお名前がわかって良かったです(*^^*)♡
わざわざ ありがとうございました✨。
2017/06/25 Sun 02:42:35 URL

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