シークレット・シークレット(後編) 

2018/11/24
業界事情や機材に関しては完全なるフィクションです。
あと1話、エピローグに続きます。



後編

SecretSecret blog




 そしていよいよ運命の日がやって来た。
 俺は先輩に近寄ると、早速探りを入れてみる。

「先輩、おはようございます」
「おっす」
「ところで先輩、あかねさんのことですけど……」
「あかね? あかねがどうかしたのか?」

 いや、聞きたいのはこっちのほうなんですってば。
 顔が映らないとはいえ、いきなりの代役。しかも全国展開されるCMに抜擢され、普通でいられる人なんてまずいない。しかし先輩ときたら勝手なもんで、「特に変わった様子はねーけどなぁ。昨日だってしっかり飯食って腹出しながら寝てたぞ」と呑気なことを言ってのける。ってそんなわけはないでしょう!? これには流石の俺もブチ切れっす。

「あのねえ、先輩! 一体誰のせいであかねさんがこんな目に遭ってると思ってるんすか!?」
「誰っておめーのせいだろ?」
「…………は?」
「おめーがあかねに無茶な代役なんて指名するからよ。可哀想にあかね、断りきれず依頼を受ける羽目になっちまって」
「ちょっ、ま、待って下さい! それは先輩が」
「ああ見えてあいつ責任感つえーからなぁ。この撮影が無事終わった暁にはジムの一員としてちゃんと礼の一つでもしてやったほうがいいぞ?」

 …………鬼だ。悪魔だ。人でなしだ。
 良かれと思って助け船を出してやったらこのザマか。
 もう怒った! 今日という今日は先輩のことなんか知らないっす! この先どんなにあかねさんと喧嘩しようが拗れようが泣かれようがフラれようが、どんなに先輩が困り果てても俺には一切関係のないことでもう二度とほだされてなんかやるもんか! 大体なんだ、昨日も腹出して寝てたって、あかねさんに限ってそんな寝相が悪いわけないじゃないっすか。っつーか先輩も先輩っすよ。何ちゃっかりあかねさんの寝姿覗いて……はっ、まさか! まさか、昨日の晩も一緒に寝てたってわけじゃないっすよね!? いやいや、いくらなんでも流石にそれは──
 と、そこでポンと背中を叩かれる。

「おはよう、田中君。今日はよろしくお願いします」
「あかねさん……」

 やや緊張した面持ちで、けれどいつもと変わらないにこやかな笑顔を浮かべてあかねさんがスタジオに入ってきた。
 いつもと変わらない? いや……。
 変わらないどころか、全身に静かなオーラが纏っている。決して主張し過ぎない、けれど今にも解放されることを待っている秘めた闘志とでも言うのだろうか。思わずごくりと唾を飲む。そんな俺を余所にあかねさんはメイクに促されて別室に向かった。一方、先輩は撮影の段取りをひとつひとつ細かく確認している。

 にしても、CM撮影ってこんなに少人数で行うものなんだろうか。現場にいる人物といったらジムの会長、先輩、そしてなぜか俺。そこにあかねさんとプロのメイク一名に、カメラマンやプロデューサー、音声は撮らないもののマイクをセットするアシスタントにバミリのテープを貼っていくスタッフ達。他、見慣れないスーツ姿の男性陣はおそらく制作会社とそのクライアントの人達だろう。ここに茜ちゃんの事務所からもチェック要員が一人やって来るとは聞いていたが、それでも総勢二十名をちょっと超えるくらいの極々限られた人数で。その一部は事実上CM制作に携わることさえないメンバーなのだから、個々に掛かる実質的な仕事の負担や責任は相当大きいと言えるのかもしれない。俺は思わず近くにいたスタッフらしき人物に声を掛ける。

