先生にだって秘密はある ⑧マリンブルーの道草(後編) 

2018/05/17
拍手に小話と、その次に《あとがき兼ご挨拶》が置いてあります。


先生にだって秘密はあるe08



 ──Y港、D桟橋ターミナルに六時。
 
 D桟橋……ここから距離にして約二キロメートル。六時というと、時間的にはまだ間に合う。が、徒歩で向かって余裕があるかといったら決してそうではなかった。
 かといって最寄りの駅から電車に乗っても、下車をしてからそれなりに歩くことになる。いっそタクシーとも思うが、金曜日の夕方だ。こんな時に限って空車はなかなか見つからず、気付いたら早足で闊歩している自分がいた。
 日中生徒達が乗るのを見ていた観覧車も、赤レンガ倉庫も、夕暮れの景色に溶け込んでいくのを横目にひたすら目的地を目指す。
 途中で残り僅かになった水筒の中身を飲み干し、口紅を塗り直した。小さな鏡に映っているのは、期待してはいけないと思うのにどうしても笑みが零れてしまうあかねの顔で。
 それにしても、わざわざ港に呼び出すなんて一体なにがあるのだろう。もしかして海辺の夜景を一緒に楽しむとか?
 ……ないない。あの乱馬に限ってそんなこと、あるわけない。
『はあ? 景色を観たとこで腹が膨れんのかよ』
 そんなムードもへったくれもないことを言うのがオチだ。
 それでもあかねは嬉しかった。こうして仕事を終えて乱馬から誘われることもそうだし、一度はあきらめていただけに喜びも倍増する。ましてや、普段はなかなか来る機会のない港町だ。そんな馴染みのない土地で二人きりかと思うと、つい数年前に流行ったある曲を思い出す。
(えーっと、題名はなんていったっけ)
 確か、横文字に日本語のサブタイトルがついていて、当時はあかねもよく口ずさんだものだ。思わずサビのワンフレーズを小声で歌う。が、歌詞とメロディーはしっかり頭の中に流れているのに、肝心の曲名が思い出せない。なにより、早歩きで弾む自分の息遣いと、高鳴る鼓動がドキン、ドキンとうるさく響き、記憶を手繰る邪魔をした。
 
 遠足で引率するにあたり、事前に何度も地図を確認していたのが功を奏したのだろうか。幸い、目的の港には迷わず辿り着いた。
 一言で港といっても、新しく出来たばかりのそこはあかねが想像していた形状と少し違う。長方形にくりぬかれた直線的な地形に、やんわりと立体的なカーブを描いてデザインされた広場は、ウッドデッキの模様と相まって人工的に作られた地層の上に立っているようだった。
 まだ六時前とはいえ、辺りはぼんやりと薄暗くなってきている。おまけにあかねのような観光客の姿も多くなり、乱馬を見つけることは出来なかった。
(とりあえず着いたって電話してみよう)
 がさごそと自分の鞄を漁る。それと聞き慣れた声に気付くのとは殆ど同時だった。
「よっ。ここまで迷わず来れたか?」
「ら、乱馬っ!? ちょうど今、あんたに連絡しようとしてたとこ。にしてもどうしてこんな──」
「詳しい説明は後な。いーから先、乗っちまおうぜ」
 そう言ってすたすたと前を歩く、その頭上には『クルーズ乗客の方はこちらへお進みください』の案内表示がされている。
「ね、ねえ、もしかして船に乗るの?」
「は? あたりめーだろうが。それともおめーはイカダにでも乗る気かよ?」
「そういうんじゃなくって」
 どうやら、すっかり体調は回復したらしい。おまけに憎たらしい軽口も復活し、いつもの調子で返す乱馬を前に苦笑いが浮かぶ。
「あたし、こんな格好なんだけど」
「べつに問題ねえんじゃねーの? おれだってこんなカッコだし」
「……まあ、ね」
 それにしてもだ。普通、船でクルーズだと聞けば真っ先にドレスコードを気にするのも当然だろう。しかし、乱馬曰くその心配はないらしい。流石にTシャツにジーパン、サンダルといった格好では浮くかもしれないが、もともと港町だ。周囲を見渡せば他にもラフな服装の若者はちらほらおり、決して乱馬とあかねだけがカジュアル過ぎるといったことはない。
「あ、けどショートパンツで来なくて正解だっただろ?」
 後ろを振り返り、ニカッと乱馬が笑う。
 ずるいなぁ、と思った。
 
