星に願えば (七夕) 

2016/07/08
一日遅れですが、七夕のお話です。
原作終了後、高校二年生のふたりになります。

+ + + + +



笹の葉 さらさら
軒端に揺れる
お星さま きらきら
金 銀 砂子
五色の 短冊
わたしが かいた
お星さま きらきら
空から 見てる



幼い頃、幼稚園で習った歌。
あの頃は好きな人と一年に一度しか会えない悲劇より、大切に取っておいたヤクルトをお姉ちゃんに飲まれちゃったとか、お気に入りのカラフルなブレスレットのゴムが切れてしまったとか、そんなことの方が何倍も悲しいと思っていた。
けれどあれから十数年経った今。
十七歳になったあたしは、いつしか彦星と織姫の気持ちが分かる年頃へと成長していた。


一般的なイメージの格闘家らしく、天道家の朝は早い。
その代わり、必然的に夜は部屋の灯りが消えるのもそれと同じだ。
おそらく家族の誰もが寝静まったであろう深夜23時半、それでも隣の部屋のなびきお姉ちゃんだけは起きているかもしれないと最新の注意を払ってあたしはそっと一階へと降りる。
その手に握りしめられているのは、一枚の控えめなラベンダー色の短冊。
つま先に力を入れ、ミシ…と軋む木の音にびくびくしながらゆっくりと階段を下りると、同じく音を出来るだけ立てないように気を付けながら、そっと玄関の引き戸を体一つ分だけ通るように開ける。

外へ出ると、それまで緊張していたものから解放されるように「はあ……」と大きな息を吐いた。
七夕にしては珍しく、雲のない深い群青の夜空には少し欠けた月がくっきりと浮かび、静かにその存在を輝かせている。

あたしはもう一度夜の空気を思い切り吸い込む。
少し湿気を含んだ外気は風呂上がりのあたしの身体を包み、七月とはいえ暑くはなく、それでいて肌寒さも感じないこの深夜の時刻ならではのものだった。
あたしは素足に履いたサンダル履きの音を立てないよう、猫のように指先を丸めて居間に続く縁側のある方にそっと足を向ける。
玄関を出てすぐ家の壁に沿って曲がると視界に飛び込んでくる、夜でも分かる色とりどりの短冊と、それを結ぶ笹の葉のシルエット。
本来ならば軒先に飾るのだろうが、天道家では毎年、縁側から見える庭の隅に短冊のついた笹を飾るのがお決まりとなっていた。
もちろん、それは今年も例外ではない。
あたしはそこに結ばれた短冊を手に取ると、声に出さないように一つ一つ願い事を読んでいく。

「道場安泰」
「母さんがわしにも優しくしてくれますように」
「乱馬が男らしく育ちますように」
「東風先生と普通にお話し出来ますように」
「使う分だけ中身が増える財布が欲しい」……

他にも「健康第一」とか「家内安全」とかありがちな願い事がカラフルな七夕飾りと一緒に掛けられている中で、あたしが結んだ願い事は「楽しい高校生活を送れますように」という、なんとも面白みに欠けるものだった。
こんなことなら、まだ本能剥き出しのなびきお姉ちゃんの願い事の方が、笑えるだけましかもしれない。


あたしは大きな笹の隅っこに結ばれた自分の短冊に指で触れる。

『楽しい高校生活を送れますように』

もちろん、楽しい学校生活を送れるに越したことはないが、それはあくまであたし次第だ。
幸いにもあたしには大切な友達のゆかやさゆりもいるし、その他に仲の良い友達も沢山いる。
なにより……乱馬がこの家にやって来てからあたしの生活は、家や学校を問わず大きく変わった。
それは良い意味でも悪い意味でもあたしの感情を激しく揺さぶり、それまで知ることのなかった嬉しさとか楽しさとか、時に泣きたくなるような嫉妬心とか、それまでは無意識に意地張っていたことすら忘れてしまうくらい、喜怒哀楽に満ちている。
そして、その理由の根底にいるのはいつも乱馬。
気が付くとまるであたしの世界が乱馬中心に回っているような、そんな気分にすらなってくる。それはそれで何だか癪だが、とにかくあたしは今の学校生活には概ね満足していた。
そう、概ね。

