乱馬君の一日 

2016/06/08


ある日の朝 ―。
時刻は朝5時半。いつもだったらまだ布団にくるまって寝ている時間だ。
目覚まし時計が鳴る前におれはそっと布団から身を起こす。
なんせ、同じ部屋には親父とお袋が一緒に寝ている。
高校生にもなって親と同室と言うのもどうかと思うが、いかんせんそこは居候の身。
おれは二人を起こさないように静かに部屋を出ると、まだ眠たい身体を引きずって顔を洗いに行った。



カラカラカラ……
そのまま天道家の玄関の戸を開けて外へと出る。
5月の太陽は既にぼんやりと街を照らし、静かな住宅街に鳥のさえずりだけが響いている。

(こういうのは先に出とかないと、まるでおれが追いかけたみたいに思われるからな)

おれは誰に言い訳するでもなく心の中で呟くと、屋根に上って家の前の様子を伺うことにした。



10分程経った頃だろうか?
Tシャツ姿に短いショートパンツのジョギングウェアであかねが門から出てくるのが見えた。
おれの存在に気が付くことなく軽快に走り出す。
おれもそんなあかねの後ろを付いていく。

辺りは明るくなってきたとはいえ、その人通りはまだ閑散としている。
耳をすませば、あかねの弾む呼吸の音さえ聞こえてきそうな静けさ。

あかねは真っ直ぐ前を見て走る。
おれもその後ろを屋根や電柱を伝って追いかける。




そろそろ折り返そうかという頃に、おれはおもむろにあかねの前に着地した。

「よう」

「乱馬!」

いかにも偶然。
全然あかねに気付かなかったぜ。
むしろ、おれのロードワーク中にあかねが紛れ込んできた、というようにさり気なく。

「どうしたのよ?随分と早いじゃない」

「まぁな」

案の定、あかねはそんなおれの様子に気付いていない。

「にしてもいつからここにいたの?全然気が付かなかったわ」

「おれだってそうだよ。たまたま後ろからイボイノシシみてぇな地響きがすると思って振り返ったらおめぇが見えて…」

「言いたいことはそれだけっ!?」

ゲシ…ッ!とあかねの拳がおれの顎を捉える。
きょ、今日も朝からキレ味するどいじゃねぇか…。




「ったく朝から失礼ね!もうあたし、行くからっ」

そう言ってあっさりおれを置いてけぼりにすると方向転換するあかね。

「まぁ待て。せっかくだから一緒に家まで帰ってやるよ」

おれは仕方ねぇなという態度で、あかねの横のフェンス上を足場に走る。

「はぁ?別に頼んでないわよ」

「ったくおめぇは可愛くねぇな」

「可愛くなくって結構です」

「じゃあさ、勝負しねぇ?先に家に着いた方が好きなおかず一品もらうっての」

にやりと。
あかねの性格なんぞお見通しのおれは挑発するように持ち掛ける。

「その勝負、のった!」

単純なあかねが途端に愉快そうな目をしておれに返事する。

「あ、でもちょっと待って」

「んだよ?」

突然あかねが立ち止まって足元を押さえた。

靴紐でもほどけたか?
そう思ってフェンスの上から飛び降りようとしたその時





つん…

バシャ―――――ン!!!


完全に油断していたおれはあかねに突かれてそのまま用水路へと転落する。




「へへっ。ハンデだよーだ!」

そう言って楽しそうに笑いながら、加速して走り出すあかね。
ば、ばっかやろ~ッ!!
頭の先からずぶ濡れになって女に変身しちまったおれは、慌ててあかねの後を追いかける。
ほんとにこいつだけは有り得ない。
ボタボタと水滴の後を残しながら、早朝の街中を走る女の姿のおれ。
あのなぁ。
何の為におれがこんな朝早くからロードワークに付き合ってやってると思ってんだよ!?
おめぇが昨日の夜「明日は久し振りに走りに行こうかな」なんて言ってたからだろうがっ。