「なんか……撮影って思ったより少人数でやるんっすね」
「今回が異例なだけですよ。普段はもっと大人数で、細かく段取りも組みますからね」

 歳は先輩より一回り上になるかならないかくらいだろうか。物腰が柔らかく、バンドカラーシャツがよく似合う男性が笑う。

「だけどその分、遊びが効くのもこの人数なんですよ。CMって人手をかければいいってなもんでもないですし、どっちかっていうと撮影した後のほうが大変ですからね」

 なるほど。確かに言われてみればそれもそうで、すとんと腑に落ちるような気もする。そして俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。

「そういえばラストのシーンなんすけど。言ってもあかねさん……天道さんは代役で一般人なわけじゃないですか。それでもキスシーンって要るんすかね」
「ああ、それに関しては──」

 と、そこで先輩からのお呼びが掛かった。

「おい、ぴーすけ。ちょっと相手になってくれ」

 先輩に呼ばれ、丸いサークル状になった装置の上に立つ。滑り止め加工がされたフロア。その周りを取り囲むように360度カメラのレーンが敷かれており、その中で俺と先輩が動作チェックとしてカメラテストを繰り返す。普通こういった場合はプロのスタントマンが代理で動きを見せるのだが、あいにく先輩の真似は誰も出来ない。どこまで飛び、どのくらいのスピードで周囲の機器を回転させるのか。何度も何度も繰り返す俺の額には早くも汗が浮かんでいたが、先輩はどこ吹く風だ。
 クライアントによるアクションの指定は特にない。ただ自由に。そして出来るだけウェアが風を含んで表情を生むよう多様な動きを見せてくれれば、あとは絵になるシーンを切り取って繋ぎ合わせていくといった具合らしい。
 一方でメイクを終えたあかねさんも体を温め始めていた。先輩と一言二言挨拶を交わし、一人集中力を高めていく。その姿といったらちょっと近付き難いような迫力で、茜ちゃんの事務所スタッフも思わず見惚れるほどの澄んだ美しさがそこにあった。遠巻きに眺めるスタッフの中にはあかねさんのことを本物の芸能人、または売り出し中の新人と勘違いしていそうな熱視線を送っている輩までいて、とにかくなんていうか、普段目にするあかねさんとは全然違う。
 一通りの確認を終え、着替えとメイクのために先輩が控室に戻る。これもまた異例中の異例なことだった。本来ならばこの時点で幾度もカメラリハを行うため、何時間も足止めされるのが通例で。にもかかわらずこれだけ早く切り上げるのは、初見の感動と衝撃をスタッフ自らに与えないためだと知った時、あらためてこのCMの出来は先輩とあかねさん次第。そう言っても過言ではないほど、二人に与えられた重責は大きいと痛感する。

(にしてもこんだけカメラに囲まれてて先輩とあかねさん、大丈夫かな)

 おかしいな。ここにきて俺のほうが震えてきたぞ。さっきまでは少ないと思っていた人数だって、二十人集まれば四十の瞳だ。それが一斉に二人へ注がれること。そのプレッシャーといったら測り知れない。
 そこに髪を綺麗にセットされ、真新しいウェアに身を包んだ先輩がやって来た。手には上着。それをアップが終わったあかねさんに投げつけ、「着てろ」と短く命令する。
 ……ああ、そうっすよね。それは何も体が冷えるからとかではなく、他の連中に極力見せたくない男の独占欲で。上着を受け取り、あかねさんが大人しくそれを着る。どこかでちっと残念そうな舌打ちが聞こえたが、それは気のせいであって欲しいと俺は願わずにいられなかった。
 もう一度、今度こそ本番前最後の確認ということで打ち合わせに入る。
 といっても動き方は全て先輩に委ねられている以上、特に制約はない。ただ、出来るだけ顔を隠さないように。センターで音は拾うものの実際の放送では全てカットされるから好きに掛け声をかけていいこと。とにかく怪我のないように、等々、繰り返し聞いていた注意事項を復唱していく。
 こうして全ての説明、確認が滞りなく終了し、いよいよ本番となったその時だった。突然、先輩が手を上げてもう一度着席を促す。

「わりい。今さらなんだけど、いくつか確認してーことがあるから聞いてもいいか?」
「勿論です。ご質問、ご要望があれば今のうちに仰ってください」
「そりゃありがてえ」

