ダブル・A ⑥おれは嫌だ 

2018/03/21


 翌日の教室内はちょっとしたお祭り騒ぎだった。
 それもそのはず、昨日まで短かったあたしとコピーの髪の毛。それが突然、コピーに限って背の中ほどまで長く伸びているのだ。本人のご機嫌を表すように軽やかな足取り。その度に長い黒髪がさらさらと揺れる。

「コピー、この髪どうしたの?」
「へへっ、エクステって聞いたことない? 付け毛の一種よ」
「へえー。それにしても自然に見えるものね」
「うん。ただ、全部下ろしちゃうと短い髪の毛がわかっちゃうんだけどね」

 だからというように、つんと自分の後頭部を指差す。そこには上のほうで小さく髪の毛がまとめられ、懐かしい黄色のリボンが施されていた。

「こうするとおかしくないでしょ?」
「すごーい! まったく違和感ないわよ」

 まるで入学当初からこの学校にいる同級生のようだ。自分と同じように短い髪の毛のクラスメイトを見つけては「一緒にやってみようよ」なんて声を掛ける、その姿はいつの間にかすっかり教室に馴染んでいた。が、今日はそれだけでは終わらない。きっかけはこの一言だった。

「ねえ。でもなんで急に長くしてみようなんて思ったの?」

 女子の一人が尋ねる。その問いの間もくるりと指先に二周三周巻きつけられる毛先。そしてパッと手を離し、意味ありげにコピーが微笑んだ。

「だって……好きな人の好みに合わせたいって思うのは当然でしょ?」
「え? 好きな人って、やっぱり乱馬くん?」
「やだもう、そんなはっきり言われると恥ずかしいじゃない」

 そしてまったく恥じらう様子もなく乱馬のほうに向かって手を振ると、バチンとウインクしてみせる。もちろん、乱馬は乱馬で男子生徒に取り囲まれ、我関せずではいられない。

「きさま……っ! あかねだけでは飽き足らずコピーまで独占しようというのか!?」
「しかも一人はショートで一人はロング。まさに一粒で二度美味しいという羨まし……いや、けしからん奴めっ」
「乱馬……さてはきさま、コピーが来てからというもの夜毎にとっかえひっかえ……」
「だ──っ! んなわけあるかっ!」

 そんな抵抗虚しく、わらわらとむさ苦しい集団に問い詰められている乱馬。それをあたしは白けた目で見ている。
(あーあ、ばかみたい……)
 あたしの髪の毛が長かろうと短かろうと、常に自分が一番の乱馬にとってはさして重要な問題ではないはずだ。しかしながら、クラスの中にはコピーに対し、明らかに色めき立つ視線を送る男子がいるのも奇妙な事実で。
 それはあたしに向けてというより、長い髪にリボンを留めるいかにも女の子らしい風貌に目を奪われているようにしか思えなかった。

「……」

 短く切り揃えられた髪の毛が頬に掛かる。
 下を向く度、はらはらはらはら。
 まるであたしの髪の毛はここまでしかないのよ。そう突きつけるように。


 ──とにかく、おれは絶対短い方が好……

 …………あの日。あたしの髪の毛が短くなってしまった骨つぎ屋からの帰り道。
 確かに乱馬はそう言ってくれて、だからあたしも嬉しくて。
 口では強がりながら、それでも嬉しかった気持ちだけは本物で。
 気が付いたらそれからずっと短いままのあたしの髪の毛。これは素直じゃない自分の恋心を認める、あたしがたった一つ貫き通してきた思いの形だった。
 だけど…………。

 そこへひなこ先生がひょっこり顔を出し、教材を運ぶのに誰か来て欲しいと指を咥える。
 咄嗟に視線を逸らすクラスの面々。それもそのはず、ひなこ先生といると一で済むはずの用事が三にも四にも膨らんでしまうからタチが悪いのだ。

