ないしょのアンダー・ザ・ベッド 

2018/10/04
こちらは乱あ要素の他に“ひろし×さゆり”、“ゆか×大介”のCP要素をふんだんに含みます。
また、会話上ではR行為を含む描写があります。
拍手には、ほんの少しだけその後のお話を。



アンダーザベッド




 なぜ。
 なぜおれはこんな所で息を殺しているんだ────
 

 目の前には白くむっちりとした太腿が惜しげもなく晒されている。それも一人じゃない。
 一人、二人、三人。
 顔を見なくても声でわかる。それはあかねの他に、ゆかとさゆりだった。
 ついでに言えば、何もこの三人が「はいどうぞ」とおれに生足を捧げているわけではない。おれの置かれている状況。もっと具体的に言えばおれの視点がそうなっているだけで。
 そう。なぜならおれは今、あかねの部屋のベッドの下に身を潜ませている。



 話せば長いようで長くない、要は安直な悪戯心だった。
 ほら、朝飯の時に親父達が言ってたろ? 今日は隣県まで妖怪退治に行くから遅くなるって。場合によっては泊まってくるかもしれないと聞いた時、おれはうっかり箸を落としそうになった。さらには夕食代として各自金を渡された際、なびきが独り言ちた言葉に心臓が飛び出さんばかりの勢いで驚いたのも付け加えておこう。
「軍資金もいただいたことだし、わたしも今日は友達の家へ泊まりに行こうかしら」
 なにぃっ!? お前に友達なんているのか!? という疑問の前に、もっと重要な台詞をおれは聞き逃さなかったぜ。
『私も泊まりに行く』だとっ!? そ、それってつまり、今晩はこの家にあかねと二人きり……っ!

 カラーン コローン……───!!

 なんだ、この正月とクリスマスが一緒にやって来たようなサプライズは。っつーかあかね、なにそんな澄ました顔で玉子焼きなんかつついてやんでぃ。言っとくが二人きりだぞ、二人きり!
 おれはどうやっても緩んでしまうだらしねえ表情を隠すため、飯を掻き込むふりして茶碗で顔を隠す。そのくせ頭の中はめくるめく今夜への期待で溢れかえっていた。
 
 
 *


 おれとあかねが“そういう関係”になったのは約三カ月前のことだった。
 宿題という名目であかねの部屋を訪れるのが当たり前になっていたおれ達。が、実際に宿題だけで終われるほどおれは清廉潔白ではない。
 なんたっておれも男だ。好きな奴の部屋にいるんだぞ? しかも夜に、二人きりで。
 信頼されているのか、はたまたそうなることを期待しているのかはわからねえ。なんにせよ、おれがあかねの部屋を訪ねることを誰も咎めはしなかった。もちろん、あかね本人も。これで期待しない男はいねえ。
 家の中だけだというのにそのまま外に出掛けられそうな服装だって、おれからしてみたらまるで誰かを想って小奇麗にしているようにしか思えない。そしてその誰かは間違いなくおれなわけで。
 そんな期待と欲望がとうとう弾け、唇を奪ったのはまだ梅雨の真っ最中のことだった。それからというもの、坂道を転がるように二人の関係が先へ進んだのもごく自然なことだと言えよう。
 
 好きな女と両想いになる。
 好きな女と身も心も繋がる。
 さらには好きな女とひとつ屋根の下で暮らしている。
 
 これだけ聞いたら世の男性からはさぞ妬まれることだろう。実際、おれだってそうなればバラ色の毎日が待っていると信じて疑わなかった。が、現実はそう甘くはない。
 なんつーか一度知ってしまった肌の温もりというのは抜群の威力で、目が合えば触れたい。話をすればキスしたい。指が触れたらシたい。元来素直なおれはわかり易い欲求をダイレクトに脳へ送ってくる。しかし、そう上手く事が運ぶかといったら決してそういうわけではなかった。
 なんせあかねの部屋の隣にはなびきがいる。そして当然ながら階下にはあかねのおじさんもおれの両親も、そしてかすみさんの部屋もある。そこで夜な夜な夜這いを仕掛けられるほど、おれもあかねも恥知らずではなかった。
 それでも欲に忠実な高校三年生だ。時に我慢の限界を迎え、家族が寝静まった丑三つ時に布団を抜け出してはあかねの部屋を訪れ、逢引きすること実に数回。
 息を殺すように、激しい振動を起こさないように。
 おれはもちろん、あかねだって処女を喪失したばかりの初めて同士である。当然ながらドラマのように余裕綽々でリードしたり大声で喘いだりするわけなどなく、どこまでも控えめに声を噛み殺すあかねは愛おしさの塊でもあった。


 が────。
 きっとこれは、初めて女を抱いた男なら誰しもが思う疑問に違いねえ。

(本当はあかね、おれとこういうことすんのをどう思ってんだろ……)

 よく言うじゃねえか。女の善がり声は相手への思いやりだって。実際、おれだって自分が手慣れているとは到底思えない。思えないが、自分なりに努力をしているつもりではあって。
 かといってそこで「なぁあかね。あかねはおれとのエッチをどう思う?」なんて口が裂けても聞けるはずなかった。だってそうだろう? 冗談めいてずん胴と罵ることは出来ても、性に対する赤裸々な意見を真っ向から受け止められるほどおれの神経は図太くない。
 そこで万が一にも「そうねえ。期待していたほどじゃなかったかな」なんて言われてみろ。そのまま深く穴を掘り、地中海の真下まで身を埋めたくなるのは必然だった。
 それに加えてあかねはおれに自分の体を見せようとしない。なんなら見られるのを拒むかのように、いつも布団で肩まですっぽり覆ってしまうのだ。これではいくら感触であかねを感じることができても百パーセント満足とは言い難い。

(……もしかしてあかね、本当はおれとエッチすんのが嫌なのか?)

 こわい。
 こわい。
 そんなのとてもじゃねーけどまともに聞けるわけねえ。
 そう思うのに、一方で知りたいと思ってしまう欲。思春期とは臆病と好奇心がぶつかり合う難儀な年頃なのだ。

 とはいえ、断じて誓う。何もこうしてベッドの下で女同士の会話を盗み聞きしようなどという、卑怯な考えはさらさらなかった。
 ただ、今夜は二人きりという夢のような朗報に文字通り浮かれっぱなしだったおれ。ホームルーム終了のチャイムと同時に教室を飛び出し家に着くも、そこにあかねの姿が見当たらないのは至極当然のことだった。なんせ家に帰るまでの経路といったら屋根から屋根への最短距離を選んだわけで。朝の会話通り誰もいない家の鍵を開けながら、いよいよおれの興奮も増してくる。
 さて、どうするか。ひとまず先に風呂でも入ってあかねのことを待ち受ける? いやいや、流石にそれは用意周到過ぎて引くだろう。かといって逸る気持ちは抑えきれない。抑えきれないがゆえにいざあかねと二人きりになったらすぐさま襲い掛かってしまいそうな自分もいてちと怖い。っつーか襲う。間違いなく襲っちまう。
 けど待てよ。さっきも言った通り、あかねはまだ“そういうこと”に対して積極的な姿勢を見せているわけではない。なんならおれがガッついているから仕方なく応じて……と思えなくもねえくらいで。ここでおれが性急に事を進めれば、「ああ、またか」と内心呆れられそうな気もしてそれもまた憚られる。
 しかし会いたい。会ってすぐにイチャイチャしたい。なんせ誰の目にも怯えず二人きりでいられるチャンスなんてそうそうねえんだ。だったら一秒たりとも無駄になんかしたくねえ。
 かといってそれ目的だと思われるのも小っ恥ずかしい。いや、確かにあわよくば最終目的はそうだとしても、それだけじゃなくキスしたりちょっと触ったり、なんなら初めて一緒のベッドで寝てみたり……ってあれ? やっぱそれ目的か。いや、でも……。
 どうしよう。どうしたらいいんだ!?
 あかねに引かれず、それでいて自然に二人きりになれるきっかけってありそうでいざ考えてみると難しい。

 ───と、そこでおれに妙案が舞い降りた。
 そうだ。同じあかねの部屋で待つにしても“いかにも”って感じじゃなく、おふざけならどうだ? 要はドッキリ戦法ってやつ。
 物陰に隠れ、あかねを驚かせる。悲鳴を上げておののくあかね。ごめんと謝り、宥めるように抱き寄せる……。うん、まさに完璧じゃねえか。
 ならば早速とおれは隠れ場所を探す。天井……は何十分もしがみついているには少々疲れるし、ドアのすぐ横というのも隠れているようでそれは一時的なものに過ぎないだろう。クローゼットの中は流石にまずいだろうし、じゃあ机の下とか? あ、だけどそこだと入り口から丸見えか。
 こうしてみると部屋の中って隠れられそうで意外と場所が限られてるもんだな。ならばやはり、一度自分の部屋に戻ろうか。そしてあかねが帰った頃合いを見計り、何気ない用事を装って部屋を訪れて。
 ……………………。