あたしは自分の短冊をそっと笹の葉から外し、パジャマのポケットにしまった。
もちろん、大切な願い事ではあったが、これが今の自分の一番の願いかと言われると決してそうではない。
あたしは先程から手に握りしめていたラベンダー色の短冊に目を落とす。
こんな願い事を書いてしまったのは、今年の七夕がこんな雲一つない綺麗な夜空だったせいだろうか?
(……ううん。違う)
あたしはまだどこかで意地を張っている自分の心の内に首を振ると、自分の綴った文字を目でゆっくりと追う。
きっともう、溢れる感情が限界だった。



思えば去年の七夕はてんやわんやの騒ぎだった。
家族で出掛けた七夕縁日の限定『縁結びの笹』。
お父さんとおじ様に腕を掴まれて互いの名前を書いたまでは良かったけれど、その後はそれぞれの短冊があちらこちらへと飛んでいってしまって、それはそれは大変だった。
浴衣姿のあたしを見て少しは可愛いと思ってくれるかな……そんな淡い乙女心など、デリカシーのない乱馬が気付くこともなく、いつものようにバタバタと慌ただしく過ぎて行ってしまった昨年の七夕。
(でも……今にして思えば、あの時は乱馬も必死であたしの短冊を守ってくれたのよね)
少しはあたしのことを大事に想ってくれているのではないか。そう思うとじわりと胸の中に温かいものが広がったのも事実だ。
でも今年は、もうそれだけでは物足りないあたしがいた。

呪泉洞から戻って以来、あたし達の間にはほんの少しだけ変化があった。
と言っても、他の人からは全く分からないような、本当にほんの少しの僅かな変化。
例えば夜、乱馬があたしの部屋を用もなく訪れることが多くなったとか、居間で二人になるとお互い自分の部屋に戻らず何となく一緒に時間を過ごすようになったこととか……きっと他の人が聞いたら許嫁の肩書きからは程遠いと思うくらいに幼いあたしと乱馬の関係。
それがゆっくりと、二人の距離を縮めようとしていた。

そのくせ、一歩外へ出ると毎日のように繰り広げられる三人娘からの熱烈なアプローチに、未だ乱馬がはっきりすることはない。
そんな乱馬の様子に「勝手にしなさいよ」と口では言うものの、その実、心の中ではどす黒いモヤが生まれていくのをあたしは確かに感じていた。
もちろん、それまでだって他の女の子に言い寄られてドギマギしている姿を見れば面白くなかった。
けれど高校二年生に進学してからというもの、三人娘のみならず下級生からもキャアキャアと騒ぎ立てられているのを目の当たりにすると、いよいよ心穏やかではいられない。


乱馬の明るい笑顔も、何だかんだで世話焼きの優しいところも全て含めて……あたしは乱馬のことが好き。

悔しいけれど、もう意地を張ってなんかいられないほど、この正直な気持ちは後戻りが出来ないまでに大きく膨らんでしまった。
でも、その笑顔や優しさが自分以外にも向けられていると思うと、途端に広がった胸のモヤが痛みとなってあたしを襲ってくる。
彼女でもないのに、乱馬と他の女の子が楽しそうに話しているのを見ていると感じるこの心のモヤ…それははっきり言って「独占したい」という衝動。
乱馬の目に映る女の子があたしだけならいいのに。
乱馬にとって、特別に捉えられるのがあたしだけならいいのに。

あたしって、乱馬にとってのどんな存在なんだろう?
多分、自惚れではなくただの友人の域は越えているけれど、かと言って乱馬の特別な人かと聞かれたら……今の答えはNO。
あたしと乱馬を表す言葉は、親が決めただけの許嫁。
最初は誰よりもその肩書きに反発していたあたしが、今は一番それに固執をしているのかもしれない。