 *
 
「わ……すごい。中ってこんな風になってるのね」
「船っつっても色々種類があるみてーだけどな。これでも一般的な観光客向けだから特別豪華ってわけじゃないらしーぜ」
「へえー……あんたよく知ってるわね」
「い、言っとくけどおれはそんな調べたとかじゃなくてっ、た、たまたま知ってただけっつーか、」
「わかってるわよ。別にわざわざ調べてくれたなんて言ってないでしょ」
 まったく素直じゃないんだから。けれど、実はあかねもこの遠足を前にこっそりと調べていた。
 調べてみて……途中でやめた。だってどう考えても乱馬が首を縦に振るとは思えなかったからだ。
『クルージングだぁ? 堅苦しそーだからパス』
 その想像があまりにもリアル過ぎて、どうせ無駄になるなら最初から期待などしない方がいい。しかし、あかねの読みは真逆の方向に舵を切った。
 潮で湿った急こう配の階段を慎重にのぼる。ゴオオオオと地響きのようなエンジンの音を抜けて二階に上がると、そこには船の中とは思えないほど優雅な空間が広がっていた。
 深い濃紺が上品な絨毯張りの廊下を歩く。船内は大きく三つのエリアに区切られており、手元の半券に記された場所を再度確認した。ほどなくして、黒いスーツ姿の乗務員が仰々しく乗客を出迎えている扉に気付く。チケットを見せて中に入ると、そこは開放的なレストランホールになっていた。
 こういうのをなんと言うのだろう。ビュッフェ? バイキング?
 フロアの真ん中に設けられたテーブルにはこれでもかと美味しそうな料理が並び、まさに出来立てといわんばかりに白い湯気を立てている。その奥にはオープン式になっている調理場が隣接し、背の高い帽子をかぶったコックが希望に応じてくれるようだった。
 辺りをきょろきょろと見渡しながら、案内された窓際の席に腰を掛ける。白と水色を基調とした厚手のテーブルクロスはピンと張りがあり、シミひとつ見当たらなかった。
 取り急ぎ、布張りのドリンクメニューを開く。これでもしもお高いワインの銘柄ばかり並んでいたらどうしよう。そんな心配が一瞬脳裏を過ぎったが、馴染みのあるアルコール名にソフトドリンクまで種類豊富に並んだそれを見て、内心ホッと安堵した。
 一応、体のことを考えてということで乱馬はソフトドリンクを注文する。少し迷って、あかねも同じくノンアルコールのものにした。
 実はこう見えて乱馬はあまり酒に強くない。一方であかねは殆ど顔に出ないタイプだが、稀に突然ガクンと限界が訪れたりするものだから、それから外での深酒は禁止となった。
 シュワシュワと弾ける透明の液体と泡で乾杯をする。
「ところであんた、食事なんてして大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
「えっと……だって、」
 その理由は誰より一番乱馬が知っているはずだった。しかし、当の本人はそんなことなど全然気にしていないという風に続ける。
「せっかくここまで来たのに中華を食わねーなんて勿体ねーだろ?」
「そりゃそうかもしれないけど」
「それにビュッフェなら好きなもんだけ食えるしな」
「あ……」
 ……そっか。確かに、言われてみればその通りだ。
 もしもこれがコースやアラカルトだとしたら、残してしまうのは行儀が悪い。いや、それだけではなく、そこでまたあかねが気を遣うのは目に見えていた。
 しかし好きなものを好きなだけ選べるバイキング形式ならそんな心配もない。おまけに銀のカトラリーが左右に並ぶ本格的なレストランと違って気軽に楽しめるため、ここにいる人々の服装もちょっとかしこまったものからカジュアルまで幅広いときている。
「いーから早く飯取りに行こうぜ」
「うん」
 それをあえて口にしない乱馬の優しさがあかねは嬉しかった。
 この時までは。
 
