Survivor 04.忠告 

2018/06/15


 茜溺泉を埋め立てた翌日──、まるでおれが泉を消滅させるのを待ち構えていたように、呪泉洞は朝から雨に見舞われていた。
 テントを叩く雨粒の音で目を覚まし、速やかにそれを畳む。そしていつものようにガイドの小屋へ足を運べば、何やら大掛かりな荷造りしている親子の姿があった。
「おめーら、一体何してるんだ?」
「見たらわかるある。これから両親の里へしばらく帰省するね」
「帰省?」
「そう。これからこの呪泉郷、しばらく雨続きになる。そうなれば仕事ない。たまには実家の両親に孫の顔見せるよろし」
 なるほど、そういうことか。それにしてもそんな事情ならもっと早く言ってくれたらいいものの、こうして自分以外に対する関心が薄いこともまた気楽でいいのかもしれない。
 とはいえ、一度はこの呪泉洞の水が枯れるのを救った恩人でもあるおれ。それに関しては今も恩を抱いているようで、帰る前にいくつか旅のアドバイスと注意なんかを教えてくれる。
 そこで引っ掛かったのが次の台詞だった。
「大事なことひとつ。お客さん、決して東へは近付かないよろし」
「東へ? なんで」
「詳しいことは私もわからないね。ただ、これより東部の地域は部族の集団よ。昔からある十ニの集落、その結束力は国の力より強いね」
「へえ」
「部族の者、決して余所者を受け入れない。仮に受け入れたとしても無傷ではいられない」
「そーゆーおっさんは、その部族とやらに行ったことあんのか?」
 とんでもないとブンブン首を横に振るおっさん。どうやら、同じ国内といっても広大過ぎる土地では全ての情報が統括されておらず、真偽が不確かな以上近寄らない方が賢明としているらしい。
 それでも風の噂でぼんやり耳にする情報といったら、やれ女しかいない村だの、年寄りしかいない村だの、更には獰猛な戦闘民族や武器使いに長ける集落、一度踏み込んだら二度と出てこられない集落まで在るとして、どれも穏やかではない。しかしながらおっさんにとっては何一つ惹かれない噂話も、おれの興味をひくには充分だった。
 近付くなと言われればかえって血が騒ぐ。それはおれの悪い癖なのだろう。
 そしてもう一つ、ガイドの言うことを素直に聞き入れられない事情があった。
 それが今いる所在地である。
 まず、ここ呪泉郷に止まることは真っ先に選択肢から消えた。なんせ雨が降るこの場所に独り残ったところで、食料もなければなんのメリットもない。
 それどころか、雨で薄まった──もっといえば、雨で水が混ざり合った可能性のある泉の傍にいるなど、危険以外の何ものでもなかった。
 加えておれが中国に到着した当初、ガイドとプラムが気になる台詞を口にした。

