早乙女先輩の恋愛事情(前編) 

2017/09/27
こちらは社会人編であり、めずらしく第三者視点です。※ R-15程度
続くつもりはなかったお話ですが、なぜかシリーズ物に。
(一部 女性軽視とも取れる表現があり、ご気分を害された方がいたら申し訳ありません)

ちなみに作中で出てくる、乱馬の試合と格闘の世界に関してのあかねちゃんの考えはオムニバス・テレビ編の【反則】にある通りになります。
拍手に後日談と、ささやかなプレゼントのお知らせがありますので宜しければ……。



【 早乙女先輩の恋愛事情 】



 チャンスだ、と思った。
 俺は忘れ物をした振りをしながら、さり気なく目的の人物と、それを取り囲む集団とのやり取りに全神経を注ぐ。いつもならばキツい練習を終えた後のロッカールームは汗と男の匂いで窒息しそうな程なのだが、今日は違った。年に数回行われるチャリティーショーの場当たりで訪れたこの会場は隣に温泉施設も完備され、更衣室だって普段のロッカールームの優に倍は清潔に保たれている。そこで早々にシャワーを終えた先輩方が恒例のようにキャバクラへの号令を掛け、例に洩れずあの人もしつこく誘われているといったわけだ。
 おそらく彼のことだ。間違っても周りの誘いに乗ることなどないだろう。とはいえ、あの人だって若く健全な男なわけで。余りにもその手の誘いに乗ってこないことから一部ではゲイ説が流れたこともあったが、それが本人の耳に入った時のあの何とも言えない表情と、その後に腹を抱えて爆笑し出したことからそれもおそらく違う気がする。人当たりがよく一見誰とでも分け隔てなく話しているようで、実は何を考えているのか手の内を見せない秘密主義。余計なことを言わないと言えばそれまでだが、何か大事なことを隠しているようにどこか謎めいた存在の彼は、本人が好もうと好まざると常に話題の中心にあるのが当然のようだった。
 とりわけ、その見た目の良さから老若男女問わず世の女性のハートを鷲掴みにしたのは勿論のこと、それは何も異性だけに留まらない。現にこのジムだって彼目当てによる入会の申し込みは後を絶たなかったし、ひとたび彼が技を繰り出せば皆が自分の練習の手を止めて見惚れてしまうなんてことも決して珍しくはなかった。
 その彼と二人きりで話を出来るかもしれないなんて、こんなチャンスは滅多にないだろう。
 俺は端から二番目のロッカーの扉を開けっ放しにしたまま、彼らの話が終わるまで注意深く耳をそばだてる。そしてその答えが予想通りだったことを知るや否や、俺は着替えとバスタオルを持って一足先に浴場へ行ってその人物がやって来るのを今か今かと待っていた。
 
 
 それから五分も経っていないだろう。
 ガランと広い洗い場で一人身体を泡で包んでいる俺の姿を見つけた彼が、意外そうな顔をしながら気さくに声を掛けて来た。
 
「お疲れ」
「あ、お、お疲れ様っす」
「おめーは店、行かねーのか?」
「じ、自分、あんまりああいう場所が好きじゃないんで……」
「お、奇遇だな」
 
 そう言うと俺のすぐ隣の風呂椅子に腰を掛け、シャワーの温度を手でじっと確かめる。そしてしっかりとお湯に変わったことを確認するとおもむろに頭からそれを被った。どうやら、この先輩は冷たい水が苦手らしい。以前、他の先輩がふざけて真水のシャワーを掛けた際には脅かすんじゃねえと本気でキレてたっけ。俺、この人が本気で焦った姿を見たのって後にも先にもその時しかないような気もする。
 
「早乙女先輩って慎重っすね」
「あ?」
「ほら、前に他の先輩がふざけて早乙女先輩に水をぶっ掛けたことがあったじゃないっすか。あん時、先輩マジ切れして──」
「ああ、あん時なぁ」

 あ、まずい。もしかして余計な事言っちゃったかな。
 しかし早乙女先輩は苦笑いしながら、「まあ、あん時は俺も大人気なかったけどよ」なんて言いつつ、昔の習性って恐ろしいぜとか何やらブツブツ呟いている。
 それにしても……。
 こうしてみると、本当に良い体してるよなぁ。決してゴツいわけじゃないけど無駄な肉なんてこれっぽっちもなくて、まるでしなやかな筋肉を全身に纏ってるみたいだ。その上、少し童顔にも思える整った甘いマスクからは艶やかな黒髪が水に濡れた美しいカラスの羽根のように肩の下まで伸びている。っていうか、もしもこの髪を下ろした上半身の姿を写真に収めて売り出したら一枚一万円でも飛ぶように売れるに違いない。ずるいよなぁ、同じ格闘家なのになんでこんなにも違うのか。……と、そんな俺の視線に気付いたのか、「なんだよ」と返してくるのはこの色気ダダ漏れの先輩だ。

「あ、いや、その、早乙女先輩って格闘家のわりにはあんまり傷がないっすよね」
「あー、まあそーかもな」

 俺の場合、ウェイトがそこまでねーからもらう寸前で避けてそのパワーを反動にすんだけど……って先輩、簡単に言いますけどそれが出来れば誰も苦労はしないんですってば。

「ははっ」
「なんだよ」
「先輩ってほんと独特っすよね」
「そーかぁ?」
「だって何聞いても説明が直感的過ぎてさっぱりっすもん」
「おい。それは遠回しにダメ出ししてんのかよ」
「全然。寧ろ天才って褒めてます」
「ほー」

 ほら、こういうところ。普通だったらそんなことないと謙遜の一つでもするところ、「まーな。俺が天才っつーのには間違いねーな」なんてニカッと笑う姿がまた嫌味にならないんだから、ある意味天才っすよ、先輩。
 そしてそんな雲の上の存在のような天才と一緒に身体を洗い終えた俺は今、サウナで隣同士に腰掛けながら、壁に取り付けられた時計兼湿度計に目をやっていた。
 
「自分、ここのサウナが熱過ぎなくって好きなんっす」
「あー、確かに」

 互いに腰にバスタオル一枚巻いただけの状態で、どかりと足を開いてゴキゴキ肩の骨を鳴らす。目にかかる前髪ごと両手で後ろにかき上げ、雑に後ろで一つに結い上げた髪の毛がこれまた妙な色気を醸し出しているように感じるのはこのオレンジ色の視界のせいだろうか。
 さあ、それにしても何を話そう。
 この道を本気で目指した時から ただひたすらに憧れて来た人だ。だからこうしていつか二人で話をしてみたい。ずっとそう思ってチャンスを伺ってきたはずなのに、いざその場になると気の利いた台詞の一つも出てこないなんて、これはマジで緊張しているらしい。その沈黙をやり過ごすために三度目の「疲れが取れますね」を言ったら「おめーはどこのじいさんだよ」と笑われた。
 
