恋と呼ぶには まだ遠い 

2017/06/15
ストロベリームーンとは六月の満月のこと。
好きな人と一緒に見ると 結ばれるという言い伝えがあるそうです。
拍手にはちょっとしたSSを置いてあります。



【 恋と呼ぶには まだ遠い 】



「まだ寝ねーのかよ」

冷蔵庫から取り出したばかりの麦茶をグラスに注ぎ、それをがぶりと飲みながら声を掛ける。
ちらりと後ろを振り向く不機嫌そうな顔。「別にいいでしょ」と愛想なく答え、背中まで伸びた長い髪の毛を揺らして再び庭のほうを向くのは、親同士が勝手に決めた許嫁だ。
その背中には放っといてと書いてある。
まあな。別にいーんだけど。
だけどここはおれの家でもあるわけで。

おれは風呂上がりの肩に濡れたバスタオルを掛けたまま、あかねから人ひとり分離れた場所にどかりと腰を下ろすと、手に持ったグラスを縁側の板の間の上に置いた。

「ちょっと。なんであんたまでここに座んのよ」
「別にいーじゃねーか。風呂上がりであちーんだもん」
「だったら団扇ででも扇いだら?」
「あのなぁ。取って食おうってんじゃねーんだからケチケチすんなよ」
「ええ、取って食われるつもりもないですけどね」


あーあ、かわいくねえ。
そんな露骨に嫌そうな顔しなくったっていーじゃねーか。
なんせ、こいつときたら今日の夕飯前からすこぶる機嫌が悪い。いや、正確にはちょっと違うか。
他の家族のいる前では無理に明るく振る舞って、その反動が今になって表れてる。そんな感じだ。
ぼんやりと空を見上げる横顔につられ、おれも頭上に目をやる。そこにはいつもより少しだけ近くに感じる見事な満月が、眩しい光を放ってぽっかりと浮かんでいた。



「…おめーさ、」
「なによ」
「足のほうは大丈夫なのかよ」
「別に。こんなの、元々大したことないんだから」
「けど、」
「そんなことより あんた、こんな夜更かししてて明日の朝起きられるんでしょうね」


「毎朝起こしに行くあたしの身にもなってよね」と眉間に皺を寄せる。
ラフなTシャツの下にはこれまた色気のねえ短パン。その下から真っ直ぐに伸びた足は縁側の外に投げ出され、地面から少し浮いたところでぶらぶらと揺れている。
その左足には白い包帯がやや不格好に巻かれており、暗闇の中でやけに浮いて見えた。


「それ」
「なに」
「自分でやったのか」
「そうよ」


「どーりでな」という言葉はかろうじて飲み込んだ。
本来ならもっときれいに巻かれていたはずの包帯。それが叶わなかったのは、骨接ぎ屋で自分の診察の順番を待っていた時に予想外の人物が現れたからだ。
一瞬見せた落胆の顔。
「ご、ごめんね、ありがとう」
そう言って家に置き忘れてきた保険証を受け取りながら感情を押し殺すと、へらりと嘘くせー笑顔だけを貼り付ける。
お察しの通り その後は診療や処置どころではなく、小走りで骨接ぎ屋を後にする後ろ姿を慌てて追い駆けたっけ。風になびく長い黒髪が「話しかけないで」と無言の圧を掛けてくる。
そうなると、おれとしてはどうしていーのかさっぱりお手上げなわけで。
まるで自分が傷付けてしまったような居心地の悪さに、結局 今日の夕飯は一度しかお替わり出来なかった。


「…あの、」
「…」
「悪かったな、その…」
「別に。たまたま乱馬の投げたボールがぶつかっただけだからしょうがないじゃない」
「でも、」
「ふーん。意外と責任感じちゃってるんだ」
「べっ、別にそんなんじゃねーけど」
「はいはい。あたしだって何もあんたに責任とってもらおうなんて思ってないから気にしなくていいわよ」


ったく かわいくねー。
体育の授業中おれの投げたボールが直撃し、その反動で派手に転んだ拍子に足首を捻ってしまったあかね。確かにあかねがニブかっただけといえばそれまでだが、やはりそういうわけにもいかないだろう。
そう思って人がめずらしく素直に謝ってんのに この態度だ。気にしてねえっつーんならちょっとは人の顔見てニッコリ笑うくれーのことしてくれたっていーじゃねーか。