 *

「お客さん。茜溺泉埋め終わたらお客さんはどうするあるか?」
「どうするって?」
 スコップの土をずしゃりと飛ばし汗を拭う。じわりと玉のような汗を浮かべる腕も肩も、連日の疲労でパンパンだ。が、そんなことには大して関心も見せず、おっさんは呑気にパイプを吹かす。
「この後。まだ中国で修行するか? それとも男になてすぐ、あかねさんの元に帰るのか」
「お、おれは別にあかねの元になんか……っ」
 そこまで口にしてやめた。思えば前回送ってくれた男溺泉はあかねとの祝言騒動でダメになったと耳に入っているだろうし、そもそも他人の恋仲など大して関心ないだろう。
 それより、なぜそんなことを聞いてくるのか不思議だった。
「決まってんだろ? コレを埋めたらとっとと男に戻って修行するんでい」
「修行あるか? どこで?」
「どこって……んな具体的に決めてるわけじゃねーけど、地方を渡り歩いて武道大会に出たりとか。あんだろ? そーいうの」
 たとえば女傑族の武道大会。確か、あのような催しが都心部を外れたあちらこちらで行われていると聞いたことがある。
 しかし、そこで渋い顔を見せたのはおっさんとプラムだった。何やらひそひそと早口な中国語でやり合い、うんうんと頷く。そして今度はプラムが切り出した。
「お客さん。ならば完全な男になるの少し待つよろし」
「はぁ?」
 意味がわからねえ。これから格闘で鍛えるってのに、女に変身するメリットなど一つも見当たらない。ましてや、これからこの地域はまとまった雨が降るだろう。そこでいちいち女になってしまうほど面倒くせえものなんかねーんだ。
 しかし、おっさんとプラムは頑として譲らない。
「お客さん、中国人違う。言葉、まだあまり話せない」
「まあ、そりゃそうだけどよ。けど別に格闘には関係ねーだろ?」
「関係大ありね」
 なんでもこの辺りの地域は昔ながらの考えが根強く、余所者に対しての警戒心は日本とは比べものにならないらしい。
 特に男の場合は要注意だ。なんせ都心部への出稼ぎで若い男性の人口が急激に減ってきている今、外国人の男は疎外されるか、逆に結婚を迫られるかのどちらかというのだから物騒な話である。
 おれはかつての掟──女傑族のしつこさを思い出し、背中に一筋の汗が流れるのを感じた。
「で、でもよー、普通のやつは生まれた時からずっと性別が決まってるわけだろ? ならおれだって男だけでいいんじゃねーか?」
 それでも到底納得できず、未練がましいことを言うおれ。その剣幕とは対照的に、おっさんは悠々とパイプをふかしている。ぷかりと浮いた煙がのんびりと空に吸い込まれ──そして美味そうに次の紫煙をくゆらせると、「わかたある」と膝を叩いた。
「ならばお客さん。茜溺泉埋めた翌日の天気で決めたらよろしある」
「天気?」
「そう。晴れならば男戻る。雨ならば女のまましばらく過ごす」
「へっ。たかが雨ごときであほらしい」
「たかが雨違う。お客さん、一度呪泉郷に落ちた身。泉の水、雨で薄まてないほうがいいね」
「そーいうものか?」
 それを言われると正直痛い。ついでにプラムがこの地域にまつわる言い伝えを口にした。
「雨は天からのお告げね。中国人、占いとてもよく大事にする。お客さんも信じるよろし」
「……わかったよ。おめーらがそこまで言うなら信じようじゃねーか」
 
 そして今日、天はおれに「暫く変身体質で過ごせ」と忠告したらしい。
 これはこれで百パーセント納得出来るかといったらそうではなかったが、ここ、呪泉郷にいるといつまでも未練を断ち切れなさそうにないのでおれも移動を決めた。
 にしたって、行く場所は限られている。
 まず、これより西は物価が高くてとても住めたものではない。かといって北は食糧事情に厳しく、南部へ下ることはそのまま雨雲の中へ突っ込んでいくようなものだった。
 となると、残されたのは────
(おっさん達も知らねえ部族だと? 上等じゃねーか)
 喉の奥がゴクリと鳴った気がした。
 とはいえ、丸腰でみすみす危険の中に飛び込むほど、おれだってバカじゃない。
 カーキ色のリュックのファスナーを閉め終ったおっさんに、おれはあるものを差し出す。
 それは己のパスポートだった。
「おっちゃん。わりーんだけどこれだけここの金庫で預かっといてもらえねーか?」
 なんせ、日本国籍のパスポートは高値で買い取られることが多いと聞く。ましてや瞳も肌の色も同じのアジア人のこと。ちょっと手を加えれば容易に悪用出来るのは想像に難くない。それをこの先おれが持ち歩いていても、紛失や盗難によるリスクのほうが圧倒的に高いだろう。
 そして、ここ呪泉郷にパスポートを置いていく理由。
 それはこの先何があっても、おれはここ呪泉郷に戻ってくるという強い決意だった。
 