「えーん、誰かぁ」

 ……仕方がないわね。
 半分は渋々と、もう半分はこの場から抜け出せるいいきっかけだと捉え、あたしは小さく手を上げる。そして乱馬の横を通り抜け、賑やかな教室を後にした。ふと、乱馬と目が合ったように感じたのは気のせいだろうか。口元が小さく動いたような気もするものの、何を言っていたかまではわからない。
 あたしが手伝いの名乗りを上げたことで、再びコピーを囲んで盛り上がる室内。そこで一人の男子が納得したように腕を組みながら頷いた。

「それにしても乱馬、やっぱりか」
「なにがやっぱりなんだよ」
「おかしいと思ってたんだ。右京にシャンプー、小太刀まで、お前の周りにいるやつはみんな髪が長い子ばっかだもんな」
「あ、おれもそう思ってた」
「だろ? 今まではてっきりあかねのみたいに短い髪の毛の子がタイプなんだと思っていたが、結局は長い方が好みだったってわけか」
「おい、誰の好みが髪の長い女だって?」
「だってさっきコピーが言ってただろ? 好きな人の好みに合わせるって。あいつの好きな奴っつったら乱馬、きさましかおらんだろうが」
「ま、待てっ! 別におれは長い髪のほうが好きだなんて一言も──」
「またまた照れちゃって。もう素直じゃないんだから」

 そこにずいっと身を乗り出したのはコピーだった。まるで誘うようにうっとりと乱馬を見つめ、自分の毛先を一束指で掴んでくるくる弄る。

「あーあ、せっかく乱馬のために伸ばしてみたのに」
「おれは伸ばしてくれなんて一言も言ってねーぞ!?」
「だって乱馬、よく言ってるでしょ」
「あん?」
「もう一人のあたしに向かって“かわいくねーっ!”って」
「ば、ばか、あれは……っ!」
「でも確かにあんたの言う通りだなって。顔はともかくとして、素直じゃないし凶暴だし。その上料理も苦手だっていうじゃない」
「そ、それはそーかもしんねーけど、」
「大体 意地っ張りなのよね。すぐ怒るしガサツだし」
「おめー、元は自分なのによくそこまで言えるな……」
「あら、全部本当のことでしょう? 好きな人の前でかわいく甘えるわけでもないし、顔を見れば勉強勉強って口煩いったらないんだから」
「……」
「髪の毛だってあんな短くしちゃって、まるで男の子──」
「おいっ!」

 クラス中に聞こえるよう、持論を唱えるコピー。
 それを遮ったのは乱馬の短い一声だった。

「それ以上言ったら、いくら本人のコピーだからって容赦しねーぞ!?」

 その目は笑っていない。急にシン……と静まり返る教室の中、誰かがそっと椅子を引く音だけが響く。そして一拍の間を置き、口を開いたのはコピーだった。

「や……やだ、そんなムキになっちゃって。一体どうしたの?」
「別にムキになってなんかねーよ」
「あ……わ、わかった! そうよね、いくらなんでももう一人のあたしだもんね。それを悪く言われたら乱馬だって「っつーか」

 コピーの顔を見ずドカリと自分の席に腰を下ろす。

「おれ、髪が長い奴が好みだなんて思ってねーし」
「え? でも」
「言っとくけどなぁっ、あいつのこと悪く言っていいのは」
「なに? あかねがどうしたの?」
「……っ、……なんでもねえ。とにかくおめー、もう余計なこと喋んな。いいな!?」

 これ以上話すことなどないというように鞄の中身を取り出し、乱暴に机にしまう。と同時に予鈴が鳴り、何かを言いかけたコピーの言葉は完全に遮られた。皆のろのろと、気不味さを誤魔化すよう各々の席に着く。
 そんなやり取りがあったことなど露知らないあたしがひなこ先生と一緒に教室へ戻ったのはそのすぐ後のことだった。ほぼ手ぶら状態のひなこ先生に対し、両手いっぱいに教材を抱えたあたし。