「おめーさ、あーいうの興味ねーの?」

 真っ直ぐ壁の正面を向いたまま、不意に早乙女先輩が訊いてくる。

「ああいうのって?」
「さっきの。女の子がいる店とかそーゆーサービスとか」
「い、いや、自分は、」

 ……正直、興味がないわけじゃない。というか、本当は興味津々だ。だけど一度だけジムの先輩に連れて行ってもらった時、それはそれは悲惨なもので。煌びやかな女の子とゴテゴテした装飾に囲まれる空間で盛り上がるような楽しい話術の一つもお披露目出来ないどころか、ひたすらに先輩を立てて気を遣うだけの苦痛な時間。そのくせ場を持たすために浴びるように酒を食らい、気が付いた時には寮の前で一人放置の刑に処されていた。まあ、寮まで連れて帰ってもらえただけでも有り難いのだろう。が、他のメンバーはその後にもっと大人な世界へ繰り出して行ったと知ると、なんともほろ苦い情けなさだけが胸に残る。
 黙ってしまった俺を早乙女先輩がどう思ったのかは分からない。もしかしたら慰めようとしたのかもしれないし、もしかしたら何も考えていないのかもしれない。いや、きっと何も考えていないのだろう。それ以上特に俺の事を聞いてくるわけでもなく、ただの独り言のようにボソリと零す。

「あんな知らねー女達とくっちゃべったり関係持って何が楽しーんだろうな」
「……へえ」

 意外……なような、そうでないような。どうやら、この様子だと早乙女先輩にソッチ系の斡旋を掛ける営業は即出入り禁止の噂も、あながち嘘ではないらしい。
 確かになぁ。早乙女先輩といったら、今や押しも押されもせぬ格闘界きっての大スターだ。その実力は勿論、年齢、見た目、そして謎に包まれた過去。一風変わったおさげですら何かの意味を持つのではないかとファンの憶測が止まない中で、最近ではメディアへの露出もぐんと増えた。闘うことだけを純粋に望んでいる本人としては些か不本意なようだが、これも格闘の世界を広く認知してもらうためには致し方のない大事なことで。そこで共演するアイドルや女優の目が本気でハートマークになっているところを見ると、わざわざ金を払ってまで一般レベルの水商売に行く必要もないくらい、女性に不自由はしていないのだろう。

「いいっすねー、早乙女先輩は」
「あん?」
「自分もそんな余裕発言、してみたいっす」
「なんだよ、その余裕発言って」
「いや、だからわざわざプロの店に行かなくても、そういう相手には困らないってやつっす」
「はあっ!?」

 あれ? なにかおかしなことを言っただろうか。
 早乙女先輩といったら額に手を当て、大袈裟なくらいに特大の溜め息をつくと忌々し気にジロリとこちらに視線を投げてくる。

「あのなー。おめーん中で俺のイメージどうなってんだよ」
「どうと言うと?」
「言っとくけどなあ、俺は本気で好きになった奴とじゃねーとそーゆーことはしたくねーのっ」
「本気で好きって……」

 ……嘘だろ? 今時、こんな中学生みたいなことを真顔で言う大人がいるのかよ。しかも普通の大人じゃない。あの、早乙女乱馬だぞ? それこそ早乙女先輩がその気になれば(その気にならなくても)女性には一生困らないような環境に身を置いているくせに、なんだこの好感度爆上げな発言は。もしかしてあれか? どっかに隠しカメラとかがあって、やらせのドッキリでも撮影しているのか?
 思わず壁の四方をキョロキョロ見渡せば、「さっきからなんなんだよ、おめーは」と呆れたような顔をしている。

「んな変なこと言ってるか?」
「え?」
「さっきもバカにされたんだよな、世間知らずなだけだって」

 拗ねたように唇を尖らせガシガシと頭を掻きむしる弾みで先輩の腕から汗が流れ落ち、それが木の床の上に落ちてペキンと乾いた音が響いた。
 ……この人って……。

「先輩。一つ確認したいんすけど」
「あん?」
「先輩ってまさか、チェリーボーイじゃないっすよね?」
「なっ――!」

 おおーい。まさかそんな動揺することないじゃないか。
 ゴホゴホと激しく咳込む先輩の背中を摩ろうとするも素肌同士でそれも躊躇われ、仕方なく手に持っていた身体を洗う用のタオルでパタパタと扇いで風を送れば、まだ喉の下をドンドンと叩きながら先輩が睨み付けてくる。

「お、おめー、急に変なこと言うんじゃねーよっ!」
「いや、まさかそんな動揺するなんて思ってなくて」
「動揺なんかしとらんわっ」

 いやいや、思い切り動揺してますってば。いつもリング上で見せる余裕満々な表情はどこへやら、わかり易いくらいに取り乱したその様子は実際の年齢よりもずっと幼く見えて、なんだか不思議な感覚だ。
 ちょっと緊張の解れた俺は尚も畳み掛ける。

「で、本当のところどうなんですか?」
「あ?」
「まさか童貞じゃないっすよね」
「あっ、あっ、あたりめーだろうがっ!」

 そっか。そうだよな。あれだけ綺麗な女性に囲まれてきたんだ。流石に未経験ってことはないだろう。
 そして俺は更に調子に乗ってみる。

「ちなみに経験ってどれくらいっすか?」
「はぁっ!?」
「いや、参考までに」
「参考までって、おめーなぁ」
「三桁いってるとか?」
「ん、んなわけねーだろっ!」

 あ、おもしろいこと発見。早乙女先輩って極端にポーカーフェイスが苦手なんだな。
 そのくせ、聞かれたことにはついムキになって答えてしまうらしい。っていうか、そもそも格闘なんて男だらけの世界で。いわゆる女性との関係の数を武勇伝のように競う輩も少なくない中、早乙女先輩くらいになればそれが三桁というのも決して盛ったつもりではなかった。