あーあ、と再び麦茶を口にし、おれも胡坐を解いて庭に投げ出す。夜の湿った空気が素肌に触れ、まだ火照りの残る熱を静かに拭っていく。そして膝の裏の汗が完全に引いたところで、おれは気になっていたことを聞いてみた。



「おめーさ。今日、なんで学校から直接 先生んとこに行かなかったんだよ」
「…帰る時はそんなに痛いと思わなかったんだもの」
「嘘つけ。完全に庇って歩いてたくせに」
「別にいいでしょ。荷物も重かったし、まずは一度家に帰りたかっただけ」


あーそうかよ。だけど そのせいでおれは下校の時も骨接ぎ屋に行く時も付き合わされて二度手間だったんだからな。
っつってもまあ、実際はフェンスの上から見てただけで何をしたってわけじゃねーんだけど。
ただ、周りの輩がうるさいことと、一応は怪我をさせてしまった張本人ということもあり、義務感で付き添ったまでだ。そこに他意などない。


シンと静まり返り、聞こえてくるのは時折吹く風が揺らす木々の音だけ。
なんとなく黙ってしまった空気が気まずくて、何か喋らなくてはと思うほどに適当な話題が見つからない。元々こんなのは性に合わねーんだ。

「えーっと、」
「…」

そしてあろうことか おれは自ら地雷に踏み込み、あかねが今一番聞きたくないであろう話題を振る。


「し、しかし、あれだよな」
「なによ」
「東風先生も相変わらずっつーか」
「…」
「か、かすみさんが来るだけであんなんなっちまってたら診察どころじゃねーよな」
「…そうね」


はらりと長い髪があかねの表情を隠す。
きっと泣くには至っていないだろうが、その心の中は確かめるまでもなかった。
っつーか、なんでこんな時にこんなこと言っちまうんだろうな。今更ながら空気の読めない自分の引出しの少なさが情けねえ。
かといってこれ以上ここにいても気の利いた台詞が出てくるとも思えないおれは、諦めて自分の部屋に戻ろうと腰を浮かしかけた。と、不意に顔を上げたあかねが、思いのほか明るい声を出す。


「ほんと、東風先生も困ったものよね。普段はあんなに落ち着いてるのに、お姉ちゃんのこととなると まるで別人みたいになっちゃうんだから」
「お、おい、」
「乱馬もそう思うでしょ?」
「あ、ああ、まあ…」
「あれがなければ名実ともに名医なのにね。あ、でもそんなところも東風先生らしいのかしら」


拍子抜けするほど、その声に悲壮感はない。



……ああ、そうか。


きっとこいつ、こうしていつも一人で強がってきたんだろうな。
バカじゃねーの。そんな風にいい子ぶってても誰もおめーの気持ちなんて気付いてくれねーんだぞ。
ホント、素直じゃないにもほどがある。



だけど。



月明かりに照らされるこいつの横顔が ほろ苦そうに笑っていて。
不覚にも、胸の奥に鈍い痛みがツキンと走る。
なんだ、これ。
今まで感じたことのない正体不明の不可解な感情に、どうにも気持ちが落ち着かねえ。
おれはもぞりと姿勢を崩すと、再び頭上の月を見上げた。
そしてある違和感を覚える。


「なぁ」
「なによ」
「なんかよ、今日ってやけに月が赤く見えねーか?」
「あんた、今日がなんの日か知ってるの?」
「へ?なにって…ただの満月だろ?」
「…やっぱりね」


なんだよ、そのバカにしたような言い方は。
「じゃあ他になんかあんのかよ」と問い質せば、「別に何もないけど」とつべもない。
あーあ。こいつもせめて もう少しかわいげがあればなぁ。
そう言うと「大きなお世話。ほっといて」と言い返されるのは目に見えてるんだけど。


夜の闇に浮かぶ、うっすら赤味がかった丸い月。
その妖しい輝きがおれとあかねを照らし、まるでそのまま吸い込まれちまいそうな光が二人の輪郭をぼんやりと包み込む。



「なんかさ、満月って全て見透かされてるような気になるよな」
「どうしたの、急に」
「別に。ただ、よく言うじゃねーか。昔から月と人間は関係あるとか」
「ああ、バイオタイド理論ね」
「なんだ、そのバイオなんちゃらって」
「あたしも詳しいことは知らないけど、地球の80%を海が占めるように人間の身体も90%が水分で出来てるから、海の満ち引きと一緒で影響されやすいとかなんとか」
「ふーん。なんか難しーな」
「でもちょっと神秘的よね」