 *
 
「あ―……苦しい。もう入んねえ…………」
「あんたねえ……ものには限度ってもんがあるでしょうが」
 前言撤回。あかねを気遣ってのビュッフェではなく、ただ単に本人がお腹いっぱい食べたかっただけのようである。乱馬らしいというかなんというか、呆れたような溜め息をあかねが落とした。それを見て乱馬がニヤリと笑う。
「やっといつものあかねに戻ったな」
「いつものあたしって?」
 最後のデザートを口に運び、ナプキンで唇を押さえた。
「さっきまで泣きそうな顔してたからよ」
「べつに泣きそうになってなんかないもん」
「いーや、なってたね。しおらしく“ごめんなさい”とか言っちゃっておめーらしくねえっつーの」
「っ、あれは……っ!」
「けどもう平気ってわかっただろ?」
「充分過ぎるくらいわかったってば。それより、そんな急に食べてまたお腹痛くなっても知らないんだからね」
「あ、それなら平気。だって保健の先生がすぐ傍にいんだろ?」
「言っときますけど今は勤務外よ」
 もうっ! とテーブルの下で乱馬の足を小突く。それを大袈裟に痛がってみせると、乱馬が窓の外を指差した。
「なあ、せっかくだから外出てみねーか?」
 
 室内で食事を楽しんでいた時は気付かなかったが、外はかなりの強風が吹いていた。気温こそ低くはないが、髪の毛が乱れるのを嫌がってみな早々にデッキから立ち去っていく。その片隅でひやりと濡れた手すりにもたれ掛かりながら、乱馬とあかねはYの街を眺めていた。
「こうして見るとネオンがキラキラして綺麗ね」
「あー、まあな」
「でもなんだか、乱馬には似合わない」
「やかましいっ。おめーだってそんな柄じゃねーだろうが」
 そう。そんな柄ではないからこそ、照れくさくてどこかくすぐったい。
「ね、それにしてもどうして船なの?」
「あ?」
「だって、食事だけなら中華街でもどこでも沢山お店はあるじゃない」
 不思議なのはそこだった。
 最初こそ、ご飯を食べるほどには回復に至っていないと察してターミナルに向かったあかね。が、いざクルージングが始まると瞬く間に大量のおかずが乱馬の胃におさまっていく。それこそ見ていて気持ちがいいくらいで、感心すると共にあらためて例の薬が恐ろしくなったほどだ。
「ここなら誰にも見られねーだろ?」
「え?」
「だからさ、もしあかねと二人で中華街なんか歩いてみろ。あいつら全員真面目に帰ってるとも限らねーし、仮に生徒には見つかんなくても他の先生達に見られちまうかもしんねーだろうが」
「あ……っ!」
「けど流石に船の上まで目が届くわけじゃねーしな。そう考えたらコレもありかなと思って」
 …………驚いた。
 決してあかねを喜ばせたいとかムードを盛り上げたいとかそんなつもりじゃなかったのかもしれない。それでも二人になりたいと考えてくれたこと。それがあかねにとっては嬉しくてたまらなかった。
「いつ?」
「え?」
「いつ思いついたの? そんなこと」
「昼間。ベンチで休んでる時に船が港に入ってくんのが見えて、“あ、もしかしたら”って閃いた」
「そっか」
 どーだ、おれのファインプレーだろ? なんて威張ってみせるが、それだって元はといえばあかねの弁当のせいなわけで。「バカ」と言ったら、すかさず「カバ」と返された。
 ざらついた手すりは、吹きさらしの潮風で剥げた塗装を何度も塗り直したせいだろう。そこにあかねが手を置き、その後ろから乱馬が覆うように手を重ねている。
「にしても日本でこんな中華料理食うとは思わなかったぜ」
「ああ、そういえば中国から戻ってきた時なんて当分中華は見たくないって言ってたものね」
「まーな。そりゃ来る日も来る日も似たようなもんばっか食ってりゃ飽きるっつーの」
 あかねの知らない一年間の空白。それでも時折ハガキが家に届くことはあったが、あれから目に見えて乱馬が素直になったことだけは間違いない。
「……いつか、向こうであったことも教えてね」
「え? わりい、よく聞こえなかった」
「ううん。なんでもない」
 あまり中国での出来事を話そうとしない乱馬。それがあかねはいつも気に掛かっていた。が、こういうことは無理に話させるものでもない。他に話題を探し、そうだ、と思い出す。
「ねえ、確かここら辺のことを歌った曲が流行ったわよね」
「どんなやつ?」
「えーっとね、マリンルージュで愛されて、大黒ふ頭で虹を見て~ってやつ。あたし、あの曲好きだったんだ」
「ああ、なんかおめー、よく鼻歌口ずさんでたよな」
「あの頃はすっごく大人の曲だと思ったのにね。そこに自分がいるなんて、なんだか不思議」
 今、思い出した。確かその曲のサブタイトルは『秘密のデート』で、まさに今日の二人にぴったりだ。といっても本題は不倫を謳った曲ではあったが、そんなことを忘れてしまうくらいにキャッチ―で相手を愛しく思うこの曲が、あかねは昔から好きだった。
「…………秘密のデート、か」
「何か言った?」
「べつに。んで、これからどーする?」
「そうねぇ」
 二時間弱のクルージングももうすぐ終わりを迎える。
 本当は、ここから七色に光って見える観覧車に乗って。
 そしたら二人で手を繋いで。
 それから、それから……。
 パッと思いつくことならいくらでもある。
 けれどそれを素直に口にするのが妙に恥ずかしく感じるのは、これも非日常のせいだろうか。
 すっかり黙ってしまったあかねに「なんでもいーから言ってみろよ」と乱馬が問い掛けるも、そう言われると尚更言い出しにくくなったりするものである。
 そうしていよいよ船が港に戻る汽笛の合図を鳴らした時、乱馬が陸地を指差した。
「あれ、乗ってみるか?」
 それは闇の中に浮かぶ、巨大で丸い太陽のような観覧車だった。
 