 先輩が不敵に笑う。
 なんだ? なんだか嫌な予感しかしない。

「まず、さっきの動き。俺とぴー……、中田の組み手。あれ自体はどうだった?」
「バッチリです。もうなんの問題もないですね」
「ふーん。ならいいや」
「あ、でも天道さんは女性ですからね。格闘に長けているとは伺いましたが、決して無理せず──」
「いや、そこんとこは大丈夫だから」

 随分と自信満々っすね、先輩。
 その言葉であかねさんの纏う空気がより研ぎ澄まされたように感じるのは気のせいだろうか。
 すると突然、先輩がカメラのほうを指差した。

「前に言ってたよな? このCMは敢えてシンプルさを売りにするため、定点カメラと外周からのパノラマ、あとは天井の固定カメラで撮影するって」
「その通りですが、それが何か?」
「ちなみにカメラってタイマーとかかけれんの?」
「はい。こちらの360度パノラマカメラは最新の装置を全てパソコンから管理しますので可能は可能です。というより、レールの上を何周するかを設定することが出来ますので、その時間を逆算すればタイマー代わりにはなるかと」
「なるほどな。あとさ、カメラの止まる位置ってのは決まってんのか?」
「勿論です。正面スタートで始まり、きっちり正面で止まるように予めセットされていますからね」
「ってことは最初と最後のスピードは落ちるってことか」
「まあ、そうですね。そのあたりは編集で上手くアレンジしていきますが」
「ふーん…………」

 なんだろう。今度こそ一体何を言うつもりなんだ?
 胸の前で腕を組み、目を閉じる。
 そして暫らくぶつぶつ唇を動かしたと思うと、よしっと一言呟いた。

「あのよ、さっき要望があったら言えっつったよな?」
「ええ。なにかありますか?」

 くるりと台本を丸めた監督が先輩としっかり視線を合わせる。どうやら、さっき俺が話し掛けたバンドカラーのお兄さんはこのCMの総責任者だったらしい。まだ三十そこそこでディレクターときたら、業界人としてはかなり若いほうなのだろう。それもまた急成長を見せる新規のブランドらしく、“新しい風を”という狙いから、敢えて経験の浅い人物を指名したと聞いた。
 その若きディレクターに向かって先輩が放った言葉。
 それには一同、度肝を抜かれることになる。

「わりーんだけど撮影中は二人だけにしてもらえねーか?」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。多分、ここにいる全員がポカンとしたはずだ。しかし、先輩だけは臆すことなく堂々と続ける。

「さっきも聞いたけど、カメラは全部セットできんだろ?」
「は、はい、それは確かにそうですが……」
「で、音声も必要ないと」
「い、いや、そうですけどね!? でもそれはあくまで放送で音声を使わないっていうだけで撮影の時は録音して──」

 制作側としては尤もな主張だった。
 が、そんなことお構いなしに先輩が遮る。

「あのさ、俺はともかく天道さんは大きな試合とかそういうの経験したことねーだろ?」
「それは、」
「格闘てそんな簡単なもんじゃねーんだよ。こんだけ人が見てて、しかもそれが全国展開するっつったら委縮すんのは当然だろ? けどよ、それじゃあブランドのコンセプトと全くそぐわねえ。だったら二人で思いきりやらせて欲しいんだ」
「し、しかしですね、撮影中、万が一の事故があった場合はその場に立会人がいないと後々大問題になりますし、カメラひとつとってもタイムキーパーが絶対必要なんですよ」
「タイムキーパー? なんだそれ」
「さっきも言ったようにこちらのレーンカメラは何周回るようにといったセットができるんです。本来ならば一コマ撮影するごとにカメラを止めるのでその必要がありませんが、今回は躍動感優先ということである程度流して撮る必要がある。そこでこのカメラの周回をセットするのですが、残り時間をカウントしたり、まあ色々あるわけでして」
「そのカウントダウンをしないとどーなるわけ?」
「最後の決めのポーズが撮れなくなります。我々としても、そこだけは絶対に譲れません」

