ひみつの満員電車 

2018/05/03
こちらはモブ女子による第三者視点のお話です。
高校二年生の、まだ付き合っていない二人。
拍手におまけ話二つとGW中のご挨拶(予告?)があります。



満員電車1



(あーあ。なにもこんなラッシュの時間帯に現地集合させることないじゃない)
 私は何度目かの溜め息をついた。
 時刻は八時を三分程過ぎたところで、駅のホームは端いっぱいまで人で溢れ返っている。ただでさえ、朝のラッシュ時間。あいにくなことに不運は重なり、どうやら数駅前の車内で具合を悪くした人がいるらしい。
 二駅前に電車が到着するとイラストが変わる電光掲示板。それは先程から全く変化がなく、時折『前の電車が遅れています』の一文が表示されるだけだ。
 そうこうしているうちにもホームにはどんどん人が押し寄せてくる。通常であれば四、五分もすれば次の電車が到着するところ、かれこれ十五分近く待っているのだから仕方がないことかもしれない。それにしても、だ。
 あちこちから聞こえてくる溜め息。苛立ちの声。中にはホームでマイクアナウンスをする駅員に食ってかかるサラリーマンの姿も見え、私は一人心の中で愚痴る。
(バカみたい。駅員さんに怒ったって仕方ないじゃないの)
 ましてや大事な会議がどうのこうの言うならば、そのぶん余裕をもって家を出ればいいだけだ。そう、私のように。
 もう一度、左手の腕時計に視線を落とす。茶色い革にゴールドの縁取り。小さな白いスクエアの文字盤が印象的なこの時計は、入学祝いに父親から買ってもらった私のお気に入りだ。うん。集合時間にはまだ充分に間に合うはず。万が一にもこれで間に合わないようなことがあったら、こちら方面から向かう生徒達のおそらく大半は遅刻することになるだろう。
 私は鞄の中に入れっぱなしのしおりに記載された集合時間と場所を頭の中で復唱し、再度確認する。そのしおりの表紙には『風林館高校 校外学習のしおり』とプリントされており、簡単なイラストが添えられていた。既に散ってしまった桜の絵のそれは、いかにも適当に選んだ事情がうかがえる。
 校外学習と言っても、要は遠足だ。しかし中学生の頃とは違い、ジャージにリュックを背負って登山をするわけではない。都心のI駅から一時間半以内で行ける観光スポットを予め班で決め、後日グループ別に発表の場を設ける、遠足兼そこに少しだけ学習要素を含んだものになっている。
 きっと殆どの人が、通常の授業がなくてラッキーだと喜んでいるだろう。だけど早くも出足をくじかれた私は、少しだけ憂鬱な気持ちが増してくる。それは進級して間もない新学年で、仲の良かった友人ともクラスが離れ、未だ教室内のグループに馴染むことが出来ない私の密かな悩みだった。もしかしたら今日一日班で過ごすことによって、うんと親密度が増すのかもしれない。一方で、大して親しくない間柄の相手と一体何を話したらいいのか。考えれば考えるほど、自分の持っているカードが貧相に思えて仕方なくなってくるのだ。
 と、そこに隣のサラリーマンがまた舌打ちをする。先ほどとは比べものにならない程、大きな苛立ち。まるで世の中の不幸全てを背負い込んでしまったようなその重さに、私はそっと距離を置いた。
 ホームに描かれた白いラインを少しだけ線路側にはみ出しながら、落ちないよう慎重に歩く。隣の車両に移っても何ら事態が変わらないのはわかっていたが、それでも不快な空気から逃れるように──出来れば若い女性がいるような待機列を探しながら、よろよろと。
 そうして二両分ほど移動しただろうか。そこに見慣れた水色の制服と、同じく水色のチャイナ服姿が目に留まった。
 空色のように明るいブルーの制服。それだけでもわりと目立つのがうちの高校の特徴だが、その横に頭ひとつ分身長差のある彼が着ているチャイナ服。これもなかなかインパクトがある。
(あれは……天道さんと早乙女君じゃないの)
 残念ながら、二人と同じクラスになったことは無い。しかし、その目立つ存在は常に学校の話題の中心で、噂は嫌でも私の耳にまで届いていた。
 女の私でもドキドキしてしまうくらいの美貌を誇る天道さんに、突然現れた謎の許婚、早乙女君。私が知っている情報といえばこの程度のつまらないものしかなく、いつも賑やかにしている集団から一歩も二歩も引いた外側より眺めている自分とはまるで次元の違う異星人。それが率直な私の思いだった。
