噂からはじまる恋 

2017/07/19
拍手話はもう一つ“おまけ付き”となっており、そこまで進んで物語が完結する形です。
無駄に長い上、ふわふわとしたお話でお蔵入りと迷ったのですが…勿体無いのでそっと投稿してみます(>_<)。




【 噂から始まる恋 】



「なあ、天道。悪いんだけど放課後、ちょっと付き合ってくれないか?」



なぬっ!?
その聞き捨てならない台詞をさらりと言ってのけたのは、隣のクラスの加藤だった。
昼休みのチャイムが鳴った早々、教室の入り口にあかねを呼び出したと思いきや、その顔にはキザったらしく爽やかな笑みを浮かべている。

「なあ乱馬。今日 購買に――」
「しっ!」

わりーな、大介。今は呑気にお前と話してる場合じゃねーんだ。
おれは右耳に全神経を注ぐと、視線は逸らしたまま 尚も二人の会話に聞き耳を立てる。
あ、言っておくが、これは別にヤキモチじゃねえ。決してヤキモチなんかじゃねえからな。
ただ、あのニブい女のことだ。これでまたお人好しを発揮して妙なトラブルに巻き込まれたら、結局最後に助けに行くのはおれなんだから。
そう。だからどんな用件か、ちょいと確かめておくだけだ。それ以外に他意はねえ。


「おい、乱――」
「やかましいっ、ちょっと黙ってろ!」


「おーこわ」「いやあねえ、奥さん。男の嫉妬ってみっともないわぁ」なんてくだらねえ猿芝居を余所に、二人の会話から仕入れた情報は至ってシンプルで。
何のことはない。放課後 残ってあかねのノートを写させてほしいという頼み事だった。
しかし、なんで隣のクラスの野郎がわざわざあかねに頼む必要があるんだよ。その瞬間的にパッと浮かんだ疑問は、至極丁寧な加藤の自己紹介によって即座に解消される。

「ほら。この前、委員会の時に天道が見せてくれた英語のノート。あれ、すごいわかり易かったんだよな」

ほうほう、なるほどな。
要は委員会活動と称してちゃっかりあかねに取り入ってたってわけか。なのにあかねときたら まんまと加藤のおだてに乗り、
「そう?そうかな。もちろん、喜んで貸してあげるわよ」
と二つ返事で快諾しやがる。
おい。おめーの男嫌いはどこ行った。もっとこう、いつもおれにするみてーに窓の外にでも蹴り飛ばしてやれ。
大体、そんなにあかねのノートがわかり易いなら、ちょっとそこのコンビニでコピーして来るなり、一晩借りるなりすりゃいいだけの話じゃねーか。が、まるでおれの思考を読み取ったように、間髪入れず加藤が続ける。


「本当はコピーを取らしてもらえるだけでもありがたいんだけど、おれ英語が苦手だろ?だからノートを写しがてら、ちょっと天道に教えて欲しいんだよな」


はあ?おめーが英語苦手なんて知らねーよ。
っつーか てめえ、どさくさに紛れて一体何を教えてもらう気だ。 まさか英語の勉強とかけて恋のA・B・Cでも教えてもらおうって魂胆じゃねーだろうなっ!?


「ほら、よく言うじゃん。教えるのも勉強になるって」


おいおい。教えてもらう分際で よくもいけしゃしゃあとそんな図々しいことが言えたもんだ。
大体、あかねもあかねだっつーの。ぬわーにが「確かにそうよね」だ! このスーパーかっこいい許嫁がいるにもかかわらずホイホイと他の男に親切にしやがって、そんなんだから相手も調子に乗るんだぞ!

「じゃあ、放課後 教室で待ってるわね」

って あのよー。そもそも、なんで自分のクラスの奴らじゃなくあかねに頼むのか、少しは疑問に思わねえもんなんだろうか。そんなの、ただの口実だぞ。だってほら、来週には待ちに待った夏休みが控えているわけで。それを侘しく男一人で過ごすか、かわいい彼女と過ごすか。健全な高校生男子にとって、それは青春を左右する一大イベントと言っても過言ではないらしい。あ、念の為断っておくが、おれはそんなの気にしたことなんてねーからな。そもそも、もう既にかわいくねー許嫁もいることだし、今さら夏休みがどうとかくだらねえ。そう、確かにくだらないのだが、そこに他ならぬ自分の許嫁が関係してくるとなると話は別だ。
夏といったらプールに海。
きっと今頃、加藤の頭の中では白いビキニ姿のあかねでも思い浮かべているに違いない。ふざけんな、くそっ。



「……乱馬。あかねのビキニ姿がどうしたって?」
「あん?」
「貴様、自覚がないのか?“白いビキニ姿のあかねでも思い浮かべているに違いないふざけんなくそ”まで全部声に出して言っとったぞ」
「うっ、嘘だっ!」
「ほう。嘘だと疑うならば、もう一度デカい声で確認しよう。“あかねの水着――”」
「だ――っ!わ、わかった!い、言った!確かに言いましたっ!」

慌てて大介とひろしの口を塞げば、手の平にモゴモゴと二人の唇が当たる。って一体なんの罰ゲームだよ!
カアッと火照った顔でうー……と唸れば、それを宥めるように悪友共がおれの肩をポンポン叩いて耳打ちしてきた。