(……やっぱどう考えてもそれが自然だよな。よし、そうしよう)

 やれやれ、おれとしたことがどうやら浮かれ過ぎていたようだ。大体、帰宅した自分の部屋にいち早く恋人が忍び込んでいたら流石のあかねも驚くだろう。それはそれで格好がつかねーし、なんならそこでヘソを曲げられて甘い夜の計画が流れたら何もかもがパーじゃねえか。
 幾分冷静さを取り戻し、フッと前髪を整えるおれ。さあ、そうとなったら長居は無用。さっさと自分の部屋に帰るに尽きる──と、ドアに近付いた瞬間、扉のすぐ向こうから聞き慣れた声がするではないか。

「なんだかあかねの家って久し振り!」
「そういえばそうかもしれないわね」

 ……っておい、この声はゆかと……それからさゆり!? おいおい、せっかく二人きりになれるチャンスだというのに一体何をしてくれてるんだあかねはっ! じゃなくて、ま、まずい! ここでおれがあかねの部屋にいると知れたらからかわれるのは目に見えている。それだけじゃねえ。ゆかとさゆりが見ている前で照れ隠しに蹴り飛ばされるのはもちろんのこと、下手したらそのままお出入り禁止を食らってしまう可能性だってある。どうする!? どうするおれ!?
 真っ先に考えたのは窓からの脱出だった。が、時すでに遅し。今から窓際にジャンプして立ち去ったところで風になびくカーテンは不自然さ極まりない。ならば天井……って、だから天井は本来隠れるような場所じゃねえんだってば。ああ、そうこうしているうちにも扉のノブを回す音がする。
 どうしよう、どうしよう────!!
 
 


 そして話は冒頭に戻る。
 つまり、焦ったおれが咄嗟に身を隠したのは他でもないあかねのベッドの下で。
 幸い、床ギリギリまで覆われたベッドカバー。その隙間から三人の動向を伺いながら、おれは息を殺して身を小さくしているのだ。
 
 ベッドの下は、薄暗くも不思議と埃っぽくはなかった。意外にもこんなところまで掃除は行き届いているらしい。それってもしかしておれがこの部屋を頻繁に訪れるためか? そんな自惚れも顔を覗かせるほど、狭いながらに不快感は少ない。
 布一枚隔てた向こうではパリッと袋を開ける音がする。おそらくポテトかなにかだろう。それ以外にもトレーに乗せた菓子をカーペットの上に広げ、コースターにはジュースの入ったグラスを並べるのが見えた。
 うげ……っ、なんか長くなりそうだな。そういえばなんか急に腹も減ってきたような気がする。いいなぁ、おれも食いたいぜ……。

 今日の授業や休み時間の雑談。そんな他愛ない会話は本題へのジャブのようなものだろう。
 グビッと喉を潤し、辺りを伺う芝居掛かった口調で一人が切り出す。

「ねえ、早速だけど最近乱馬君とはどうなの?」

 この声はゆかだな。っつーか別にどうもこうもねえよ。今日だっておめーらが来なければすぐにでも仲良くしているはずだったのに。
 しかし、あかねは勿体つけるようにもじもじと答える。

「どうって……いつもどおり普通よ?」
「またまたとぼけちゃって。言っとくけどあんた達の相思相愛っぷりなんて学校でもダダ漏れなんだからね」
「そ、そんな相思相愛だなんて大袈裟な!」
「あら、全然大袈裟でもなんでもないわよ。あかねは気付いてないかもしれないけど、乱馬君なんて暇さえあればあかねのこと目で追ってるし」
「う、嘘よっ」

 嘘だろっ!?

「ほんと。この前だって隣のクラスの男子に呼び出されてたでしょ? あの時の乱馬君、顔は笑ってたけどどす黒いオーラを纏ってたもん」
「そうそう。それにこの前も教室移動で他の男子があかねと喋ってた時、すごい形相で後ろから見てたわよ」
「やあね、気のせいじゃないの?」
「本当だってば。こーんな目ぇ吊り上げちゃって、おっかないったらありゃしない」
「あの時、なんか二人で顔を近付けてなかった?」
「近付けたわけじゃないけど、髪の毛に埃が付いてるから取ってくれるって……」
「だからか。乱馬君、人でも殺しかねないような顔して見てたもの。あかねももう少し気を付けたほうがいいわよ」

 ……なんてこった。これからはもっと気のコントロールしねえとな。っつーかあかねも女なんだから埃なんかつけて歩いてんじゃねーよっ。
 しかし、なぜかあかねは一人照れくさそうに笑っている。おーい、そこは笑うとこじゃねえだろうが。


「で、早速本題だけど」

 ずずいと身を乗り出すのはさゆりか。なんだ。一体なにが本題なんだ?

「あかねと乱馬君ってその、もうしてるんでしょ?」

 へ?

「エッチ」

 なっ! な、な、な、何を言い出すんだ急に!
 思わず額をベッドに打ち付け、慌てて口を押さえる。

「あれ? 今なんか変な音しなかった?」
「そう? 気のせいじゃない?」

 人間とはおそるべし。まさかおれがベッドの下に隠れているとは思いもしないのだろう。なので当然、多少の物音は気のせいで済まされる。

「エ、エ、エ、エッチって…………」

 待て待て、そこでどもるな。っつーか反復するな。こっちが照れる。しかしそこで芽生えた好奇心からおれの耳がダンボになるのは必然だった。

「ねえ、一体いつ乱馬君とそういうことするの?」

 随分と直球じゃねーか。そりゃおれだって大介やひろしと話をする時はこんな感じだけど、まさか女同士でも赤裸々に性の話をするとはちょっと意外だ。が、当の本人ということもあってかあかねはまだ羞恥を捨てきれないらしい。もぞもぞとカーペットのループを指でほじくり、しどろもどろに答えていく。

「そ、そういうって、だからその、たまに乱馬が夜あたしの部屋にやってきて……」
「きゃーっ! それって夜這い!? 夜這いよね!?」
「あんな顔して乱馬君たらやる時はやるのねえ」

 あんな顔してとはどんな顔だ。というかヤる時はヤる……ふーむ、まあ間違ってはねえけどさ。
 ふごふごと鼻が鳴りそうな恥ずかしさと興奮で自身の顔が真っ赤になるのを自覚しながら、尚もおれは耳を澄ます。なんだこれ。シラフにしては刺激がつええ。

「ね、ね。初めての時ってどうだった?」

 ブホッとむせ込み、慌てて口を手で押さえた。やばい、バレだか!?
 しかし幸いにもそれ以上にあかねが噴き出し、ゴホゴホと咳込んでいる。おそらく器官に飲み物が入ったのだろう。「ちょっと大丈夫!?」なんて背中をさするのはしっかり者のゆかだった。

「ど、ど、どうって、」

 ドッドッドッドッ────
 やべえ、尋常じゃねえくらいに心臓の音がうるせえぞ。なんならこの音があかね達にまで聞こえてしまうんじゃないかと不安になるほどに激しく、おれは左胸の上を強く握りしめる。

「なんか……あんまりよく覚えてなくて…………」

 はあっ!? なんじゃそりゃ!
 っていうかあかね、あんな真っ赤な顔して必死で声を我慢しながらおれにしがみついてたじゃねーかよ。体なんか火の玉みてーに熱くなって、途中でおれが「止めるか?」って聞いた時だって最後まで首を縦に振ることはなかったくせに、それを覚えてねえだと!?
 なんでぃ、あかねの薄情者! おれなんかあの日の事を思い出すだけで未だに勃っちまうってのにこの差はなんだっ!