 私はその列の背後に回り、彼女達のすぐ後ろにつく。話したことのない同級生と同じ車両に閉じ込められるというのは、通常であれば罰ゲームのような状況に過ぎない。が、幸い彼女達は私の顔など知らないだろう。それにこの混雑だ。首から下は溢れた人だかりに埋もれて服装ですら判別つかないだろうし、仮に同じ学校の者だと知っても、彼女達が私を気に留めることなど無いはずだ。
(この二人って普段はどんな会話をしてるのかしら)
 許婚同士で、一緒の家に住んでいるのは確からしい。しかし、相も変わらず天道さんは他の男の子達から熱視線で見られているし、早乙女君にはもう一人久遠寺さんという許婚がいるとも聞く。おまけに、たまに廊下から聞こえてくる二人のやり取りといったら「ずん胴、ばか、ニブちん!」「なんだとっ!? この優柔不断のナルシスト!」と甘さの欠片もなく、これがはたして噂のような関係なのかと甚だ疑問だったのだ。
(これって盗み聞きにはならないわよね)
 誰にでもなく言い訳すると、私は二人の会話に耳を澄ます。というより、そうしなくとも自然に二人の声が耳に入ってくる距離でもあった。
 うんざりというようにブツブツ文句を垂れるのは男の子の声──早乙女君だ。
「あーあ、まったくついてねーな。こんな日に遅延なんてよ」
 そこに天道さんの嗜める声が聞こえてくる。
「仕方ないでしょ。だからあたしは一本早い電車で行こうって言ったのに」
 ふーん。ということは、目的地まで一緒に行くことは最初から決まってたのね。
 少しだけ意外な気もしたが、同じ家から出るとなるとそういうものなのかとも思う。
 そしてどうやら、早乙女君のせいで家を出るのが遅くなってしまったようだ。にもかかわらず、早乙女君に反省する様子は見られない。
「大体、あかねがちゃんと起こしてくんねーから遅くなったんじゃねえか」
「あんたねえ。あたしが何回起こしに行ったと思ってんのよっ」
「しょうがねえじゃん。夜寝たのが遅かったんだから」
「だから言ったでしょ? 昨日はダメだって」
「だってよー。つい我慢出来なくて」
「だからっていつまでもあたしのベッドを占領することないじゃない。おかげであたしまで寝不足だわ」
 え……? ちょ、ちょっと待って。今、あたしのベッドって言った? 
 それってあの、天道さんのベッドに早乙女君がいるってことよね? ベッドを占領して、夜遅くまで?
 しかも、これは初めてのことじゃないらしい。だって天道さん、言ってたじゃない。昨日はダメって。“昨日は”ってことはそれ以外の日は大丈夫ということで、そこで“我慢出来ないってことは、つまり、その……。
(わー、わああー、ど、どうしよう!? 朝からすごい会話聞いちゃった!)
 自分のことでもないのに、ぎゅんと体温上昇すること待ったなし。なんのことは無い、それが天道さんの部屋で早乙女君が漫画の続きを読み耽っていただけなど知る由もない私は、先程にも増して耳をダンボにする。これは別に盗み聞きじゃない。盗み聞きなんかじゃなくて、ただ聞こえてくるだけだから。そう自分に言い訳を繰り返しながら。
 すると、そこでようやくホームにアナウンスが流れた。
『大変お待たせいたしました。次の電車が前駅を発車し、間もなく当駅に到着します。危ないですので白線の内側まで下がり──』
 その案内にみな安堵のような、待ちくたびれたような溜め息を漏らす。
「はぁ……、やっとかよ」
 やれやれと早乙女君が大きな欠伸をした。
「だけどこの人数よ。ちゃんと乗れるのかしら」
 心配そうに天道さんが後ろを振り返るものだから、私も辺りを気にするフリして顔を逸らす。それにしても……なるほど、天道さんの言う通りだった。
 ホームには後ろの壁いっぱいにまで人がすし詰め状態になり、もはや三人横に並んでの待機列など守りようもない。これではたとえ一、二本電車を見送ったところで、酷い混雑は変わらないような気がした。
「やだなぁ。痴漢とかいたらどうしよう」
 ぽつり、天道さんが呟く。