「まったく要領悪いんだから……」

 ぼそりと聞こえたのはコピーの声だろうか。その隣では乱馬が不貞腐れた顔をしてこちらを見ている。ほんの五分ほど前までコピーを中心に盛り上がっていた教室は鳴りを潜めたように静まり返り、どこかぴりりとした緊張感を感じさせた。
「天道さん、ありがとー」と、この場にそぐわない呑気な声が室内に通る。そして教卓の上に運んできた荷物を置き、乱馬と隣同士の席にあたしも腰を下ろした。

「ねえ、なにかあったの?」
「あ?」
「みんな急に静かになってるから」
「……別になんもねーよ。それより今日の英語、おれ当たりそうなんだよな」
「あらそう。じゃあ自力で頑張りなさいよ」
「なんでい、つめてーの」
「あのねぇ。冷たいんじゃないの、あんたの将来を思って言ってあげてるの!」

 つんと軽く牽制すれば面白くなさそうな返事が聞こえてくる。だけど期末テストまでもう少し。ここであたしが簡単に答えを教えるより、ひとつでも自分で調べて頭に叩き込んで欲しい。これは一緒に進級したいあたしなりの愛のムチだ。

「ほら、教科書のここにヒントが載ってるから」
「どこどこ……あ、これか」
「そう。そこの過去分詞をね──」

 一冊の教科書を覗き込むようにしてペンの先を走らせる。その向こうの席でコピーが苦々し気にあたし達のやり取りを見つめている視線を感じたが、あたしは敢えて気が付かないフリをした。
 
 *
 
 想定外のことが起こったのはその日の昼休みだった。
 いつもならば乱馬の隣を我が物顔で陣取り、それこそおかずを食べさせてあげる勢いで甘えるコピーの姿がそこにはない。その代わりといってはなんだが、既存の男子グループの中に一人お弁当をもって飛び込み、ちょっとしたハーレム状態を満喫している。

「あらら。流石のコピーも今朝の乱馬くんの態度が堪えたのかしら」
「そりゃあね。好きな男の子に思いきり他の子の肩持たれたんだもん。あれはコピーじゃなくてもへこむわよ」
「なに? コピーと乱馬がどうかしたの?」

 可哀想に……と同情をみせるさゆりとゆかに聞いてみるものの、「乱馬くんに直接聞いてみなさい」「これぞ愛よね、愛」などとはぐらかされる始末。これぞ愛? 愛なんて、そんなのあるわけないのに。が、少なくともあたしが教室を留守にしたあの数分間の間に、二人の間で何かがあったことだけは確かだった。そこへ早々に弁当を食べ終わった乱馬がやって来る。

「あかね。もう飯食い終わったか?」
「うん、もう少しで食べ終わるけどなんで?」
「コピーのことで話があんだけどよ。あいつにバレたらまたうるせーから場所変えようぜ」

 ちらりとコピーの様子を伺いながら、耳元でひそひそと囁かれる密談。それだけでドキンと鼓動が早くなるのだから、つくづく乙女心は厄介だ。

「わかったわ。じゃあ食べ終わったらすぐ屋上行くから」

 乱馬が先に教室を出た後、さり気なくあたしもそこを後にする。それをコピーの視線がじっと追っていたことなど、あたしも乱馬も知る由がなかった。
 
 


「で? 話ってなに?」

 いくらピークは越えたといえ、まだ寒さが厳しい二月の中旬。ましてや、何も遮るもののない屋上だ。ぴゅうぴゅうと吹き曝しの風にスカートの裾が膨らむのを押さえながら、貯水タンクの裏に身を隠すようにして早速本題に入る。
 乱馬は寒くないのだろうか。別段震えるでもなくズボンのポケットに手を突っ込みながら、ウロウロと落ち着かない様子だ。そしてあたりに人が居ないことを確認し、コホンと切り出す。

「あのよー。コピーのことだけど」
「うん」
「あいつ、やっぱあのままにしとくのまずくねーか?」
「あのままって……だってあと二日で封印カーテンも出来上がるし、それまでの辛抱じゃない」

 そう、あと二日だ。それさえ乗り切れば、この騒動も笑い話になるだろう。
 しかし乱馬の言い分は違うらしい。「あー」とか「うー」と短く唸った後、ばりばり頭を掻きながら、今度は急に語気を荒げてみせる。