「あ、でも……なんか自分でも聞いたことがないような声が出ちゃってすごく恥ずかしかったぁ」

 きゃあっと顔を伏せるようにあかねが呟く。
 こ、声……っ! 確かに時折我慢出来ねえみてーに、短く「あ……っ」とか言ってたよな。ちょっと鼻に掛かったような声で、なんつーか色っぽくてかわいかったよなぁ……。
 するとここで思いがけずゆかとさゆりも参戦する。

「ああ、わかる。最初はわたしもすごく恥ずかしかった!」
「ほ、本当にっ!? やっぱりゆかもそうだった?」
「うん。だって大介のやつ、わざと声が出るようなことばっかりするんだもん」

 な、なにぃぃ!? ゆかと大介がそういう関係だというのは知っていたが、まさか大介のプレイまで聞かされる羽目になろうとはっ。

「ほんと、男子ってなんであんなに恥ずかしいこと言わそうとするんだろうね」
「ええっ! ってことはひろし君も?」
「うん。一度そうなっちゃうともう止まらない感じ。好きとかかわいいとか歯の浮くような台詞も散々言われるし」

 …………なんてことだ。おれの前ではそんな素振りなど見せたこともねえのに、さゆりの前だと一転キザ男になっちまうだと!? っていうか、ひろしの口から「好き」やら「かわいい」が止まらない? に、似合わねえっ。
 しかしあかねの興味はそこではないらしい。おずおずとしながら、それでいてちゃっかり二人に質問を重ねる。

「ねえ。その……」
「なになに? なんでも聞きなさい」
「うん、えとね、二人ともそういう事ってどこでするの?」
「そういう事ってエッチ?」
「う、うん、まあ……」
「そうねえ。キスとかちょっとしたスキンシップなら学校とか公園とか?」
「「「が、学校っ!?」」」

 これにはあかねとさゆり、そしておれの声が綺麗にシンクロした。なんと言うか、ゆかと大介、すげえぞ。当の本人は「やだ、そんな大袈裟なもんじゃなくて一瞬触れるくらいよ」と笑い飛ばすが、一瞬でもキスはキスだしその先に至っては一瞬で終わるはずなどない。

「じゃ、じゃあその先は?」

 ごくりと喉が鳴るように身を乗り出したのはさゆりだった。いいぞ、そこは是非とも聞いておきたい。

「うーん、やっぱり親がいない時を見計らってどっちかの家とか?」
「まあ、そうなるわよねぇ」

 なるほど。この様子からしてゆかもさゆりも普段はお互いの家なんだな。これぞ学生同士って感じじゃねーか。と思いきや、今度はさゆりの口から思わぬ爆弾が投下される。

「あ、でもね。わたし、とうとうこの前ひろしと……行っちゃった」

 イっちゃった? どこに? どこへ?

「そ、それってまさか、」
「うん…………ラブホ」

 のああああああ!! ラ、ラブホだと!? ラブホってあれだろ、ラブなことするホテルの略語だろ!? なんでい、随分と慣れた調子で言ってくれるじゃねえかっ。
 あかねの部屋はきゃあきゃあと女三人の興奮する声が反響する。それに紛れておれもンンッと咳払いをしたが、誰も気付くことはなかった。

「ねえ、でもどうして急にホテルなんか行くことになったの?」

 ナイスゆか! そうそう、その辺りの事情を詳しくだな。

「えっとねー……あ、手がベタベタ。悪いんだけどあかね、なにか拭くものない?」
「拭くもの? ちょっと待ってね」

 っておい、何いいとこで中断してんだよ! おまけにティッシュの箱は半分ベッドの下に隠れている状況だ。まずいまずい、これはまずい。
 おれは何食わぬ顔でそっとティッシュの箱を外に追いやる。

「あれ? こんな所にティッシュなんて置いてたかしら?」
「やあねえ、あかね。ボケるにはまだ早いわよ」

 しゅぱしゅぱと白い繊維を抜き取りながらさゆりが笑い飛ばすが、おれからしたらその動作が達した直後の後始末を思わせてちょっと気恥ずかしい。

「で? なんの話だったっけ」

 おいおいっ、ホテルの話だろーがっ! すると間髪入れずゆかのツッコミも入る。誤魔化そうったってそうはさせまいというゆかの気合いが感じられるのは気のせいか。
 パリンとスナックを噛む呑気な音がした。続いてパリパリと咀嚼し、遠慮する様子もなくさゆりがもう一枚ポテトに手を伸ばす。

「だってさー、お互いの家って言ってもやっぱり安心はできないじゃない? いつ誰が帰ってくるかもわからないし」
「そうなのよね」
「そりゃあかねはいいわよ。家に帰ったら毎日そういうチャンスがあるんだもの。でもわたし達はそういうわけにもいかないしね」
「や、やだっ、そんな毎日だなんて……っ! それにあたしと乱馬だってその、隣になびきお姉ちゃんもいるし、全然チャンスなんかないっていうか……」

 もごもごと答えるあかねの台詞をおれは聞き逃さなかったぞ。チャンス。チャンスっつったよな、今。それってつまり、あかねもおれとそういうことをしたいと思ってるってことか!?
 ムクムクと湧き上がる興奮。その興奮があまり余って体の一部に熱を集めるが、流石にここで抜くわけにはいかない。落ち着けおれ。おれは下半身の滾りにどうどうと待ったをかけ、苦肉の策として愛の言葉を囁くひろしの姿を想像し気持ちを静める。

「でも一体どうやってラブホに? まさか制服で行ったわけじゃないでしょうね」

 いいぞ、ゆか! よくぞ聞いてくれた!
 おれはメモの取りようがない現状に落胆するも、さゆりの一語一句を聞き逃さないよう息まで止める。そこへまた響くパリパリ呑気な音……っていーから食うか喋るかどっちかにしろっ!

「そりゃ、制服では行かないわよ。ちょっと大人っぽい服に着替えて行ったほうが無難ね」
「そ、そうなんだ」

 この声はあかねか? なんでい、やっぱあかねも興味あるんじゃねーか。
 再びおれの中でムクムクこみ上げる劣情。いや、だからこんなとこでおっきくしてる場合じゃねーんだってば。頑張れ脳内ひろし、おれが無事気配を消せるかどうかはお前にかかっている。

「あ、でも乱馬君とラブホに行こうと思ったら大変よね」

 いっ!? な、なんで?

「だってあんな目立つチャイナ服におさげでしょ。一発でバレちゃうもの」
「確かに。あんな格好してるの、町内でも乱馬君だけだものね」
「仮に遠くのホテルに行ったとして、あれじゃあ周りからじろじろ見られちゃうわよ」

 そ、そっか。言われてみればそうだよな。煌びやかなネオン輝くホテルの前で、ピンク色のライトを浴びながら注目を集めるおれ……。
 ……うん。おれもたまにはフツーの格好しようかな。

「ま、フロントなんて殆ど顔が見えないようなものだからそこまで気にする必要はないかもしれないけどさ」

 ふむふむ。

「でも部屋を選ぶ時は妙に緊張して、早くこの場から立ち去りたいってそればっかり思っちゃった」
「そっかぁ。ちなみに他のお客さんと鉢合わせとかした?」
「ううん。わたし達が行った時は他にいなかったわよ。平日のフリータイムだからってのもあるかもしれないけど」

 なるほど。宿泊以外にもいわゆる休憩としてホテルを利用できることは知っていたが、一般的にそれをフリータイムと言うらしい。休憩なんて聞くと通常は二時間の縛りを思い浮かべる奴も多いだろう。が、実際は最長で朝の五時から夕方の五時まで……っておい、それってちょうど半日じゃねーか!
 えーっと待て待て、仮にフリータイム五千五百円だとして十二時間。もしも消費税がかかっても一時間約五百円。なんならカラオケやボーリングよりもお手頃価格で半日ずっと、あかねとその……。
 うわー! なんたる夢のような時間!
 なびきにゆすられる口止め料のこと考えりゃ、ホテル代なんてかわいいもんだ。

「確かにホテル代って安くはないけど、二人でお年玉から出し合ったんだ」
「へえー。そこは割り勘なんだ」
「うん。ひろしは“ここは自分が払う”って言って聞かなかったんだけどね。これからも利用するならわたしにも出させてって」
「さゆりってばいい女じゃないの」
「へへ。といってもひろしのほうがちょっと多く払ってくれたんだけど。それもなんかドキッとして嬉しかったなぁ」
「はいはい。幸せそうでなにより!」
「あ、なによー。自分だって大介とラブラブなくせに」
「ふふっ、まあね」

 ホテル代は男が負担、もしくは多めに出す、と……。サンキュー、さゆり。タメになるぜ!

「で?」
「え?」
「え? じゃないでしょうが。肝心のホテルの中身はどうだったの!?」
「うん。それがさあ……」

 あっ、こら! そこで声を潜めるんじゃねーよっ!
 時折きゃあきゃあ歓声が沸き上がるものの肝心の内容が何一つ聞こえねえ。聞こえねえが、そこはかなり刺激的で楽しい空間とみた。なんたって、さゆりの声がやけに幸せそうで、なんだったら普段は全く感じることのない女を思わせる。すげーな。恋する乙女はかわいいなんつーけど、声だけ聞いてりゃ今のさゆりはまさにそれだ。
 ほう……っと含みをもって大きく息を吐く、その姿はいつもよりうんと大人びて。なんというか、全身が充足感に満ちている。

「やっぱり誰の邪魔も入らないって解放感が違うのよね」
「というと?」
「ほら。やっぱり普段は声だって我慢しちゃうじゃない?」
「うんうん」
「最初はわたしも恥ずかしかったの。でもひろしが恥ずかしくないって言うからちょっとだけいつもより素直になってみたら、その……」
「すごく盛り上がった、と」
「もうゆかったら! そんなはっきり言わないでよ!」

 うーむ。実に興味深い。というか、声か。正直、今おれが一番求めていることでもあるな。あかねの奴、未だに殆ど声を出さねえもんなぁ。控えめに声を抑えるのもいいが、たまにはあかねの思うがままに啼かせてみたい欲もある。こんな事、なかなかあかねには言えねーけど。
 と、そこへ思わぬアシストが入る。

「あかねは?」
「あ、あたし!?」
「あかねはちゃんと乱馬君に伝えてる?」
「伝えるって、」
「だから好きとか気持ちいいとか」
「「きっ、気持ちいいって、」」

 いかん。またハモってしまった。
 しかしなんちゅーことを言うんだ。あの初心なあかねがおれとのエッチで“気持ちいい”だと? そんなこと言われたら多分おれは一瞬でイっちまう。いや、間違いなくイく。

「そ、そ、そんな、あたしはまだ気持ちいいとか、あの、」

 …………おや?