だいたいよ。
5月ってのは急にあったかくなってきて露出が増える季節なんだぞ?
そんな時期におめぇが率先してそんな短いパンツなんか履いてんじゃねぇよ!
ショートパンツからすらりと伸びるあかねの白い足を、なんでわざわざ他の男に見せなきゃならんのだ。

これから夏は夏で更に露出が増える。
一度あかねがタンクトップでジョギングに出掛けようとした時は、ありとあらゆる罵詈雑言であかねを説き伏せ、おれの身を挺してそれを阻止した。
まあ、早い話が「寸胴、ぺちゃパイ、その小さな胸をしまえ」っつって無理やりTシャツを上から被せ、その代わりにおれが殴られたんだけどな。
自分の姿が他の野郎どもにどう映っているのか、これだから自覚のない女姉妹の末っ子は困るんだ。

かと言って、秋は秋で人肌恋しくなる時期で変な輩が出てくるかもしれないだろ?
冬は一気に日が短くなって、女一人ではとてもじゃないが危険だ。
春になると変質者どもも一斉に目を覚ます…。
結局、なんだかんだでおれはこのパトロールを止めることが出来ないんだ。




この日の朝食は、俺の大好物の温泉卵をあかねにとられてしまった。
隣で嬉しそうに笑っているあかね。くそっ。

「あ、もうこんな時間!乱馬、行くわよ」

そう言うや否や、急いで歯を磨いて学校まで駆けて行く。
朝も走って今も走って。
なんでこいつはこんなに朝から元気が有り余ってるんだ。




そうこうしている間に校門へとたどり着く。
と、その視線の先にいるのは…

「天道あかねー!!交際しよう!!!」

イケメン変態、九能の姿。
おれは九能があかねに抱きつく1秒前に、その顔面に蹴りを入れる。

「はよーございます。九能センパイ」
「早乙女…貴様ぁあ!!」

突き突き突き突き―――っ!!!
怒涛の攻撃が始まる。


あかねはというと、そんなおれと九能の様子などお構いなしと言った様子で
「乱馬。あたし先に行ってるわよ」
そう言ってそのままゆかとさゆりと一緒に下駄箱の方へと行ってしまった。
このままでは無駄に体力と精神力だけある九能に絡まれておれの朝の時間はつぶれてしまう。


いかんいかんっ!
おれにはもう一つ大事な仕事があるんだった!!
そう思い出すや否や、おれは九能にとどめを刺すとあかねの姿を追い越し下駄箱へと向かう。
えーと…あかねの場所は…
パカリと靴入れの扉を開ける。

(ふむ…今日は一通だけか。…ってことは放課後かな)

即座にそれを目視すると、おれはそのまま何事もなかったかのように振る舞って教室に入った。





かったるいホームルームを終えると授業が始まる。

1時間目、俺は先程までの疲れを取るために早速睡眠の時間へと充てる。
初夏の日差しが何とも心地よい。
朝から体を動かしたこともあり、すぐさま夢の世界へといざなわれていく…。


2時間目。
男女ともに体育の時間だ。
流石に俺も着替えるために机から身を起こす。
と、突然廊下のロッカー付近が騒がしくなった。

「きゃー!ブルマ泥棒―――!!」
「じじいっ!てめぇ!!!」

出やがったな、このクソじじい!
ったく毎回毎回、高校に忍び込んでロッカーを漁ってんじゃねぇよ!
これが曲がりなりにも親父共の師匠だと思うと情けなくなってくる。
っつーか、せめてあかねのブルマには手を出すんじゃねぇ!!

あっという間に、おれ達はここが学校ということも忘れて激しい乱闘を繰り広げる。
「じじい!覚悟しやがれ!!」
あと一歩!
そう思った瞬間、ひなちゃん先生から『八宝五十円殺』をまともに食らってじじいとおれはその場に倒れ込む。
そのまま弁解する間もなく『八宝つり銭返し』を受けたおれは心身共にズタボロだ。

「まったく早乙女君!いつもブルマを漁って悪い子ね!」
ひなちゃん先生の言葉に「やだぁ、早乙女君ってそんな人だったのね」とざわつく声が聞こえる。
あかねはと言うと、恥ずかしくって見ていられないと言った感じでツンと更衣室に歩いて行ってしまった。

ち、ちくしょ~。
だ、誰のためにおれがこんな目に合ってると思ってるんでぃっ!