「この鈍感っ。封印カーテンってことは、あの鏡の向こうにこの先ずっとおめーのコピーがいるってことなんだぞ!?」
「そうだけど?」
「そうだけどって……あかねはそれで平気なのかよ!?」
「なによ、自分だってコピーがいるくせに」

 しかも二人だ。あたしはかつての騒動を思い出し、人のこと言えないじゃないと返す。しかし、乱馬は頑として聞く耳を持たない。

「おれはいーんだよ!」
「なんでよ」
「おれの場合は男のおれと女のおれで相思相愛なわけだし、なんの問題もねーだろ!?」
「そうかしら? よく考えてみると問題だらけのような気もするけど」
「やかましい!」

 茶化すんじゃねえと言われればこれ以上その問題にフォーカスを当てるのも違うような気がし、口を噤む。その直後、びゅうっと一際強い風の音がした──が、不思議と寒くはなかった。ふと隣を見れば、いつの間にか場所を移動した乱馬があたしの横で壁になるように水色のチャイナ服をはためかせている。これは……はたして気のせいだろうか?

「おれは…………嫌だ」

 短い言葉で否定する。それが何を意味するのかはなんとなく理解出来たけれど、元来素直じゃないあたしはわざと挑発するような質問を重ねた。

「嫌ってなにが?」
「……」
「あたしのコピー?」
「……他に誰がいるってんだよ」
「ねえ。あんたってそこまで優しかったっけ?」
「は?」
「だってそうでしょ。自分のコピーが誕生した時は平気でコンパクトの中に閉じ込めようとしたし、鏡の世界に戻すのだってやむなしって感じだったじゃない」
「あ、あれはっ! 自分のことだったからなんつーか、実感なかったけど」

 けど?

「その、今回はちげーだろ?」
「え?」
「あかねのコピーなんだぞ? あいつの場合、鏡の世界に戻ったら一生ひとりで過ごすことになっちまう」
「それは……」

 そう言われると何も言い返せなくなってしまう。
 こっちの世界で誰か良い人を見つける? ……ううん、そんなの現実的じゃない。大体、当の本人が乱馬に夢中なんだもの。それだけは…………譲れない。
 かといって、あたしがコピーを封印する。それはすなわちあたしがコピーにキスをすることで、もしかしたら数日前のあたしならまだ試みれたかもしれない行為。でも今は……こんな負けた気持ちを引き摺ったまま、コピーだけをこの世から消すなんてあたしには出来なかった。
 ならばどうする?
 結局、あと二日後に出来上がる封印カーテンの完成を待って鏡屋敷にまで送り届けること。確かに可哀想だが、やはりそれしか方法はないように思えた。
 しかし、乱馬の言うことも一理ある。一生鏡の中で過ごす……それを考えるだけでも正直気の遠くなるような話だし、それ以前にまたいつか封印カーテンを破られるようなことがあればすかさずコピーはこの世に飛び出て青春を謳歌するだろう。あたしと同じ顔、同じ姿でナンパに繰り出されること。それはそれで末恐ろしい。だけど…………。

「おれは嫌だ」

 もう一度。今度こそ、はっきりと乱馬が告げた。
 ばたばたと風が二人の洋服をはためかせ、あたしは自分の髪の毛を耳の横で押さえて目を閉じる。
 こんな時、長い髪の毛ならひとつに纏められるのに。
 ふとコピーの黄色いリボンが脳裏を過ぎった。

「い、いくらコピーとはいえ、あかねが……」
「え?」
「だ、だからっ、もしもおめーが他のヤツと、その、付き合ったり……とか」
「なに? 風の音でよく聞こえなかったからもう一回言って?」
「だ─っ! と、とにかくだな、あと二日しかねーんだ。それまでになんとかコピーを封印して」