「……正直、まだよくわからないの…………」

 ガーン! そ、そうなのか……っ! いや、覚悟はしてたし薄々そんな気もしていた。が、いざあかねの口から聞いたこのショックたるや、先程まで熱を持っていた息子もしょんぼりと下を向きかけている。
 よくわからねえってことはあれだろ。要は気持ちよくねえって言葉を優しいオブラートに包んだだけで。

 よくわからないの。
 よくわからないの。
 乱馬のテクニックがよくわからないの。
 乱馬がなんであんなテクニックで自信満々なのかわからないの。
 なんであんなエッチの下手な男と付き合ってるのかわからないの。
 あたし、乱馬のどこか好きなのかわからないの───


 ああーっ、すまねえ、あかね……!
 おれの未熟な腕ではまだまだおめーを満足させるに程遠くて、でもおれだって特訓を積めばきっと感じさせてみせるから、どうかどうか、もう一度チャンスを───!!

 これが盗み聞きしたおれへの罰か。おれは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受け、暗い奈落の底へ魂ごと転がり落ちる。
 ……旅だ。旅に出よう。北は北海道から南は沖縄までどこでもいい。このベッドの下から出たらすぐにでも旅に出よう。辛い現実から逃れられるならばどこでも構わねえ。
 いや、でもその前にもう一度だけあかねを抱きてえな。そして抱いた後、今度こそ成長したおれを待っててもらって……そこまで僅かコンマ一秒で考え巡らせたその時だった。
 カラリと軽やかに氷を響かせ、あかねがジュースを口にする。そして唇の表面を指でなぞり、思い出したようにポツポツと話し始めた。

「なんかね、そういう時の乱馬ってすごく優しくて」
「へえー。なんだかあまり想像つかないけど」
「でも……だから余計に不安なの」

 不安? なにが?
 これにはゆかとさゆりも茶化すことなく静かに耳を傾けている。おれ自身、ベッドの下で耳を澄ませながら、心臓は痛いほど早鐘を打っていた。あかねの不安? そんなの考えたこともなかったぞ。

「ほら、女のらんまって黄金のプロポーションでしょ? ただでさえあたしなんてずん胴でバカにされてるのに、自分の体を見せるのが恥ずかしくて」
「わたしはあかねをずん胴と思ったことなんて一度もないけどね」
「そうよ。あれは乱馬君の照れ隠しでしょ。っていうか本当にずん胴相手だったらそんなこと言えないわよ」
「二人ともありがと。でもやっぱりらんまと比べちゃうのよね。あたしより胸は大きいし、ウエストは細いし」
「そうねえ。こればっかりはひろしや大介が相手のわたし達にはわかってあげられない悩みだわ」
「ごめんね、あかね。力になれなくて」
「やだ、そんなの仕方ないわよ。あたしだってまさか自分の好きな人が女の子になっちゃうなんて思いもしなかったもの」

 その声は嫌味でもなんでもなく、ありのままのおれを受け入れてくれているようで。
 ……ああ、そっか。
 おれ、今まで女になっちまう自分が嫌で虚勢を張ってきたけど、こうして知らず知らずにあかねのことを傷付けちまってたんだな。今更ながら、おれはベッドの下で猛省する。



「でもね」

 またあかねが口を開いた。それは内緒の話をそっと打ち明けるように柔らかくて、初々しくて。

「乱馬があたしのこと求めてくれてるんだなぁって思ったら、すごく嬉しくて……」

 再び部屋のに「きゃあっ」と歓声が響いた。その中でただ一人、おれだけが声を出さないよう必死で口を押さえている。っていうかなんだよこのかわいさは。
 もしここにゆかとさゆりがいなければ間違いなくおれはベッドの下から飛び出て熱い抱擁を交わしただろう。なんならゆかとさゆり、おめーら二人はもう帰っていいぞ。家の人も心配するしな、うん。早く帰るに越したことはない。
 そしてまだ照れるあかねを囲み、ゆかとさゆりが質問攻めにする。

「ねえ、ちなみにそういう時って乱馬君も喋らないわけ?」

 げげっ。お、おれの話はべつにいいだろうがっ! なんだこの罰ゲームみてーな恥ずかしさは!

「乱馬? そうねえ」

 頼む、あかね。余計なことは言ってくれるなよ!?

「あんまりよく覚えてないんだけど……」

 ガクッ。またかよっ!?

「でも名前をいっぱい呼んでくれるかな」

 え? そ、そうだっけ? 全く自覚がねーんだけど。
 相変わらずゆかとさゆりはアホみてーに奇声を上げて興奮している。いいよなー、女は単純で……っておれも人のこと言えねーか。
 ひと通り人を肴に盛り上がって調子づいたのか、おれへの勝手な想像は止まることを知らない。

「けどさ、乱馬君って格闘家じゃない?」
「うん。それがどうかした?」
「なんとなくのイメージだけど、エッチの時もオレ様なのかなぁ……なんて」

 オ、オレ様!? オレ様ってあれだろ、「ほら、欲しかったらいい声で啼いてみろよ」みてーなやつだろ?
 ないない、ぜってーない! なんなら「あの、気持ちいい……?」なんて聞くことも儘ならねえかわい子ちゃんだ。するとすかさずあかねも訂正する。

「ううん。全然そんなことないわよ。寧ろ普段と全然違うっていうか……」
「たとえば?」
「そうねえ……、たとえばあたしがちょっと苦しそうな顔したらすぐ大丈夫? って聞いてくれたり」
「うんうん」
「初めての時だって何度も止める? って聞くから申し訳なくって」
「でも結局最後までいったんでしょ?」
「うん。あたしがそうなりたかったから」

 最後の言葉はやけにきっぱり言い切った。

 ───あたしがそうなりたかったから

 この言葉だけでおれがどれほど舞い上がっちまうか、きっとあかねは知る由もないのだろう。


「けどあたし、その、初めてだからわからない事だらけで」
「そんなの最初はみんなそうよ」
「そうなんだけどね。乱馬の周りってかわいい子が多いから時々自分なんかで満足できるのかなって思っちゃったり」
「何言ってんの。あれだけヤキモチ妬かれてまだ不安なわけ? あ、それとも惚気てる?」
「やだ、違うわよ。ただ、どんな顔していいのかわからなくて……」
「要するに大事にされ過ぎて困っちゃうってわけね」
「は、恥ずかしい、そんなはっきり言わないでよっ」

 なんだこれ、どんな羞恥プレイよりすげー恥ずかしいぞ。
 …………でも。
 そっか。少なくともおれがあかねのことそういう風に思ってるってのは伝わってんのか。なんでい、急に胸の奥がじんと熱くなってきやがるぜ。

「その……気持ちいいとかはまだよくわからないけど、その直前まではなんか変な気になっちゃうし」
「いわゆる前戯ね」
「う、うん。その時は声を我慢するのが大変っていうか、」
「やだ、それって感じてるってことじゃない」

 ほ、本当に!? あかねがおれの前戯で感じてるだと!?
 思わずベッドカバーの隙間から目を凝らせば、クッションに顔を埋めながら自分をエッチだと恥じらうあかねがそこにいて。

「なんかね、乱馬とそういうことしてる時って自分が自分じゃないみたいなんだけど、すごく幸せなの」
「わかるー! 好きな人が自分を求めてくれるのって嬉しいわよね」
「そうよ。寧ろ手を出されなくても不安になるし」
「う、うん……。あとは乱馬もそんな風に思ってくれてたら嬉しいなって……やだ、こんなのやっぱり柄じゃないわよね」

 今度はあかね自身がきゃあっと顔を伏せた。ああ、もうなんだこのかわいい恋人は。そんなことを言われた日にゃあ一晩中寝かせてやれない自信がある。
 あー、してえしてえしてえ。
 今すぐあかねとメチャクチャしてえ。
 と、そこへ水を差すようなことを言うのがゆかの野郎で。

「でもさあ、だったら乱馬君にももう少しリードして欲しいわよね」

 なぬっ!? リードだと!?