その後の体育の授業の活躍で少しばかり俺のイメージを回復するも、昼になる頃にはすっかりおれは疲れ果ててしまっている。はぁ…。





そしてようやく待ちに待った昼飯時。
おれは急に元気になると、おもむろにかすみさんが作ってくれた弁当を広げた。
しかし、昼休みだからと言って決して油断は出来ない。

ドゴーン…。
遠くからその地響きが聞こえてくる。


「你好、乱馬!愛妻弁当、食べるよろし♪」
そう言っていつものように壁を破壊しながらシャンプーがやってくる。
ったく、毎日毎日どうなってやがるんだっ!

「おれはかすみさんが作ってくれた弁当があるからいいんだよっ!っつーかシャンプー、おまえランチ時で忙しいんだろうが!いいから帰れ!」
「乱馬。私のこと心配して気遣ってくれているのだな。大歓喜!」
「ばっ、ばかっ!違うっつーの!」

ちらちらとあかねの様子を伺う。
その視線の先からはどす黒いオーラが漂っていた。
おれは抱きついてくるシャンプーと、そこにあかねから飛んでくる椅子を避けるのに狭い教室内を必死で駆け回る。
だーっ!昼飯ぐらい、落ち着いて食わせろっつーの!



その延長戦とでも言うように、更に放課後は小太刀とうっちゃんの乱闘に巻き込まれる。
「あんたがはっきりしないからでしょうがっ!」とあかねは吐き捨てるけど、バカやろう!
おれがこうしておめぇの盾になってやってんじゃねぇか!とは口が裂けても言えない。

結局、体中に無数の傷を負いながら、なんとか二人の姿を撒く。
はぁ…あいつら、本当におれのことが好きなのかよ?
頭に突き刺さったヘラやバラの花びらを取り去りながら、おれはそんな疑問を拭えない。




やれやれ…と。
そうだ!こんなとこで油を売ってる場合じゃねぇ!
大切な用事を思い出したおれは慌てて校舎に駆け戻る。

(えーと…あかね、あかねの姿は…)

教室には…いねぇ。けど、鞄はある。
ってことはまだ帰ってねぇってことだな。
屋上…いねぇ。
委員会室…いねぇ。
…んじゃあ、残るはあそこか…。


おれは委員室の窓から飛び降りると、そのまま木の間をすり抜け校舎の裏の一角に移動した。
ここは人知れず告白するのに最適な場所として、しばしばあかねが呼び出されている。
かくいうおれも、実は何度かここで告白らしきもんをされたことがあるけど、それはあかねには内緒だ。
じっと木の上で様子を目を凝らしていると、風に翻る水色のスカートが見えた。


「…だから天道さん。俺と付き合ってもらえないかな?」

あれは確か、一つ年上のサッカー部の…。
あかねはともかく、クラスの女子共がキャーキャー騒いでたっけ。

「ごめんなさい」

いつものあかねの台詞にホッとするおれ。

「…早乙女君がいるから?」

その男の声がはっきりと聞こえた。



ドキリ…ッ
おれの鼓動が速くなる。

あ、あかね…あかねはなんて答えるんだろう…。
おれが一人でドギマギしていると、どうやらあかねが何かを言ったらしい。
その声は小さくておれには聞こえなかった。
男は悲しいような、でも仕方ないなというような顔をしている。