 その時だった。

 
「見ぃつけた!」

 突然、聞き慣れた声がしたと思ったら、ちゃっかり乱馬の腕にコピーがしがみついている。


「コ、コピー!? おめー、教室で弁当食ってたはずじゃ……っ」
「だって愛する許婚の姿が見えなくなっちゃったんだもの。探しに来るのは当然のことでしょう?」

 その目はまさに宣戦布告だった。そしてすりっと自分の頬を乱馬の腕に寄せると、あたしを一瞥する。瞬間、今まで直撃を免れていた突風があたしの髪を舞い上がらせた。

「あかね、すごい頭してるわよ」
「え?」
「髪の毛ぐちゃぐちゃ。女の子なんだからもう少しちゃんとしなさいよね」
「あ……っ」

 違う、これは……。
 コピーが来るまでは、こんな風に打たれてなかったのに。
 あんたが来たから。
 あんたが来たから、急に風が吹いてきて。

 言い返したいのに言い返せない。ただ、自分がひどくガサツなように思えて、慌てて下を向き手で髪の毛を整える。幸い、乱馬はその様子に気付いてはいないようだった。
 自分の腕に絡みついたコピーの腕をさり気なく解きながら、ちらりとあたしを振り返る。その目は「さっきの話、考えとけよ」と告げていた。二人で何をしていたのかというコピーの詮索をかわし、乱馬が話題を変える。

「そ、それよりコピー、こんなとこまで何しに来たんだよ?」
「あ、そうそう。大事な用事を忘れるとこだったわ」

 ぺろりと舌を出す。そして屋上から続く下りの階段をタタタと駆け降りると、乱馬のすぐ正面に回ってチャイナ服の袖を掴んだ。

「ね、今日帰ったらデートしない?」
「「デートぉ!?」」

 思わずあたしと乱馬の声が綺麗に重なる。
 デートって、あれよね? あの、男子と女子が二人で仲良くお買い物したりお茶したり。
 というか、どこをどうしたらそのような発想に繋がるのか。
 コピーの置かれた状況に切ない思いに駆られていたのも束の間、当の本人はこの能天気さだ。おかげで再び沸々と怒りの感情が湧き上がってくる。が、この提案に驚いたのはあたし一人ではなかったようだ。明らかに怪訝な表情を浮かべた乱馬が口をへの字に曲げ、「なんでおれとおめーがデートなんかしなきゃなんねーんだよ」と独りごちる……ものの、それはそれでなんだか面白くない。

「あら、いいじゃない。好き合ってる者同士、仲良くデートするのは当然の流れでしょ?」
「だから好き合ってなんかねえっつーの」
「素直じゃないんだから」
「おいっ」
「ね、いいでしょ? 昨日、クローゼットの中にかわいいお洋服見つけたの」
「ちょ、ちょっと……っ!」

 あたしの頭の中に浮かんだ数枚の洋服。その中の一つは少し前にゆかとさゆりと一緒に選んだもので、もう少し季節が春めいたらそれを着てお出掛けしたい。そしてその隣には……。
 そんなことを思いながら、ひっそりと隠すようにハンガーに掛けてあったのだ。

「あのね、花柄のワンピースですっごくかわいいんだから」

 ……やめて。

「あれを見たら乱馬だってあたしに惚れ直しちゃうわよ」

 やめて。
 やめて。

「へーへー」とまともに取り合わない乱馬の態度に、ホッとするはずの胸がズキンと痛む。しかし、本当にショックを受けるのはその後のことだった。


 
「……そんなにあたしとデートするのが嫌ならもういいっ」

 突然、コピーが声を荒げる。
 それは初めてみせる不貞腐れた表情で、自分の思い通りにいかない乱馬の返事に業を煮やした。そんな態度だった。

「どうしても乱馬がデートしてくれないって言うんなら他の人を誘うからいいもんっ!」
「はぁ!? 他の奴って誰だよ!?」
「そんなの誰だっていいでしょっ。クラスの男子はみんな優しいし、なんならこの前のかっこいい男の人だって」
「ま、待て待てっ! 九能はシャレになんねーだろうがっ」