 *
 
「乱馬、早く早くっ!」
「んな急がなくても平気だって」
「わかんないじゃない。もしかしたらもう閉園しちゃうかも」
「だから大丈夫だっつってんのに」
「なんでそんな言いきれるのよ」
「え……っ、そ、それは、その、」
「ほらね、あんたって適当なんだから。いいから早く、急ぐわよっ」
「ったく、おめーもちっとは人の言うこと信用しろよなっ」
 まさか、今日の昼間にちゃっかり時間を調べてあったとは口が裂けても言えない。食事を終えたばかりの重たくなった体に優しいとは言い難いスピードで、あかねが人混みの間をすいすい縫っていく。
 バカだよなあ。そんなに乗りてーんなら最初から素直にそう言えばいいのに。
 先を急ぐ後ろ姿を見ているとついそんなことを言いたくなってしまうが、ぴょこりぴょこりと跳ねる短い髪の毛は高校生の時のままで。
 こうしていると、あの頃と何も変わらない。
 乱馬の隣にはあかねがいて、あかねの隣には自分がいる。
 その光景が乱馬の胸をじわりとあたためた。
 
「どうぞ足元にお気を付けてご乗車ください」
 いかにも義務的というようなバイトの声が、次第にはっきりと聞こえてくる。
 腕時計に視線を落とせば時刻は八時四十五分、そのしばらく前から並んでいたとはいえ、そろそろアトラクションの列も締め切られる頃だろう。
 前へ倣えのように少しずつ進んでいく列の先頭を見ながら、あかねがひい、ふう、みい、とゴンドラの数を数えだした。
「どうした?」
「ううん。べつになんでも」
 とはいえ、今度は自分の前に並んでいるグループやカップルの数を指で折り、「そうよね……うん」なんてどこかガッカリした様子で一人納得している。
 ゆっくり、ゆっくりと止まることなく回転する観覧車。きらきら輝くネオンで隠れてしまいそうな星空に近付くそれは、この辺りで一番の光を発していた。
 あと七組。
 六組。
 五組…………
 徐々に乱馬達の視界から人が捌けていき、残り四組というところでちょっとした事件が起きた。
 突然、あかね達のすぐ前に並んでいたカップルが小競り合いを始めたのだ。
 しかもよくよくその会話を聞いてみると、男性のほうがトイレに行きたいと言うのに対し、女性のほうがご立腹ということらしい。
「もうっ! なんでよりによって今なわけ!?」
「ご、ごめん。我慢出来るかと思って黙ってたんだけど、やっぱり無理そう」
「せっかく紫のゴンドラだったのに!」
「だからごめんって」
 結局、係員に声を掛けて列の横から近場のトイレに駆け込む男性。残された女性は相手が戻り次第すぐに案内されるらしく、少し外れたところで待機している。が、その表情はお世辞にも機嫌が良いとは言えない仏頂面だった。そのまま周囲の視線を避けるように携帯の画面に視線を落とし、バックライトがぼんやりと女性の顔を浮かび上がらせる。
「お待たせいたしましたー。それでは先にこちらへご乗車ください」
 案内されるがままゴンドラに乗り込むと、微かに足元が揺れる。着席したのを合図に外からドアが閉められ、ガチャリとセーフティーバーの下ろされる音がした──と思ったら、今度はぐらんぐらんと全体が動き始める。
「いってらっしゃいませー」
 ガラス一枚隔てているだけなのに、スタッフの声がやけにくぐもって聞こえる。そして地上から一メートルほど浮いた時、思い出したように乱馬が口を開いた。
「さっき、すごかったな」
「うん」
「っつーか、あんなの生理現象なんだから怒ったって仕方ねーじゃねえか」
「まあ、そうなんだけどね」
 乱馬の言うことは尤もだ。現にあかねだってそう思っている。だが、おそらく彼女には彼女の言い分があるわけで。
 向かい合って座る乱馬と見つめ合うと、どう切り出していいものかがわからず外の景色に目をやった。
「多分、このゴンドラの色なんだと思う」
「色?」
「うん。あのね、ここのゴンドラって六十台のうち、一台だけ紫色のゴンドラがあるの」
「ふーん」
「で、このゴンドラがたまたま紫色だったんだけど」
「そうだったか? 暗くて全然気付かなかった」
「でしょうね」
 仮に気付いていても乱馬のことだ。一台だけ色が違うなんて変わってんな。そんなことを言いながら、大して気にせず乗り込むに違いない。
 だけど……。
「きっとさっきの彼だって、彼女のためにぎりぎりまで我慢してたのよ」
「なんで」
「なんでって……だからえっと、紫色のゴンドラにカップルが乗って……」
 