「じゃあ…天道さん…」

そう言って男の手があかねの手に触れようとした。
おれはすかさず

「あかねー?こんなとこに居たのかよ!?先生が探してるぞ」

そう言うや否や、強引にあかねの手を取って引っ張っていく。

「あ、ちょ、ちょっと…!すみません…っ!!」

慌てて後ろを振り向きながら謝るあかね。
なんだよ、他の男にだけ優しくしてんじゃねぇよ。
そのまま無言で教室まで速歩きで歩いて行く。



「ちょっとなによ!?先輩に失礼でしょうが!」

背中であかねが抗議の声をあげているが、そんなのはお構いなしだ。
繋いだ手だけはお互い離さずに、誰もいない教室に到着する。

「…で、先生はどこよ?」

少し呼吸を乱したあかねが聞く。
あ、そう言えばそんなこと言ったっけ。

「さぁ?あかねがいないから諦めたんじゃねぇの?」

おれは適当な返事をする。

「もう…」

呆れたようにため息をつくあかね。
そのまま、あかねは口を閉ざす。
おれも何も喋らない。





静かな二人きりの教室に、チャイムの音だけが鳴り響く。

「なんなのよ、まったく…」

「…」

なんなのと言われて、素直に理由を言えるはずもねぇ。
おれが黙っていると

「あ…………もしかして乱馬、ヤキモチ妬いちゃった?」

あかねが無邪気に確信を突いてくる。
おれは内心、ドキリと心臓が跳ねるのを感じつつ、

「けっ!だーれがおめぇなんぞにヤキモチなんか妬くかっつーの」

素直になれない言葉を吐く。

「じゃあ邪魔しないでよ」

ふんっとむくれるあかね。

あれ…



「お、おい…もしかして、おめぇ、あいつのこと……」

「そんなわけないでしょ?ただ、さすがにあの態度は失礼だと思って」

あかねの言葉に思わず安堵する。
なんだよ、ビビらすんじゃねぇよ。
おれは一気に力が抜ける。
そんなおれの様子を見ながら、あかねが小さくため息をついた。

「いいからもう帰りましょ」

そう言って二人で学校を後にする。




手を繋ぐわけでもなく、隣を歩くわけでもなく。
あかねは道路を。
おれはフェンスの上を歩く。
なんでもない、こんな日常の時間…
だが、おれ達に普通の日常は存在しない。



「シャンプ―――!!」

突然の叫び声より一瞬だけ早くおれはあかねの身体を捕える。



「…ん?なぜだシャンプー。急に体がゴツくなったではないか……」
「誰がシャンプーじゃいっ!!!」

すぐさまムースを空の旅へと送り出す。
ったく毎回毎回あれじゃあ、シャンプーの心を掴めないのも無理はねぇ。
おれは呆れたように小さくなっていくムースの姿を見つめる。




「あ、あの…」

「ん?……あっ!」

おれの腕の中には咄嗟にかばったあかねの姿。

「ご、ごめんっ!」

「う、ううん、ありがと…」

お互い真っ赤になって身体を離す。
っつーか、いちいち赤くなんなっ!変に意識しちまう。



「…」

急にもじ…と何も話さなくなるあかね。
そんな横顔を見ていると、
(…やわらかかったなぁ……)
先程の一瞬の感触を何度も手の平で思い出しちまう。

意識しない時はこうして簡単にあかねに触れられるのに、いざそれに気付いちまうと途端に機械仕掛けのロボットの様に錆びついてしまうおれ。
結局その後の会話もままならないまま、おれ達は家路に着いた。





家に着いてもおれの試練はまだまだ続く。
夕飯の前に道場で汗を流していると不意にあかねがやって来た。

「毎日毎日精が出るわねぇ」

そう言ってパサリと俺の頭にタオルをのせる。



ごし…と。
おれの汗を拭うあかねからふわりと甘い香りがする。
おれはそのまま押し倒したくなるような衝動を抑えるのに必死だ。
頼むからよその野郎どもにはこんなことするんじゃねぇぞ!?