 形勢逆転とはこういうことを言うのだろうか。
 急に乱馬がコピーの腕を取り、今日のところはおれで手を打っとけと力説する。これじゃあ、どっちがデートに誘っているかわかったもんじゃない。

「じゃあ乱馬、あたしとデートしてくれるの!?」
「しょ、しょうがねーからな、」
「嬉しい!」
「言っとくけど、別におれはデートしたくてするわけじゃあ」
「わかってるってば。ただ他の男の子にヤキモチ妬いちゃっただけなのよね」

 ……やめて。
 やめて。
 やめて。

「くっつくなよ」と言いつつ、コピーの腕を振り解かない乱馬。
 まだ一度も袖を通していないあたしの服を着て、デートに出掛けるというコピー。

 やめてよ。
 ここはあたしの。
 あたしの世界なんだから。
 ぐっと握りしめた拳の中で自分の爪が肌に食い込む。

「やだ、すっごい怖い顔してあかねが見てる」

 くすっと笑うその挑発は、あたしの堪忍袋の緒を切らすのに充分だった。


「……いい加減にしてよっ!」

 乱馬に絡みついた手をバリッと引き剥がす。そのままキッと睨み付けば、大袈裟に手首をさするコピーも全く引く様子などない。

「なにすんのよっ!?」
「あのねえ、それはこっちの台詞よ! いい? あんたはあたしのコピーなの! コピーならコピーらしく、ちょっとは大人しくしてなさいよっ」
「じゃあ言わせてもらうけど、あたしだって本家のあんたがもう少し可愛げある女ならまだ納得できたわよ! でもあかねは違う。あんたはあたしが素直でかわいいから羨ましいだけでしょ!?」
「それ、どういう意味よ!?」
「とぼけちゃって。本当はあかねだって乱馬に甘えたいくせに、拒絶されるのが怖いからそうやって澄ましたフリしてるだけじゃない!」
「な、なに言って……っ、別にあたしと乱馬はそんなんじゃ、」
「ほらね、そうやってまた強がる。言っとくけど、そうやって物分かりのいいフリして乱馬の気を引こうとしたって無駄なんだからっ!」
「ねえ、さっきから勝手なことばかり言わないで」
「なによ、乱馬の周りにかわいいロングの女の子が多いからってわざと短い髪なんかしちゃって、そんなの全然かわいくないのに──」
「っ、あんたに何がわかるのよっ!?」
「おいっ!」

 喧嘩の仲裁に入ろうとした乱馬を突き飛ばした……つもりだった。が、数段下にある階段の踊り場に倒れていたのは、乱馬ではなくコピーの姿で。

「い……っ、たぁ……」

 左足首を手で覆い、その場を立ち上がろうとしない。あたしと同じ姿をした女の子が苦痛に顔を歪めている目の前の光景は、まるで作りものの世界のようだった。しかし、これは紛れもない現実で。意識が引き戻された瞬間、急に激しい罪悪感に襲われる。

「ご、ごめ……ごめんなさい、あ、あたし……!」
「痛い……! 痛い、乱馬、痛いよ……っ」
「お、おい、大丈夫かっ!?」
「無理、立てない……」

 痛々し気に眉間にしわを寄せる、その左足は確かに赤く腫れ始めていた。
 サァ……っと血の気が引いていく。
 いくら自分のコピーとはいえ、他人を傷つけてしまった。その事実があたしの心をみるみる凍り付かせ、足元から駆け上がってくる震えが止まらない。

「どれ、見せてみろ……あー、こりゃ完全に捻っちまってるな」
「あ……あた、あたし……」
「取りあえずおぶってやるから背中乗れ。あかね、今日東風先生んとこやってるよな?」
「う、うん……」
「っつーわけで今日のデートはなし。学校終わったらそのまま骨つぎ屋に寄ってくぞ」
「ええー!?」
「“えー”じゃねえっつーの。おめーもちょっとは怪我人らしく反省しろ」
「あ、じゃあ怪我人らしくしたら今度こそデートしてくれる?」
「さーな」
「ケチっ!」

