Survivor 05.女だけの集落 

2018/06/16


 その白煙を目にした時、おれは広い砂漠でオアシスを見つけたような心境だった。
 なんせこの五日間、誰とも話していない。いや、話すどころか人の影ひとつ見ていないのだ。まるで大きな迷路の中に取り残されたような感覚に、柄にもなく少し弱気になる。そんな中、あたたかそうな燻煙が空に吸い込まれていく様は、まるで自分が来るのを歓迎しているかのような錯覚を覚えた。
 幸い、雨はとっくに止んでいた。すぐさま飛び出したい逸りを抑え、男の姿のままのおれは木の影からそっと村の様子を伺う。
 そこにいるのは、女、女、女…………。
 これははたして女傑族のようなものだろうか。
 一瞬、苦い経験が脳裏を過ぎってここを離れることも考えた。が、そうしなかったのはどこかで人恋しい自分がいたのだろう。
 
 ──部族の者、余所者に対して警戒する
 
 確かにな。ある日突然、異国の、しかも男が一人やってきたら村の女どもは警戒心を引き上げ、場合によっては問答無用で締め出しを食らうかもしれねえ。
 プライドとの狭間で葛藤すること暫し。それもあっという間に押し流され、おれは頭からバシャリと水を被っていた。
 
 *
 
「你从哪里来?」
「どっから来たかって? えーっと、日本。知ってっか?」
 茶葉の入っていない透明な水をおれに差し出しながら、老婆が尋ねてくる。
 言っとくけど中国へ来てから約一カ月、おれだってこのぐらいは聞き取れるようになっていた。
 妙なもんを口にしないよう躊躇しながら、ずずっと一口含む。味はいたって普通の水だった。
「うまい」
 するとおれの言葉を聞いた老婆は頬を綻ばせ、一人の娘を呼びつける。
 これがおれと宥安──ヨウアンの出会いだった。
 
 歳はおれより二、三、上だろうか。日に焼けた肌はどこまでも浅黒く、にこりと笑う歯は黄ばんでいる。長く伸びた髪は後ろで一つにひっつめられ、パサパサと風に揺れる不揃いな毛先は老馬の尻尾を思わせた。艶を失ったそれが、容赦ない日差しの厳しさを物語っている。
 僅かに膨らんだ胸元だけが辛うじて女性らしさを主張するが、決して美人とは言い難い。
 それでも人懐こい笑顔を見せると、予想外の言葉を口にした。
「あ、なた、名前……你贵姓?」
「名前? 乱馬。早乙女乱馬」
「乱馬。よい名前」
「ってあれ? も、もしかしておめー、日本語わかるのか?」
「请说慢一点。モアスローリー、プリーズ」
「あ、わりい。その、もしかして日本語わかりますか?」
 幼稚園生に話し掛けるよう、口を大きく開けて発音する。すると今度は嬉しそうに笑い、「少しだけ」と答えた。
「マジか! やったぜ!」
「ま、じか?」
「ハッピーってこと。いやー、すげえラッキー」
 少なくともおれが喜んでいることは伝わったのだろう。
「不是很可爱」
 口元に手を当てながらクスクス笑って、こうするとなかなか愛らしいとも言えなくない。
「ふーしぃふぁんくああい?」
「不是很可爱。そう、かわいい、です」
「はは……、そっか。さんきゅー」
 曖昧な笑顔を浮かべて頭を掻くおれ。どうやら女の姿になって正解だったようだ。
 聞けば、この村の男はみな都会へと出稼ぎに出ているらしい。
 そして数年に一度男達が戻ってくるまで、この村を守るのが女たちの慣わしのようだ。
 けっして広いとは言えない集落の中を案内されながら、宥安と世間話を交わす。
 自分達が食べていくだけで精一杯程度の田畑を眺めながら、少しでも収入源を得るために外国語を学んでいること。いつかは男だけではなく女の自分も外へ出て親孝行をしたいこと。
 目をきらきら輝かせて語る宥安からは、日本人の同世代には見ないような強い意志を感じた。
(それにしても…………)
 村中の男が出稼ぎに出ているとはいえ、ここまで男がいないものなのだろうか。
 それは大袈裟でもなんでもなく、この村に入ってからおれはまだ一人の男の姿も見かけてはいない。ただの一人もだ。
 おそらくこれがプラムたちの言っていた「女しかいない村」なのだろう。けどそれで何を警戒すべきか問われれば、足を踏み入れたおれですらわからなかった。
「見事に女しかいねーんだな」
 村の印象というより、もしかしたら探りを入れるために出た言葉だったかもしれない。
 すると宥安が悲しそうな表情を浮かべ、ポツリと呟く。
「都会の仕事、とても厳しい。村に帰って来た男、みな体悪くして早く死ぬ」
「あ……」
「私、それ変えるために言葉もっと勉強する」
 ……そういうことか。
 おれは自分がいかにこれまでぬるま湯の中で過ごしてきたのか恥じ入るような気持ちになり、それ以上の言葉は続かなかった。そんなおれの様子を見て宥安が慌てて微笑む。
「没问题。それも今日までの話ね」
「へ? 今日まで?」
「ああ、間違った。今日違う。 ち、かい未来? そのうち……」
「いーよ。なんとなく言いてえことはわかるから」
 おれもにかっと笑ってみせる。今度はおれが励ます番だった。
 