そう言って、おれと同じ角度で月を見上げるあかね。その白い首は細く、今にも折れてしまうんじゃないかと思うほど華奢だ。



「それにしても変な感じ」
「あ?」
「あんたと夜にこんな話をするなんて」
「あのなー。言っとくけど、おれ星座だけはちょっと詳しいんだぜ」
「なんで?」


お、めずらしい。
さっきまで無理やり会話を捻り出そうとしていたのが嘘みてーに、あかねが先を促してくる。
なんつーか、こうして興味を持ってもらうってのも悪くねーな。
自分でもなんであかね相手にこんな話をする羽目になったのか、正直不思議でならない。
もしかしたら これも満月のせいなのだろうか。
まあ いい。幾分 気を良くしたおれは、先程よりも饒舌に続ける。


「親父と二人きりで修行に行くとさ、夕方過ぎたら辺りはもう真っ暗なんだよ」
「うん」
「その暗さってのは東京にいるとまず信じらんねーくれーに本当の真っ暗闇でよ。昔はトイレで夜中に起きても、テントから出るのが怖かったんだよな」
「へえ」
「かといって親父について来てもらうのもカッコわりーし」
「で、どうしたの?」
「だからそんな時は、空に広がる星を見て一人じゃねえって強がってた」
「ふふっ、なんだか意外ね。あんたにもそんな繊細なとこがあったなんて」
「あほ。まだ十歳にも満たねー頃の話だぞ。怖いのも当然だっつーの」
「とかいって本当は去年の話だったりして」
「バカやろうっ」
「あはは、照れなくたっていいじゃない」
「別に照れとらんわっ!っつーか勝手に捏造すんのやめろっ!」
「ムキになるところが益々あやしいわね」



……あ。



こいつ、こんな無邪気に笑えるんじゃねーか。




口元を手で押さえながら、愉快そうに目を細めるその睫毛が月明かりを浴びて白く光る。
それを目にした瞬間、また言いようのない痛みが胸に走った。



なんなんだ、一体。

さっきとは違う、熱い塊を飲み込んだみてーな痛み。
だが、予感めいたその感じにに なぜだか嫌な気はしなかった。




多分、口を半開きにして間抜けな顔をして惚けていたと思う。
不意にこちらを向いたあかねと目が合い、おれは慌てて顔ごと視線を月に戻すと、ちょうど指先に当たったグラスを手にして一気に全部飲み干した。
すっかり氷が溶けてしまった麦茶は殆ど味がしない。それでも冷たい水分が少しだけ鼓動の早くなる身体に沁み渡るようだった。
コトンとグラスを置く音が、静かな庭先にやけに大きく聞こえる。

「ほ、星っていえば、修行中は流れ星とかもよく見たな」

なんとなくあかねがこのまま部屋に戻ってしまうような気がして、おれは再び口を開いた。その自分の声が少しだけ上擦っているように感じるのは気のせいだろうか。
なにもあかねと二人でいたいわけじゃない。ただ、今日だけはなんとなく。
もう少しこのままでいるのも悪くねーんじゃないかと思っただけだ。
黙ってこちらを覗き込む視線を隣に感じ、それはすなわち続きを促されていることだと解釈したおれは あかねの顔を見ないまま続ける。

「森の中でたまにぽっかりと開けた場所があってさ、そこで地面に寝転びながら空を見てると自分の上に星が降ってきそうな感じがするんだよな」
「へえ…なんだかドラマチックね」
「おめーは?」
「え?」
「あかねは流れ星って見たことあるか?」
「ううん。残念ながら」
「そっか。まあ、こんだけ人工の光が多いとこでは気が付かねーだろうな」
「そんなに見れるものなの?流れ星って」
「おう。意外と簡単に見えたりするぞ」
「ふーん。羨ましいな」
「え?」
「あたしも一度見てみたいわ」
「…」