 確かに天道さんくらいかわいかったら、男性からすると格好のターゲットになり得るのかもしれない。なんなら女の私だって、その柔らかそうなシミ一つない肌に吸い寄せられてしまいそうだ。そこに早乙女君が優し気な声を掛ける。
「あかね、もしも痴漢がいたら真っ先におれに言えよ」
「乱馬……」
「こんな色気のねえ女を痴漢して人生棒に振るこたねえっておれが教えてやるからさ」
 ワハハと調子よく笑う声。それが次の瞬間、どすんと鈍い音がしたと同時に早乙女君の呻き声に変わっていた。
「ほんとあんたって失礼なんだからっ!」
「じょ、冗談じゃねーか、冗談」
「ふんっ、どうだか」
「凶暴女」
「ナルシストのすけこまし」
 ……うーん。やっぱりこの二人が許婚、ましてや恋人同士のような甘い関係だとはどうしても思えない。感動したのもほんの束の間、私はやっぱり噂は噂に過ぎないのではないかと首を傾げた。と、早乙女君がホームの右端を指差す。
「来たぜ」
 プワンッとクラクションのような破裂音を響かせ、ホームに滑り込んでくる銀色の電車。呼吸をこらえるように止まる車体がぐらりと揺れ、乗車率百パーセントなんて優に超えたそれは見るからに重々しい。横にスライドする扉ですら、押される人の摩擦によってズズ……とぎこちなく、やがて扉が全開になるや否や、中から弾き出されるように大量の人が降りてきた。無論、全員が全員、この駅で降りるわけではない。ただ、扉の近くにいた者。掴まるところもなく立っていた者などが流れに身を任せたまま一斉に吐き出される。そしてホームで一息つくと、またすぐ同じ車内に乗り込んでいくのだ。
「すごいラッシュ。これ、本当に乗れるのかしら」
「って乗るしかねーだろうが」
「でも、次の便まで待つとか……」
「バカ。こんな中途半端な位置でおれ達が止まったら他の奴らに迷惑だろ」
 確かにそれもそうかもしれない。早乙女君達が乗るなら私も。そう思って、手にした鞄の取っ手をぎゅっと握りしめる。
「はぐれんなよ」
「あんたこそ」
 まるで戦場に向かうバディのように、ぼそぼそと聞こえるやり取り。はぐれたらはぐれたで、どうせ目的地はこの電車の終着駅なのだからさして問題ないと考える選択肢は、この二人にはないようだった。
 入り口付近に出来た数十センチの空洞。そこ目掛けて一斉に人が乗り込んでいく。
「痛いっ」「すみません」そんな声があちこちから聞こえてくる中、私も必然的に車内へと押し流されていた。すごい。ぎゅうぎゅうどころの騒ぎじゃない、ぎゅうっぎゅうな四角い密室。ドア付近では駅員が二人掛かりでサラリーマンの背中を押し、ホームでは次の電車を待つよう、しつこいくらいにアナウンスが繰り返されている。
 プシュッと空気を吐き、ようやくドアが閉まったものの、なかなか動きだす気配がない。おそらくどこかの扉がまだ閉まりきっていないのだろう。
(まるで圧縮袋の中に入れられた布団みたい……)
 ぺっちゃんこに押し潰された体は妙に背中が反り返った姿勢で固定され、鞄に至ってはこのまま手を離しても宙に浮いてしまう状態だ。それでも、頭の斜め上には早乙女君のおさげが見えるし、その体の向こう側には天道さんの姿があるに違いない。
 知っている存在が近くにあることに、なんとなくホッとする私。するとようやく、もっそり電車が動き始めた。
 ガッタン、ゴットンというより、のっそりのっそり。進行方向と逆側に揺られ、それからガコンと前のめりに車体がつんのめる。
「きゃ……っ」
「うわっ」
 聞き慣れた天道さんの声が、短く響いた。その瞬間、早乙女君が一段高くなった吊り革を手に取る。ぎゅむっと軋んだ白い輪っかが、二人分の体重を支えているような負荷を物語っていた。
「すごいね、人……」
「まったくだぜ」
 ぼそぼそと、おそらく互いにしか聞こえないような声のボリュームで話す二人。しかし、片方の耳が早乙女君の背中に付きそうな私からは、その会話のやり取りがはっきりと聞こえる。位置的に言えば私のいる場所は窓も近くにないし、外からの光はぼんやり感じても、車窓に映る景色に目をやって気を紛らわせることも叶わなかった。こんな時、もしも自分一人だったら次の停車駅に着くまでがとてつもなく長い時間に思えただろう。
 だけど今日は違う。不自然な姿勢の痛みに耐えながらも、私は早乙女君と天道さんの会話に耳を済ませることで、なんとかこの場をやり過ごすことにした。