 その晩は宥安の強い勧めもあって泊めてもらうことになった。
 藁と土を練り込み、土台となる竹組みに塗りつけただけの簡素な家づくり。それでも中に入ればひんやりと空気が冷たく、風通しも悪くない。
 床の上に薄くなったゴザを敷き、その上にごろりと身を横たえる。
 その晩は夢も見ないほど、久々に深い眠りへと落ちた。
 
 翌日は快晴だった。
 やはり東に来たのは正解だったらしい。おれはガイドたちの警告を思い出し、人の噂なんて大概あてにならないものだと痛感する。
 なんせ、この村の住人はとても友好的だ。日本からやって来た──それ以外は謎に包まれたおれに対しても、邪険にする素振りは見られない。
 噂というのはやたらと尾ひれがつくもので、この村だって例外ではないのだろう。要は大袈裟なのだ、何もかも。
 この日は朝から畑に出掛け、おれも仕事の手伝いを申し出た。そこで中腰の姿勢をとりながら、隣の植え込みから宥安が尋ねてくる。
「乱馬。あなた、家族は?」
「家族……」
 家族は東京という場所にいて、おれだけが単身中国にやってきた。かといって、仕事が目的でもなければ、観光が目的でもない。この何が飛び出てくるかわからない国で己を鍛え、心身共に完璧な男に戻って日本に帰る為──というのを日本語と中国語で伝えることは到底難しいような気がした。
 そこで言葉に詰まったおれを前に、宥安は別の考えに行き着いたのだろうか。急に申し訳なさそうな表情を浮かべ、すまなかったと詫びてくる。
(あー、こりゃ完全に勘違いされてんな)
 天涯孤独のかわいそうな少女。きっとそう思ったに違いない。が、それならそれで別に構わなかった。構わないどころか、細かいことをあれこれ聞かれず、ややもすれば同情を含めて優しく接してもらえる可能性だってある。
 おれは元来のちゃらんぽらんを存分に発揮すると、訂正する選択肢を早々に手放した。
 この時、首に巻いた手ぬぐいの下で宥安がほくそ笑んでいることなども知らないで──。
 
 
 それにしても、おれは中国に来てから猛烈に日本が恋しくなる時がある。
 ずばり、風呂の時間だった。
 ここ中国では、家に浴槽なるものがある家などほんの一握りにしか過ぎない。それだって都会で財を成す限られた富裕層で、一般の家では風呂なんて概念がまず無かった。
 しかしながら、沖縄より南下したこの地域では一日外にいるだけで全身から汗が噴き出す。となると当然体を清めたくなるもので、大の大人が体育座りしてやっと入れるような木のたらいに水を張り、風呂の代用とした。
 幸い、近くに水だけは豊富にある。それを朝夕二度汲み運び、湯浴みならぬ水浴びで肌の汚れを洗い流すのだ。
「乱馬。着替え、ここ、置くね」
「さんきゅー」
 家に入ってすぐの三和土に置かれた古いたらい。そこに十センチほどの水を張り、木綿の手拭いで肌を擦る。そこに目隠しなんて気の利いたもんは一切なく、水を浴びる時は室内に背を向けやり過ごした。
 しかし、何かにつけお節介なまでに親切な宥安は、やれタオルがあるか、やれ着替えはあるかと確認しにやってきては、入浴中であるおれの傍を離れようとしない。一度ばかりはおれの背中を流そうと腕まくりをし、慌てて丁重に断った。
 いくら女同士とはいえ、きっとあかねが知ったら怒るだろうな。怒る……いや、悲しむか。
 なんにせよ、あまり好ましい行為とは言えない。
 一方で、宥安やその母親は自分達が水浴びする姿を決して見せようとはしない。無論おれだって別に見ようと思っているわけではないが、ならばこちらが束の間の息抜きしている間くらいはせめて放っておいて欲しいとも思う。
(そろそろ次の村に移動するか)
 日本語が通じる喜びについ四日間も足を止めてしまったが、見たところ修行に活かせるような場所はない。ましてや武道大会など、まず期待できそうになかった。
 明日、この集落を出よう。
 おれは更に東に進むことを頭の中で描くと、絞ったタオルで身体の水滴を拭う。
 焼けるような昼間の日差しは、いつしか夜の闇へと変わっていた。
 