「まあまあ、乱馬よ。おれ達、親友じゃないか」
「そうそう。このことは あかねに黙っててやらないこともない」

ってことは、裏を返せば言うかもしんねえって脅しだな。

「…………んで?なにを奢りゃあいーんだよ」
「お、話が早くて助かるな」
「取りあえず学校帰りのアイスで手を打ってやろう」


ちくしょう。人の弱みに付け込んでたかるなんざ、お前らなんか親友じゃねえっ!……とは強く出れないおれ。
あーあ。ただでさえ金欠だっつーのによ。
貴重なアイス代と引き換えに 泣く泣く昼食のパンを一つ諦めたおれは、あかねに近寄る害虫を駆除すべく速やかに頭で作戦を練り始めた。










ご都合主義よろしく、今日の五時限目は例の英語の授業だった。おれの右隣に机を並べたあかねはいつものように真っ直ぐ前を向きながら、黙々と黒板を写している。思わずちらりと覗き込む手元のノート。……なるほどなぁ。黒板に書かれていることはおろか、教師のワンポイントアドバイスなどを余白に書き込んだノートは確かにおれの目から見ても分かり易く、これなら加藤が勉強を口実に近付いてくるのも納得がいく。が、それとこれとは話が別だ。

「……」


おれは教科書を机に立てて少し頭を伏せると、手を伸ばしてあかねのノートの端に書き込む。



“ 今日、あかねの部屋に行ってもいいか? ”




あかねがこちらに向けた、その顔には“なんで?”と書いてある。




そうだよな。
理由、理由……。


おれは咄嗟に思いついた……というより、大した案も出ずに最も断りにくい理由を再び書き込む。




“ 勉強しよーぜ ”






……あ、なんだよ。その露骨に疑う顔は。
おれは自分の教科書に挟んだままになっている返されたばかりのテスト用紙を引き抜くと、あかねに向かって広げて見せた。
その右上にデカデカと主張するのは、28の赤い文字。





『な?頼む!これで次のテストも赤点だったら夏休みの補習待ったなしなんだよ』



両手を擦り合わせるようにしてペコペコと拝み倒すおれ。く……っ、情けねえ。
しかし、こう見えて優しいところもあるのがあかねだ。呆れた表情を浮かべた後、しょうがないわねえと言うように、おれの書き込んだ文字のすぐ下にシャーペンを走らせた。
こちらに向かってツイっと差し出されたノートにあったのは、“ いいよ ”の三文字。



『言っとくけど、乱馬の奢りでアイスだからね』
『ちぇっ、わかったよ』



ひそひそと衝立替わりにした教科書の裏で交わす小声の会話。
と、それを目敏く見つけたひなちゃん先生が大声で注意する。



「あー! 早乙女君と天道さん、授業中にイチャイチャしていけないんだぁ!」
「バ、バカっ!おれは なにもイチャイチャなんて、」
「教師に向かってバカとは何です、バカとは。そんな悪い子は廊下で立ってなさい」
「だから誤解だっつーのっ!」


ワアワア弁明してみたものの、勿論ひなちゃん先生が折れるはずもなく。最後は一瞬の隙を突かれ、闘気を目一杯吸い取られたおれはヘロヘロの紙切れのように廊下に立たされた。その際、一瞬見えたあかねの顔。
その口元は確かに『バカ』と動いていたが、なぜだか嬉しそうに笑みを浮かべていて。
どのみち真面目に授業を受ける気のないおれは廊下で体力を回復させると、来たるべき放課後に備えて再び気合いを入れた。








ホームルームのチャイムが鳴り、続々とクラスメイト達が帰っていく。そんな中、加藤の姿はまだこの教室に無かった。
そりゃそうだろう。出来るだけ人気がない方が都合がいいもんな、なにかと。
おれは「けっ」と悪態つきたくなるのを堪えながら、自分の席で英語の教科書とノートを広げ始めたあかねにさり気なく声を掛ける。


「よ、あかね」
「なに? 悪いけど、今日は先に帰って――」
「いや、そうじゃなくてよ。そーいえばさっき、ひなちゃん先生があかねのこと探してたんだよな」
「あたしを? なんで?」
「さあ? なんか知んねーけど、見つけたらすぐ焼却炉まで来いっつってた」
「はあ!? なんであんた、そんな大事なこと言わないのよっ!」
「わりーわりー、すっかり忘れちまってた」

両手を合わせ、本日二度目のごめんのポーズ。
するとあかねが廊下のほうを気にしながら、困ったように呟いた。

「どうしよう。もうすぐ加藤君も来ちゃうと思うんだけど……」


……よしきた!


「あー、そんならおれ、もう少しここにいるからよ。もしあいつが来たら先にノート見せといてやるよ」
「でも……」
「いーから気にすんなって。加藤が来たらおれも帰るからさ」
「…………なんか変」
「なにが」
「あんたが親切だとどうも胡散臭いのよね」
「うさ……っ、あのなー、言い忘れててわりーと思ったからだろーが」

そんなに疑うなら勝手にしろと言わんばかりに鞄に手を伸ばす。すると今度はあかねのほうが「ごめん」と手を合わせた。

「いーよ、もう。それより早く行けよ。ひなちゃん先生 待ってんぞ」

わざとらしいくれーにニカッと笑ってみせる。どうだ? 加藤に負けず劣らず、おれだって爽やかだろ?
そんなおれの笑顔に安心したのか、「じゃあ悪いけど頼んだわね!」と短い髪を跳ねさせながら駆けて行くあかね。
その後ろ姿を見送り、やがて足音が完全に聞こえなくなるや否や、