 そりゃそうだろう。そんなの、ド素人の俺だってわかるっすよ。そりゃ確かに先輩の気持ちはわからなくもない。場数をこなしている先輩と違い、どんなに言ったってあかねさんは素人だ。が、だからといって無人でカメラを回しながら、先輩とあかねさんの二人きり? 流石にそれは無理があるだろう。
 この到底受け入れ難い提案にディレクターがうーんと頭を抱える。そこにダメ押ししたのは、やはり恐れを知らない先輩で。

「頼む。最初のワンセット……いや、十五分だけでいい。もしそれで全然使いもんにならねーんだったら、その時はなんでも条件を飲んでやろうじゃねえか」
「……なんでも、ですか?」
「ああ。男に二言はねえ」

 きっと先輩には自信しかないのだろう。多分、先輩の頭の中でだけ見えている世界。それをこの場で理解出来るとしたら、それはあかねさん以外にいないのかもしれない。
 シーンと膠着状態が続いた。そして重い沈黙を破り、ディレクターが口を開く。

「早乙女選手の初CMに、僕の初監督作品。天道さんの抜擢も異例ながら、無人の撮影で何もかも初めて尽くしか……」
「ダメか?」
「…………残念ながら」


 交渉決裂。
 当たり前といえば当たり前だ。そう思ったその次に。


「僕、こういうノリ嫌いじゃないんです。ダメだなぁ、ディレクター失格ですね」

 最後は困ったように眉を下げる。その瞳は少年のような好奇心を浮かべていて。
 異論はないですよね? とクライアントの方を向く。それに反対する者は誰もいない──どころか前のめりに頷く様は、これから繰り広げられる未知の世界への期待値しか感じられなかった。



「ただし、こちらからも一つ条件があります。誰か一人だけ、最低でもこのフロアに残すこと」
「一人?」
「ええ。早乙女選手の希望通り、十五分間は何があってもカメラを止めません。ですので当然メイク直しなども不要となります。しかし、僕らとしても完全無人というのは許可が出せないんですね」
「っていうと?」
「最悪、カメラ操作や音声での指示は隣室からPCやマイクを通じて飛ばせます。どうしても置いておきたいのは万が一のアクシデントに備えたスタッフ兼、タイムキーパーです」
「ちなみにそのタイムキーパーって具体的に何やんだ?」
「そうですね。一番わかり易く言うと、この小窓に映る……わかります? この目盛り。ここにデジタル表示される残り五分からお二人にもわかるよう分刻みに、そしてラスト十秒は大声でカウントする、それがタイムキーパーです」
「それって誰がやってもいいのか?」
「いえ。一応うちに専属のアシスタントがいますが……。しかし、早乙女選手のご意見を聞いているとおそらくご希望には沿えませんよね?」
「わりいな」

 にかっと白い歯を見せ笑う。それはまるで楽しむことしか知らない少年のようで。

「動いてると音が耳に入ってきにくくなるからよ。聞き慣れた声のこいつでもいいか?」


 そうして先輩がおれを指差す。
 先週俺があかねさんにしたことを、そっくりそのまま返された。


 *


「それでは音楽を流します。カメラが回り出したら一斉に引いてください」

 メガホン片手に指示が飛ぶ。といっても実際引くのはスタッフのほうだった。
 急遽設けられた天幕の中に移動し、そこからモニターを通して二人の様子を見守る。当然二人の視界にはスタッフの姿が目に入ることはなく、スタッフ側からの指示も飛んでこない。唯一橋渡しの存在としてそこに居るのを許されたのは、ほとほと場違いな俺だけだった。
 静かに、けれど明らかにスタッフの動きが慌ただしくなり、みんなの目が真剣になる。
 舞台に上がり、先輩とあかねさんが向き合った。すっと差し出された先輩の拳。そこにあかねさんも拳をぶつけ、二人の視線が交差する。

「よろしく、天道さん」
「天道さんって長くないですか? あかねでいいですよ」

 今日だけは、と。
 にこりと笑うあかねさんを見つめる先輩の瞳がこの上なく愛しさに満ちていて。ああ、馬鹿だなぁ。俺だったら間違いなくこの表情を撮影するのに。
 それにしても二人ともすごいっす。そんな堂々として、もしかして心臓がファーで覆われてる系っすか?
 ううっ、なんか俺のほうが緊張してきたぞ。まずい……ここで腹とか痛くなったらマジでシャレにならないっす。万が一にもここで腹が痛くなってもこの中田広貴、全てを捧げる覚悟でここに居ますからね!