 平日の朝は、各駅停車の外に準急、更には特快という、数駅を飛ばして主要駅にだけ停車する便が多く存在する。私達が乗り込んだこの電車も、あと三駅先までは扉が開くこともない。
 タタン、タタンと一定のリズムを刻み、車体が加速を増していく。それに伴い、車内の様子は狭いながらにみな自分の体を置く場所を見つけ、落ち着きを見せていた──と思ったのも束の間、住宅街に並行する急なカーブに差し掛かり、車体が大きく傾く。足の踏ん張りが効かず、こらえたつもりの体はあれよあれよと元いた場所から押し流された。
「っ、すみません」
 顔も見えないスーツの背中に小声で謝り、隣を伺う。さっきまで私の目の前にいたはずの早乙女君がいつの間にか斜め後ろに見え、その向かいには短くきれいに切り揃えられた髪の毛が確認できた。
 早乙女君の右手は吊り革を握ったまま、左手はどこにあるのかわからない。
 私は咄嗟に握りしめていたバーを離し、半歩ほど二人のほうに近寄る。別に何がなんでも二人の会話を盗み聞きしようと思ったわけじゃない。ただ、押されて掴んだバーを支える腕に誰かの体重が圧し掛かり、それが苦痛で仕方なかったからだ。それだけだ。
 一瞬、距離が近過ぎるかな、とも思った。
(もしも私の制服に気付いて、気まずくなったらどうしよう……)
 しかし、その心配は杞憂に終わった。
 二人は私の存在に気付くことなく、たまにポソリ、ポソリと言葉を交わしている。
「さっき、大丈夫だった?」
「あ?」
「カーブ。この電車、いつもあの場所で揺れるのよね」
「おれは平気だけど、毎日だと辛いよな」
「そうね。高校が電車通学じゃなくて助かっちゃった」
 特になんてことのない会話。だけど特記すべきは二人の距離感だ。
 ただでさえ、押し合いへし合いのこの車内で、確かに体を離す十分な距離を取るには難しいかもしれない。それにしても──。
 早乙女君を見上げる天道さんに、吊り革に掴まりながら天道さんの口元に耳を寄せる早乙女君。
 すごいなあ。私だったらあんな至近距離でまじまじと顔を見られるなんて耐えられない。ううん。その前に何も無理に話す必要もないし、あの距離だったらそんなにじっと視線を合わさなくても、迷惑にならない声のボリュームで充分に会話は出来るだろう。
 他の人の迷惑にならないよう、あくまで小声でやり取りしようという配慮はわかる。それに二人がひっきりなしに喋っているかといったらそうではなくて、たまにポツンと一言二言交わす程度だ。なので当然、周りの乗客も二人を気にかける様子はない。おそらく私だって、もしも早乙女君達のことを知らなければ気にも留めなかっただろう。
 だけど──。
 この前のカーブほどではないが、また電車が揺れる。
 しかし、天道さんは涼しい顔をしたままだ。それもそのはず、早乙女君の左手がしっかりと天道さんの腕を掴み、自分の方に引き寄せている。
 背の高い学生さん、華奢なOL風の女性、疲れた顔のサラリーマン、立ったままウトウトと瞼を閉じる年配のおじいさん。
 春なのに褪せたような匂いが充満する四角い車内は、小さく揺れ続ける人の波だ。
 その波の中、はぐれないように。
 当たり前のように天道さんの手を取る早乙女君の前髪が窓から射し込む光に照らされ、きらきらと飴色に輝いている。
 きっと天道さんは気付いていない。今、早乙女君がどんな表情で天道さんを支えているかを。
(…………羨ましいな)
 予想もしていなかった自分の感情に、私自身、素で驚く。
 それほどまでに、“出来上がった雰囲気”がそこにはあった。
 不思議ね。
 いつもだったら、次の停車駅でドアが開くまでの三駅分がはてしなく長く思えるこの区間。なのに今日は特等席で二人を観察しているような、ちょっと特別な気持ちになる。
 ああ。いっそ、もっと車内が混んでしまえばいいのに。
 こんなこと、普段の私だったら間違っても思わない。
 だけどあと少し。早乙女君と天道さんが踏み止まっている……ように見える常識的な距離を、更に縮めてしまいたい私がいるのはなぜだろう。