「じゃあ……五十人」
「あほっ!」
「三十人」
「ふざけんなっ!」

 すごい。こうも律儀に答えが返ってくると楽しくなってきてしまうのも無理はなく。

「え……じゃあまさか、両手の指の数で足りるとか?」
「……なんでそこで“まさか”なんだよ」
「えっと……流石に片手で足りるなんてことはないっすよね?」

 まさかな、まさか。だって二十三だぞ。仮に高校生の頃から彼女がいたとしても、八年だ。その間に別れもあれば新しい出会いだってやって来るだろう。
 にも拘らず、「うるせーなぁ、俺のことはどーでもいいだろ!?」なんて、どうやらこの人は本当に嘘が苦手なようで。そして俺は、自分が思っていた以上に怖いもの知らずの好奇心旺盛だったらしい。

「あ、じゃあリアルのリアルで三人!」
「なんでい、そのリアルのリアルって」
「マジでっていう意味っすよ」
「へっ。くだらね」
「で、三人」
「……知らねー」
「あ、じゃあやっぱ三人なん「三人もいねーよっ!」

 って おいおい、嘘だろ!?
 なんなんだよ、この早乙女先輩って。もしかして、もしかすると本当に、今時珍しい超天然記念物なんじゃなかろうか。
 赤く染まった先輩の顔は、明らかにサウナのせいだけではないだろう。
 そしてここまで踏み込んだんだ。おれは勇気を出して最後のまさかを投げ掛ける。

「あの……早乙女先輩」
「……」
「聞こえてます? あの、」
「……んだよ」
「まさかとは思いますけど、先輩って、その」
「……」
「経験一人……ってわけじゃ、ないっすよね?」
「……」
 
 ……………………マジかよ。
 えーっと、先ずはここまでのことを整理する。
 早乙女先輩と言えば今や格闘界とかそういった垣根を飛び越えての大スターで、俺はそんな早乙女先輩に憧れている。でもってひょんなことから早乙女先輩と二人きりで話をする念願のチャンスを手にし、更にひょんなことから女性経験の話になって分かったことは、みんなが思っている以上に先輩がポーカーフェイスと嘘を苦手としているってことと、それから、その……。
 嘘とポーカーフェイスを最も不得意としている早乙女先輩が、今まで関係を持った女性は一人という俺からの問い掛けに肯定も否定もせず、ただ面白くなさそうに壁の時計に目をやっている。

「…………早乙女先輩って」
「……あ?」

 やばい。怒らせたか?
 いや、だけど実は俺、感動したんだ。何に感動したのかと聞かれればどう答えていいのかわからないけれど、それでも今俺の中にある感情を一言で表したら“感動”。それに尽きるだろう。
 数を重ねることよりも、一人に対して想いを貫くことが男にとってどれほど難しいことか。
 それをつい最近思い知ったばかりの俺は素直に震えるくらい感動してしまっただなんて、もしかしたら自分で思っている以上に俺も純粋なのかもしれない。

「先輩って意外と可愛いとこあるんすね」
「ああっ!?」

 いや、だからそーやってムキになるとことか。乱暴な返事に似つかわしくないそんな赤い顔で凄まれても、正直俺は吹き出すのを我慢するので精いっぱいだ。そして先輩も分が悪いと判断したのだろう。それ以上突っ掛かってくることなく「もーいーだろっ!?」とあっさり切り上げるあたり、流石どんな時でも勝負の先を見据える力は持っているらしい。
 それにしても、早乙女先輩が選んだのはこの世でたった一人だけかぁ。一体どんな完璧レディなのか、興味が湧かないわけはない。
 じわじわと音もなくゆっくりと時間が過ぎていくサウナの個室で、このまま逃げるように席を立つのも気まずいのだろう。広さにして約三畳ほどの室内で、じりじりと汗腺を押し開くようなオレンジ色の熱が二人の渇いた肌を包み込む。

「どんな人なんすか?」
「え?」
「その彼女さん」
「べ、別に彼女ってわけじゃ、」
「じゃあ違うんすか」
「ち、違わねーけどっ!」

 なるほど。質問に対しては二度確認してあげないとダメなんだな。
 俺はだんだん早乙女先輩の取り扱い方が分かってきたようでかなり気分が良い。

「かわいいっすか?」
「かわいくねえ」

 おっと。そこでまさかの即答か。

「じゃあスタイル抜群とか」
「全然。ずん胴だし、凶暴だし」

 っていうか、凶暴ってスタイルに含まれないっすよ。すなわち、実は文句の付けどころがないってことだろう。

「いつからなんすか?」
「へ?」
「彼女さんと付き合って」
「だ、だから別にっ、つ、付き合ってとかじゃなくって」

 ああ、どうやら三十秒経つと話がリセットしてしまうらしい。これはなかなか手強いぞ。おまけにここはサウナの中で。いくら普通のサウナに比べたら加熱が緩やかとはいえ、ここで先輩のペースにグズグズ付き合っていたら二人とも倒れてしまう。かといって、あの早乙女先輩とまさかの恋バナなんて、おそらくこの機会を逃したら一生縁がないだろう。
 ……よしっ。ここは一気に直球勝負を掛けるとするか。

「その彼女さんとはどこで知り合ったんすか?」
「ど、どこって」
「いつ?」
「こ、高一だけど」
「出会い早いっすね」
「そう……そうなのか?」

 よしよし。前にテレビでやってたんだよな、相手が断る前に前置きなく質問を畳み掛けたほうがすんなり答えてくれ易いって。この戦略にバッチリ早乙女先輩はハマるらしい。
 ならば次は。

「やっぱあれっすか。彼女さんの方から押せ押せで告白されたんすか?」

 すると突然、それまで反射的に答えていた先輩が口籠る。そして分かり易く首をかしげて暫し悩んだかと思うと、意外なことを口にした。

「いや……そもそも俺、高一の時に一回失恋してんだよな」
「ええっ! 早乙女先輩がっすか?」
「おう」

 い、意外だ……。先輩でも思い通りにいかないこともあることも意外だったし、それをあっさりと認めることもまた意外だった。その時のことを思い出したのか、眉間に皺を寄せて苦虫を噛み潰したような表情も堪らない……って違うだろ。いや、でもホントにそのくらい、先輩の色気はヤバいんだって。
 そして今度こそ戦略でも何でもなく俺は前のめりになって理由を聞いてみると、つまりこういうことらしい。
 自分が相手への気持ちを自覚した時には、既に彼女さんは別に想っている人がいたまでだ、と。