「あーあ。頼まれたからには仕方ねーよなぁ」


おれは誰に言い訳するでもなく口にすると、ポケットに入れっぱなしにしておいた物にそっと手を忍ばせた。





それから時間にして約二、三分経った頃だろうか。
ご機嫌な表情を浮かべて教室にやって来た加藤は、まるで幽霊でも見たようにギクリと肩を揺らした。

「よっ」
「あ、ああ、早乙女……」

その声はどことなく上擦っている。
そりゃそうだろう。愛しいあかねに会えると思ってウキウキして来たら、まさかの許嫁だけがそこにいんだもんな。だけど安心しろよ。おれは格闘をやってねーやつに手を上げるほど、落ちぶれちゃいねーからな。

「あかねのやつ、ちょっと先生に呼び出されててよ。その間におめーが来たらノート見せといてやってくれって頼まれたから待ってたんだよ」
「あ、ああ、そうなんだ。サンキュー」
「おう」

おれは閉じたままのノートを指差すと、

「勝手に見て写し始めておいてくれってよ。んじゃ、わりーけど おれ先に帰るから」

そう言っておもむろに鞄を肩に背負う。その時の加藤の嬉しそうな顔ったらねえ。
心底ホッとしたような表情を浮かべながら、
「あ、ああ。気をつけて帰れよ。わざわざありがとうな」
なんつーんだから幸せなヤツだ。


さ、これから急いで駅前まで走っていけば、どっかでひろしや大介を捕まえられるかもしんねーな。
おれは加藤に軽く手を上げると、そのまま教室にヤツだけを残して学校を後にした。








そして夕方。

「ただいまー」
「あれ?おめー、もう帰ってきたのかよ」
「ってあのねえ。せめて“お帰りなさい”くらい言いなさいよ」


あれから運よく駅の手前でひろしや大介と合流したおれは、約束通りコンビニでアイスを買ってあいつらに奢ってやった。まあ、口止めしたとも言うけどな。
そこで暫くどうでもいいことをくっちゃべり、家に着いたのが約三十分前。本来なら優に日が暮れるまで掛かると思われた勉強会とやらは早々になくなったらしい。
おれはニヤけそうになる頬の内側を噛みしめながら、わざとらしく聞いてみる。


「で?ホントはどーしたんだよ?」
「うん、それがね――」




なんでも あかねが言うところによると、自分が教室に戻った時には既に加藤の姿は見当たらなかったらしい。
そしてノートの上には、一枚のメモ。


そこに記されていたのは、

“ ごめん。やっぱりノートは別の人に写させてもらう。ごめんな ”

の文字だった。




「変だと思わない?あれほど熱心に頼んできたのに」
「もっと分かり易く教えてくれるヤツでも見つかったんじゃねーの」
「なんだか、それもちょっと癪だけど」
「まあまあ。細けえことは気にすんな。な?」
「……あんた、やけに嬉しそうね」
「んなことねーよ」
「あーあ。しかもひなちゃん先生は見つからないし、もう踏んだり蹴ったりだったわ」
「あー……きっとあれだろ。また風船かなんか見つけてそのまま追いかけて行っちまったんだろ」
「もう! おかげで全身汗だくよ」


やれやれと洗面所に消えていくあかね。その後ろ姿を見送りながら。おれは心の中でそっと詫びを入れる。
……わりーな、あかね。ひなちゃん先生があかねのことを探していたなんて真っ赤な嘘だ。
とはいえ、そんだけ汗をかけば少しはいい運動になってダイエットの効果も出るだろう。うん、そういうことにしといてくれ。



(それにしても こんなに上手くいくとはなぁ)


本当はちょっと釘を刺すつもりだっただけだというのに、まさか あかねと顔を合わせるのも避けるほど加藤がショックを受けるとは。
これには流石におれも驚いた。
しかし、何も疚しいことをしているわけじゃない。
そもそも 真の格闘家ってのは、拳じゃなく頭で勝負するもんなんだよな。
おれは大して悪びれもせず、鼻歌を歌いながら自分の部屋へと戻る。



そう。
この時のおれは、まだ事の重大さを全くわかっていなかったのだ。









その日の夕食後。
日中の約束通り、おれはあかねの部屋にいた。

「で? 何から始めればいいの?」

キイ……と椅子を少しだけこちらに向けながら、あかねが学校用の鞄の中から教科書を取り出して机に並べる。現代文、物理、数学、そして英語……。
はっきりいって あかねの部屋で勉強するなんてパッと思いついただけの口から出任せだ。とはいえ、それを正直に白状できるような空気ではない。
パジャマには着替えていないものの、横に大きく開いたボートネックから石鹸の香りが漂う、白い首筋。
思わずくらくらと引き寄せられそうになりながら、おれが指差したのはやっぱり英語の教科書だった。だってそうだろう? 腹も脹れて少なからず頭がボーっとしている中、とてもじゃねーけど数字を見る気分になんかなれねえ。かといって現国ってのもちょっとな。物理なんてもってのほかだ。
あかねときたら、「あんたって本当に英語が苦手なのね」と呆れながら、「さ、じゃあ始めるわよ」と軽く腕まくりをしている。
やれやれ。仕方ねえから少しは勉強するフリでもしてやるか。
おれは自分の立場を棚に上げながら、そっと溜め息をついた。




それから三十分程経った頃だろうか。
突然、おれはある事を思い出してハッとする。


(しまった……っ!! “あれ”、なんとかしねーと)


途端につうっと一筋の汗が背中を伝う。
まずいまずい。あんなの見つかった日にゃ、怒られるのは目に見えてる。いや、それどころかパンチの一発でもお見舞いされ兼ねないだろう。
しかも大変まずいことに、その箇所まではあとちょっと。
これは冗談じゃなく、非常にまずい。
おれはわざとらしいくらいに喉の奥で二、三度咳払いをし、隣に座るあかねの肘をつんと小突いた。