 *
 
「忘れ物はないあるか」
「ああ、大丈夫だ」
 厳重に施錠し、ドアノブをがちゃがちゃと回してみせる。
 ここから約二カ月、暫しのお別れだ。
 おっちゃん達とバスの乗り合い所まで一緒に歩く道中も、肩には大型のリュック、片手には傘を持ち、もう片方の手にはパイプ煙草を咥えて離さない。
「そういえばお客さん、武器は持てるか?」
 まるでハンカチは持ったかというような軽い口ぶりでプラムが尋ねてくる。
「武器?」
「そう。いわゆる暗器ね」
 暗器といえば思い浮かべるのがムースの野郎だ。おれは鼻を鳴らし、一笑に付す。
「んなもん、おれには必要ねーよ」
 そう。あんなのは元来卑怯者が使うものだ。しかし、プラムの言い分は違った。
「卑怯じゃない。生きる知恵ある」
「知恵?」
「お客さん、ただの旅行客違う。この先とても危険ね」
「そりゃまあ、普通の旅行とはちげーけど。なんだよ、んな大袈裟に──」
「お客さん、本当は東に行くつもり違うか?」
 これにはおれのほうがギクリとした。が、プラムは「やはり」というような表情を浮かべると、これ以上説得しても無駄だと踏んだのだろう。しつこく追及してくることもなく、しかしながら最後の念を押してくる。
「私も詳しいこと知らないが、部族の言うこと信じるとても危険。中国人でも近付かない場所沢山ある。もしお客さんいなくなたとして誰も気付かない」
「んな簡単にやられてたまるかよ」
 が、おれの反論など意に介さず聞き流された。
「試合と修行全然違う。何あるか保障できない。お客さんよくてもあかねさん悲しむ」
「あかねが?」
「どこ行くかはお客さんの自由。でもせめて服のなか隠しておける護身武器くらい持つよろし」
「……」
「お客さん? 聞いてるか?」
「…………わかった。忠告ありがとな」
 そこに古びたバスが到着し、おれ一人停留所から手を振ってそれを見送った。
 薄汚れた後ろのガラスからは心配そうな顔のプラムがちらりとこちらを振り向く──が、それもあっという間に見えなくなった。
「やれやれ……」
 せっかく中国まで来たというのに、未だ変身体質のおれ。シトシトと空から降り注ぐ雨粒を眺めながら、今来た道をくるりと引き返す。
 ここから先は本当にたった一人。未知の旅が始まる。
 この先を予感させるようなあいにくの天候にもかかわらず、その時のおれは希望に胸を膨らませていた。

 まずは東に向け、真っ直ぐ最短距離を突き進む。その道中、おれの頭にずっとあったのはプラムの言った武器のことだった。
 とはいえ、ナイフや鎌を手にしたからといってすぐに使いこなせるものではなく、あれだって体を鍛えるように特別な訓練が必要となる。そして仮に使えたとしても、それを自分が躊躇なく振り回せるかといったらその自信はまるでなかった。
 かといってあんなに切羽詰まったプラムのアドバイスを無下にするのも何かが引っ掛かる。
 やはりどこかで小型のナイフを購入するか? いや、しかし……。
 そうこうしているうち、道は山道へと変わっていた。そこから更に一人で歩き続け、沢沿いに東のほうへと直進する。ありがたいことに足元はぬかるみではなく、小石が一面敷き詰められた道途は地中に雨を吸い込み歩きやすかった。
 どのくらい黙々と足を動かしただろうか。ふと、それまで見ていた景色と若干色が違っていることに気が付く。
 先程まで薄灰色の石灰石が寂し気に雨粒を弾いていた光景。その中に、濃く緑がかった黒色がちらほら混じっているのが見えた。それは碁石を枇杷大に大きくしたような、滑らかな黒石だった。
(これは……黒曜石か)
 ひとつを拾い、地面に投げつける。カツンとガラスのような音を立て、割れることなく跳ね返される。今度はめいっぱい力を込めて巨大な岩に叩きつけた。やはり金属質な音を立て、今度は綺麗に割れて飛び散った。大きく三つに分かれた黒い破片。その一つ一つを指先で確かめ、一番鋭利で黒々と光る欠片をポケットの中に忍ばせる。
 大きさ、わずか指の関節二つ分ほどのそれ。
 これがどこまで役に立つかは不明だが、持っていないよりかはある方が心強いだろう。
 どちらにせよ、これが対人で活躍する場などない方がいいに決まっている。
(まあ……魚を捌くのには便利そうだな)
 この時のおれは呑気にそんなことを考えていた。
 後でわかったことだが、この黒曜石というのはなかなかにめずらしい。日本では比較的なじみがあるものの、その実採れる場所が非常に限られた石である。要は水面下で噴出したマグマが塊りとなった物質で、この広大な中国といえども産地は僅かお目に掛かれる産地は二か所しか存在しないのだ。それをここで手に出来たこと。これはおれの今後を左右するひとつの幸運だったと言えよう。
 