「なんか……切ないっすね」
「おいこら。そこで真面目なトーンになるなよ。まるで俺が今失恋したみてーじゃねえか」

 だって……早乙女先輩っすよ? 俺の憧れであり、一生の目標でもある早乙女先輩がっすよ? たった一人の女の子に振り向いてもらえず夜な夜な枕を涙で濡らしていたかと思うと――

「おい。誰が夜な夜な涙で枕を濡らしたんだっつーの」

 すかさず後頭部に走る鈍い痛みでハッと我に帰る。もしかしたら俺も少々サウナの熱にやられてしまっているのかもしれない。
 するとそれまで気難しい顔をしていた早乙女先輩が急に笑い出し、「ま、おめーは他の奴に喋んなさそうだからいっか」と手に持ったタオルの水分をきつく絞った。
 
「最初に言っとくけど、おめーが期待するようなドラマチックな展開なんて一切ねーぞ」
「そうなんすか?」
「おう。ただ親同士が勝手に決めた許婚ってだけで、ある日突然一緒に住むことになってよ」

 え。いや、それって充分ドラマチックなんすけど。

「そんでなんか将来 道場継げとかどうとか、そんなの知らねーっつーの」

 まあ、確かに十五、六歳で急に未来の話をされても戸惑うのは尤もだろう。

「会ったその日からえれえ凶暴だし、俺なんか卓袱台の天板で脳天直撃されたからな」
「な、なかなかワイルドな彼女っすね……」
「だろ? その直後は流石に気ぃ失ったもんな」

 ったく、ちょっと風呂で裸見せ合っただけじゃねーかだなんて、ちょっと待って下さい。もはやどこからどうツッコんでいいのかわからない程、俺は立ち入ってはならないカオスに足を踏み込んでしまったのかもしれません。

「でまあ、色々あって俺が原因であいつの長い髪の毛切っちまってよ」
「ええっ!? か、髪は女の命って言うじゃないっすか!」
「そーなんだよなー。ケガはねえけど毛がなくなったって、あん時は焦ったぜ」

 いえ、そういう問題じゃないような……。

「でもよー、あいつは絶対みじけえ方が似合うから、まあ結果オーライだな」
「そ、そういうもんスか?」
「おう。現にあいつ、今でも髪伸ばさねーもん」

 なるほどなぁ。取りあえず早乙女先輩の彼女さんは少々血の気が荒く、髪の毛が短いってことだけはわかった。

「で?」
「あん?」
「他、どんなとこが好きなんすか?」
「バ……っ! す、す、好きとか、別にそんなんじゃ──」
「すげえかわいいとか?」

 すみません、先輩。そこでいちいち止まってると二人とものぼせちまうんで強引に先に進みます。

「だからさっきも言っただろ。全然かわいくねえ」
「じゃあ家庭的」
「それも全然」
「あ、じゃあ料理が上手いとか」
「はあ~っ!? お、おめーなぁ、一度あいつの飯を食ってみて……いや、あかねの被害者になるのはおれ一人で充分か。と、とにかくっ、あいつの飯が上手いとかエイプリルフールでも言えねえ冗談だぜ」
「そんなに“あかねさん”の料理ってヤバいんスか?」
「えっ!? お、おめー、なんであいつの名前知ってんだよっ!?」
「先輩が今、口走ってました」

 ちょっと待って。なんだこの先輩、はっきり言ってメチャクチャ可愛過ぎなんスけど。
 自分で言っておきながら照れくさそうに頭を掻きむしって、そのダダ漏れな色気と中学生レベルの会話のバランスが全然釣り合ってないことに本人は気が付いていないんだろうか。
 しかも厄介なことに先輩が照れれば照れるほど、それが俺に伝染(うつ)ってくるオマケ付きで。なにはともあれ、体育会系というのは先輩の言うことが絶対の正義であり、俺は躊躇うことなく先輩に同調してみせる。

「にしてもそんな飯マズなのはちょっとキツいっすよね」
「……あ?」

 って、おや? 俺の記憶が確かなら、確かここはサウナの個室で、二人とものぼせ上がる寸前で。なのになぜだろう。今、俺はブリザードに吹かれた如く冷たい瞳の視線に晒されている。

「誰の彼女が飯マズだって?」
「え……だ、だって先輩が今、」
「あのなー、あいつは俺の健康を思って一生懸命なんだよっ! ただ、そこにちょっと隠し味が効き過ぎちまう時があるだけで、それだってだいぶ回数は減って今では食えるもんも増えてきたし何よりあいつも忙しーのに俺の為にエプロンとか着けて台所に立って、普段はかわいくねーことばっか言うくせに全部食ってやったらその後たまにベッドですげーかわいーこととか言って」
「わ、わかりましたっ! すみませんっ、全て俺が悪かったです!」

 慌てて被せるように先輩の言葉を遮る。
 危ない危ない。どうやら先輩にとって彼女さんは、自分がダメ出しすることは許しても他人からダメ出しされることは死んでも許せないことらしい。っていうか、どさくさに紛れてさらりとベッドでどうのこうのとか言ってたけど、きっと先輩はそれもわかってないんだろうな。つまり、そのくらい彼女さんの話になると我を忘れてしまうってことか。その大事なポイントを早々に理解した俺はなんとか命拾いし、速やかに話の方向を軌道修正する。

「そ、それにしてもアレっすね」
「あ?」

 ……ヤバい。まだ少々おかんむりらしい。ここは一つ慎重に行かなければ、明日俺のジムのロッカーがなくなっているかもしれない。もはや、俺の今後の選手生命はこれからの舵取りに全てが懸かっていると言っても過言ではないだろう。
 えーっと、えーっと。

「かっ、彼女さんっ!」
「……まだ何かあんのかよ」
「ぜ、全然試合とか見に来ないんですね。あ、わかった! わざわざ来なくても先輩が勝つってわかってるから――」
「バーカ。そんなんじゃねえよ」

 あれ? も、もしかして舵取りを誤ったか?
 先輩が壁のほうを向きながら、ふう……と腹の底から息を吐く。そして片手で濡れた髪の毛をかき上げると、また意外なことを口にした。

「あいつは自分のことより周りのことを考え過ぎてんだよな」
「え?」
「俺やこの業界にとって何が一番いいのか、常にんなことばっか考えちゃー我慢ばっかしやがって」

 それって…………。

「もっと我儘になればいいのによ。そーゆーとこがいかにもあいつらしいっつーか」

 …………詳しいことはわからないけれど。
 きっと彼女さんには彼女さんの、先輩には先輩の言い分があって。交わらない思いもある中で、それを互いに尊重し合ってる。
 そんな気がした。
 
「……強いっすね、彼女さん」
「だろ?」

 ほら。そうやって嬉しそうに返事しちゃうとことか、はっきり言って先輩 顔が惚気てますよ?