「だってあかね、まだ行為自体は気持ちいいかどうかもわからないんでしょ?」
「わ、わからないっていうか、その、無我夢中でよく覚えてないっていうか、」
「それがいけないのよ! いい? エッチなんて二人で楽しまなくちゃ損なんだからね?」
「楽しむって言ったって、どうやって──」
「まず、声。隣にお姉さんがいて気になるなら他にどこか場所はないの?」
「ほ、他って、」
「たとえば道場とか」

 道場! なるほど、その手があったか。しかしあかねは腑に落ちないらしい。道場なんて布団もないのにと渋っているのが声でわかった。

「布団なんてそんなの、やり方次第でどうとでもなるでしょうが」
「や、やり方って、」
「あ、なにも変な意味じゃないわよ? ただ、方法って意味で言っただけ」

 ぺろりとゆかが舌を出すが、焦ったのはおれも同じだ。

「まあ、その方法については乱馬君に任せるとして。隣にお姉さんがいるから恥ずかしいって正直に打ち明けたらきっと乱馬君だって考えてくれるわよ」
「そうかなぁ」
「そうそう。それに声って出した方が気持ち良くなるしね」
「それは一理あるわよね」

 なんと。ここでさゆりも賛同する。

「わたしも最初は恥ずかしかったけど、ちゃんと態度で表すようになってからエッチが楽しくなったもん」
「そ、そうなんだ」
「そうよ。それに男子だって不安なのは一緒みたいよ。特に女の子が何も言わなかったらどうしていいのかわからなくなるみたいだし。この前ホテルで喋ってた時、最初はメチャクチャ緊張したってひろしも言ってたもの」

 うんうん。おれはひろしの気持ちが痛いほどよくわかるぜ。こう見えて男だっていっぱいいっぱいなんだよな。にしてもあかねが興味津々で聞いていることがおれはちょっと意外で嬉しい。

「とにかくあかね。今度乱馬君とそういうチャンスがあったら勇気を出して言ってみなさいよ」
「言うって?」
「だから自分の気持ちいいところとか」
「そ、そんなの言えるわけないじゃない!」
「なんでよ。言ったら乱馬君だって喜ぶと思うけどなぁ」

 そうだそうだ! そこは是非とも強く推してくれ!
 しかし、あかねも一筋縄ではいかない。恥ずかしいだの絶対無理だの言いながら、クッションをポスポス叩いて顔を埋めている音がこちらまで筒抜けだ。するとここでちょっと先輩面を気取ったような声がする。この声の主はさゆりか?

「じゃあさ、質問を変えるけどあかねって乱馬君のを見たことある?」
「「な……っ!」」

 な、な、な、なんちゅーことを聞くんじゃこいつはっ! っていうか女子ってこんなことまで話すのか!? そりゃ野郎同士の会話も相当だが、これじゃあ男子も女子もそう大差ねえ。だ、大体、あかねがおれのを…………ってあれ。待てよ? あかね、おれのを見たことあったかなぁ。
 つっても毎回部屋は暗いし、あかねは布団を被ってるし、おれはあかねに背中を向けてゴム着けてるし。もしかしたらもしかして、まだまともに見られたことってねーかもな。いや、けど流石にこうなって三カ月だぞ? 好奇心旺盛なおれだったら間違いなく見ちまうけど、その辺あかねはどうなんだろう。

「あ、あたしはそんな、ら、ら、乱馬のなんて……っ!」
「あ、その反応だとアレもまだね」
「アレ?」
「そう。ちょっと耳貸して」

 そして内緒話からの爆発音みてーな響き。
 ……大体わかるぞ。ナニをどうしてナニしたか。いわゆる男のものを口でってやつだろ? すげえ、まさか身近で既に経験者がいるとはな。案の定、あかねは顔を真っ赤にしてパニックだ。

「そ、そそそそそそそんなことするわけないじゃないっ!」
「えー、なんでよ。してあげたら乱馬君だって喜ぶのに」
「そうそう。ここだけの話、わたしはエッチよりもそっちのほうが先だったなぁ」
「ええっ!?」

 えええーーーっ!?

「あ、誤解しないでね。まだエッチの決心がつかなくて怖がってた時に“焦らなくていい”ってひろしは言ってくれたのよ。でもさ、どう考えてもやせ我慢してるのは明らかなわけじゃない? それで申し訳ないっていうか、せめて何かしてあげられないかなぁって」
「そ、そうなんだ……」
「で? 実際してみてどうだった?」
「うん。もっと抵抗あるかと思ってたけど好きな人のだから意外とすんなり受け入れられちゃった」
「そうなのよね。わかるわかる」
「つるんとしてて案外かわいいっていうか」
「わかるー」

 つ、つるんって……、!

「ここから先は本当にぶっちゃけちゃうけど……そこで相手が声出してくれたりすると嬉しくない?」
「そうそうっ、そうなのよね!」
「あ……みたいな小さい声。思わずもっとしてあげたくなっちゃうもの」
「あー、すごいわかるわ!」
「最初は恥ずかしくてたまらないんだけど、相手の息が上がってくるのを聞いてるうちにちょっと自分が攻めてる気分で楽しくなってくるっていうか」
「きゃーっ! さゆりってばお・と・な!」
「なによー、そういうゆかだってそう思うでしょ?」
「へへっ、まあね」

 な、なんてこった……! 男の象徴なんてただグロテスクでかわいくねえもんだとばかり思っていたが、どうやら好きな奴のものだと違うらしい。あかねが、おれのを。おれの息子を、あのぷるんとした唇で……っていかん! おーい、今度ばかりは何を妄想しようが滾る衝動をこらえきれねーぜ!

 そうこうしているうち、話はどんどんディープなほうへと転がっていく。さあ、ここから先は一言も聞き逃すわけにいかねえ領域だ。おれは興奮で小鼻をヒクヒク膨らませながら、更に神経を研ぎ澄ませる。

「あとさ、あれって美容にもいいのよね」

 び、美容にいいだと!? まさか、アレを飲んだら肌にいいとか? まさかな、まさか……。

「えー、もしかして飲んだら美肌になれるってやつ? それってデタラメらしいわよ」

 すかさずさゆりがズバリと言い捨てる。そっか。やっぱデタラメなのか。ってことはそれを理由におねだりすることは難しいってわけか……くそっ!
 するとケラケラ笑いながら、ゆかがストローでグラスの残りを飲み干した。

「そんなの知ってるわよ。あれって単に男の人の願望が生み出した都市伝説じゃない?」
「そうかもしれないわね」
「大体、あの味はパス。いくら好きな人のとはいえ、わたしは飲めないわ」
「わたしも……。悪いなって思いつつ、吐き出せる時は吐き出しちゃう」
「じゃあ飲んであげる時もあるってこと?」
「そりゃ、他にどうしようもない時ってあるじゃない? それに飲んであげたら喜ぶし」

 おいおい、随分と具体的だな。っつーか、あかねはどうしたあかねは。ここでひろしや大介のセックスライフを詳しく知っても具体的な想像まではしたくねーぞ。その相手が自分の同級生となったら尚更だ。
 しっかしみんな進んでるよなぁ。いつまでも変わらねえガキのままかと思っていたが、着実に時間は流れてるってことか。

「けどさ、アレした次の日って心なしか顎周りがすっきりしない?」

 す……っ!?

「あ、やっぱり?」
「してる時は苦しいんだけどね、翌日ちょっと小顔効果があるからそれはそれでいっかって」
「す、すごい…、二人ともやけに生々しいわね」
「あら。そんなこと言って、あかねだってすぐわかるわよ」

 ゴンッ!!

 ……しまった。今度こそおれは派手にベッドへ額を打ち付ける。と同時に、張り詰めたような緊張感が部屋の中を支配した。

 まずい。
 まずいまずい。
 よしっ、こんな時こそ海千拳だ。
 おれは自分の気配を完全に消し、床と一体になる。そう。ここに早乙女乱馬など存在しない。部屋はあかねとゆかにさゆりの三人、それ以外はまるで居ませんというように静まり返る。

「……変ね。いま確かに物音が聞こえたような気がしたんだけど」
「もしかしたら縁側から花千代が入ったのかしら」
「花千代? 誰それ」
「近所の三毛猫。時々かすみお姉ちゃんがお世話してるの」

 ナイスあかね! ナイス花千代!
 ついでにニャーンと鳴き真似しそうになり、慌てて口を閉じた。っつーかベッドの下から猫の声がしたらそれこそThe.エンドだろう。
 暫し猫の話題で脱線し、ジュースのお代わりを各々のグラスに注ぐ。そしてひと通り盛り上がった後、再び話題は元に戻る。

「ねえ。しつこいようだけどあかねは乱馬君とそういうことするのは嫌じゃないんでしょ?」
「うん。それは……嫌じゃない」
「じゃあ何をそんなに恥ずかしがってるわけ? あ、もしかして未だにすごく痛いとか?」

 そ、そうか! 痛みってこともあるよな。おれはつい今しがた極めた海千拳の存在も忘れ、三度(みたび)耳を澄ます。

「ううん。その……、痛みとかはもう平気なんだけど」
「うんうん」
「ただ…………」

 ただ?