「…」

あたしは緩やかな弧を描く笹に近付くと、月に照らされてよく見える場所に自分の短冊を結びつけようとした。
ガサ…と笹の葉が擦れる音がする中、一生懸命つま先と腕を伸ばして一番高い所にひもでくくろうとする。が、不器用な上に笹の葉が視界の邪魔をして中々上手く結べない。
やみくもに動かす指の感覚に、もう少しで結び紐の穴に先が通る…そう思った時、突然、頭の上から声が聞こえた。


「なにやってんだ?おめー」

瞬間、大袈裟ではなく全身でびくりと跳ねて後ろを振り向く。と、そこには何やらニヤニヤ笑いながら頭の後ろで腕を組む乱馬の姿…。

「な、なんでもないのっ!」

あたしは慌てて手に持っていた短冊をひったくるように引っ張る。
するとガサッと大きな音がして、数枚の笹の葉と一緒に紐の付け根から短冊が千切れてしまった。
あたしはそれを急いでポケットに突っ込むと、まだバクバク暴れている胸に手を当てながら動揺を悟られないように乱馬の方を向く。

「あんたこそ、こんな時間にどうしたのよ?」
「ああ、なんか眠れなくて」
「授業中に寝過ぎなんじゃないの?」
「ばーか。どっかの鈍くせーやつが気配バレバレで玄関から出て行くから、てっきり家出かと思って見に来たんでぃ」

尚も笑いながら答える乱馬に、あたしはなんだか決まりが悪くなってもじ…っと腰の後ろで腕を組む。

「あ、ご、ごめん…寝てるところを起こしちゃって」
素直に謝るあたしが少し意外だったのか
「いや、別に寝てたわけじゃねーけど…」
と勢いを落とす。
それ以上言ってこない乱馬に
「あ、あたし、もう寝るからっ。明日も学校があるし、乱馬も早く寝た方がいいよ」
早口で言い捨てるようにすると、そのままくるりと背中を向けて家の中に戻ろうとした時だった。
突然、がしっと大きな手にあたしの手首が捕らえられる。


「まあ、待てよ」
「な、な、なに?」
「んな逃げるように帰んなくてもいいだろ?」
「別に逃げてなんか…」
「じゃあ少しくらい、いいじゃねえか」

…掴まれた手首からじわりと体温が上昇するのを感じる。
あたしは自分の顔が赤くなっていくのを自覚しながら、それでも素知らぬ振りをして何とかこの場を乗り切る方法を逡巡する。
なにか、なにか話題は…。
不思議なもので、話そうと意識すればするほど、その場に相応しい話というものは浮かんでこないものだ。
普段はこんな風に何を話すかなど考えなくても自然に口から会話が飛び出すというのに。

「……」

黙ってしまったあたしに、腕を掴んだまま 乱馬が独り言のように話し出す。



「そう言えば、今夜って七夕だよな」
「そ、そうね」

沈黙が破られたことにホッとしてあたしも返事をする。

「めずらしいよなあ、こんな雲一つない夜空なんて」
「確かに。七夕の日って何でだか雨のイメージよね」
乱馬の口から季節の行事とか天候の話題が出たことに、少し新鮮な感じを覚えながら続ける。
「ねえ、七夕の由来って知ってる」
とあたしが聞けば
「あほか。おれだってそのくらい知っとるわ」
バカにするなと言うように乱馬が口を尖らした。

「七夕ってあれだろ?どっちがベガでどっちがアルタイルだか忘れちまったけど、彦星と織姫の夫婦が天の帝を怒らせちまって一年に一度しか会えなくなったってやつ」
「へえ……」
あたしは乱馬の口からでた意外な言葉に思わず感心する。
「あんたの口からベガとかアルタイルなんて星座の名前が出るなんてね」
そう言ってちょっとからかうように言うと
「修行中、灯りのない山の中では星だけが頼りだからな。嫌でも詳しくなんだよ」
当たり前のように言う乱馬に、新たな一面を見た気がした。
あたしの態度に気を良くしたのか、乱馬が話の先を進める。
「にしても、帝も心が狭いよな。なにもいきなり一年に一度しか会えないようにしなくてもいーじゃねえか」
その言い方がおかしくて思わず笑ってしまうと
「笑ってるけどな、夫婦生活が楽しくてちっと羽目外すのは仕方ねえだろ?」
乱馬にしては少し際どいことを言うのにちょっと驚いたが、当の本人は気が付いていないようだ。