「な、なあ、あかね」
「なに?」
「その……な、なんか、喉渇かねえか?」
「そう? あたしは別に平気だけど」
「い、いや、でも、」
「……わかったわよ。実はそう言うだろうと思って用意しておいたのよね」
「へ?」
「はい、新発売の桃のジュース。美味しそうって言ってたでしょ?」

そう言って、夕べCMで見たばかりのペットボトルを差し出してきた。
なんだよ、あかねのやつ。よりによってこんな時に気が利いた真似をして、さてはおれの退路を断つ気か!?
そりゃ確かに美味そうだなって言ったよ。言ったけど、何も今じゃなくていい。
あー、ちょ、ちょっと、そうやってノートをパラパラ捲んのもやめろっ!
非常に苦しい策ではあるが、おれは再び別の話題を持ちかける。

「そ、そうだ、その……ア、アイスっ! 確かアイス奢れっつってたよな?」
「うん。言ったけど」
「い、今買って来て……あ、いや。金渡すから、あかねが自分で好きなの買って来いよ」
「あたしが?」
「お、おう、」
「今?」
「だからそーだっつってんの」
「……」
「…………な、なんだよ、」


じっと見つめる上目遣いの目。
か、かわいーじゃねえか……じゃなくって。
そんなかわいー顔した許嫁が、案の定かわいくねー態度を取ってくる。


「いい。今はアイスいらない」
「おい、」
「っていうか あんた、一体何を企んでるわけ?」
「べ、別におれは何もっ、」

まずい。
思わず声がひっくり返っちまう。

「ふーん……」
「……」


ああ、神様仏様女神様。
このウルトラスーパー鈍感女をどうかこの部屋から追い出してください。
たった一分……いや、三十秒でも構いません。
しかし 普段の罰当たりな行いのせいか、そう都合よくおれの元に神が現われることもなく。


「あやしいわね……」

パラパラと英語のノートを捲っていたあかねの手が、あるページでピタリと止まった。
…………ま ず い。



「ちょ、ちょっと、なによこれっ!?」



あちゃー……。
思わずおれは両手で目を覆い、天を仰ぐ。
そしてそのままさり気なく立ち去ろうとしたが、腰を浮かす前に

「こ、この字っ! これ、あんたの字でしょっ!?」

ズイッとおれの顔の前に突き出される見開きのページ。
そこには確かにおれの字で、こう書いてあった。







“ 今晩、あかねの部屋に行ってもいいか? ”





……そう。昼間、あかねのノートに書き込んだ例の筆談。
それのたった一文字、“今日”という字を“今晩”に変えたのだ。
その漢字一文字によって二人きりの夜を連想させることなど、健全な高校生男児にとっては他愛もない。

が、どうやら あかねが怒っているのはそこの箇所だけではないようだ。

「こ、これっ!“ 勉強しよう”って書いてたはずが、なんでこんな事になってるのよっ!?」

さっきの台詞のもう一つ下、おれの字で書かれていたその言葉は、



“ 手合わせしようぜ ”


という台詞だった。






「ら~ん~まぁぁぁぁああああ!!」
「お、落ち着けっ! これには深いわけが、」
「これが落ち着いてられるかっ! ばかぁっ!!」

がらりと開けた窓から、流れ星よろしく蹴り飛ばされるおれの身体。
そう、なんのことはない。
おれは教室からあかねがいなくなった後、ポケットに忍ばせておいたシャーペンでノートにちょっとした細工をしたのだ。




まずは“今日”を“今晩”に。
本当はこれだけで終えるつもりだった。が、よくよく考えてみるとどうもインパクトに欠ける。
そう感じるのは、すぐ下にある“勉強しようぜ”のフレーズのせいだろう。
これじゃあ まるでおれと加藤の立場がさほど変わらない印象どころか、受け止めようによってはただ単におれが頭わりーヤツみてーじゃねえか。
かといって実際、おれとあかねの間にこれといった特別なことはなく。
えーっと、えーっと、もっとこう、おれとあかね二人の特別な親密度を匂わせる、他のヤツらにはない何か……。
どうせならそれが噂となり、今後あかねに近付いてくる野郎が減るようなインパクトのある何かが欲しい。
しかし そんな都合のいい表現を易々と思い付くわけもなく、おれはシャーペンの頭に付いている消しゴムで“勉強”の部分だけを消すと、うんうん頭を捻る。
なんだったら いっそこのまま空白のままでもいいだろう。が、それだと“勉強”と書いた跡が薄っすらと残ってしまい、どうにか誤魔化そうとペン先でガリガリと引っ掻いたりもしてみたが、どこか不自然さが否めない。

そうこうしているうち、隣の教室のドアががらりと開く音がした。多分、その時のおれは大袈裟ではなく五十センチはその場で跳び上がったと思う。



(えーい、くそ……っ!)