 音楽が流れ始める。アップテンポの爆音は嫌が応にもアドレナリンが暴れ出す。
 あと十カウントでカメラは回り出すはずだ。
 俺は首からぶら下げたストップウォッチと電子板を交互に見渡しながら、数を刻む。

 五、
 四、
 三、
 二、
 一 ……────!

 ウィーン……とモーターが駆動する。
 ゆっくりと回転し始める360度からの外周カメラ。
 未だ微動だにしない二人。
 三周きっちり回りきってから動き出す。
 これはカメラリハで予め決まっていたことだ。
 クンと先輩が顎を反らす、無言の挑発。
 それに対し、こくりと小さくあかねさんが頷く。

 残り二周、
 一周、



 スタート。



「来いよ」

 人差し指一本。それだけであかねさんの内に秘めていたパワーを引き出せるのは先輩しかいない。ゆらりとステップを踏む。右、左、右。タンタンタンッと三回軽やかに床を鳴らし、突然空気を切る音がした。ビュッと飛んだあかねさんの右足は先輩の胸の高さで一周する。仰け反り、その弾みでバク転しながら後ろに一歩、そこへ今度は左足が蹴り上げられる。
 格闘技とダンスの融合。そんな言葉がぴったりのバトルは二人のボルテージを最大限に引き上げる。待って下さい。まだ始まって一分っすよ? なのにそこにあるのは二人きりの世界で、何人たりとも踏み込むことは許されない。
 先輩があかねさんの腕を掴む。すかさず胸に足を着き、今度はあかねさんが一回転。短い髪の毛はパーカーのフードを際立たせるのに抜群で、風を孕みながら猫のようにふわりと舞う。
 右足、左の手刀、また右足払いに一歩踏み込み、フェイント掛けたら跳んで蹴り。まるでくるくる回転する独楽(こま)だ。実際闘うわけじゃない。だからこそ、相手に触れないギリギリのところで自分の持つエネルギーを爆発させるには熟練された技術と確固たる信頼が絶対で。床に手を置き、先輩の足がコンパスのように一回転。ぴょんと跳ねてかわす手を取り、胸に抱く前に「嫌よ」と脇の下をすり抜ける。
 ああ。きっと二人だけの会話だ。
 互いの呼吸を確認しながら。
 目の奥で合図を送って。
 笑ってる。
 二人の顔が笑ってる。
 おかしいじゃないっすか。こんな緊迫する状況で。
 なのになんてことだ。体の震えが止まらない。
 貸し切りのダンスフロアさながら、誰ひとり観客のいない舞台で二人が踊る。
 こんな贅沢なステージ、現実にあっていいんだろうか。

「随分稽古したんだな」
「知ってるくせに」

 聞きようによってはアウトなこの会話も、今日は無礼講。
 こんな世界を見せつけられたら、もう何も言えなくなる。

 足を振り上げ、あかねさんの頭は下に、爪先は天井に180度の大開脚。さらさらと流れる髪の毛が頬にかかり、そのまま片足を重心にスピンする様は芸術品のようだ。
 楽しいって形のない感情だと思ってた。
 だけどもしそれが形になるのなら、きっとこれはその一つと言っていいだろう。
 楽しいな。
 楽しいね。
 歌うように、飛ぶように。
 直径五メートルの限られた空間をこれだけ自由自在に飛び回られたらお手上げで、きっとどんなに腕のいいカメラマンでも二人の動き全てを追うことなど不可能だろう。
 ぐるぐる回転するカメラが赤い目を光らせる。そこに尚、正面と天井からの定点カメラが二人の姿をフレームに納めていく。