 ───頂上でキスすると、そのカップルは一生結ばれると言われている
 
 そんなジンクス、乱馬に言ったところで笑い飛ばされるに決まっている。
「ね、それより見て」
 曖昧に語尾をぼやかし、少しずつ小さくなっていく街の景色を指差した。
 ネオンで煌めく街並みは、乱反射する光が無機質なビルの輪郭を直線的に浮かびあがらせる。昼間は暑くてたまらなかった地面からの景色も、視点が変わればこんなにも美しい。まるで宝石箱の中身をぶちまけたような色とりどりの光に暫し目を奪われながら、気付けばお互い口が半開きになっていた。
「なんか、たまにはこういうのも新鮮だね」
「そーか?」
「そうよ。昔はデートっていってもお金がなかったし」
「それは今もだけどな」
「デートっていうと昔から邪魔されてばっかりだったし」
「……」
「ちょっと。都合が悪くなったら黙るのやめてもらえる?」
「おめーが変なこと言うからだろうが」
 懐かしい……。シャンプーや小太刀達に邪魔された過去があって、今がある。
 振り返ってみると、それもまたこの景色と同じ、きらきらの思い出の一つだった。
「……さっきの歌」
「え?」
「なんだっけ? えーっと、マリンルージュで愛されて、大黒ふ頭で虹を見て?」
「そうそう。シーガーディアンで酔わされて……これってデートの曲なのよね」
「ふーん」
 ポンポンと乱馬が自分の隣に空いたスペースを手で叩く。
「犬じゃないんだから」
 くしゃりと笑い、素直にそれに従った。ぎゅっと繋がれる手と手は、初めてデートした日のことを思い出す。
「続きは?」
「え?」
「二番の歌詞。なんだっけ?」
「えーっと……もしかしたら間違ってるかもしれないけど」
 ふんふんと三倍速でリズムを口ずさむ。そして「そうだ」と頷き、あかねが二番のサビを口にした。
「ボウリング場でカッコつけて、ブルーライトバーで泣き濡れて」
「ハーバービューの部屋で抱きしめ………」
 