 窓から見える景色は住宅街の中に商業ビルの割合が増え始め、着実に都心へと私達を運んでいく。あと二分もしたら、進行方向に向かって左側の扉が開くはずだ。その時には一斉に人が降り、そしてまた塊のように集団が乗ってくる。
 二人は何も喋らない。カシャカシャと、イヤホンから漏れる音がやけにはっきり聞こえる背後に視線をやれば、サラリーマンらしき若い男性が網棚から荷物を下ろし始めていた。
 間もなくして、徐々にスピードが落とした車体は次の人が待つホームへと滑り込み、つんのめるように停車した。
 一拍の間を置き、プシューっと勢いよく吐き出される空気音。
 ゆっくりと両サイドに扉が開き、中からドオッと人が吐き出される。
 はぐれないようにしなくっちゃ。
 これがドア付近ならば素直に一度ホームへと降りただろう。だけどあいにく私がいるのは反対側の扉付近で、更に言えば早乙女君と天道さんがそこを動く気配もない。
 私は自分の体を出来得る限り柱と同化させて降りる人々をやり過ごすと、今度こそ二人の会話がはっきりと聞き取れる距離まで近付いた。そこにはもう、気まずさよりも圧倒的に好奇心のほうが勝っていて。まるで自分がカーリングのストーンになった気分でベストポジジョンを取ると、密かに内心ガッツポーズを決めてみせる。
 それにしてもすごい人だ。
 一度下車したと思ったその大半はまた車内に乗り込み、そこへ更に新たな乗客が加わるのだから無理もない。次の終点まで、ノンストップであと五駅の我慢。誰の顔にもそう書いてある通り、無言でぎゅうぎゅうと押してくる。
「あ、すみません」
 ふと、若い男性の声がした。よく見えないが、手に持った自分の鞄か何かが天道さんに引っ掛かってしまったのだろう。ぺこりと頭を下げ、会釈を交わす天道さんの肩と相手の胸がくっついている。すると早乙女君が黙って天道さんの腕を取り、自分の胸の前に引き寄せた。
「ったく。相変わらずにぶいな」
「しょうがないじゃない、すごい人なんだもの」
「迷惑かけんなよ」
 ……ううん、違う。今のは天道さんに非はない。それは早乙女君だってわかっているはずだ。にもかかわらず優しくない台詞を投げ掛けたかと思いきや、その言葉とは裏腹にしっかりと自分のチャイナ服を握らせる。
「揺れるから掴まっとけ」
「で、でも」
「しょうがねーだろ。満員なんだから」
「……あたし、重たいわよ?」
「知ってる」
「あんたねえっ」
 扉が閉まり、ダメ押しのようにガッコンと揺れる車体。その弾みで乗客全員が前のめりになり、見事 天道さんの体が早乙女君の胸にすっぽりとおさまった。
 私はテレビの前で観たオリンピックのにわか知識を思い出し、ハウス内の中心で綺麗に止まるピカピカのストーンを頭に浮かべる。これぞ、ナンバーワン・ストーン。
 どっこいしょと、重たい車体がゆっくりと動きだした。先ほどとは違って幾分窓が近くになった私は、少しだけ呼吸が楽になった気がしてしばし流れる風景をぼんやり眺める。
 電車は加速し、看板の文字を追うのも儘ならないほど、どんどんと景色を後方に押しやっていく。
 約七分。それが長いと感じるか、短いと感じるかは人ぞれぞれだろう。
 少なくとも普段の私なら、すし詰め状態での七分間はとてつもなく長く感じる。
 だけど今日は──。
 窓から視線を外し、さり気なく二人のほうに目をやる。そこには遠慮がちに早乙女君の胸に手を置く天道さんの姿があって。
 完全にもたれ掛かっているわけではない。それでもちょっとした揺れが起きたらすぐにでも頬が付きそうな距離で、顔を伏せる天道さんの耳は微かに赤く色付いて見える。
 重たげにレールの上を移動する響きは、いつの間にか一定のリズムを刻む軽快なものへと変わっていた。
 ふと早乙女君が窓の外に何かを見つけ、頭を下に傾ける。
(あ……。今、天道さんの前髪に早乙女君の唇が触れた)
 どうしよう。なんだか、見てはいけないようなものを見てしまったような気になって、普段の二人からは想像も出来ない空気に私はクラクラとしてきた。
 きっと天道さんは気付いていないんだろうな。早乙女君の唇が触れたことも、いつになく優しい表情を浮かべていることも。
 ……なぜだろう。
 胸の中がドキドキして、微炭酸が弾けるようにシュワシュワ、パチンと音を立てる。
 それは散った桜を想わせる、淡いピンクの色だった。