今度一緒に見に行ってみるか、なんて。
そんなガラにもねーこと、言えるはずもないんだけど。



「で?」
「へ?」
「流れ星を見つけたら あんたはお願い事とかするわけ?」
「あ―、ありゃ完全に迷信だな。願い事三回なんてまず言えねーよ」
「夢がないわねぇ」
「あ、でも親父は必死で願い事唱えてたけど」
「あら、おじ様の方がロマンチストじゃない。ちなみに どんな願い事?」
「金金金!って三回叫んでた」
「……前言撤回。全っ然ロマンチックじゃない二人なんだから」
「バーカ、現実的と言え」
「流れ星も泣いてるわね」


あー、なんだよちくしょう。んな楽しそうに口元を押さえやがって。
思いっきりバカにされてんのに、なんだか邪険に出来ねー自分がいる。
これも もしかしたらバイオなんちゃらの仕業なんだろうか。





ひとしきり笑い終えた後、ふぅ…と大きく息を吐いたあかねがポツリ呟く。


「……本当に、月が願いを叶えてくれたらいいのにね」
「え?」
「あ…っ、ううん、な、何でもないの」


途端に自分の発言を濁すあかね。
いつもだったら「似合わねえ」と一蹴するところ、不思議とそんな気にはなれなかった。
おれもあかねも空に浮かぶ丸い月を見ている。
その視線が交わることはないのに、同じ時間に同じものを見つめているこの空間が、妙に特別なことのように感じた。


「もしも、さ」
「うん」
「願いが叶うとしたら、おめーは何を願う?」
「あたし?あたしは……そうねえ」
「…」
「急に言われてもパッと思いつかないけど」
「嘘つけ。一個くらい なんかあんだろーが」
「だから、あるにはあるけど一つに絞りきれないんだってば」
「ほー。例えば?」
「例えばって…」
「一つに絞りきれねーんだろ?例えばなんだよ」
「そ、そんなこと言われても…」
「…」
「……うん、やっぱり改めて考えると、お願い事とは少し違うのかも」
「…」
「乱馬?」
「…例えば」
「え?」
「…………………………生のこととか、」
「なに?よく聞こえなかった」
「…、なんでもねえ」


本当に。
本当におれの言葉はあかねに聞こえていなかったんだろうか。


それとも……。




六月の湿った風と共に、再び短い沈黙が二人の間を流れる。

そろそろ本当に部屋に戻ろうか。
そう思った時だった。
庭先に投げ出していた足をぶらぶらと揺らしながら、静かにあかねが口を開いた。



「あんたは?」
「へ?」
「人のことばっか聞いてないで、あんただったら何をお願いすんのよ」
「おれ?おれは…そーだなー」


再びあかねが話し始めたことにどこかホッとする自分がいた。そんな己の感情を見透かされないよう、おれは至極真面目に考えるフリをすると、すかさずあかねが横から茶々を入れてくる。


「やっぱりあれ?完全な男に戻りたいとか?」
「そりゃ、願って戻れるもんなら戻りてーけどよ。それって月に願うこととはちょっと違わねーか?」
「確かに…。言われてみたらそうかもしれないわね」


そう。
いくら月に願ったとはいえ、朝起きたら突然体質が治っていましたなんて いくら何でも無茶だろう。
この忌々しい体質は、いずれ中国に渡って呪泉郷で治す以外に道はねえ。
じゃあ他に、おれの願い事……。



「もっと強くなりたいとか?」
「自分の実力で強くなんねーと嬉しくなんかねーよ」
「じゃあ、もっとカッコよくなりたいとか」
「あほ。これ以上おれにどうカッコよくなれっつーんだ」
「……」
「なんだよ、その間は」
「あんた、あれよ。取りあえずその図々しい性格を直すようお願いした方がいいわよ」
「っておいっ!人の性格を病気みたいに言うんじゃねーよっ」



ったく。やっぱりかわいげのねー女だぜ。
なにが「あはは」だ、ちっとも楽しくなんかねえっつーの。





…だけど。





また緩やかな風が吹き、長い髪をゆらゆらと踊らせる。
めずらしく結んでいない風呂上がりの髪が、夜の景色に同化して時折きらりと光るその様は、まるで黒いさざ波のようだ。





もしも一つ、願いが叶うなら?