そして。
そこで咄嗟に書き直したのが、先程の“手合わせ”だったのだ。

っつーかよ。
よく考えてみりゃ、いつも手合わせしようとうるさく言ってくんのはあいつのほうじゃねーか。
そうだ。何もおれは疚しいことなんか言ってねえぞ。うん。
確かに今日と今晩の違いは少々マズかったかもしんねーが、それだって大した問題じゃねえだろう。
おれは心を強く持つと、そのまま木の枝をバネ代わりにして再びあかねの部屋の窓から明るい室内に入り込む。


「くぉら! あかねっ」
「ちょっと、なんなのよ!」
「あのなぁ、いいから人の話を聞けっ!」
「なによっ」
「いつもおめーがおれに言ってんじゃねーか、手合わせしろって!」
「そ、それはそうだけど、」
「なのになんでおれがこんな投げ飛ばされなきゃなんねーんだよっ」
「だ、だって、だって」
「だって?」
「だ、だからっ」
「ん?」
「あ、あたしの部屋で手合わせって、な、なんか、」
「………………あ、」




……………………しまった。




おれ、てっきり格闘家同士の気心が知れた関係っつーのをアピールするつもりで書いちまったけど、よく考えてみりゃ、あかねの部屋で手合わせって。
しかも文面からして、お忍び感が半端じゃねえ。
親に隠れてこっそり訪ねたあかねの部屋で、おれとあかねが二人で夜の手合わせ……。
更にめくるめく想像力を掻き立てるのが、その下に書かれた可愛らしい字体の三文字だ。


“ いいよ ”


これって…………そりゃあ、“その想像”しかつかねえよなぁ。
いや。それどころか、あかねがちょっと楽しみに待ってる感も否めねえ。

予想以上の破壊力に、思わずはぁぁ……と零れる溜め息。
「言っとくけど溜め息つきたいのはこっちの方よっ!」とギャンギャン喚くあかねの顔は、りんごのように赤く染まっている。






「……まあ、気にすんな」
「はあっ!?」

おれはあかねの肩をポンと叩いて笑ってみせる。
勿論、それであかねが納得している様子など微塵もない。

「ちょっと加藤が変な誤解しただけじゃねーか。な?」
「あのねえっ! そんなこと言って、どうせすぐ他の人達にも噂が広がっちゃうんだから!」
「どーせ大なり小なり、周りのヤツらも勝手な想像してんだろ」
「勝手な想像って?」
「だ、だから、その、そ、そーいうことだよ、」
「な……っ、そ、そういうことって、」

つられておれも赤くなる。
あーくそ、何言わせんだよ こいつは。
だけどここで照れたらダメだ。なんかしんねーけど、照れたらもっと厄介なことになる。
そんな予感がしたおれは、まるで口から生まれてきたんじゃねーかってくらい、一気にペラペラと捲し立てた。

「だ、だってそーだろ? 年頃の男女が、しかも許嫁同士で一つ屋根の下に住んでんだぜ?」
「と、年頃って、」
「しかも一度は祝言まで挙げかけてんだ。それで何もねーほうがおかしいとみんな思ってんじゃねーの?」
「そ、それは……、」
「だから、その、い、今さら周りにちょっとくれー誤解されたって変わんねーっつーか」


そーだよ。
たとえ、ホントはキスの一つもしたことがなくっても。
きっとみんなの頭の中では「そうは言ってもすることは済ませているんだろう」と下世話な想像だってされているに違いねえ。
にしても、することは済ませて、かぁ。……やめとこ。なんか虚しくなってきた。
あーあ。来週から夏休みだっつーのに、今年も色っぽいことの一つもないまま終わるんだろうな。
……別にいーけどさ。
修行の身だし、全然ほんとにどうでもいーんだけどよっ。



ただ。



最近のあかねは花が綻ぶようにかわいくなってきて。
ふとした瞬間に、おれの元からするりと居なくなっちまうんじゃねーか。
そんならしくねーことを思っちまっただけだ。

言葉にしようのない感情が、また一つの溜め息となって口から漏れる。
おれはちゃかちゃかと英語の教科書とノートを手で掻き集めると、いつものように誤魔化す作り笑いを顔に貼り付けた。


「と、とにかく、なんか噂されても、いつもみてーに誤魔化せばいいだろ?」
「……」
「ん、んじゃ、そーゆーことで、」
「……馬は?」
「え?」


なんだ?
いつになく小さな声でポツリ呟いた言葉に、おれは短く聞き返す。


「なに? なんか言ったか?」
「……、」
「なんだよ。言いたいことがあんなら言えよ」


まあ、おおかた バカとか最低とかそんなとこだろうけどな。
おれは自虐的にへらりと笑うと一歩あかねに近付き、俯いている顔に目をやった。
そして思わず心臓が跳ねるほどにドキリとする。
そこで目にしたのは、震えるほどに真剣な眼差しのあかねの表情……。


「あかね?」
「……」
「おい、どうし――」
「乱馬はっ、」



おれは?



「……乱馬は、そ、そうやって……」



なんだ?
よく聞こえねえ。



「おれがどーしたって?」


今度こそ、しっかりとしゃがんで下から覗き込む。その目の縁は、まるで泣いているように真っ赤に染まっていた。再び、胸の奥を鋭い一瞬の痛みがツキンと走る。
多分、おれの顔からはさっきまでの作り笑いも消えていた。どーしたんだよと目で訴えれば、どこか振り絞るようにあかねが言葉を続ける。


「……ワサ、だけで、」
「え?」
「乱馬はそれで、いいの……?」
「そ、それって、」



もしかしてだけど、今、“噂だけで”っつったのか?



“ 乱馬は噂だけでいいの? ”



それってなんだ?
つまり、えーっと…………








っ!!!!






そ、その、つまり、それは。
噂じゃないことにする……ことも選択肢に含まれるって。

そういうことか?