 ───また口付けた
 
 今、二人の頭の中には同じ歌詞とメロディーが流れている。

「……もうすぐ頂上だね」
「だな」
 特に約束を交わしたわけじゃない。
 だけどそうすることが自然なように、そうなるのが当たり前のように。
 自分達の乗っている箱の下に全てのゴンドラを見下ろしながら、やっと二人の唇を重ね合わせた。
 狭い密室が、ほわりと蕩けるような甘い空気に一変する。
「………もしかして、乱馬知ってた?」
「なにが」
「いい。やっぱりなんでもない」
「いーから言えって。気になる」
「本当になんでもないから」
 どうも今日はムードに流され、乙女チックになっている自分がいるらしい。
 急に気恥ずかしくなって顔を伏せる。その隣では窓のサッシに肘をついた乱馬が、こちらを見て意味ありげな表情を浮かべていた。
「なんだ。おれはまたてっきり、頂上でキスするとどーたらこーたらとかくだらねージンクスでも言い出すのかと思った」
「くだらないとは何よ、失礼ね」
 カチンときて言い返す。が、すなわちそれはジンクスを信じていると言っているようなもので。
 途端に乱馬がニヤニヤと、人の悪い笑顔をあかねに向ける。
「ふーん。ってことはあかね、やっぱ信じてたんだ」
「な、なにが」
「観覧車の頂上でキスするとそのカップルはうまくいくってやつ。あ、そうそう、それが紫色のゴンドラだったら一生だっけ?」
「あ、あんた、なんでそれ……っ!?」
「んなの知らねーよ。前のカップルがくっちゃべってるから勝手に聞こえてきただけでぃ」
 そっか。そういえば数分前まではいかにも仲睦まじく、前のカップルが腕を組んで盛り上がっていたっけ。それをちゃっかり乱馬も聞いていたと思うとなんだか面白い。
「くだらねーよな、たかがジンクスだぜ?」
「くだらなくないわよ。だって叶うからジンクスなんでしょ?」
「どーかな。正直、眉唾もんだけど」
「あんたねえ……」
 まったく、ムードもなにもありゃしない。
 一方で、これが乱馬なのだとあらためて思い知る。そう、わかってはいるのだが。
 それまでの浮き立つような気持ちを少しだけ否定されたような気になり、あかねが唇を引き結んだ。すると、あかねの左手を一回り大きな手がぎゅっと握る。
「ジンクスより、大事なのは気持ちだろ?」
「え?」
「たかだかお目当てのゴンドラに乗れねーだけで喧嘩しちまうようなカップルなんて、どのみちダメになるっつってんの」
「あ……」
 
 …………確かにそうかもしれない。
 もしも一つのジンクスを信じてしまったら、次にまたジンクスをクリアしないと不安になってしまう。だけどそんな関係は自分達の望むものではない。
 そうじゃなくって。
 何があっても相手のことを思いやって。
 結局、相手のことを許し合って。
 時々喧嘩もしながら、笑い合えるほうがずっといい。
 
「もうすぐ一周するぜ」
「うん」
 気付けば地面がすぐそこまで迫っていた。
 扉が開くまで、せいぜいあと一、二分だろう。
 この後どうする?
 乱馬の目が、そう訊いているように思えた。
「……マリンルージュで愛されて、大黒ふ頭で虹を見て」
「あかね?」
「シーガーディアンで酔わされて」
「……」
「まだ……離れたくない…………」
 
 多分、酔わされている。
 たとえさっき口にした飲み物にアルコールが含まれていなくとも、この景色に、この時間に酔っているのだ。
 既に係員の帽子が足元に見えている。
 ほんの一瞬唇の表面を触れ合わせ、「どうする?」と訊いたら「どうする?」と訊き返された。
 こんな時、気持ち的にもう我慢出来なくなっているのはお互い様で。
 