……ずっと こいつが笑っていればいい。





そこまで考えてハッとする。


なに考えてんだ、おれ。
あかねは東風先生のことが好きなんだぞ。
ったく、ガラじゃねえにもほどがある。





「で?お願い事は決まった?」

どうやら さっきの仕返しらしい。
意地でもおれに言わせようとするあかねにちらりと視線だけ送り、ばかばかしいと大きな溜め息をついた。

「へっ、バカバカしい」
「なによ。自分だって聞いてきたくせに」
「あのなー。おれはおめーと違ってこんなくだらねー迷信は最初から信じてねーんだよ」
「とかいって本当はお願いを一つに絞りきれなかっただけなんじゃないの?」
「バーカ。おれはあかねと違って完璧だからな。今さら月の力なんて必要ねえだけでぃ」
「…あんた、やっぱりその性格直してもらった方がいいわよ?」
「うるせえっ、大きなお世話だっ!」



あーあ。
せっかく こんな月のきれいな夜に二人っきりだっつーのにな。
そんなおれの胸中を知ってか知らずか、あかねがうーん…と背中を反らしながら口を尖らせる。



「あーあ。せっかくこんな月がきれいな夜なのに」



それ、今 おれもそう思ってた。



「あんたといると全然ロマンチックにならないのよね」



そりゃお互い様だろーが。
そう反論してやろうと思ったけど、おれはある悪戯心が湧いてきて ふと真面目な表情を作る。





「んじゃ、真面目な話でもしてやろーか?」




「なによ」、だなんて。
今さら“やっぱりナシ”は禁止だからな。





「あかね」



月を見上げていた視線をゆっくりとあかねに移し、呼び慣れた名前を口にする。
が、その声はいつもよりやや低くなっているのがわかった。


じっと見つめるあかねの瞳。
こいつ、本当に睫毛がなげーよなぁとか思う一方で、あかねの目が所在なさげにきょろきょろと泳ぎだす。
多分、こいつは思っている以上に男に慣れていないらしい。



「あかね」
「な、なに…、」



思えばこーやってこいつの顔をじっくり見るのは初めてかもな、なんて思いながら。
それでも目を逸らさず訴えるように見つめれば、いよいよあかねの語尾が弱くなってくる。




「今日の月さ、」
「月?」
「いつもよりすげー赤くって」
「う、うん…」





こくりと。
細い喉が動くのがわかった。


それを目敏く捉え、おれはグッと前のめりになると至極真面目に切り出す。









「なんか今日の月、ハムみたいに見えねーか?」







数秒の間。






直後、脳天をかち割られるような衝撃が頭に走った。





「いってぇぇぇえええ!!な、何すんだよっ!」
「あんたってホント最低っ!全然ロマンチックじゃないんだから!」
「な、なんだよ、おれは思ったことを言っただけじゃねーかっ」
「そ、そうだけどっ」
「あ、それともあれか?もしかしておめー、なんかドラマチックなことでも期待してた?」
「バ…っ、バッカじゃないのっ!誰があんたなんかにっ」
「だーっ!待て待てっ!冗談、冗談だってのっ!」


なんだよ。
場を和ますほんの冗談じゃねーか。
なのにこいつときたら何を勘違いしたのか、「もう知らないっ」なんてプリプリしてやがる。
その表情に、先程までの無理した笑顔はどこにもない。


「あーあ!真面目に聞いて損しちゃった」
「でも実際、ちょっとハムに似てるって思わねえ?」
「…」
「おい。正直に答えろよ」
「………まあ、ちょっとだけね」
「だろ?あー、なんか急にハム食いたくなってきた」


シシシと笑えば、今度こそ我慢出来ないというように あかねも笑い出す。




あ……。






"ずっと こいつが笑っていればいい"





…なんだよ。

こんな簡単なことなんだ。


やっぱり月に願わなくても叶うじゃねーか。






目尻に光るものを拭いながら、呆れたようにあかねが溜め息をつく。


「まったく。あんたにかかると せっかくのストロベリームーンも台無しね」
「ストロベリームーン?なんじゃそりゃ」
「ほら。今日の満月って少し赤く見えるでしょ?元々はアメリカの苺の収穫期にちなんでそう呼ばれるようになったのよ」
「ふーん」
「夏至に近い六月の満月は低い位置にあるからその関係で赤く見えるらしいんだけど」
「おめー、よく知ってるな」
「まあね。だって一緒に見た人と、」

そこまで言って、急にはたと口籠る。

「と、とにかくっ、もしかしたら願い事が叶うかもしれないってお話よ」
「いかにも女が好きそうだよな」
「まあ、あんたの言う通り迷信でしょうけどね」
「かわいげのねー女」
「ほっといて」