 

「本日は遅延により、誠にご迷惑おかけいたしました。ご降車の際はお忘れ物に注意し──」

 やや癖のあるアナウンスが車内に流れ、銀色の自動扉がスライドする。
 ぷしゅうと大きなエアー音は、やれやれと電車が溜め息をついているようだった。
「あかね。降りるぞ」
「うん」
 天道さんがパッと手を離したそこは、くしゃりと皺になっている。きっとあれも時間が経ったら消えてしまうのだろう。何もなかったように歩き出す早乙女君のすぐ後ろについて、天道さんも電車を降りる。私はなんとなく天道さんにさっきのことを教えてあげたくなるような、だけど当然そんなことは言えない焦れったさで、手を伸ばしそうになる衝動を飲み込むのに必死だった。
 ───と。
 右側を開け、左一列に並んだエスカレーターで天道さんが鞄を左手に持ち替える。そして空いた右手で自分の前髪に触れると、恥ずかしそうに頬を綻ばせた。
(あ…………)
 ……なんだ。そういうことだったんだ。
 ねえ、早乙女君。今、あなたの後ろで天道さんがどんな顔しているか、きっと早乙女君は知らないでしょ? 今度はそれを早乙女君に教えてあげたくなった後に、そんな必要はないと首を振る。
(あーあ。それにしても朝からすごいもの見ちゃった)
 でもいいわよね? 別にこれは盗み見したわけじゃなく、ひとつの光景として目に飛び込んできただけなのだから。
 私は自分に都合よく解釈すると、今度は急にワクワクしてきた。
 学校で噂の的の許婚カップル。その実情は謎のベールに包まれたままだったけれど、少なくとも夜は天道さんの部屋に出入りし、満員電車ではさり気なく他の人に触れさせないような関係であることは確かなようで。
 さあ。取りあえず、これで今日の班行動の話題に困ることはない。
 あとはその目撃情報が正しいか否か、近いうちにあの二人が証明してくれることになるだろう。
 駅の改札を出れば、眩しいくらいの初夏の光が白い光を輝かせていた。それに目を顰めた私もまた、薄っすら笑みを浮かべているに違いない。
 クラスメイトに会ったら、「朝のラッシュはこりごりだ」と皆口々に文句を言うに決まっている。現に私もそう思っていた。
 だけど私と早乙女君と天道さん。
 私達にとっては、少なからずともそれだけではなくて。
 三人で共有した秘密の朝に、また私は口元を緩めるのだった。
 
 
 
 < END >
 
 
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comment (8) @ 高校生編 短編(日常)

   
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2018/05/03 Thu 00:27:41
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2018/05/03 Thu 07:25:36
:  憂すけ  @-
このお話を拝読して何を思い出したと思います?・・・らんまカフェに行くときに乗った電車内。それと、kohさんに初めて会いに行った時の電車の中。中々座れなくて。皆が自分の手元に集中していたあの風景。あたし1人が妙にハイテンションで揺られていたあの電車の中。凄くリアルに思い出しました。まるでそこに乱馬とあかねちゃんの2人が佇んでいるような繊細な描写に、あたしも人混みの後ろから二人を盗み見ている様な錯覚を覚えつつ一気に拝読。そして読後にはこの温かな気持ち・・・!やっぱ好きだよ・・・!kohさんも。kohさんの書くお話も・・・!!////
2018/05/04 Fri 21:15:38 URL
Re: タイトルなし : koh @-
y~コメント主様