 しかし、中国という国はなんと広いのか。
 歩いても歩いても次の町らしき存在が見当たらない。いつまでも変わらない景色の中、自分一人が地球で迷子になってしまったような錯覚さえ起こす。
 とはいえ、水は沢にある。食料もまだ最悪を想定するほどではないし、いざとなれば森や沢でなんなりと調達出来るだろうと自分を鼓舞した。
 それもこれも全ては己の修行のため。そう思えばなんでも楽しい。そんな純粋な気持ちも、この頃はまだあったかもしれない。
 そうして五日五晩歩き通してやっと見つけたのは、白い煙が上がる小さな集落だった。
 
 
 
 
関連記事
comment (6) @ 中国修行編 Survivor

   
Survivor 05.女だけの集落  | 先生にだって秘密はある ⑨卸業者は見た 

comment

管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/06/15 Fri 12:46:22
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/06/15 Fri 22:41:00
Re: 続き楽しみにしています! : koh @-
m~コメント主様

この4話に関しては完全に序章というかプロローグというか、まさに「ここから始まっていくぞ!」という感じで。
架空の国を想定しているので具体的な地名は一切ないものの、自分の中でここと決めている地点から実際少量だけ見つかるのがこの黒曜石なんです。意外と日本のほうが見つかる場所が多く、確か旧石器時代から狩りに使われていたとか。(小学校の時の記憶なので曖昧さが…笑)
そのせいもあって黒曜石=刃物のイメージが強いのかもしれません^^。
ここから一気に泥臭くなっていくと思います。萌えはどこじゃ!?と思いつつ、そこはたま~に出てくるあかねちゃんパワーに助けてもらって乗り切りたいと思います笑。
2018/06/16 Sat 07:37:30 URL
Re: No title : koh @-
k~コメント主様

ありがとうございます^^。
ここからようやく本題通り、生き残りをかけたサバイバルスタートの始まりです。
といっても命だけではなく“格闘家として生き残れるか”という意味も込めてですが。
らんま二次で誰も書いたことがないくらいに、泥臭く趣味に突っ走っていきたいと思います笑。
(萌えは……?)
2018/06/16 Sat 07:41:13 URL
: 憂すけ @-
ほほぅ・・・成程?
こうやって乱馬は何だか厄介そうな方向へと向かっていく訳なんですね?
にしてもあれだなー。やっぱプラムちゃんは的確で冷静だわー。
でもって・・ほー・・黒曜石か。
この先、この硬い石が一体どんな役割を担うのか!?
果たして乱馬はパスポートを無事に取りに戻れるのか!?乞うご期待!!

え?もう、大体わかってんだろう?
駄目よ、お客さん!そんな事言ったら!!
ワクワクしながら続きを見に行く宜しよ!!
(*^^)v
2018/06/18 Mon 14:53:41 URL
Re: タイトルなし : koh @-
憂すけさん

かつてCamp Serenadeにもあった通り、昔から石とかそういうのが好きなんですよね。(私が)
特に昔はしょっちゅう河原に出掛けたり化石堀の体験をしたりしていたので、黒曜石=小学生の頃の気持ちになるんです笑。
パスポートは……今後の展開を考え、このような結論に(^^;。
色々諸々、どこまでも現実的な私です。
これからじわじわと修行の旅が展開されていくのでお付き合いよろしくお願いいたします♡
2018/06/20 Wed 09:58:55 URL

コメントを送る。

URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する