「んで?」
「え?」
「あかねはこんな夜中に一人で何しようとしてたんだよ?」

先程のことはすっかりなかったことにしようとしているあたしを、そうはさせまいと乱馬があらためて聞いてくる。
掴まれた手首はそのまま、あたしは途端に恥ずかしさがが蘇ってきて、意味もなく顔を伏せてしまった。
なんだか、乱馬には全て見透かされている。
そう思えて仕方なかった。

「ほ、本当に何でもないから――」
「嘘つけ」
取り繕うようなあたしの言葉をぴしゃりと遮る。
「おめー、なんかの短冊を結びつけようと、その短けえ手足を必死で伸ばしてたじゃねえか」
「み、見てたのっ!?」
「見てたんじゃなくって見えたんだよ」

……どうしよう。
あたしは穴があったら入りたくなるくらい、どうにも居心地の悪さを感じて自分のサンダルの足先に視線を落としていると
「ほれ。付けてやるから短冊貸せ」
そう言って乱馬が手を差し出してくる。
申し出はありがたいが、もちろん、こんな願い事を乱馬に見られるわけにはいかない。
ここは一つ、乱馬を刺激しないようにと丁重に断れば「いーから、遠慮するなって」と、これまたいつもの乱馬らしからぬありがた迷惑な返事がかえってくる始末。
じり、じり、と。
蛇に睨まれたカエルならぬ、乱馬に見つかったあたしは逃げることも出来ずに、頭の上から熱い視線を感じる。



「多分、あと5分くらいしかしかねーぞ」

不意に乱馬が口を開く。
思わず顔を上げると、乱馬の黒い瞳と目が合った。

「こんな夜中にわざわざ出て来たくれえなんだから、願い事の一つでもぶら下げなきゃ後悔すんじゃねえのか?」
いつものようにからかうのではなく、「そうだろ?」というようにあたしの目の高さに乱馬がちょっと身をかがめてのぞき込んでくる。
瞬間、あたしの胸がドクン、と大きく鼓動した。

「あ、あの……」

本当は。
誰にも見つからないうちに願い事を結んだら、誰よりも早く起きて今度はそれを回収するつもりだった。
でも実は自分でもわかっている。
これは願うことではなくあたしと乱馬次第の問題であって、もしもあたしが勇気を出したら、もしかしたらその願いは叶えることが出来るのかもしれない。
だけどもし、それを否定されてしまったら……。
たとえ冗談で笑い飛ばされたとしても、あたしの心はバラバラになって崩れてしまう……そんな気がした。

乱馬が小さくため息を吐いて、目の前のじっと動かないあたしを優しく宥めるように口を開く。

「別にどんな願い事でも笑ったりしねーから」
「……」
「ほら」

そう言って、もう一度手を差し出してくる。
あたしは殆ど観念しながら、それでも乱馬に短冊を託せないもう一つの訳をぼそりと呟いた。



「……千切れちゃったから」
「え?」
「だ、だから……結ぶ紐も千切れちゃったし……だから結べないよ、もう」
あたしの言葉に、乱馬がちらりと笹の葉の方に目をやる。
「別にさ。無理やり結ばなくてもいーんじゃねえか?要は笹と一緒に見えるようにしときゃいいんだろ?」
「そういうもの?」
「そういうもの」

根拠のない自信満々の乱馬の答えに、思わず吹き出してしまう。




……。

あたしはそっとポケットに手を入れると
「……笑わないって、約束したからね」
確認するように呟き、ラベンダー色の短冊を乱馬に手渡した。




「……」

多分、乱馬はあたしの願い事を読んで驚いているんだろう。
ううん、もしかしたら戸惑って、困っているのかもしれない。
とても乱馬の顔を見ていられなくて庭の隅の方に顔を背けていると、急に乱馬のはっきりした声が聞こえた。