ありがとうございます。
完全なる自己満足なのですが、私もこのお話好きなんです^^。
いつになく書き始めるまで苦戦して、1/3ほど書いて放置すること約一カ月。
そしてようやくイメージがしっかり降りてきたのを合図に書き始めたのですが、やっぱり難しい。
これは乱馬とあかねだけじゃなくって、新学期のちょっとクラスに馴染めない感じとか、まだ電車に乗り慣れていない春の出来事とか、そんな要素も含んでいたからかもしれません。
それだけに自分比で丁寧に綴ったお話だったのですが、好きと言っていただけてすごく嬉しいです。
満員電車って本当に苦痛でしかないのだけど、好きな人と一緒に乗る時だけはちょっとドキドキ出来る時間ですよね^^。
描写力半端ないコメント主様にジェラシーなんて言ってもらえてこちらのほうが「うひゃー////」です。
2018/05/07 Mon 20:01:21 URL
Re: ありがとうございました!! : koh @-
m~コメント主様

満員電車、本当に凄まじいですよね……。
私は年度の途中から転校したため中学校から電車通学をしていたのですが、まーJRのすごいこと!
そして社会人になってからも押された弾みでバーに顔を打ち付け、歯を折った挙句鼻血ブーで運ばれたのが懐かしいです……。
ああ、せめてあの時、こんな風に乱あ妄想で乗り切れていたらよかったのに笑。
最近は「出来上がった二人」を書くことが多かった(?)のですが、こうして互いの距離感を探る淡い二人も大好きで、つくづく萌えの塊だなって思います^^。
制服のリボンにしても、これが他の男子だったらあかねちゃんは任せないと思うんですよね。自然体でさらりと意味ありげなことをしちゃうのも大好きで////。
GW中、キュンキュンしていただいて嬉しかったです♡
2018/05/07 Mon 20:01:44 URL
Re: タイトルなし : koh @-
憂すけさん

わかります~!!
普段は圧倒的に車で移動のほうが多い私。それでもらんまカフェに向かう最中は、ただドキドキしながら池袋に向かったのが昨日のことのようです。そして初めて憂すけさんにお会いした時も^^。
電車って窮屈で苦痛でしかないような空間ですが、時にちょっとした物語を運んでるんですよねぇ。
自分でいったら痴漢から助けてくれたサッカー部の部長だったり、うっかり通勤快速で途中下車駅を大幅にオーバーして新宿まで運ばれてしまったり(一時間目の残り五分で学校に到着したけれど、その授業は出席扱いにしてもらえなかった……)、はたまた人に押されて吊り革から手が外れ、おじ様のお膝の上に座る形で次の駅まで運ばれたり。そういや長い髪の毛がドアに挟まって降りられなくなったこともあったっけ。
……碌な思い出ないな。ちっ。
しかーし!そのぶん、乱馬とあかねちゃんには少しだけ美味しい思いをさせたいのであります。
そして最後にさり気なく私への告白まで……////。私も憂すけさんと憂すけさんの書く二人が大好きよ~!
2018/05/07 Mon 20:02:08 URL
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2018/06/25 Mon 00:36:42
Re: タイトルなし : koh @-
ひ~コメント主様

わーい、ありがとうございます。このお話個人的すごく気に入ってて、書き上げた時は「あ、今年一番好きかも」と思ったくらいなんです。←自己評価甘め
かくいう私も中学・高校は凄まじい満員電車でしたが、誰も助けてくれることなく……。
時におじさんの膝の上に座ったまま、時に歯が欠けながらも乱馬のように守ってくれる人を待ち焦がれたものです……(いなかった)。
いやでも、第三者視点って難しい!描写とか心理とか、色んな意味で挑戦の作品でした。
それだけにニヤニヤしていただいてすごく嬉しかったです♡
お互いバタバタですが、適度に力を抜いてこの繁忙期を乗り越えましょう!
2018/06/27 Wed 00:47:25 URL

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