「……あ、あたしの胸ってちっちゃいし」
「だからあかねの胸は小さくないってば」
「そうよそうよ。それを言うなららんま君が大き過ぎるだけでしょう?」
「そ、そうかも知れないけどっ」

 ……よく考えてみりゃ、変な会話だよな。女より胸のでけえ男に、彼女よりウエストの細い彼氏。それでいて中身はまんま男なんだから、これであかねが愛想を尽かさねえほうが不思議だった。
 そしてそれはゆかとさゆりも同様らしい。半分冗談、もう半分は本気で怒ったようにめずらしく語気を荒げる。

「あのね、いい? あかねのスタイルで自信がないなんて言われたらわたしなんてどうすればいいのよ」
「本当よね! まったく嫌味なんだから失礼しちゃう!」
「べつにそんなつもりじゃないってば」
「はいはい、わかってるわよ」
「わかってるけど贅沢な悩みだからちょっとからかってみただけ!」
「ま、元はといえば乱馬君の口の悪さが原因なんだけどね」

 うーむ。おれってそんなにひでえこと言ってたのか。我ながらこれは反省しなければならねえところで。大体胸がでか過ぎても肩が凝って疲れるだけなんだけどなぁ。……よし、あとで「おめーは肩こり知らずでいいよなぁ」とでも慰めてやるとするか。
 しかしあかねの悩みは何も胸のでかさだけじゃないらしい。なんだ? 痛みでもねえ。プロポーションでもねえ。となると……ま、まさかズバリ、おれとの行為に不満があるとか? まさかな、まさか……。

「だ、だって変なんだもん……」
「「「変って?」」」

 いかん。つい心の声でまた反応してしまった。
 変っておれが!? おれのが!? それとも手順が!?

「そ、そういう時のあたしの声、すごく変だし」

 ちょっと待て。言っとくけど全然変じゃねーぞ!? なんなら世界一色っぽいわいっ!

「きっと変な顔だってしちゃってる、から」

 あのなー、んなこと言ったらおれだって一緒だろうが。っつーかなんでい、その方向違いなかわいい悩みは。無駄に構えて損したぜ。
 が、意外なことに女子共の反応は違うようだ。またもやわかるわかると頷き、そしてバカにするでもなく優しく語りかける。

「あかねの気持ちはよくわかるわよ。誰だって最初は恥ずかしいし怖いもの」
「そうそう。ましてや乱馬君とあかねは普段そういう雰囲気じゃないからね。いざエッチの時だけ素直になれって言われてもそりゃ難しいわよねえ」
「そ、そうなのっ。すごい、二人ともよくわかるわね」
「こう見えても伊達に二人を見守って来たわけじゃないですからね。正直なとこ、あかねと乱馬君がそういう関係になったってだけでも驚きよ」
「あかねはともかく乱馬君のあの性格だものねえ。一筋縄ではいかないって感じ?」
「それをあかねが絆しちゃうんだもの。さすが許婚だわ」
「や、やだ、別にそんなんじゃないってば!」

 ……おかしい。おれってやつぁ、一体どんな風にみんなの目に映ってるんだ? そんなに難しい性格してるつもりはねーんだけどなぁ。しかし、こうも言われ放題だと少なからず己を省みる。
 決めた。これからはもうあかねのことをずん胴呼ばわりするのはやめよう。うん、先ずはそこからだ。

「さっきも言ったけどらんまって女の子として見た目は完璧でしょ? だから比べられたくなくてつい体を隠しちゃうのよね」
「うーん。まあ気持ちがわからないでもないわ」
「それにいつもは喧嘩ばっかしてる分、こんな時だけ女の子っぽくなっちゃう自分が自意識過剰みたいで恥ずかしくて……」
「要はエッチに集中できない、と」

 あかねがコクリと頷く。

「嫌いじゃないから……っていうかそういう時間はす、す、…き、だから、多分気持ちいいんだと思うけど」

 あかね……。

「それを認めちゃったら、なんだかあたしばっかり好きみたいで余計不安になっちゃうのっておかしいかな」

 さっきとは違う。
 それでいておれは再び全身を雷で打たれたような衝撃を覚えていた。

「……あたしは、ね」

 静かで柔らかな口調のまま、あかねがゆっくりと口を開く。顔なんか見なくてもわかる。その表情は、きっと蕩けるように愛で溢れていて。

「もしも乱馬があたしのことを好きでいてくれたら……それだけですごく嬉しいなって。あとはゆっくり二人で経験を積んでいけたら……もう充分幸せなんだけど」

 部屋の中の空気が変わる。先ほどまでの好奇心だけで盛り上がっていた経験談ではなく、
 どうしよう。ちょっと泣きそうだ。
 結局おれもあかねも一緒なんだよな。不安で、臆病で、でも相手に触れたくて触れられたくて、相手のことで胸がいっぱいになっちまう。こんなの、おれ達の柄なんかじゃねーんだけど。
 よしよしとゆかやさゆりがあかねを撫でているのがわかった。出来ることならばおれも今すぐこの場に出てあかねのことを思いきり抱きしめてやりたい。そしてあいつらがいなくなった後は当然ベッドに押し倒して、それでその先は───



 そんな感動に一人咽びいている中、ふと思い出したようにさゆりが発した言葉。そこでおれは跳び上がるほど驚いた。

「ねえ。そういえば今日、乱馬君と二人っきりなんでしょ?」

 へ?

「う、うん。まあ、」
「じゃあチャンスじゃない。この前買った、ア・レ!」

 この前買った、“あれ”?
 すると明らかにあかねが挙動不審な動きを見せ、もじもじとカーペットの毛をむしり始める。なんだ、あれって。っていうか、あかねもちゃっかり朝の会話を聞いて意識してたってことかよ。
 おれはふんぞり返る勢いでそーかそーかと繰り返す。素直じゃねえとは思っていたが、まさかしっかり期待していたとはな。そんなおれを更に悦ばせるよう、したり顔でゆかが囁く。

「ね。今日だったらいいんじゃない?」

 今日だったらいい、とは?

「だっていつもは暗い部屋で相手の顔もよく見えないような状況なんでしょ?」
「よく考えてみたらそんな状況でしてるなんて、やっぱり乱馬君って器用よね」

 ふっ、そうだろ? 自慢じゃねーがおれってば我ながら器用で……って問題はそこじゃねーよ!
 なんだ? 暗闇だったら意味がなく、今日だったらいいとはこれいかに?

「折角だからこの前買ったアレで乱馬君を誘ってみたら?」
「や、やだ! 誘うだなんて、そんな……!」
「あら、冗談なんかじゃないわよ。お風呂上がりに暑いふりしてちょっと胸元を仰いだら飛びついてくるんじゃない?」
「言えてる。乱馬君そういうの目敏そうだし」
「で、でもやっぱり、ちょっとあたしには色っぽ過ぎる気がして……」
「なに言ってんのよ。あの時散々迷った下着の中であれが一番あかねに似合ってたってば」

 なんと下着! そ、そっか。確かに普段は暗闇の中だから下着なんてろくすっぽ見ねえうちに脱がしてるもんな。そっかそっか。今まで真剣に考えたこともなかったぜ。
 それにしてもあかねのやつめ。あんな澄ました顔しておきながらかわいいじゃねえか。おかげでおれはやる気満々だ。なんなら先走ったやる気に待ったをかけることすら儘ならねえ。

「あんなかわいい下着つけてたら乱馬君もますます惚れ直しちゃうわよ」
「ま、まさか、そんな下着くらいで、」
「あら、わかんないわよぉ。意外と男の人ってシチュエーションに弱いんだから」
「いわゆるコスプレ願望ってやつ?」
「そうそう。ま、これは女の子も変わらないけどね」
「言えてる。せっかくかわいい下着つけてるのにあっさり脱がせられちゃうと“もう少し真剣に見て”って思っちゃうものね」
「そうよ。こっちは上下合わせたり前回と一緒にならないよう入れ替えたり気を遣ってるのに」
「男ってほんと女心をわかってないんだから!」

 なるほど、女も色々苦労があるんだな。
 ゆか、さゆり、おめーらの気持ちはちゃんとひろしと大介にも伝えといてやるからな。男に二言はねえから安心しろ。

「とにかくあかね、レッツトライで乱馬君を誘惑しちゃいなさいよ」
「あたしなんかで本当に大丈夫かしら? 笑われない?」
「なによー、そんな不安そうな声出しちゃって」
「だってあたし、年中色気がないって言われてるのよ?」
「だからそれは乱馬君の照れ隠しでしょうが」
「っていうか、恋人に向かって色気がないなんてよくもまあぬけぬけと言えるもんだわ」
「わたしだったらそんなこと言われた日には一カ月間お預けの刑ね」