「あ、あかね、あの、」
「……っ」


……間違いねえ。
この顔。この切羽詰まった表情。

いくら恋愛経験の乏しいおれだってわかる。
これはあかねが精一杯の勇気を振り絞っている時のものだ。それを目にした途端、いよいよ口から心臓が飛び出てくるんじゃねーかと思うほどに鼓動がバクバク暴れ始める。







「あ、あかね……」
「…っ、」


ボートネック越しの薄い両肩を掴む。
瞬間、びくりと跳ねるあかねの身体。

おれは今すぐにでも抱きしめたい衝動を何とか堪えると、しっかりと視線を合わせたまま尋ねてみた。


「じゃ、じゃあ あかね。お、おめーは、ど、どうなんだよ?」
「あ、あたし?」
「おう。おめーは、その、う、う、噂だけ、じゃ、その、……」
「……、」


あーもうまどろっこしいな。
こーいう時、一体なんつったらいいんだよ。


「だ、だから、その、う、噂で――」
「…………………嫌よ」




ゆっくりと。


震えるほどに黒く潤んだ瞳で、あかねがおれの目を射貫く。






「このまま、ずっと噂だけの関係なんて……」
「あ……、」
「………………あたしは……、嫌…」
「あかね……」








……嘘だろ。






人生って。



青春って、こんな一瞬で変わっちまうもんなのかよ。






今、おれの目に映る景色全てがキラキラと輝いて見える。
多分、それはあかねも同じなんだろう。
掴んだ肩をグッと自分のほうに引き寄せれば、呆気ないほど何の抵抗もなくおれの胸にもたれ掛かる柔らかな身体。





「あ、あの、えっと、その……」
「……」
「お、おれ、も……」



あ―クソっ、かっこわりーな。
こんな時なのに声がザラザラに掠れて上手く喋れねえ。



それでも。


今、伝えたい気持ちはこれだけだ。



「お、おれも、噂じゃなくって、」
「……、」
「……そろそろ、ホントに……」
「……」
「………………してえ」








言っちまった。




言っちまった。

とうとう言っちまった。




っつーか、気付けば喉がカラカラだ。
はっきり言って尋常じゃねえ喉の渇きを覚えながら、さっきあかねが用意したと言ってた桃のジュースにちらりと目をやる。

おそらくあかねも相当喉が渇いているんだろう。
同じく視線と視線の先が合い、それに手を伸ばしたあかねがペキリと蓋を回してこちらに寄越した。




「ど、どうぞ……。先、飲んで?」
「お、おう、さんきゅー」


言われるまま、ゴクリゴクリと喉を潤す。
とっくにぬるくなっちまったジュースはやけに甘ったるく感じた気もするが、それでも喉が潤うだけでありがたかった。そのまま「ん」とボトルを突き出せば、少し迷ったような仕草の後に軽く唇を付け、あかねも口を付ける。



(あ、そっか。こ、これって、関節……ってやつだよな)


しまった。こんなことなら先にあかねに飲んでもらえば良かったと後悔し、いや、どちらにせよ そこにもう直接触れてもいいんだと思うと言いようのない興奮が身体中を駆け巡る。



(つーか、さ、さっきのあかねの台詞……)




“ ずっと噂だけの関係なんて……あたしは嫌…… ”



(お、落ち着け、おれ!)


はっきり言って余裕なんかこれっぽっちもない。
まるで体中がドラムにでもなっちまったみてーにドックンドックン脈打ってる。
きっとあれだ。あの時、咄嗟に書き込んだおれの言葉。あれはもしかしたら、二人の夢を叶える魔法のノートだったのかもしんねえ。




「乱馬……?」


あー、だから!
こんな時にそんな目で見つめてくんなよっ!
そんな顔されて 正気でいられるなんて、


おれには もう、




無理だ……。









「あかね……」
「乱馬……」



二人の距離が少しずつ近付いて。
髪の毛と髪の毛が触れ合うほどに近付いて。





そっとあかねが瞼を伏せたのを合図に おれはあかねの身体を横抱きにし、そのままベッドにドサリと下ろす。そして足の間に挟むようにして上から見下ろすと、その華奢な身体に一気に覆いかぶさった。


「そ、それじゃ、いいかな?」
「って…、ちょっと、あの、」
「あかね……っ」
「……ぃ…っ!!」









「いや――――――――っ!!!!」











次の瞬間、気が付くとおれは部屋の反対側まで投げ飛ばされていた。
壁に頭がめり込んでいる状況以外、正直わけがわからねえ。


「いってーな!! 何すんだよっ!?」
「な、何すんのはこっちの台詞よ、バカっ!」
「バカとはなんだバカっ!」
「だ、だって、こんな急に、」
「急にって、だっておめーが噂をホントにしたいって、」
「ち、違うっ! 微妙に違うっ!」
「なにがちげ-んだよ! おれと手合わせしたいっておめーが言うから、」
「バカっ!て、手合わせって何の手合わせよ、もうっ!!そうじゃなくって、そ、その前に順序ってもんがあるでしょ!?」



はあ、はあ、と別の意味で呼吸を乱し、お互い間合いを取って向かい合う。
だって……手合わせをホントにしたいって、だって……
……………

………………………………おや?