結局、夕飯を食っても風呂に入っても、おれはついついあかねのことばかり考えちまう。
一緒に住んでる以上、これが毎日のように繰り返されているわけで。
本当はあかねの一挙一動にドキドキしてたまらないのに、それを感じさせない自分はなかなかの演技力なんじゃないかと思う。


「ふぅー…」

あかねより一足先に風呂から上がると、なにやら玄関の方であかねの嬉しそうな声がした。




「きゃー、Pちゃん!!おかえりなさい!!」

その胸に抱きかかえられているのは、ブタの姿をした憎き良牙。
く…っ!まさか、まだ敵が潜んでいたとは…。

かと言って、ここでP助を無下に扱うとまたおれがあかねにどやされる。
おれはにこにこしてあかねとP助に近付くと

「おーPちゃん、久し振りじゃねぇか」

その表情とは裏腹にP助の頭をごりごりと指圧する。
さてと…



「ん?ところでPちゃん、ちっと汚れてるんじゃねぇか?」

おれはさも心配している風に、大袈裟に声をあげた。

「どこ?…あ、ほんとだ!」

単純なあかねはP助の汚れたバンダナを見て同意する。

「あかね、これから風呂だろ?ついでにPちゃんも風呂に入れてやれよ」

おれは笑顔で悪魔の宣告をする。



ピギィィィ―――!!


途端にP助が短い手足をバタバタさせて抵抗をする。
ひづめでおれの顔をしこたま蹴り上げると、そのまま元来た道を一目散に逃げてあっという間に見えなくなってしまった。


「Pちゃん…せっかく会えたのに…」

あかねがうっすらと涙ぐむ。



だーっ!!
良牙のためになんか泣いてんじゃねぇよ!!
ちっと可哀想だったかな…そんな先程までの思いはあっさりと打ち消され、おれはしっかりと玄関の戸締りをする。
悪いな、良牙。
いくらお前がブタの姿だろうと、あかねの胸にその身体をうずめるなんざ認めるわけにゃいかねぇんだ。
これもあいつにとって一つの修行になるだろう。
おれは都合よく解釈すると、早々に頭の中を切り替える。


「ところであかね、宿題終わったか?」

「終わったけど…なんで?」

「聞かなくても分かんだろーが。じゃ、あかねが風呂から出たら部屋に行くからな」

「ちょ、ちょっと!」

おれは明日の宿題の解答権利を強引に確保すると、ようやく居間でテレビに興じる。
っつーか、一日のうちでこのくらいしかのんびり出来る時間がねぇんだからしばし休息だ。
こう見えて意外とおれだって忙しいんだからな。






それから30~40分経った頃だろうか?
おれは宣言通りあかねの部屋の前に行くと

「あかねー?入るぞー」

とノックもせずに入っていった。



「きゃあ!!」

そこにいたのはキャミソールに短パン姿のあかねの姿。
ブラ、は…していない。
女の服には精通しているおれ。だてに女物の服着てるわけじゃねぇんだ。


「あんたって人は!!毎回ノックしてって言ってんでしょうがっ!!」

「ご、ごめんっ!!」


次々に飛んでくる物体を避けながら、おれの脳裏にしっかり焼き付けられる先程のあかね。
しっとりと濡れた髪にピンク色に上気した肌が妙に色っぽかったよなぁ…。

そんなことを思うと、途端に反応してくるのが悲しい男の性。
おれはすぐさま、咄嗟に浮かんだスチャラカ親父の顔を思い浮かべて自身の熱をやり過ごす。
うげ…っ。
っつーか、この対処法、どうなんだよマジで。



部屋の前の廊下でしばらく立たされていたおれは、ようやくあかねの部屋の入室を許される。
そこで目にしたあかねは、いつも通り上下のパジャマ姿だった。

「まったく…レディーの部屋なんだからノックくらいしてよね!」

せっかく火照りを冷ましていたのに…そう言って少し赤くなりながら小言を言っている。
レディーってどこだ?思わず出そうになった言葉を飲み込んでおれは素直に返事する。
さすがにこれ以上、傷を負ってる場合じゃない。
にしても、あかねだって本気で頭に来ていたらおれを部屋に上げなきゃいいだけの話なのに、なんだかんだで毎回それを許されていることに自然と頬が緩む。