「ありがとうございましたー。足元にご注意してご降車ください」
 ステップに足を着くと、急に地面が固く感じる。
 そのまま真っ直ぐ駅のほうに向かう……と思いきや、二人の足は繁華街のほうへと向かっていた。もちろん、乱馬とあかねの手はゴンドラから降りた時のまま、しっかりと繋がれている。
 船の甲板から眺めていたネオン眩しい色とりどりの看板。その中から二人が探しているのはちょっと生徒達には言えないような秘密の場所で、わざわざ口にせずともその目的地は明らかだった。
 すると照れ隠しなのか、急に乱馬が大きな独り言を零す。
「あー、それにしても楽しみだよなぁ」
「なにが?」
 一見、平常心を保っているあかね。こう見えて実は内心ドキドキしているのだが、それは他の教師達に見つかっては困るからという理由にしておこう。
「確か、なんでもおれの言うこと聞いてくれんだっけ?」
「…………は?」
「でもってあかねはおれのことが大好きなんだろ? あー、今晩なにしてくれんのか楽しみだ」
「ちょ、ちょっとっ」
「なんだよ」
「あ、あんたまさか、狸寝入りしてたわけっ!?」
 眉を吊り上げるあかねに、人聞きわりいと乱馬が口を尖らせる。
「おれ、べつに寝てるなんて一言も言ってねーもん。ただおめーが勝手にベラベラ喋り出しただけだろーが」
「な……っ!」
「ったく人の寝込みを勝手に襲いやがって」
「お、襲ってなんかないっ!」
 …………信じられない。
 信じられない、信じられないっ!
 このバカっ! よくも今までのうのうと知らん顔出来たものだわ!
 プルプルと込み上げる、この怒りのような恥ずかしさは一体どこへぶつければいいのだろうか。
 乱馬ときたら「おめーもかわいいとこあんじゃねーか」なんて笑いながら、ニヤニヤとだらしなく頬を緩ませている。おそらく頭の中ではどんなお願いをしようか、そのことでいっぱいになっているに違いない。
「ん? どーしたあかね、腹でもいてーのか?」
「それはあんたでしょっ!」
 失敗した。
 それもこれも、全てはあの弁当から始まったのだ。
 もう二度と弁当なんて作らないと誓うあかねに反し、こんな美味しいご褒美が待っているならいくらでも受けて立つ姿勢を見せる乱馬。
 ウキウキと先を急ぐ乱馬に待ったをかけるよう、あかねが足を止める。
「……………………いいわ」
「え?」
「約束通り、なんでもひとつ乱馬の言うこと聞いてあげる」
「ほ、ほんとに……っ!?」
 自分で言っておきながら、いざあかねが覚悟を決めると驚くなんて卑怯じゃないか。これではまるで、あかねが積極的にそういうことを望んでいるみたいで猛烈な恥ずかしさが込み上げてくる。
 いや、でも───あながち、それも間違いではないのかもしれない。
 夜の空気にあてられた気持ちを誤魔化すよう、昼間の女子生徒みたいに乱馬のシャツを引っ張る。
「そのかわり、そっちだって約束守ってよね」
「約束って?」
「……さあ? 知らない」

 それははたして、また弁当を食べてくれるという約束か。それとも観覧車の頂上で交わした一生のジンクスか。
 どちらにせよ、そう遠くない未来にそれが叶えられるのは確かなこととして、その晩二人の間でどんなお願いがなされたのか。
 それはやっぱり、早乙女先生と天道先生だけの秘密なのである。
 
 
 
 < END >



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2018/05/17 Thu 01:31:07
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2018/05/17 Thu 14:10:08
Re: 何とタイムリー! : koh @-
k~コメント主様

Yデートって言ったらもうこの曲しか思い浮かばないんですよね。
そして何年経っても色褪せない名曲。私はそのCMを観てないのですが、これぞ初夏のデート!手感じがします^^。
(逆に遮るものがないので真夏にブラブラしたら溶けました……)
かつては研修でちょこちょこYまで足を運んでいたのですが、今はせいぜい一年に一度遊びに行くくらい……行こうと思えばあっさりいける距離でもあるし、行ったら丸一日楽しめる。なのにどこか異国を想わせる町並みはいつも気持ちをワクワクさせてくれます^^。
クルージングとかも結構気楽に当日参加できちゃうんですよね。ここら辺も自身の実話を大いに含んだ半日記のようになっていて……あ、でも残念ながら(?)私の隣には乱馬のようなカッコいい彼がいるわけでもなく、主人や子ども達なのですが(^^;。
勝手な私の想像なのですが、このシリーズの乱馬君は通常社会人編の乱馬より ちょいおバカな願望も持っているのではないかと。でもってあかねちゃんも「はいはい」なんて適当にあしらいつつ、実は楽しくそれに応じているんじゃないかなぁ、なんて思っちゃいました。
『彼女に言えないけどして欲しい5つのこと』なんてネタを寝る前に読んで妄想を膨らませていることは内緒です♡←
2018/05/17 Thu 20:40:33 URL
Re: No title : koh @-
り~コメント主様

そういえば確か、コメント主様はテーマパークとかお好きじゃなかったでしょうか?
きらきらネオンが眩しくて、みんなが仲睦まじい様子で楽しそうにしているとそれだけでテンションが上がるんですよねぇ^^。
是非是非、よろしかったらまたお時間のある時に読み返してやって下さい♡
2018/05/17 Thu 20:40:52 URL
Re: ありがとうございました!! : koh @-
m~コメント主様