「あ、あれ? っつーか確認だけど、手合わせってその、アレだろ?そ、そーいう意味じゃねえのかよ?」
「ら、乱馬の言う“そういう意味”がよくわかんないけど、あたしはその、」
「その?」
「……っ」
「その、な、なんだよっ」



だーっ!! こ、これ、恥ずかし過ぎんだろ!?
っつーか、こんなとこまで来てもう恥も外聞もあるもんかっ。

決まり悪くちらりとあかねの表情を伺えば、いつの間にかクッションを胸に抱え、真っ赤な顔をしてもごもごと口籠る。



「だ、だから、その、あたしは……」
「……」
「そ、そういう……関係になる前に、も、もっとちゃんと、…お、お付き合いしたい……っていうか、」
「…っ!」




それって。


えっと。





「じゃ、じゃあ、その、」
「……」
「あ、あかね、は、」
「な、なに……」
「お、おれと、その……、」
「……」
「……っ」
「……」
「……だ、だからっ、」



だ――っ! まどろっこしいっ!!
おれはあかねの英語のノートの前にずかずか進むと、その空いたスペースにきたねえ字で殴り書いた。



“ 夏休み、どっか行くか? ”




「こ、これならどうだっ!?」


それを両手で持ち、にゅっとあかねの顔の前に突きつける。
一瞬の間。
すると今度はあかねがシャーペンを手に取り、その下に書き込んだ。



“ 二人で? “




“ いやなのかよ ”




“ 嫌なんて言ってないでしょ ”





二人の間で忙しなく行き来するノートがバサバサと音を立てる。
だけどそれが繰り返される度、あかねの顔には笑顔が広がって。


唇を噛みしめながら、ツンと指差すのは、

“ いいよ ”

の言葉だ。




……。


ちょっと調子に乗ったおれは、放課後書き変えた“手合わせ”の文字を指差し、そこから矢印を引っ張って聞いてみる。




“ じゃあ これは? ”



今度こそ、あかねが耳まで真っ赤に染めて固まった。
さーて。こっからどう答えるのか、見ものだぜ。

すると暫く考える素振りを見せた後、あかねが自分の唇に手を添えながら、何やら書き込んだ。
そこに書かれていたのは、





“ ……考えとく ”


小さな小さな、かわいい四文字。




おれはいよいよ照れくささに堪えられなくなり、今度は筆談ではなく直接声に出す。


「へー。お、おれはいつもあかねが手合わせしようっつーから たまにはリクエストに応えようと思っただけだけど」
「な……っ!」
「考えとく、かぁ。何を想像したのかなー、あかねさんは」
「あ、あ、あんたって人は~~っ!!」



再び床にめり込むおれの顔。はっきり言って今度ばかりはシャレになんねーくれえ滅茶苦茶痛かった。
潰れたカエルよろしく暫しピクピク痙攣し、ようやくノロノロと顔を整えると、おれはいつものように軽い調子で取り繕う。


「じょ、冗談じゃねーか、な?」
「冗談でもタチが悪いわよっ!!」
「ごめん、すみません。おれが悪かったです!」
「知らないっ!もう本当にあんたなんて知らないっ!!」
「あかね」
「おーい、あかね。あかねさん」
「……、」


……しまった。いよいよ本気で怒らせちまったらしい。
あかねの顔は、羞恥で今にも泣き出しそうになっている。

なんだよ、せっかくさっきまでいい雰囲気だったのに。っつーかこんなの、壮大な勘違いをしたおれの ほんの可愛い照れ隠しじゃねえか。
とはいえ、あかねにしてみたら怒り心頭、恥ずかしさは天井知らずというところらしい。
あーあ。何もそんな怒らなくったっていいのによ。




だけど。


……そうだよな。嫌と拒絶された当てつけにちょっと仕返しするだけの軽い気持ちだったが、確かに茶化していい話題ではなかったかもしんねえ。

「……」

今更な罪悪感に、いつになく真剣に頭を下げるおれ。


「あかね、ごめん」
「……」
「ごめんって」
「…………知らないっ!」
「からかって悪かった。な、どーやったら機嫌が直る?」
「……」
「あかねー」


あー、かっこわりぃ。
これじゃあ、てんで尻に敷かれてるみてーだ。

いつものおれだったら またつまんねー意地を張り、投げ出してしまうところだっただろう。
だけど今日は。今日だけは、そうしちゃいけねえような気がする。


「あかね」
「……」


さっきよりも気持ちを込めて呼び慣れた名前を口にする。
と、再び英語のノートを手にしたあかねが、おれの顔を見ずに ある場所を指差した。



“ 夏休み、どっか行くか? ”



「……さっきのこれは、本当?」


その声が震えているような気がするのは、はたして自惚れだろうか。




「嘘じゃねーよ」


おれはあかねに近付くと、ノートのその下にある箇所を指差す。
そこに書かれているのは、

“ いやなのかよ ”

という、おれの不器用な照れ隠し。
すると少しだけ表情を緩めたあかねが、更にその下を指で差した。



“ 嫌なんて言ってないでしょ ”



どちらともなくフッと笑みが零れる。
なんつーか、こんなまどろっこしいのがいかにもおれ達で。
この英語のノートは、やっぱり夢を叶える魔法のノートに違いねえ。

あーあと呆れたように背中を反らしたあかねが、ようやく口を開いた。


「あんたって本当にデリカシーがないわよね」
「わ、悪かったって」
「あらめずらしい。そんな素直に謝っちゃって」
「だ、だからっ、わりーと思ってさっきから謝ってんだろーがっ!」
「はいはい」
「あ、あの、」
「なによ」
「まだ怒ってんのかよ。その、」
「……もういいわよ」
「ホ、ホントに?」
「あたしもさっき、乱馬のこと力一杯投げ飛ばしちゃったしね」
「そ、そーだぞっ!あれ、本気で痛かったんだからなっ!?」
「だったら投げ飛ばされるようなこと、言わなきゃいいでしょうが」
「それが出来たら苦労はしねーっつーの!」
「そんな威張ることないじゃない」