「で?あんたは自分で宿題やる気はないわけ?」

「ない」

「あんたね…」

この上なくはっきりしたおれの物言いに、あかねが呆れたようにため息をつく。

「でも乱馬、明日は英語で当たるんじゃなかった?」

「げっ!そうだった…」

まずい。すっかり忘れていた。
格闘に学歴は関係ねぇと言いつつも、あまりみんなの前で恥をさらすのも情けねぇ。
仕方ない、奥の手を使うか…。



「あーかね」

「…」

「あかねちゃん」

「…」

「あかね様」

「……なによ」

この際、プライドだとかはどうでもいい。
おれは精一杯の笑顔を作ってあかねに媚びる。

「な?明日の範囲だけ一緒に勉強しようぜ」

「一緒にって…ほとんどあたしが考えるんでしょうが」

「いいじゃねぇか別に。おめぇの勉強にもなるんだからさー」

一瞬しか持たないおれの低姿勢に慣れているあかねが「もう、しょうがないんだから」と言いながら自分の椅子の横にスペースを空ける。


「いい?一回しか説明しないからちゃんと聞いててね?まず、この助動詞が…」

あかねが教科書に目を落としながら、解説を始めた。



ふわり…
風呂上がりの何とも言えない女の香りがおれの鼻先をくすぐる。
ドキリ…ッ。
おれは今更ながらに二人の距離の近さを自覚する。


ドッドッドッドッ…。


おれの心臓の動悸など、まるで気付かないように黙々と勉強を進めるあかね。
そんなあかねの横顔からおれは目を逸らせない。

あかねの睫毛、長ぇよな…
少し伏せられたその睫毛の先にはうっすらピンク色の唇。
時々、シャーペンの頭をうーん…と唇に当てるその仕草がたまらなくそそる。

……。

この唇がいつか、誰かとキスすんのかな…。
つい、そんな不埒なことを想像する。




…と、

「ねぇちょっと。聞いてる?」

突然、あかねにおれの顔をのぞき込まれた。

「さっきからぼーっとして…あんた、授業中にあれだけ寝といてまだ足りないわけ?」

「ばっ!そんなんじゃねぇよ!」

くそっ、人の気も知らねぇで…。
誰のせいで毎日俺が疲れてると思ってるんだよ。
心の中で悪態をつきつつ「で、どこだったっけ?」と取ってつけたように机の上の教科書に手をやる。
その時、二人の肘が触れてそれに驚いたおれは思わず消しゴムを落としてしまった。

「あ、ごめん」

「もう。なにやってるのよ」

そう言って二人同時に机の下に頭をかがめる…

ごちんっ!

「いたっ!」
「いてっ!」

お互いの額同士を思い切りぶつける。
顔を上げた瞬間。

あっ…

一瞬だけ唇に温かい感触が走った気が…した…。






…えっと。
えーっと。

おれがギシ……とかたまっていると、同じく真っ赤な顔をしたあかねが驚いたような目をしておれの顔を見つめている。
かと思うと、

「…け、消しゴムあったからっ。先、進めるわよ」

きぃ…と椅子を回転させると、いつもと同じ様子でまた机の方を向いた。




……………。

…なんでぃ。
もしかしておれの勘違いか?
いや、でもな…。
実はあかねの心臓が飛び出るほどにバクバクしていることなど、おれは知る由もない。



「ちょっと乱馬。続きはやるの?やらないの?」

「あ、やる!やります!」

耳の先まで赤くなったあかねの呼びかけに、慌てておれも隣で姿勢を正す。

(まぁ、たまにはこんなご褒美のハプニングくらいないとやってらんねぇよな)

その実、頭の中には英語がちっとも入ってこない。





それにしても……結局どっちだったんだろうな…。
そんな事を悶々と考えながら。

おれにとっての普通の一日が終わろうとしていた。




< END >


♪ Peace! / SMAP



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