「でも、その……」
「なんだよ」
「格闘って何があるか分かんない世界じゃないっすか。試合結果だけじゃなくってその、命とか」
「まーな」

 まーなって。実際、そんな簡単に流せるものじゃない。俺が格闘の道に進む時、父ちゃんは勘当すると言い放ったし、母ちゃんはその場に泣き崩れた。それまでよく遊んでいた連中は有名になったらサインくれと半分茶化すか、それともどうせ夢半ばで帰ってくるだろうと冷めた目で見る奴らだって少なくなかったし、当時付き合っていた彼女とはそれが原因で次第に口喧嘩が絶えなくなり、そして…………一年前、別れた。

「……怖くないんすか?」
「なにが?」
「……勝負の行方とか。その…………怪我して心配掛けちゃわないかとか」

 負けという言葉を使わないのは格闘家としてのプライドだ。それでも怪我をすることを心配している時点で、もしかしたら俺は格闘家失格なのかもしれない。
 
 汗だろうか。それとも髪の毛から伝って落ちた雫だろうか。透明な水滴が床に落ち、音もなく消えていく。耳の奥でジーっとヒーターで熱する音が聞こえるような沈黙の後、ゆっくりと先輩が口を開いた。
 
「……おめー、大事な奴が目の前でいなくなっちまう怖さって知ってるか?」
「え……?」
「俺は一回……地獄を見た」
 
 それはとても静かな声だった。
 今までのようにからかわれてムキになるようなものではなく、苦しい過去を吐き出すような、静かな声。
 そしてまた暫く黙った後、ポツリと呟く。

「あいつにそんな思いさせるわけにいかねーだろ?」
 
 だから俺、どんな相手でも負ける気がしねーんだよなんて。またいつものように余裕綽々で笑いその笑顔は憎たらしい程に自信に溢れているけれど、それが全て彼女さんの為なのかと思うと俺は不覚にも涙が込み上げてきそうだった。
 すげーよ。二人の間に何があったかは知らないけれど、彼女さん。先輩のあなたへの想いは間違いなく本物っす。
 
「そんなことより、おめーはどうなんだよ」
「え? お、俺っすか?」
「おう。勝手に人のことアレコレ聞きやがって」

 い、いや。本当に嫌だったら律儀に答えなくても良かったんですけど……とは流石に命が惜しくて言えない。というか、正直先輩が俺のことなんて興味を持つわけもないと思っていたから、こうして聞き返されるのも想定外で。
 別れ際、涙で鼻の頭を真っ赤にした元カノの姿を思い出してズキンと胸が痛くなる。だけどそんな湿っぽい話はなんだかこの場にふさわしくないような気がして、俺は意図的に明るい声を出した。

「そーっすねぇ……」

 とはいえ、正直まだ元カノに未練を引き摺っている俺に、浮かれた恋の話なんて一つもなくて。
 だけど………。
 ……………あっ!

「じ、実はまだ誰にも言ってないんすけど」
「おう」
「最近、ちょっと気になる子がいるっちゃあいるっていうか……」

 そう。二十一で別れた彼女の面影をずっと追っていた俺に突如天使が舞い降りたのは先々週のことだった。
 あれは確か、早乙女先輩の密着レポートと題して某有名スポーツメーカーが取材に来ていた時のことだ。普通、こういったむさ苦しい格闘のインタビュアーにはその道に詳しい者が派遣されるのが一般的で。大抵は自身も昔格闘をやっていてそこそこいい線まで行った者や、知識ばかりで頭でっかちになった横柄な奴が取材と称してやってくることだって少なくはない。そんな中、男だらけの汗臭い現場に爽やかなパンツスーツで現れたのは、そこらのアイドル顔負けの目を見張るような美少女だった。
 いや、美少女といっても社会人であることから実際は二十二、三歳なのだろう。それにしてもかわいい、可憐、キュート、愛らしい……。とにかく女の子を褒めるのに必要な語彙全てを集結させる必要があるほど可愛らしい彼女は、これまたハキハキと明るく自己紹介を始める。確か、名前は天道あかねさんだったか。その珍しい名前とパーフェクトな見た目は勿論、さらに驚くのは幅広い格闘の知識で。普通は技を掛けるその隣で解説をしながら練習風景を見て回ったりするものだが、彼女の場合は不要。いや、それどころか「右……ううん、そこはフェイントで」とブツブツ言いながら目を逸らさず動きの一連を目で追っているところを見ると、まるで自分自身が闘っているかのような感覚すら覚えるほどだった。それに舌を巻いたオーナーが大したものだと褒めれば、「一応、道場の娘ですから」と舌を出すその仕草がこれまたso cuteである。
 思わず彼女の笑顔を思い浮かべ、頬が緩む俺。するとその隣から形勢逆転とばかりに先輩が嬉しそうに茶々を入れてくる。

「いーからさっさと吐けよ。俺も知ってるやつ?」
「はい、多分。いえ、絶対ご存知かと」
「ホントかよ」

 ああ、なんかいいなぁ、こういうの。
 憧れの先輩とサウナで好きな子の話とかしてるだけでも信じられないのに、なんだったら先輩に間を取り持ってもらって天道さんと先輩の彼女さんでダブルデートなんかしちゃったりして。でもって互いの結婚式にはそれぞれ馴れ初めをスピーチし合ったり、ゴールデンなんちゃらとかいう大型犬のいる新居には花を買って遊びに行って……って流石にそれは飛躍し過ぎか。しかし、兎にも角にも俺は完全に浮かれていたのだ。この時までは。
 
「この前、先輩の密着レポってやつで取材が来たじゃないっすか」
「取材ってどれだ?」
「ほら、あのM社の一日体験ってやつ」
「ああ、あれな」
「その時、すげーかわいかった子がいたの覚えてません?」
「……ん?」
「あ、すいません。先輩はそんなくだらねーこと考えてないっすよね」

 俺のバカ野郎。天下の早乙女先輩に限ってそんなこと気にしてるわけねーじゃねえか。しかも超が付く彼女好きさんだぞ。俺は自分の口が滑ったのを速やかに謝罪し、あくまで自分のこととして続ける。