 痛む左足に力を入れないよう、乱馬の腕がそっとコピーをおんぶする。
 その首元にしっかりと腕を絡ませ、安心したようにもたれ掛かるコピーの姿。作られた長い髪の毛が、乱馬の胸元でひと束揺れた。
 乱馬と、あたしと、あたしのコピー。
 乱馬とコピー。そしてあたし、ひとりだけ…………。

 ……あたしだって。
 あたしだって痛いよ。
 胸が。
 心臓が。
 目の奥が。
 どこもかしこも、バラバラにちぎれちゃいそうなくらいに痛くて堪らないよ。
 だけどこれは、自分のせい──。


「あかね? 大丈夫か?」

 階段の下から乱馬が振り返る。

「あ……」

 今。言葉を一つでも発したら、目から涙が零れ落ちてしまいそうだった。
 屋上へと続く階段を見上げるフリして目元を拭い、「うん」と短く返事してみせたあたしの声は震えていなかっただろうか。

 正午を過ぎた太陽の陽が三人の影を廊下に落とす。
 ひとつは二人が重なり、その後ろにもうひとつの影。
 淡いベージュ色したリノリウムの床に一滴の透明な雫が落ちる。それをあたしは上履きの底で踏んで伸ばすと、涙の痕を隠すように髪で頬を覆った。
 
 
 
 
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2018/03/21 Wed 16:52:30
Re: 続き楽しみにしています! : koh @-
m~コメント主様

乱馬にとっての「ずん胴、凶暴、かわいくねえ」は「かわいい、好きだ、大好きだ!」であって悪く血ではないんですよね。
それだけに他の人に言われると、たとえあかねちゃんのコピーでも許せないという……(面倒くさいw)
でもそんな大人気ない乱馬が私も好きだったりします笑。
そして……コメント主様、いいとこついてきます!私も鏡の中ってどうなっているのかなって考えて、【四月の嘘はコピーの恋】でもあった通り、たとえらんまと相思相愛のコピー乱馬であっても あかねちゃんに惚れてしまいそうな気がするんですよね……。だからこそ本家乱馬の心配も尽きないというか笑。
多分ですが、私の想像する乱馬は例え自分のコピーでもあかねちゃんに手を出すことは許さないような気がします(^^;。(惹かれるのは仕方ないとして……)
ここから徐々にお話の方向も変わってくるので、あともう少しだけお付き合いください♡
2018/03/22 Thu 23:56:18 URL
: 憂すけ @-
切ないね。
分かっているんだけどね。
乱馬の気持ちも、あかねちゃんの内心も。
コピーだって、譲れない気持ちは本当なんでしょう。・・・・でも、痛いよなぁ。
あかねちゃんにとって自分のコピーを庇う乱馬はいつか二回から落ちたなびきを庇った時と似ている様で、決定的に違う。
庇った相手が、問題だ・・・。
でもって、痛いのが同じ顔に指摘されてしまった、自分の可愛げのなさ。
でも、あかねちゃんはちゃんと思いやりのある優しい女の子。我儘になれない健気な女の子。そこをきちんと描いてくれるkohさんのお話しがやっぱり大好きです・・・!!
2018/03/29 Thu 13:44:23 URL
Re: タイトルなし : koh @-
憂すけさん

ライバルが自分自身ってなかなかしんどいですよね。見た目に差はないのはもちろん、そこに相手は素直な可愛さを持ち合わせているわけで。
あかねちゃんが素直じゃないかといったらそうではなく、素直になりにくい環境を今まで散々乱馬が作ってきたせいというのもあるのでしょうが、周りに気配りが出来る子だからこそ追い詰められるような気持ちってあると思うんです。
今回のあかねちゃんのヤキモキは単純にコピーが……というより、あかね本来の持つ優しさが大きな壁として立ちはだかっている気もして。
芯は真っ直ぐ。だけど嫌なことは嫌だし、時にはかっこ悪く爆発する時だってある。
そんな普通の女の子の感覚を持ち合わせているあかねちゃんが、私は大好きです。
2018/03/29 Thu 16:42:19 URL

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