「やめた」


そう言って、たった今 あたしが渡した短冊を自分のパジャマのポケットにしまっている。




「ちょ、ちょっと!」
「なんだよ」
「約束が違うっ。その……笹に結んでくれるって言ったじゃない!」

あたしは願い事を知られてしまった恥ずかしさと、ましてやその短冊を奪われてしまったことにひどく動揺して思わず乱馬の腕を掴む。

「そ、それなのに――」
「だからさ」

あたしの言葉を乱馬が遮る。

「七夕なんかに願わなくても、おれがその願い事を叶えてやるよ」

そう言うや否や、あたしの手首から手を離すと、今度は両肩をがっしりと掴んで顔を近付けてくる。



「あ、あの……乱馬?」
「んだよ」
「ちょっと…」

近い。近過ぎるんですけど。
少し屈んだ乱馬の前髪があたしの前髪に触れ合うくらいに近付いて、その髪の毛の隙間から乱馬の目がじっとあたしを見つめてくる。
慌てて視線を下に落とすと
「ちゃんとこっち見ろよ」
そう言って、あたしが目を逸らすのを許さない。


「こういうこと、だろ?」
「べ、別にあれは乱馬のことじゃ……っ」
「ほー。じゃあ、他にこういう事したい奴がいんのかよ、あかねは」
「そういうわけじゃっ……ない、けど……」







『あたしだけを見てくれますように』




あたしの短冊に書かれた願い事。
万が一にも他の家族に見られてしまった時に、なんとか誤魔化しの利くぎりぎりのお願い――。

それは何も、物理的にあたしをずっと見つめていて欲しいわけではなくて、沢山いる女の子の中からあたしだけを特別に見て欲しい……そんな想いからだった。




お互いの息がかかるくらいの距離にすっかりあたしの頭はのぼせ、カクカクと足が震えて真っ直ぐ立っていられない。
それでも力を抜くとそのまま乱馬にもたれ掛かってしまいそうで、あたしは必死に両足に力を込めて堪えながら言う。

「ず、ずるいよ、あたしばっかり……」
「なにが」
「だって…乱馬はお願い事、結んでないじゃない」

不思議だった。
いつもだったら真っ先に自分の願い事を、ううん、なんだったら10枚でも20枚でも願いの限りを書きそうな乱馬の短冊がどこにも見当たらない。
そんなあたしの疑問を読み取ったのか、呆れたように乱馬が口を開く。

「おれはなー、そもそも短冊の願い事なんか信じちゃいねーんだよ」
「え?」
「だってそうだろ?強くなりてえと願っても、そんなもん結局はおれの努力次第じゃねえか」
「それはそうだけど……」

あたしは乱馬の胸を押して、なんとか少しだけ顔を離す。

「でも、男に戻りたいとかは?」
おそらく乱馬の一番の願い事であろうそれを尋ねると
「だからさ。それもおれがいつか、中国に渡って修行がてら元に戻りゃいいわけだし」
「じゃ、じゃあ、頭が良くなりたいとか」
「格闘家に学歴は関係ねえ」
「健康第一とか」
「心配すんな。健康に関しては他人の十倍自信がある」
「カッコよくなりたいとか」
「はあ?これ以上、このおれにどうやってカッコよくなれっつーんだよ?」

最後は聞き捨てならない回答だったが、どれをとっても乱馬はひょうひょうと受け流す。



「意外……」
「なにが」
「あんたって、もっと欲の塊だと思ってた」
なんだよそれ、失礼なやつだなと軽口を叩きつつ
「……でもおれだって、別に欲がないわけじゃねえよ」