 
 その晩、質素な夕飯を囲みながら、おれは明日出発することを宥安とその母親に告げた。
 途端に箸を止める老婆。
 その隣で宥安が作り笑顔を張り付けながら、寝耳に水だと言わんばかりに引き止める。
「な、なぜ……? もっとゆっくりしていけばいい」
「いつまでもそういうわけにいかねーだろ」
 なんせ、おれは潤沢な資金を持っているわけでもないただの放浪者だ。
 そのくせ飯だってよく食うし、自分達が生活していくだけで精一杯の村人たちにとって歓迎すべき存在ではない。
 それに。
 そもそもおれは男なんだ。こう何日間も女の姿でいると、溜まるもんも溜まってくる。
 それはストレスだったり、のっぴきならない男の事情だったりで。
 なにより、せっかく中国にまで来たのに未だ修行らしい修行が積めていないこと。その事実がおれを焦らせていた。
「乱馬、この村、嫌いか?」
「そーゆーわけじゃねーよ。ただ、おれもっと体を鍛えて―んだ」
「体……きた、える?」
「そう。鍛える」
 女の姿ながらにぐっと力こぶを作る仕草を見せれば、宥安が睫毛を伏せた。
「そのままでも十分、魅力的なのに……」
「“ふーしぃふぁんくああい”ってか?」
「不是很可爱。そう、かわいい、です」
 まいったな。こんな顔されると正直決心が鈍っちまう。
 とはいえここに居てもやれることなど知れていて。
「んな顔すんなって。また来るからよ」
 おれはわざと明るく振る舞うと、薄いスープを一気に流し込んだ。
 
 *
 
「乱馬……これ、私達の村に伝わる客人への挨拶ね」
 そういって夕飯後に差し出されたのは、琥珀色をした茶だった。
 思えばこの土地に来てからずっと、食卓に並ぶ飲み物はただの水だったおれ。だが、目の前の湯呑みには色のついた液体がなみなみと注がれている。
「これは?」
 すると寂し気に宥安が口を開いた。
「このお茶、私達に出来る精一杯のもてなし。どうぞ、飲むよろし」
 その昔、茶葉は高級品だったと聞いたことがある。
 それをどこの誰ともわからないおれに振る舞ってくれたこと。その気持ちが単純に嬉しかった。
「気ぃ遣わせちまってわりーな。じゃあ遠慮なく」
 そう言って差し出された湯呑みの中身を一口含む。
 苦み走った茶はほうじ茶を更に煎ったような焦げ臭さで決して美味いとは言えなかったが、それでも全てを胃に流し込むと無理やり笑ってみせた。
「宥安。短い間だったけどありがとな」
「…………好的,祝你好运」
 湯呑みの中身が空っぽになったことを確かめ、宥安が微笑む。
 蝋燭の灯りだけが灯る薄暗い部屋の中で、それはゾッとするほど優し気な表情だった。
 
 
 虫の知らせ……といったら大袈裟だろうか。
 ひどく寝苦しい夜だった。
 いや。正確にはあの夕飯の直後、おれは意識を失うように床についていた。それこそ深い睡眠の沼に引きずり込まれるような、泥のような眠気。そのくせ意識を手放すことを拒むように、脳は寛ぐことを拒否している。
 寝返りを打つ体が重い。
 指先を動かすことさえ億劫に感じた。
 喉の奥がやけにべたつく。
 おかしいな、何か変なもんでも食ったかな。
 ぼんやり散らばった思考を掻き集め、今いる場所を思い浮かべる。
 ……そう、確かおれは今、中国の小さな集落に来ているはずだ。不思議と村の名前は思い出せない。頭の中で考え事を邪魔するように、厚いベールが膜を覆う。
(とりあえず水でも飲むか……)
 思考と体の動きはどこまでもバラバラだった。
 ひとつの欲求をこなすことが余りにも困難で──それでも接着剤で張り付いたような瞼を無理やり抉じ開け、なんとか薄目を開ける。
 蝋燭の灯りがちろちろと揺れる土造りの三和土。剥き出しのざらりとした地面に映し出されるのは、おれ一人分の影ではなく。
「な……っ!?」
 そこでおれが目にしたのは、今にもおれの唇に触れそうな距離で圧し掛かっている宥安の姿だった。
 




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comment (2) @ 中国修行編 Survivor

   
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comment

: 憂すけ @-
成る程ね。ってこのシリーズずっとこの台詞ばっか言ってしまうあるよ。
何で女ばっかの村が有んのか。
何で”ようあん”が日本語が分かるのか。
一々「ふんふん」頷きながら拝読。
女ばかりの村に女の姿の乱馬。なのに何だ?
この得体のしれない妙な胸騒ぎは。
家事をほっぱらかして、オラは次行くだ!!
2018/06/18 Mon 15:01:11 URL
Re: タイトルなし : koh @-
憂すけさん

この「女だらけの集落」については常々思っていた自分の考えなどが詰まっていて。
二次なのに二次じゃない。一・五次くらいの感覚のお話になっていますが、このシリーズの全てを終えた時に「これが未来の乱馬を培った経験なんだ」と思っていただけるお話になればいいな、と願っています^^。
妄想は沸く。
だけど書くのは難しい。
そんなジレンマに陥っていますが、あたたかく見守って下さい♡
2018/06/20 Wed 10:02:23 URL

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