「とにかく、そん時にすげーかわいい子が一人いたんすよ」
「……ほー」
「天道あかねさんって言うんすけど、先輩覚えてませんか?」
「……さあ。っつーかあいつ、俺に名刺くれたっけ」
「髪の毛がショートで……ってそうだ、先輩も短いの好きだから見たら絶対かわいいって言うと思いますよ」
「……どーかな」
「しかも格闘の知識が半端ないんス」
「……」
「組み手見ながら、途中からうずうず手が動いてましたもん」
「あいつ……」

 どこか会話がかみ合っていない気もしたが、それでも俺は先輩が相槌を打ってくれることが嬉しかった。そう。ただ嬉しかっただけなんだ。

「実はそん時、先輩方が彼女を食事に誘ってたんっすよね」
「……誰が?」
「え?」
「誰が食事に誘ってたって? なあ、そこんとこ詳しく聞かせてくれよ」
「え……あ、あの、」
「おめーから聞いたなんて言わねーから安心しな。で、誰と誰だって?」

 ……い、言っていいんだろうか? 自分とオーナー以外、全員だなんて。
 っていうか、早乙女先輩って職場でそういったナンパ行為は許せないだなんて意外にも堅物なんだな。しかし、先輩が気を悪くするのも頷ける。なんせここは命を賭けたリング、いわば戦場なのだ。女にうつつを抜かすなど、先輩のようにトップに君臨する存在からすれば許し難い行為なのだろう。
 俺は俺とオーナーを除く全員が天道さんをナンパしていたと正直に告白する。すると明らかに先輩のこめかみに血管が浮き上がったような気がしたが、はたしてそれは見間違いだろうか。
「あいつら……」と低く唸る声と共に、バキバキと指の骨が鳴る音は聞かなかったことにするとしよう。
 多少手荒な真似とはいえ、これでジムの秩序が保たれるのならば致し方ない。それに何より、早乙女先輩が他の先輩方に喝を入れてくることで俺も天道さんにアプローチしやすくなるというもので。

「で、来週また取材の打ち合わせにM社を訪れるじゃないっすか」
「ああ……そーいえばんなこと言ってたっけ」
「実は俺、そん時に同行させてもらえることになってるんすよね」

 そう。まだ扱いは小さいものの、あの早乙女乱馬が所属するジム期待の新人ということで、スチール写真と一緒に紹介してもらえることになったのだ。誌面で取り扱ってもらい、更にかわい子ちゃんとも縁をいただけるなんて、これも全て先輩のおかげに他ならない。

「で、ですね。先輩に折り入ってご相談があるんすけど」
「あ?」
「その時、天道さんと──」
「やめとけ」
「え?」
「あの女はやめとけ」

 あの女はって……それって天道さんのこと……っスよね?
 正直ワケが分からない。
 急にあの女呼ばわりされることも、自分の恋愛を阻止されることも、一ミリの余地もなくスッパリ言い切られてしまうことも。
 そして暫しフリーズした後、沸々と込み上げてくるのは理不尽な怒りと戸惑いだ。
 いくら憧れの先輩とはいえ、俺の気持ちにまで口出しして来ることないじゃないか。何より、あれほど自分には心に決めた相手がいる体の発言をしたその舌の根も乾かないうちから、他の女の子(てんどうさん)に興味を示すようなその素振りにガッカリした俺はつい鼻息荒く言い返す。

「なんでっスか?」
「あん?」
「た、確かに仕事中にナンパは良くないと思います。でも仕事外の時間なら誰が何しようと勝手じゃないっすか」
「何しようと……ってこら! おめーは一体何する気なんだよ!?」
「何も変なことはしませんっ! ただちょっと飯に誘ってデートに誘ってあわよくばお付き合い出来たらと思ってるだけです!」
「充分変なことじゃねーかっ!」
「変じゃないっす! い、言っときますけど自分 真面目なんで、お付き合い出来た暁にはちゃんと最後まで責任を」
「だ──っ! え、縁起でもねえこと言うんじゃねえっ、このバカっ!」

 な、なんだ!?
 急に先輩が立ち上がったかと思うと、腰に巻いていたタオルがハラリと下に落ちる。しかし先輩はそれを拾うこともなく俺を睨み付けると、とんでもないことを言い出した。

「言っとくけどなぁっ、あの女の飯は俺くれー胃が鍛えられてねーと堪えらんねーんだぞっ!」
「……はい?」
「あ―見えてすげー凶暴だし!」
「え? ちょ、ちょっと、」
「そんでもって素直じゃねーからすぐ泣くわ怒るわ大変なんだからなっ!?」

 …………ちょっと待って。
 何かがおかしい。
 えーっと、まずはここで一旦話を整理しよう。先輩には彼女さんがいて、その彼女さんとは許婚の関係でもあって、ある日突然道場を継げと言われ、一緒に住むことになって……
 その彼女さんと言えば手が早くて……
 格闘に長けてて……道場の娘……で…………

『おめーなぁ、一度あいつの飯を食って……いや、あかねの被害者になるのはおれ一人で充分か』

 料理……下手で…………
 
 
 …………………………“あかね”。
 
 
 
 
 ……あかねさんっ!?
 
 
 
 
「せっ、せせせせせせ先輩!」
「なんだよ、ここここここ後輩」
「ふざけないでください!」
「おめーがふざけてっからだろーが」

 いや、あの、これはですね? 別にふざけているわけじゃなくって。
 
「せ、せ、先輩の彼女さんって、て、天道あか「しっ――!」
 
 口の前に一本指を立て、先輩が辺りをキョロキョロと見渡す。そして当然ながら誰もいないことを確認すると、「おめー、あんま迂闊なこと言うなよ」と再び頭にげんこつが落ちて来た。
 
「俺はともかく、あいつになんかあったらたとえおめーでも容赦しねーからな?」
 
 その顔は、どこも笑っていなくって。
 俺のちょうど視線の先には先輩の分身がタオルに隠されることなく堂々と曝け出してあり、俺は先輩の顔を見るに見れず代わりにブラブラ主張するソコ(・・)へ誓うように短く返事をする。
 
「で? さっきの続きだけど」
「へ?」
「おめーは誰のことが気になってるって?」
「あ、いやっ、そのっ」
「正直に言えよ。怒らねーからさ」

 いやいや。不穏な空気ダダ漏れですけど?
 っていうか、先輩ストッパー外れるの早過ぎぃぃっ!