一瞬、真剣な目になった乱馬の顔を月の明かりが照らす。
綺麗だ、とあたしは思った。




ざあっと風が吹き、笹の葉がそれに自然なままに揺らめいた。

「今夜が七夕ってんなら……短冊は書かねえけど、願い事くれえはしてもいいかな」

誰に言うでもなく、乱馬がぼそりと呟く。


「乱馬の願い事って……なに?」

月明りの下で見る乱馬の顔が妙に色気を含んでいて。
あたしはドキドキする自分の胸の前をぎゅっと握りしめながら聞いてみる。
あたしを見下ろす睫毛が乱馬の瞳に影を落とし……触れたい。そう、本能的に思った。
恥ずかしくてたまらないのに、目の前の乱馬から目を逸らすことが出来ない。
その瞳に吸い込まれる様な錯覚を覚えてじっと見つめると、肩に置かれていた乱馬の手がす…とあたしの頬を撫でた。


「おれの願いは……」

「……」








「"自分だけを見てくれますように"なんて願い事してるヤツに、こうすること……」


黙り込んでいるあたしの頬を親指の腹ですり…と撫で、そのまま少し上を向かせる。
そしてさっきと同じように互いの額がくっつくくらいの距離まで顔を近付けると





「…………ス……たい」

殆ど息だけで、何を言っているのか聞き取るのも難しいほどの小さな声……。
きっと他の誰も聞くことが出来ない、あたしにしか聞こえない声で呟いた後、ゆっくりと。

乱馬の唇があたしの上に降りてきた。


…一瞬触れた唇は柔らかな余韻を残してすぐに離れる。
そのまま、あたしの顔を自分の胸に押し付けるように抱き寄せると、あたしの首元に顔を埋めるようにして、ちゅ…っと小さく唇を鳴らした。
乱馬の熱い息が耳の裏にふわりとかかる。
ドクドクと今にも胸を突き破って外に飛び出してきそうな鼓動に、あたしはこのまま心臓が止まってしまうんじゃないかとすら思った。




「……いくら七夕でもさ。こう全国で願い事ばっかされちゃ、彦星と織姫だってたまんねーだろ?」

すり…と乱馬が頬をあたしのつむじに擦り寄せる。

「だから自分の願い事くれえは自分で叶えないとな」
「……調子いいんだから」


深夜の庭先で声のトーンを落としつつも嬉しそうな乱馬に、あたしも照れ隠しで応える。
いつしか乱馬の腕はあたしの身体をしっかりと捕らえ、あたしの腕も乱馬の背中へと回されていた。
すっかり足の力が抜けてしまったあたしは乱馬の胸の中にくったりとその身を体重ごと預ける。硬い胸板と、トクトク速い鼓動を打つ心臓の音が温かくて心地いい……。



「去年の胡散くせえ縁結びの笹より、こっちの方がずっとおれ達らしいだろ?」
「確かにそうね」

腕の中からそっと頭を上げ、お互い顔を見合わせてくすりと笑い合えば、またその腕の中に頭を押し付けられる。






不意に、乱馬があたしの頭に顎を乗せてぼそりと呟いた。

「別におれは他の女なんか見てねーよ」
「え?」
「……あかねの願い事なんて、飾っても飾んなくても最初っから叶ってたってこと」
そう言うや否や、あたしが目を閉じる間もないくらいの速さで一瞬キスをすると
「さ。明日も学校あるし、もう寝ようぜ」
そう言ってくるりと背を向けてしまった。
その耳の先は燃えるように赤い。



「ね。それってどういう意味?」

あたしは嬉しくなって、歩き出した乱馬のパジャマの後ろを掴む。

「さあな」
「あー、ずるい!誤魔化した」
「別に誤魔化してなんかねえよ」
「それが誤魔化してるって言うんじゃない」
「だー! もううるせえなっ! 他の家族が起きてくんだろーが」
「そういう乱馬の声が一番大きいじゃない」
「るせえ!」

玄関までの道のりを、クスクスじゃれ合いながらまるで電車ごっこのようにゆっくりと歩く。
不器用な乱馬と意地っ張りなあたしからは、「好き」とか「愛してる」とか甘い言葉は一つも囁かれないけれど。
パジャマを掴んだあたしの手を乱馬が捕らえれば、その触れた指先からじわりと温かいものが全身に流れて伝わってくるようだった