 げげっ、それは困る! 言いません。もう二度と色気がねえなんて言わないからどうかそれだけは勘弁してください!
 おれはベッドの下で手を組んで神に誓い懺悔する。人生十八年、後にも先にもこれだけ真剣に悔いたのは初めてかもしんねえ。



 ───と、ここで話は予想外の展開をみせる。

「ねえ。ところでこの前買った下着はどこにあるの?」

 きっと何の気なしにさゆりも尋ねたのだろう。おれも呑気に聞いていた。
 しかし。

「うん……。ベッドの下に隠してある」

 なっ、なんだとっ!?
 あかねの口から飛び出した、タイムリー過ぎる“ベッドの下”のキーワード。
 一転、おれは頭から冷や水を被ったように意識が引き戻される。

「こんなこと言ったら誤解されるかもしれないんだけど、タンスに下着を入れとくのって心配なのよね」
「なんで? まさか乱馬君が夜な夜な漁るとか?」
「ううん。流石にそれはないけど、うちのお父さんのお師匠様がすごくスケベでね。人の下着をしょっちゅう漁るの」
「あちゃー。それは困ったわね」
「うん。だから見つからないようにベッドの下に隠してあるんだ」

 ……………………まずい。この流れは非常にまずいぞ。

 ドッドッドッドッ───
 尋常じゃない心臓の音が鳴り響く。頼む。頼むから余計なことは言ってくれるな!
 ジワジワと汗が滲み、目に染みる。が、よもやベッドの下で恋人が冷や汗かいているとは思いもよらないのだろう。残り少なくなったポテトをパリンと齧りながら、あかねが呑気に続ける。

「お店で試着した時はいいと思ったんだけどなぁ」
「なによ。まさか今頃になって怖気ついてるんじゃないでしょうね?」
「そういうわけじゃないんだけど……でも実際家に持って帰ってみたら、なんかあたしにはちょっと大人っぽ過ぎる気がして」

 大人? 大人バンザイ、何も問題なんかねえ!
 だから気にするな、心配するな、不安になるな!

「ねえ。そこまで言うならもう一度見せてよ」

 だ──っ!! な、何を言いやがるんだちくしょう!
 わかっている。先程からおれの左肘に当たっている小さな紙袋の存在。その中身がなんなのかは言うまでもないが、ここでベッドの下を覗かれたら一巻の終わりであって。
 頼む、あかね。わかってるよな? もうあいつらは既に見たんだろ? 今さら見せる必要なんてねーよな?

「……わかったわ」

 わかってくれたか!?

「そこまで言うんなら、もう一回見てもらえる?」

 だーかーらぁぁぁあああ!! なんでそーなんだよっ!?
 っていうかなるほど、そういうことか! ベッドの下がやけに綺麗なのも、その前に掃除機をしっかりかけてから下着をしまっていただけに過ぎねえ。くそっ、今頃になって真理に気付くとは……!

「あれ? おかしいわねえ」

 ごそごそとあかねの手だけがベッドの下を弄る。それを寸でのところで避けながら、なんとか紙袋だけ差し出そうとしてもあいにく肩に押された小さい袋はベッドの奥のほうへと追いやられてしまっている。

「どうしたの?」
「うん。なんだか見当たらなくって……」
「えーっ!? まさか例のお師匠様に盗まれちゃったなんてことはないでしょうね?」
「ううん、それはないと思う。今朝だってちゃんと確認してから家を出たもの」

 今朝……ってことはあかねも今夜そうなることを期待してたってことかよ。なんだよおい、かわいいじゃねーか……って違う違う。これはまずい、非常にまずいぞ!

「そんなに奥にやったつもりはないんだけどなぁ」

 ペロンと布の向こうから光が差す。それは即ち、おれの死を意味することであって。
 どうしようどうしよう。
 おれは多少音が鳴るのも構わず紙袋をベッド脇にスライドさせる。そしてベッドカバーがめくれるや否や、すかさずそれをあかねの手元に滑らせた。

「…………あれ?」

 それは一瞬のことだった。
 重苦しい空気が二人の間を駆け抜ける。


「見つかった?」
「う、うん…………まあ……、」
「見せて見せて! わあ、やっぱりすごくかわいいじゃない!」
「うんうん。これなら全然派手じゃないし、あかねにぴったり似合うわよ!」
「あ、ありがとう……」
「あら? どうしたの、あかね」
「なんだか元気がないわね」
「うん……。あの、言いにくいんだけど、その…………」

 ………………………………まずい。
 まずい。まずい。

「ちょ、ちょっとさっきから体調が悪いっていうか……」
「やだ、本当に? そういうことはもっと早く言ってよ!」
「ご、ごめんね」
「わたし達はいいのよ。それよりあかね、一人で大丈夫? もしかしたら乱馬君、ひろしや大介と遊んでるかもしれないから探してきてあげようか?」
「ううん。……それは大丈夫だと思うわ」

 …………なぜだろう。この部屋の──このベッドの下だけ氷点下マイナス三十八度の世界が広がっているように感じるのは気のせいだろうか。バナナで釘が打てます……っておれのバナナで釘を打ったらそれこそ大惨事は免れない。いや、既にもう惨事は始まっているかもしれないのだ。
 取って付けたようなあかねの笑顔。そそくさと帰り支度を始めるゆかとさゆり。おーい、頼むからもう少しあかねが落ち着くまでそのままのんびりしていってくれ!




 しかし、結論から言うとおれの願いは叶わなかった。



「じゃあね、あかね。しっかり休むのよ!」
「うん。玄関までお見送りも出来ないでごめんね」
「いいっていいって。そんなことよりさっさとベッドに入って休みなさい!」
「乱馬君には可哀想だけどチャンスなんてまたいくらでもあるからね!」

 好き勝手言っては嵐のように去っていく。
 いくらでもあるチャンス……。しかし、そのチャンスが二度とやってこないような気がするのはなぜだろう。なんならこの後起こる修羅場の詳細まで予測できてしまうエスパーっぷりを発揮するが、その理由は嫌というほどわかっている。
 無情にもパタンとドアの閉まる音がした。程なくして玄関扉を開閉する音が聞こえ、再び部屋に静寂が訪れる。
 すう……っと静まり返った空気の中、あかねの発した低い響きをおれは一生忘れないだろう。

「……………………乱馬。いるんでしょう?」
「……っ!」
「出てきなさいよ」

 …………いかん。これは本気で怒っている。
 とはいえ、いつまでもベッド下に隠れているわけにもいかねえ。
 三度目の呼びかけでようやく意を決し、おれはベッドの下から這いずり出る。その情けなさったら筆舌に尽くし難いこと山の如しってやつで。

 目の前で腕を組んでおれを見下ろすあかねの闘気たるや金剛力士も真っ青だ。流石こいつも格闘家だな。場違いとも思える妙な感心を覚えながら、おれはまな板の上の鯉よろしくちんまり小さくなる。

「……一体どういうことか、説明してもらいましょうか?」
「えと……、あ、あかねさん、あの、」
「もちろんあたしが納得出来る理由なんでしょうねえ!?」
「ひいいっ!」










 その後のことはよく覚えていない。
 ただひたすらに猛虎落地勢を極め、額を床に擦り合わす。生まれ持った調子の良い口は何度謝罪の言葉を繰り返したかわからねえ。とにもかくにも謝り倒す。
 そうしてようやくあかねの目を見れるようになる頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。


「まったく、信じられない! 人の部屋に勝手に忍び込んで!」
「だ、だからそれは悪かったって!」
「しかもあたし達の会話を全て聞いてたんでしょ!? 趣味が悪いったらないわ!」
「しょうがねーじゃねえか! おれだって好きで聞いてたわけじゃねーよっ」
「なんですってぇ!?」
「あ、いや、その。聞くのも失礼かなーなんて思ったんですが、出るタイミングを逸しまして……」
「ふんっ、スケベ!」
「なんでい、スケベなのはおめーらだって同……だーっ! じょ、冗談! 冗談です!」
「この変態、スケベ!」
「待て! スケベはいいとして変態って言うなっ!」
「あんたねえ、本当に反省してるわけ!?」
「してるしてる! もう二度とずん胴なんて言いません!」
「そっちの反省じゃないっ!」

 ああ、もう埒が明かねえ。
 おれは飛んできたあかねの拳を受け止め、そのまま腕の中にじゃじゃ馬を捕まえる。
 言ってもあれだ。怒られてもいい。殴られても蹴られてもいい。だけど今はどうしても、あかねのことをただ一度抱きしめたくて。

「そ、その、おめーらの話を勝手に聞いちまったのは本当に悪かったと思ってる」
「ふんっ! どうかしら!?」
「でもっ!」

 そう。でも、だ。

「お、おれはその、なんつーか嬉しかった……っていうか」
「な、何言って、」

 だってそうだろう?
 おればっかりがそういうことをしたいと思っていて、おればっかりがあかねのことを好きだと思っていた。それが違うって。おれとそういうことをするのが嫌どころか幸せだなんて言われちまって、それで嬉しくないわけがなかった。

「お、おれだってその、初めてだから全然余裕とかそんなのなくてカッコわりーけど、」
「っ、」
「でも、あかねがその、おれと……ッチすんの、やじゃねえっつってくれたから」
「乱馬?」
「だからその、お、おれもずっとおめーのこと、だ、大事にしようと、思って……」

 多分、最後のほうは声にならなかった。少なくとも“おめーのこと”からその先はどんなに耳を澄ませても聞き取れなかったことだろう。
 それでも虚を突かれたようにあかねの目が丸く見開き、それからゆっくりと腕を回されるのを背中に感じる。

「あかね……」
「…………言っとくけど次したら二度と口きかないからね」
「うん」
「い、今だって全部許したわけじゃないんだからっ」
「うん……、ごめん」
「あと、その……、さゆりとゆかのことも、」
「あいつらのことも言わねーよ。っつーか言う相手もいねーし」

 そう。かわいい下着の時はゆっくり見てやってくれというアドバイス以外、おれからあいつらに伝えることは何もない。

「あ、あたしも……」

 あかねも?