仕事終わりの開放感とデートのお誘い、喜びも倍増ですよね^^。そにきて週末休み……そりゃもうウキウキなはずです。
乱馬には申し訳ないのですが、すっごくスマートでカッコいい大人の乱馬ってあまり想像出来なくて、いくつになっても子どもっぽくて我儘で行き当たりばったりで。だけど高校生の頃には出来なかったようなことを少しだけ頑張ってみせる。そのくらいのさじ加減が好きなのかもしれません。まあ、結果的に彼女の前で無理した挙句ひっくり返ってしまったわけですが…笑。
でもなんだかんだであかねちゃんに関することはちゃんとアンテナを張ってそうですよね。原作でも良牙や真之介の会話にいちいち「なにい!?」と反応していたし、そこら辺は変わっていないといいな^^。
そして甲板での後ろからホールドする乱馬……。
実はこれ、私がまだ結婚したての頃になぜかクルージングに行って、夜景を見ながらちょっと気取っていたら突然ワンピースの後ろのファスナーが壊れるアクシデントがあったのです。もう背中の下まで全開で、慌てて主人に後ろに立ってもらい、船を降りてショッピングモールで服を調達するまで恥ずかし過ぎました…汗。
季節もいいし、また中華街をぶらぶらしたくなってきちゃいます^^。
2018/05/17 Thu 20:41:13 URL
Re: タイトルなし : koh @-
青~コメント主様

ふふふ、「おもしろかったぁ!」ありがとうございます。
Y遠足、もしくは鎌倉遠足がこちらの地域ではメジャーな感じで、海を見ながらキャッキャしたのが四半世紀前って……え??(今、素で驚いています)
ちなみに京都、奈良は中学校で、広島方面は高校で行ったりしていました。懐かしい。何より、我が家は父が旅行好きなので普通では考えられないくらいあちこち連れ回され、学生時代は「たまには週末家でのんびり過ごしてみたい…」とか願ったものです。今思うとその経験が記憶として残っているので感謝ですよね。
そしてお弁当、コメント主様なかなかいい線ついてます笑。
なんといってもまだ学校が始まって一カ月しか経っていないので、ここから色々、です^^。
っていうか、まだ一カ月か……先、長いですね……汗。
あかねの魅力はただじっとして守られているだけじゃないところですよね。ヤシの実のシーンなんて私も「え?あかねに割らせるんだ」って思いましたもん笑。
でもくわ!っと歯を剥き出しにしながら闘うあかねちゃんだからこそ、やっぱり唯一無二で好き。
大人になっても危機管理や社会人としての立場に加えて、昔のまま変わらないじゃじゃ馬加減があったらいいなと思います^^。

PS.ツバメの巣の件、良かったです!傍からすると危険があるように見えても、野生の本能でしっかり危険を回避できているのかもしれませんね。
2018/05/17 Thu 20:41:37 URL
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2018/05/17 Thu 23:26:19
Re: No title : koh @-
り~コメント主様

わー、おかえりなさいっ!そしてわざわざコメントまでいただき、感激です。
私はあんまりテーマパークに詳しくなくて自分が行ったことのある場所しか書けないというのもあるのですが、こうしてその風景の中で笑顔の二人を想像するとまたふらりと遊びに行きたくなっちゃいました^^。
確かに今回は直接二人が絡むだけあって、今までのお話より会話が多めですよね。ようやくこの三人称(もどき)の書き方も少しずつ慣れてきて、このお話はサクサク書き進めることが出来ました。
今までは「あたしが……じゃない、えーっと、あかねが……あれ?どう書くんだ?」といちいち止まっては悩んでいたもので(^^;。
大人になって少しだけ余裕ができて、でももうひとつの社会人編ほどは大人じゃない(向こうは世界を知っている裏設定があるので考え方が数歳落ち着いています)二人を妄想するのは本当に楽しいです。
妄想……いえ、正しくは勝手に二人が頭の中でワーワー騒いでいる感じでしょうか。
とにかく、それもこれも読んで「楽しかった」と言ってくださるお言葉のおかげです。本当に。
そして自分ではなかなかわからないですが、出来るだけ伝わりやすさと読みやすさを心掛けているので、そこも褒めていただいて感激しています////
何より、乱あ愛が伝わってくると言っていただけて嬉しい……✨
ありがとうございました♡
2018/05/18 Fri 00:15:28 URL

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