思い切り眉をしかめて いーっと舌を出す。
ったく つくづくじゃじゃ馬め。
言っとくけどあかね、東風先生の前ではぜってーそんな顔出来ねーだろ。


そう思うと、途端にそのかわいくねー顔が少しだけかわいげあるようになんか見えちまって。



「ま、せいぜいおめーのずん胴でも治るように願っとくんだな」
「それはこっちの台詞っ。あんたこそ そのデリカシーのない性格を何とかしてもらいなさいよねっ」


互いに挑発し合いながら、それでもじわりと込み上げてくるこの気持ちは 一体なんと呼ぶのだろう。





"満月って全て見透かされてるような気になるよな"




本当はもうとっくに気付き始めているような己の感情。
それを押し込めるように上から無理やり蓋をするおれを、臆病者と笑うだろうか。

胸の奥で 疼き始めた想いがチクリと痛む。

そんなおれを、赤い月だけが はばかることなく見つめていた。








「おはよう…って あら。あんたの方が先に起きてるなんてめずらしい」
「あほ。おれだって自分で起きる日くらいあるわ」

なんでここで素直に「おはよう」だけで終わらねーのかな、こいつは。
人の顔見るなり、開口一番に嫌味を言うとはいい根性してやがる。
言っとくけどなぁ、おれだって早く起きる日くらいあるっての。これは何も昨晩あかねのことを考えていたからではない。うん。決してそんなことはないんだからな。


「あらあら。二人とも朝から仲良しさんね」

そんなおれとあかねの前に、菩薩のような笑みを浮かべたかすみさんが湯気の立った皿を運んでくる。
その皿の上に乗っていたのは、ピンク色したハムエッグ。
それを見て、あかねが意味ありげに笑う。



「良かったじゃない、願い事が叶って」
「あ?」
「だって昨日言ってたでしょ?ハムが食べたいって」


あー。そういやそんなこと言ったっけ。


「あ、でもこれで願い事が叶っちゃったってことは あんたの性格はそのままってわけか」
「ついでにおめーのずん胴もな」
「しつこいわねっ」
「どっちがっ!」






こいつがずっと笑ってればいいのにな、なんて。




その願いが叶うのは もう少しだけ先の話だなんて、まだおれは知る由もない ――。






< END >





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comment (2) @ Omnibus 今夜赤い月の下であいましょう

   
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管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/06/16 Fri 23:36:45
Re: お礼と休止のこと : koh @-
2017/06/16 Fri 23:36:45 コメント主様

こんばんは。
バタバタしており、お返事が遅くなってしまってごめんなさい(>_<)。
先日はご丁寧なコメントありがとうございました。
大袈裟ではなく、いただいたコメントのおかげで幸せな気持ちで週末を過ごすことが出来ました。

サイト休止に関しては思うところも色々あったのですが、こうしていただくコメント一つ一つに励まされ、自分はなんて幸せなんだろうと噛みしめています。
何度も読みたくなると仰っていただき、その気持ちをこうして伝えてくださる読者の方に支えられている…。本当にありがたいことですよね。
人間だから心が常にフラットな状況でいることは叶わないけれど、いただいたコメントを拝見していると また新しい楽しさや喜びが湧いてくるのです。
本当にありがとうございます。

そして…改めて、お誕生日おめでとうございました✨。
娘の髪の毛を結いながら、「どうせならいつも応援してくださっているお礼に何かお返ししたいな~」と思って、私も楽しく妄想させていただきました(*^^*)。
働いていると どうしても月曜日って憂鬱なんですよね。
職場に着いてしまえばどうってことなくても、日曜日の夜から、着替えるまで、家を出る前…、
人によって様々ですが、やっぱりどんなお仕事でも働くって楽じゃない。
だからお祝いと励ましの気持ちを込めて、こんなお話になりました。
もっと前から知っていたら時間は掛けられたかもしれないけれど、限られた(?)時間でパッと思いつくまま仕上げるこんなお話の方が好きだったりするので、コメント主様に喜んでいただけてとっても嬉しかったです(´艸`*)♪
これからもマイペースに楽しく続けていきますので、末永くよろしくお願いします✨。
ありがとうございました♡

2017/06/20 Tue 20:11:25 URL

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