 向かい合い、互いの足を顔の高さで交差して。ぴたりと止まり、背中を合わせてまた向き合う。
 なんすか。なんなんすか。
 これ全部打ち合わせなしなんて、そんなの俺以外に誰が信じられるってんですか。
 蹴りを避けたあかねさんが先輩の背中で一回転する。それを見計らい、今度は先輩が宙返り。ねえ、ここまでで同じ動きなんてあったっけ? そんな疑問すら置いてけぼりで、また二人はじゃれ合い出す。なんかもう、ずるいっすよ。ちゃっかり二人だけで楽しんで、俺のことなんかほったらかし。こんなの、とても茜ちゃんでは太刀打ちできるわけないっすよね!?

 真新しいシューズが床を鳴らす。キュッと踏みしめる音を合図に、ぶつかり合う二人は花火のようだ。限られた時間いっぱい光を放つよう、互いの閃光が煌めき合う。

「あかねっ、伏せろ!」
「うん!」

 風が巻き起こる。容赦のない先輩の回し蹴り。それを足元であかねさんが交わし、手を伸ばして身を起こす──と思いきや、今度はその手を捻って先輩が宙に舞った。すごい。あかねさん、容赦ないっす。っていうか先輩も。なにそんな嬉しそうな顔しちゃってるんすか。言っときますけどここで笑うって相当おかしいっすからね!? どうせあれだ、先輩のことだから「どうだ」とでも思ってるんでしょ。あかねさんのこと、相手できるのは自分しかいないって。
 我が儘っすよ。自分の欲しい動き、相手の欲しい動き、全部二人にしかわからない世界に閉じ込めて。おかげで瞬きすることすら惜しくなっちゃうじゃないっすか。さっきまで激しく打ち合っていたと思ったら今度はじりじりと睨み合い。猫が尻尾を揺らしながら間合いを取るように、ゆらり向き合い、また地面を蹴る。あかねさんの腕は鳥だ。手首を折り曲げ、風を受けて空を舞う。さっきまで細い線だったはずの髪の毛は幾束もの筆になり、宝石のような汗が辺りに散った。
 ふわっと浮き、曲げた足から強烈な蹴り。これはなんて言うんだろう。空手でもなく、合気道でもなく、それでいて中国拳法とも言い難い、まさにフリースタイル。そこにはきっと、ルールなんて存在しない。


「あと五分!」

 ああ、もったいないな。十五分なんてあっという間だ。
 もっと見たい。
 もっと見ていたい。この二人を。


「あと四分!」

 汗を吸っても軽やかなウェアの特徴はもう十分伝わっただろう。だってほら、二人とも滝のような汗をかいているのに金魚のようなスカートは張り付くことなくひらりと揺れている。


「あと三分!」

 この掛け声に、再びあかねさんの瞳に火が灯った。
 あろうことか自分の着ていたパーカーを半分脱ぐと、肘のところで着崩して旋風脚。そのまま天に向けて放ったそれは大きな鷲のように悠々泳いでカメラの外へと消えていく。
 スポーツブラ紛いのシンプルなタンクトップにレギンスと短パン。これ以上なく女性のラインを強調した格好にもかかわらず、無駄な肉なんてどこにもない。程よく女らしいデコルテに引き締まったウエスト、締まったカモシカのような足が先輩の顔の正面を捉える。その足首を掴み、もう片方の手もあかねさんの腕を掴むと踵を回転軸にぐるりと二周してみせた。ああ、すごい。遠心力で一度地面すれすれまで落ちた頭が再び持ち上がり、背中を支えられるようにしてまた地面に足を着く。


「あと二分!」

 先輩の手があやしく光る。それは紛れもなくあかねさんの汗だった。同じくあかねさんの手首にも汗が伝い、それをぺろりと舌で舐め取る。ああ、いいっす! 俺が監督なら今のシーンは絶対外せないっすね。