「いーから言えよ」
「あ、あの、」
「誰が気になるっつった?」

 い、いえ、今気になるのは、先輩の殺気と目の前のブツだけっす!
 こんな時なのに、なぜだか俺は露出狂に遭った世の女性の恐ろしさがほんのちょっぴり理解出来る気がした。

「…………もっ、もっ、元カノ!」
「あん?」
「て、てててて天道さんが元カノにちょびっと! ほんのちょびっと似てまして」
「ほー……」
「も、元カノに勇気を出して連絡してみようかなぁ……なんて……」
「おっ。それいーじゃん」
 
 
 
 …………正直、それから何をどう話したのかよく覚えていない。
 ただ一つはっきりしていることは、なぜだか近いうちに俺がもう一度元カノに連絡を取ってみるという約束を取り付けられたことだけだった。

「頑張れよ。なんでも遅過ぎるってことはねーんだからさ」

 それを口にした時の先輩の顔は、茶化すでも冷やかすでもなく、確かに心の底から応援していたように思う。そこで一気に機嫌が良くなったなどとは決して気付いてはいけないのだ。
「お先ー」とタオルを拾い上げながら去る後ろ姿を見送る。するとどうだろう、その背中には大量の汗で新陳代謝が活発になったせいなのか、無数の爪の跡が薄っすらと赤く浮かび上がっていて。
 
「……そーいえば昨日、遠征終りで喜んでたもんなぁ」
 
 最後のパズルのピースがカチリとハマる瞬間とはこういうものだろうか。
 はっきり言ってあんな背中を見せたら世の女性ファンはショックで皆倒れちゃいますよ。そうなっても知りませんからね!?
 ああ、だけど。
 そこは早乙女先輩のことだ。
「別に他の女なんて興味ねーもん」
 澄ました顔できっとこう言うに決まっている。
 あー、つくづく神様って不公平。
 あんなかわいい女の子と許婚ってだけでも人生勝ち組待ったなしなのに、その上出会ったその日に裸を見せ合って格闘の趣味まで合っちゃうわけでしょ。
 おまけに普段かわいくないことばっか言っててベッドの上ではかわいいってどんだけだよ。
 あ、でも流石の先輩でも庇い切れない程に料理の腕には難ありみたいだから、そこだけは天もちょっとは考慮したってことか。
 それにしても、だ。
 
「……やっべ。早乙女先輩、まじパねぇ」
 
 これで来週M社へ一体どんな顔して行けばいいのかと思う一方で。再びあの二人のやり取りを間近で見られると思うと、またじわじわと笑いにも似た感情が込み上げてくる。
 ああ、でもその前に俺が元カノに連絡しないことには、早乙女先輩からの厳しい追及が続くんだろうなぁ。これで万が一にも上手くいっちゃったらどうすんだよ。
 っていうか、なんなんだ。
 ほんと、一体何者なんだよ、早乙女乱馬。
 
 
 
「やっばいよなぁ……」
 
 
 俺はもう一度呟くと、再びサウナの中に隠しカメラが仕込まれていないかをキョロキョロチェックする。
 そして一人取り残された浴室で勢いよく頭から冷水を被ると、元カノと先輩と天道さんという 謎のトライアングルに、暫し思いを馳せるのであった。

 


関連記事
comment (20) @ 社会人編 早乙女先輩の恋愛事情

   
早乙女先輩の恋愛事情(中編)  | ハジメテの女の子の日 

comment

管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/09/27 Wed 00:39:24
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/09/27 Wed 01:13:17
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/09/27 Wed 09:56:42
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/09/27 Wed 10:00:09
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/09/27 Wed 12:04:09
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/09/27 Wed 21:38:40
No title : むーみん @-
こんばんは。
このロッカールームのお話、ちょくちょく出てきますよね?
これめっちゃ好きなんです~(*´ω`*)
むさくるしい男達からからかわれたり、なんかリアルで笑
先輩後輩と絡んでる乱馬も見てて楽しいですし。
後半があるのですね!
期待してます♪♪
2017/09/27 Wed 22:15:51 URL
20万アクセスおめでとうございます : ashe @-
kohさん、こんばんは。
20万アクセスおめでとうございます。
20万て…すんごい数ですね…!!

珍しい第3者目線。新鮮で、あかねちゃん直接出てきてないのに乱あで、楽しいです!後編が楽しみです。
それにしても第3者登場となると私は、(あー、真之介くんは元気かな)と考えてしまいます。kohさんの真之介くん好きなんですよね〜(*^_^*)
ライバルだけど嫌なヤツにならない、だけど彼も完璧という訳ではない、けどいい男、なとことかホント素敵です。

てかkohさーん!
ごごごごごご本ーーーーーっっ!!
欲しいどころの騒ぎではありません!!
買う!売って欲しいですっ!!
…って、ダメですよね、違反行為ですよね、ハイ、冗談と言うことにしておきます。。
でも抽選には是非是非参加させてください、よろしくお願いします!!
2017/09/27 Wed 22:40:50 URL
好きだス!! : 憂すけ @-
大好きです―――!!!後輩目線のやり取り!!
kohさんも!乱馬も最高!!忙しい中こんなお話を・・・貴女ったら・・・!!只もんじゃねぇ・・・!!!と唸りつつ、さー!次よ次!!
( `ー´)ノ
2017/09/28 Thu 12:11:35 URL
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/09/28 Thu 17:45:49
Re: タイトルなし : koh @-
y~コメント主様

こんにちは。
本気のニヤニヤ、嬉しいです////
確かにコメント主様は第三者視点も好きって仰ってくださってましたよね(*^^*)
元々あんまりオリキャラとかモブって原作の世界に出したくないなぁとは思っているのですが、もしも出すならどこか憎みきれないキャラがいいなと思っていて。
なので喜んでいただけて嬉しいです♡
後輩君の心のツッコミ、そのまま私のノリで書いちゃいました笑。
ああ、我慢でお預け後の創作は楽しいです……♡♡
2017/09/29 Fri 13:23:52 URL
Re: ひゃあぁぁぁ~(≧∇≦)💕💕 : koh @-
ひ~コメント主様

こんにちは。
ちょっと大人になった乱馬の第三者視点。今まであかねちゃんを第三者で書いたり、大学生編でゆかから見た乱あの二人を書くお話はあったのですが、ここまでしっかり第三者のキャラを明確にさせて書いたのは初めてだったので新鮮でした✨
年齢重ねて余裕が出てきたじゃーんと思わせつつ、実はまだまだ余裕がなかったりとかだと可愛いなぁって。
そして私自身がお店とかでも割り切れない人(面倒くさい?)&身近な友人にお互い生涯一人で仲良し夫婦が四組いるので、乱馬とあかねちゃんにもそうであって欲しいなと願望を込めました♡
時代とか関係なく、一人だけってすごく尊いですよね✨✨。
書いてて私もニヤニヤMAXです(*^^*)。
2017/09/29 Fri 13:29:50 URL
Re: 面白かったです(*・ω・)ノ : koh @-
m~コメント主様