「あたしだって、本当はまだすごく恥ずかしいんだからね」
「……わりい」

 ごめん。でももう限界なんだ。
 あかねの顎を持ち上げ、そっと自分の唇を重ねる。
 最初はお伺いを立てるように。そのうちあっという間に口付けは深いものとなり、いつの間にかあかねの体をシーツに縫い付けていた。

「あかね……、」
「あ……っ、や……、」
「やじゃねえ。あかねの声……、もっと聞きてえ」

 いつもと違い、白いレース越しの窓からは薄明かりが差して組み敷いたあかねの表情までしっかり見える。茜色に染まった空に、それと同じ色をしておれを見上げるあかねの顔。言葉に出来ねえほどに、あまりにも愛おしくて。

「ま、待って、乱馬……!」
「待たねえ」
「お願いだからっ、」

 ぐっと肩を押し返される。そして二つまで外された胸元のボタンを押さえながら、濡れた唇で囁くあかねの言葉におれは完全ノックアウト。

「こ、ここから先は、ちゃんとお風呂に入ってから……」
「ふ、風呂?」
「……、」


 それって…………。

 ──お風呂上がりに暑いふりしてちょっと胸元を仰いだら飛びついてくるんじゃない?

 俯くあかねの視線の先に例の紙袋。これはもう、そういうことで間違いないのだろう。
 逸る気持ち。なんなら今すぐにでも暴発しそうな衝動をこらえながら、おれはただコクコクと上下に首を振る。それで言いたいことがわかったのか、静かに立ち上がったあかねは着替えと袋を手に取り、そしておれの唇に一瞬触れて。

「…………絶対絶対笑わないで、ね?」

 ちゅっと軽やかなリップ音を立て、それからパタパタと階段を降りていく音をおれは夢心地で聞いていた。










 さあ、ここから先はどうなったって?


 いち。あかねとラブでイチャイチャな時間を過ごした。
 に。実はあの後なびきが帰ってきて全ての計画はパーになった。

 真実は想像にお任せするが、どちらにせよおれとあかねの距離がひとつもふたつも縮んだことだけは間違いではない。






















 ……………………ちくしょーっ!!!!!




 < END >




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comment (14) @ 高校生編 短編(日常)

   
臆病者の回り道 ① 売り言葉に買い言葉  | 100 > 99 

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2018/10/04 Thu 06:50:45
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Re: No title : koh @-
り~コメント主様

ありがとうございます。
ピュアでしたか?笑笑
高校生はまあ、時間と文字数が掛かって仕方ありません笑。
でもこんな会話、しましたよね??
懐かしさ200%で書けて楽しかったです^^。
2018/10/06 Sat 15:46:26 URL
Re: No title : koh @-
ト~コメント主様

わー、受験生のママお疲れ様です!
よみがえる去年の記憶……。ほんと、何をしててもそわそわしてしまうというか落ち着かないんですよね。
見える景色に靄がかったフィルターがかかったように、ヤキモキしたのが昨日のことのようです。
そんな中、少しでもコメント主様の癒しになれたらとっても嬉しいです^^。
そして高校生ならではの同級生ズ、かわいいですよね。
時にからかい、時に背中を押してくれる頼もしい存在 笑。
私も歳相応(?)なこのワチャワチャ大好きなので書いていて楽しかったです♡
2018/10/06 Sat 15:50:05 URL
Re: 面白かったです(*・ω・)ノ : koh @-
m~コメント主様

そうそう、あのあやしい天使&良牙のカラーンコローンを私も思い浮かべていました笑。
確かどこかにありましたよね笑。
それにしてもベッド下……乱馬よ、なぜそんな危険な賭けに出た笑。
以前もLIAR GAMEのあとがきに書いた通り、私の通っていた予備校はラブホ街に面しておりまして、それだけでも耳年増になったものです^^。
とはいえ、あかねちゃんの気持ちが乱馬にもわかってよかった……と思いきや、微妙にずれているところを書きたかったのでその辺りを汲み取っていただけて感激です。
続きはAからはじまるRな世界……というところでしょうか笑。
ずっと前から切ない系に再チャレンジしているもののなかなか手が進まず。
やっぱりこんなバカバカしいお話は気楽で楽しいですね^^。
2018/10/06 Sat 16:17:20 URL
Re: No title : koh @-
和~コメント主様

まさかのクロちゃんっ!笑。
これ、他のコメント主様方も仰っててひそかに笑っちゃいました~^^。
確かにベッド下にいても気付かなそうですが、めちゃくちゃ怖いですよね。
迂闊なことを言えない……ある意味オバケより怖いです笑。
ベッド下で盗み聞きしていたなんてゆかとさゆりに知れたらこんなもんじゃ済まないですよね。ほんと、あかねちゃんの優しさに感謝しなくちゃ!
そうそう。コメント主様が好きだと仰ってくださった切ない系がそろそろ始まります。
最終話までは苦しいかもしれませんが、よろしければそちらもお付き合いください^^。
(その前にちゃんと書ききれるかしら……)
2018/10/06 Sat 16:21:37 URL
Re: No title : koh @-
め~コメント主様

ありがとうございます。
昔はこうして乱馬視点でばかり書いていたような気がします笑。
なんといってもお気楽で悩むことがないため楽しいんです。(えっ)
それにしても高校生の時はこんなにもピュア(?)でちょっとぬけてる乱馬君が、社会人になったらあんなにあかねちゃんを翻弄できるようになるなんて……////
何事も修行ありですね笑。
気が付いたら拍手と併せて26000字を越えてしまい、毎度バカバカしさに我ながら呆れてしまいました(^^;。
2018/10/06 Sat 16:25:40 URL
: 憂すけ @-
言葉も無いですよ、おねいさんっ・・・!この展開・・・っ・・・どっきりを仕掛けようとして自分が、あらまぁ、ドッキリ♡って、ドリフなの!?ちゃんとお約束の様にネタばれてしまう乱馬…。もっと言えば、大きく膨らんだ期待という名のアドバルーンは、どうやらふしゅるるる…だったようですし?途中はほろっとしつつ、やっぱ泣き笑いさせて貰いましたよっ!!もうさ・・・本当にkohさんってさ・・・嫌、良い!言わない!!今度会えあたら直接言いますわっ!!<(_ _)>♡
2018/10/07 Sun 15:22:31 URL
Re: タイトルなし : koh @-
憂すけさん

脅かすつもりが驚かされ、結局バレて怒られてからのご褒美かと思いきや最後に…ああっ!
なんででしょう。高校生乱馬君を書いているとどうにもこうにも不憫にしたくなってしまう私がいるようです笑。
でもほら、乱馬君ってそういうのが似合うから……。
気持ちを確かめ合いつつ、ほんの少しだけお預け。
きっと次回はお互いちょっとだけステップアップした時間を楽しめるんじゃないでしょうか?
あ、でもそうなったら乱馬君が止まらなくなりそうだなぁ(^^;。
2018/10/08 Mon 09:06:41 URL
管理人のみ閲覧できます : @
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/10/08 Mon 10:49:11
Re: タイトルなし : koh @-
ひ~コメント主様

おふざけで書いていたらなんだかながーくなってしまいました笑。
学生時代のガールズトークあるあるですよね^^。
経験の有無にかかわらず休み時間や放課後、女子更衣室の中は週刊誌もビックリの下世話なネタ満載ですとも!(といっても昔はSNSもなかったし、内容としてはかわいかった気もするなぁ)
え?私?私は……あ、ちょっとトイレタイムだ!←
あ、でも年上の人と付き合っている子のホテル利用談なんかはかなり生々しくて楽しかったです笑。
浮かれて舞い上がって落ちて浮上してまた落とされる。これぞ高校生乱馬君。
頑張れ!明日は明日の風が吹くさ^^♡
2018/10/08 Mon 15:31:50 URL

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