「おめー、なんつー格好してんだよ」
「変?」
「変じゃねえけど」

 多分、その後に続く言葉はこれなんだろう。「俺以外の前でそんな格好見せんじゃねえ」と。
 互いに腕を引っ張り合い、いちにの合図で一緒に宙返りで着地して。ここは月か? 無重力?
 白いフロアにグリーンバック。取り囲む大層な機材以外には何もない。



「ラスト一分!」


 終わる。
 終わってしまう。
 二度とない、この華麗な宴の終焉がすぐそこまで迫っている。
 ああ、もっと見ていたい。先輩のこんな楽しそうな顔、次に見られるのは一体いつになるんだろう。確か監督が言っていたっけ。最後のポーズは、二人で呼吸を合わせてカウントして。



「ラスト三十秒!」


 二十九、
 二十八、
 二十七、


 先輩。あかねさん。
 そろそろ決められた所定位置に戻ってください。じゃないと反動で止まれない。
 俺は汗でベトベトになったストップウォッチ片手に一秒刻みでカウントする。



「あかね」


 やけにはっきりと“あかね”の響きが聞こえた。
 嘘だろう? こんな爆音の中なのに?

 瞬間、先輩の腕があかねさんの腰に回される。
 まるでワルツでも踊っているかのようだ。そのまま、あかねさんの背中が低い位置で先輩の腕の中に預けられる。



「ラスト十秒!」



 早く。早く体勢を起こして所定の場所に。
 けれど先輩はあかねさんの上に覆い被さったまま、あかねさんの顔に影を落とす。

 
 八、

 七、

 六、

 五、


 カメラが正面に戻ってくる。
 もうさっきまでのスピードはない。
 ただ、決められた位置に戻るだけ。


「ら、乱馬っ!?」

 焦りを見せたあかねさんの腕が先輩の頬に伸びる。
 その華奢な手首を掴み、先輩自らの手でおさげを解くと。



 三、


 二、



 一 …………────。




 目を大きく見開いたままのあかねさん。
 緩やかなカーブを描く黒髪で口元を隠されたまま、残り三秒きっかりと。
 瞼を閉じた先輩とあかねさんの距離は、限りなくゼロに近いように思えた。




 ウィーン…………とモーターが終わりを告げる。
 音楽が止まり、あるのは白い静寂だった。

 二人を追い続けたパノラマレーンのカメラが終着点で息をつく。
 自分の役目はもう果たしたと。

 ぶわりと耳の先まで真っ赤に染まっていくあかねさんはただ、自分の口元を手で押さえるだけで。
 その細い腰を両手で支え、トンと床に下ろした先輩の髪の毛は汗でまだらに張り付いていた。それを煩わしそうに両手でかき上げ、着ていたタンクトップを頭から引き抜く。



「せ、せんぱ──」
「っ、見てんじゃねえよ」


 照れ隠しだろうか。
 正面の定点カメラにバサリと衣類を被せ、スタジオの外に消えていく。



「カ……、カァーットォ!!」



 一方、天幕の中から沸き上がるのはうねりのような歓声と拍手の嵐だ。
 たった十五分、時間にして九百秒。
 その史上最高に短いCM撮影は二度目のカメラを回すことのないまま、あまりにも呆気なく幕を下ろした。





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comment (8) @ 社会人編 シークレット・シークレット

   
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2018/11/24 Sat 09:38:01
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2018/11/24 Sat 12:07:53
Re: 改めてカッコいい! : koh @-
も~コメント主様

わー、カッコいいの褒め言葉をいただき感激です!
臆病者が乱馬に対してなかなかシビアだっただけに、大人になったこのシリーズではカッコいいところを見せてあげたくて……。
乱馬、あかねちゃん共に格闘家として一番輝いているところを見せたかったので、それを感じ取ってくださってとても嬉しいです^^。
何となくですが、乱馬がみんなの前で堂々とそういうことをするってあんまり想像つかなくて。
それより、他の人にはないおさげという特徴を生かした演出が出来ないかなって思った時、自然とこの考えに行き着きました。
あと一話。
なんだか終わってしまうのが残念な気もしますが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです♡
2018/11/24 Sat 16:28:01 URL
Re: 楽しかったです(*^▽^*) : koh @-
m~コメント主様