こんにちは。
後輩君の心の声はずばり私の声です笑。
話しがとっ散らかりそうになるのを軌道修正しつつ、ぐいぐい掘り下げていくのが楽しいんですよね~(´▽`*)。おかげでキーを打つ手が止まりませんでした笑。
なんだったらあんな事やこんな事も聞いてみたいっ!(第二弾くるか!?なーんて)
そして乱馬の言葉の端々から「思いは本物」と感じて後輩君が心の中であかねちゃんに語りかけるシーン。
あそこは私もお気に入りの描写なので、じぃん~としていただいて嬉しいです////
カチカチッとパズル形式はもはや私の癖ですよね(^^;。どうしてもオチをつけたい性分で。
何はともあれ、乱馬くんのブラブr……じゃなかった、ソコで笑っていただけてso happyっす♡
(おっ!これ汎用性あるなぁ♪)
2017/09/29 Fri 13:37:06 URL
Re: モブくんグッジョブ(^^)d : koh @-
K~コメント主様

こんにちは。
お返事が遅くなってしまってすみません💦。
広い室内だと話しにくいことでも、サウナのように狭くてちょっと薄暗いところって意外と本心を語り合えたりしません??
なんだか男同士のちょっと生々しくもわちゃわちゃした話が書きたくて、気付けばダダダダーッっとキーを叩いていました♡
この続きも楽しんでいただけると嬉しいです(´艸`*)♡
2017/09/29 Fri 13:42:17 URL
Re: お礼 : koh @-
青~コメント主様

こんにちは。
お返事が遅くなってしまってすみません💦。
もうっ!コメント主様のお名前で笑わせるのは反則ですっ笑。
いや、でも笑ってないとやってらんねーぜ的な……いやいや、とにかくお気持ちはよーくわかります笑笑。
そしてお子様の中間考査……あれ?もしかして息子と同じ学校に通っているのかしら???なんて。
やたらめったらテストが早いんですよね(>_<)。私も子どもに頼まれてコピーの鬼になってます💦。
ってついつい脱線しちゃった。
サウナで男談。色々妄想が滾ります。そしてこのコメントを書きながら、女の子バージョンもまた美味しいと妄想が漲り……一体私の頭の中はどうしてこんなオッパッピーなのか自分でも謎です。
取りあえずサクサクっと軽い感じで投稿したいと思いますので、続きも楽しんでいただけると嬉しいです✨✨。
2017/09/29 Fri 13:49:48 URL
Re: 20万アクセスおめでとうございます! : koh @-
や~コメント主様

こんにちは。
お返事が遅くなってしまってすみません💦。
私、やっぱりコメント主様のハンドルネームが大好きです////
もしも時間が巻き戻せるなら自分もこんなセンスで名前を付けたかった……orz
そして、何歳になってもあかねちゃんOnlyな乱馬があほ可愛くって。
みんな自分の感覚が普通だと思っているはずだから、そこに何の疑問も持たず惚気ているつもりがないのに惚気ている乱馬がso cuteなのです(*^^*)✨✨。
それにしても、「出会ったその日に裸を見せ合って~」なんて言われたら色々と誤解を招きそうですよね笑。
ああー、想像するだけでおかしい!
こんなおふざけ込み込みの私のお話ですが、好きと言って下さってありがとうございます////
2017/09/29 Fri 13:55:31 URL
Re: No title : koh @-
むーみんさん

こんにちは。
お返事が遅くなってしまってすみません💦。
いつの時代もロッカールームって本音トークが咲き乱れるイメージがありません??
自分の学生時代を思い出しても女子更衣室の中は絶対男子には聞かせられないぞっていう話題ですっかり耳年増になっていました笑。
それが男同士なんだから、そりゃもう色々あるだろうなぁって(*^^*)。
髭の話といい、こういうわちゃわちゃしたむさ苦しい会話が好きみたいです////
書いててひたすらに楽しいシリーズでした♡
後半も楽しんでいただけると嬉しいです✨
2017/09/29 Fri 13:59:47 URL
Re: 20万アクセスおめでとうございます : koh @-
asheさん

こんにちは。
お祝いコメントもありがとうございます✨
20万……気が付いた時には「あれ?」と越えていて、今頃になってからじわじわとその喜びを感じています(*^^*)。
それもこれも遊びに来ていただける方々のおかげなので本当にありがたいです✨✨。
そして第三者視点。そうそう、そうなんです!
あかねちゃんは出てこないのに中身は乱あちゃんなお話が書きたくて(´艸`*)。
何ていうか、自分のいないところでもその人のことを考えてくれていたりちょこっと無意識で惚気ていたら可愛いなぁって。そこに+アホな子要素を足して、とっても楽しかったです♡
抽選ももう少しお待ちくださいね~(´▽`*)♡
2017/09/29 Fri 14:04:51 URL
Re: 好きだス!! : koh @-
憂すけさん

こんにちは。
す、好きですって!?よっしゃ、交換日記からはじめましょうっ!
あ、だけど憂すけさんってこう見えてシャイで根暗でちょっぴりエッチだからなぁ笑。
(余談ですが、シャイって絶対当たってると思いました!意外と人見知りしそうなイメージです♡)
忙しい時ほどバカバカしくも明るいお話をですよ♪
さあ、次次ぃ!
2017/09/29 Fri 14:42:56 URL
Re: お久しぶりです(*^^*) : koh @-
皐~コメント主様

こんにちは。
この度はお祝いコメントありがとうございます✨✨
その後、お体の具合はいかがでしょうか??
そしてお話も楽しんでいただけて嬉しいです(´艸`*)♡
格闘の世界で真剣に闘ってるのに、いざリングを降りるとまだ高校生の時のままな性格もほんのり残っていたりしたらかわいいなぁと思って妄想を滾らせていました。
第三者からすると まさに乱馬って「分かりやすい」人ですよね。
それこそ、分かってないのは乱馬とあかねちゃんだけっていう笑。
そんなところも可愛くて仕方のない二人です♡
本の抽選もありがとうございます。結果までもう暫くお待ちくださいね♡
2017/09/29 Fri 14:52:15 URL

コメントを送る。

URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する