あ……、おれの顔見て笑った。
そんだけで、ほわりと胸のつかえが溶けていく。
おれ、いつからこんな単純になったんだっけ。思わずじりりとあかねに近付けば、あかねも身体をこちらに向け、ちょこんと姿勢を正した。なんだか、お見合いみてーだな。


「あ、あの……、」
「……楽しみだなぁ、来週からの夏休み」
「なんで」
「だって……」

まだ怒っているとでもいうように少しだけ唇を尖らせながら、それでも期待の色を浮かべてあかねがおれの顔を見上げてくる。

「夏休み、一緒にお出掛けするんでしょ?」
「あかねがどーしてもっつーからな」
「ちょっと!」
「冗談だよ」
「さっきから冗談ばっかり」
「うるせー」

あほ。冗談にでもしねーと、これ以上我慢なんて出来そうにねーんだ。
こんなこと、ぜってーあかねには言えねーけど。

「ねえ、乱馬はどこ行きたい?」
「別にどこでもいーけど……あ、でも海とプールは勘弁な」
「なんで?」
「なんでって、相変わらずニブい女だな。水に濡れたら女になっちまうだろうがっ」
「女になったらナンパでご馳走にありつけるからいいじゃない」
「おー、そりゃ名案だ……っておい!」
「冗談よ冗談」
「冗談になってねーよ」
「なによ、あんたの真似しただけでしょ」


怒ってんのに笑ってて。
ピンと額を指で弾けば大袈裟に痛がるフリすら、悔しいくらいにやっぱりかわいい。


「そうだ。その時に約束したアイスも奢ってもらおうっと」
「おめー、よく覚えてんなぁ」
「あ、言っときますけどコンビニのアイスじゃなくてサーティーワンだからね」
「はあっ!?」
「あたし、ダブルにしようっと」
「んな冷てーもんばっか食ったらまた腹壊すぞ」
「またって何よ、またって。お腹なんか壊しません」
「……ったく食い意地の張ったやつ」
「何か言った?」
「なんでも」
「せっかく一口くらいあげようと思ったのに」
「って一口だけかよ」


なんだよクソ。
これじゃあ、まるでデートの約束に浮かれてるみてーじゃねえか。
そんなおれの気持ちを先回りするように、あかねがポフンとクッションに顔を埋めて もごもご続けた。


「いいじゃない、そのくらい。あ、あたしなんか、もっとすごい噂されちゃうかもしれないのに」
「あ……」


途端にカアッと顔が熱くなる。
噂って、きっとあれのことだよな、
夜にあかねの部屋で手合わせ。すなわち、許嫁による二人の秘め事 ――。



だけどあかね、言ったよな。
噂だけじゃ、嫌だって。



「まあまあ。人の噂も四十九日っつーだろ」
「バカね。それを言うなら七十五日でしょうが」
「どっちも似たようなもんじゃねーか」
「全然違うわよ、バカ」


大体さ。



夏休みが終わる頃には、その噂もあながち嘘じゃなくなってるかもしんねーんだぜ?






思わず男の本音が顔を覗かせる。
まあいい。何はともあれ、一歩ずつ。

おれは先程あかねが口を付けたジュースのボトルを手に取ると、喉を鳴らして流し込んだ。
桃の中に感じる、あかねとの間接キスの甘さ。






(やっぱ、まずはキスからだよなぁ)




不意に開きっぱなしになったノートが視界に入る。
その余白に目をやると、おれは再びシャーペンの頭を親指の腹でノックした。







< END >





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comment (4) @ 高校生編 短編(日常)

   
今日からの投稿(言の葉の力)について | 溶けるホワイトは熱を孕む (※) 

comment

かわいいですv : 焚き火 @-
お話楽しく拝読しました。
そりゃ毎日中心ですよっ///て思っちゃいました。
ラストの作品とっても素敵でしたv淡い色合い、そしてきゅっとつむってるとことか〜〜!!ひとこととともに、胸キュンです。
2017/07/19 Wed 21:46:38 URL
Re: かわいいですv : koh @-
焚き火さん

おはようございます。
なんだかんだで、この二人はいつも台風の目のように噂の中心にいるんだろうなぁって思います。
最初はただヤキモチを妬く→ちょいと仕掛けをしてあかねちゃんに怒られる3000文字くらいのSSを目指していたのに、軽く5倍(拍手を入れると6倍強)になってしまって相変わらずな私です(^^;。
一歩前進。
じゃあ、その次は……?
夏休み、乱馬くん頑張れ~です♡
2017/07/20 Thu 08:36:17 URL
kohさんおはようございます😃 : ようこ @-
朝から胸キュンです(*´艸`)キャ
魔法のノートいいですね😊言葉で言えないなら書いて伝えるなんて😍おまけの絵が初々しさが伝わって来そうで微笑ましい☺️

夜の手合わせ夏休み中には叶うのかな?
|電柱|ョД`*)モジモジ・・

2017/07/20 Thu 10:06:54 URL
Re: kohさんおはようございます😃 : koh @-
ようこさん

こんばんは☆
高校生編、ながーーーーいっ!!(苦笑)
おかしい……もっとサクサクとSSのはずが、乱馬がモダモダしているばかりにこんなことに…。
でもあれです。夏はモダモダ→くっつくまでの二人が無性に書きたくなります。
出来れば途中で何度もお邪魔虫が入ればいいなぁ。←鬼
さて、どうしましょう……笑。
2017/07/22 Sat 23:21:11 URL

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