わー!そうそう、私も「誰のせいだと思ってんすか」「おめーのせいだろ?」っていう基本人のせいな乱馬の調子の良さが好きです笑。大人になってもそういうところは変わらないでおちょくっていて欲しいなぁ。
そしてそんな人がひとたび真剣になるからこそ、ギュンッと萌えるというか///。
あと、ディレクターがあかねちゃんのことを心配した時に「いや、そこんとこは大丈夫だから」ってあかねちゃんに対しての揺るぎない信頼と、万が一何かあっても自分がついているから大丈夫という自信の表れで、こういうところに想いがダダ漏れしているのが好きなんです……。なのでそこを気付いてくださって「流石!」と呻っちゃいました。うーん、やっぱりツボがドンピシャすぎる。
撮影シーン、情景浮かびましたか?
実は書ける自信なんて全くなかったんです。寧ろ時間掛かるだろうなぁって。なのにいざキーを打ちだしたら止まらなくなってしまって、これぞぴーすけマジック。なまじ第三者視点だからこそ、自分が頭の中に思い描いている状況を客観的に綴ることが出来たのかもしれません。
二人だけの世界……乱馬の初めてのCMの相手役があかねちゃんっていうのも私的に譲れないポイントでした。
あと一話。最後まで楽しく読んでいただけますように……♡
PS.海鮮おでんの時はタコやイカ、ホタテ、鱈の子。肉おでんなら牛スジを入れて、餅麩を加えるのが我が家流なんです。美味しいので是非お試しください^^!
2018/11/24 Sat 16:39:20 URL
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2018/11/25 Sun 00:01:10
Re: タイトルなし : koh @-
ひ~コメント主様

ありがとうございます!私もこの回、実は結構気に入っているんです^^。
他人の動きを文章で表現するって難しくて、実際書いてみたもののきっと数日後には恥ずかしくなるレベルってわかっているんです。でもそれ以上に勢いを大事にしたかったというか、自分の頭に浮かぶイメージがぶわっとキーを叩く手に乗り移ったように書けたことが楽しくて。
漫画じゃないからここに二人の表情はありません。それでも踊るように、会話を交わすように二人が楽しんでいる様子が伝わればいいなぁと。
この一週間、人知れずあかねちゃんもすごく努力したと思うんですよ。だって乱馬の隣で堂々とするために必要なのは、守られることじゃなく自分の力だってわかってるから。
そんな書ききれない部分を想像し、またあかねちゃんに惚れてしまう私がいます。
それにしても中田君はいいですよねぇ。なんせ特等席で独り占めですもの。
このCMがどんな風に仕上がったのか。
それはEpilogueでのお楽しみです♡
2018/11/25 Sun 17:48:09 URL
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2018/12/01 Sat 15:51:15
Re: ドツボでした♡ : koh @-
y~コメント主様

お忙しい中、遊びに来てくださってありがとうございます!
この時期、何かと忙しいですよね。(なんだか私が言うと説得力がないのですが笑)
そんな中、ご丁寧にコメントをいただき感激です^^。
緋色、アリだってでしょうか……?よかった……。
未だにR投稿だけは心臓に悪くて毎回ヒヤヒヤしっぱなしなんです。
一方でこのシークレット・シークレットはただひたすら楽しくて。
動く描写は私も大の苦手で読み返す度に理想と現実の差をまざまざと痛感してしまうのですが、それ以上に楽しむ気持ちのほうが大きかったのかもしれません^^。
あ、あと私も指でクイッからの「来いよ」が好きです♡
ただし、意中の相手のみ。←ここ重要
そして一回画面閉じ!笑。思わずスマホの前で笑ってしまいました。
これからもまたのんびり気ままに書いていきたいと思いますので、息抜きに遊びに来てください^^。
2018/12/02 Sun 01:10:13 URL

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