あたしはふと浮かんだ疑問を乱馬の背中にぶつけてみる。

「ねえ。もしも乱馬とあたしが彦星と織姫だったとして、年に一度しか会えなかったとしたらどうする?」
「は?なんで?」

何の脈絡もない突然の質問に乱馬が怪訝な声を出すが、それに構わずあたしは続ける。

「だって彦星と織姫は普段、天の川に隔たれて会えないわけでしょ?」
「まあな」
「しかもその年に一度の七夕だって、雨が降って天の川の水かさが増したら二人は会えないわけよね」
「よく考えたら、帝もとんでもねえドS野郎だな」

天の帝に向かって何とも恐れ多いことを言う乱馬。

「で、それがおれとあかねにどう関係あるんだよ」
「別に関係はないけど……ただ、もしもあたし達がそんな風になったら、乱馬はあたしに会えない364日をどう過ごすのかなぁと思っただけ」

もしかしたら、また他の女の子に言い寄られてはっきりしないのかもな。
想像の中ですら、なんとなくモヤッとする。
と、そんなあたしの気持ちを吹き飛ばすように乱馬が

「泳ぐ」

あたしに背を向けて前を向いたまま、きっぱり、はっきり、即答した。



「え?それって他の364日はずっと泳いで修行してるってこと?」
空想の話なのに、思わずあたしが乱馬の前に回りこんで聞き返すと
「あほか。あかねのとこまで天の川を泳いで行くんだよ」
これまた自信満々に答える。

あたしはそんな乱馬に
「でもそれって、帝の言いつけを守らないで益々怒られることになるんじゃない?」
と、もっともな質問をぶつけてみた。
そうよ。元はと言えばやるべき仕事をさぼったから二人は引き離されたんだもの。
だけど
「んなもん、乗り越えられる試練を与えた帝の詰めが甘いだけだろうが」
乱馬はそんなこと知ったこっちゃないというようにまたもや即答する。


「大体よー、二人を離れさせたら仕事に真剣に向き合うと思ってる時点でナンセンスなんだよな」
まるでわかってねえよなぁというように、乱馬が大袈裟にかぶりを振る。
「だってそうだろ?離れててお互い疑心暗鬼になって何も手につかなくなるより、反省したらまた一緒にしてやったほうが絶対良いに決まってんじゃねえか」
「そういうもの?」
「そういうもの」

根拠なく、だけど迷うことなくきっぱりと断言する乱馬。
それを聞いていたあたしは、何だかおかしくてたまらない。
ねえ。それって、乱馬はあたしと会えないと何も手に着かないって、心配でたまらないって言ってるのと同じようなものよ?

「けど、なんで船とかじゃなくて泳ぐっていう選択肢なの?」
あたしが笑いながら尋ねると
「泳いだ方が早そうだから」
当然だろ?と言うように乱馬があたしの目を見て答える。
「大体、おめーは筋金入りのカナヅチだからな。万が一、あかねが船でおれの方に向かってて川に落ちたりでもしたら目も当てれねえから、仕方なくおれが泳いで行ってやるっつってんでぃ」
さも当たり前の事のように言い放つ乱馬に、いよいよあたしは噴き出すのを止められない。

「別にあたしは乱馬のところに向かうなんて一言も言ってないもん」
そんなに乱馬はあたしに会いたいんだ?そうからかうと、今度は途端にムキになって怒り出した。


「お、おめー、さっきまでしょんぼり泣きそうになってたくせにっ!」
「泣きそうになんかなってないもん」
「かっ、かわいくねーっ!」
「でも、そんなかわいくない女のとこに泳いで会いに来てくれるんでしょ?」

下から乱馬の顔を覗き込むと、ぐっと口を一文字に引き結ぶ。

「そう言ってくれたもんね?」
尚も顔を近付けて尋ねると
「……あ、あかねが寂しいって泣きそうだから仕方なくだけどなっ!」
半ばヤケになったように言い捨てる。

「あ、でも乱馬が泳いで来たら、再開する時は毎回 女同士の姿だね」
「おう。だからしっかり湯沸かしとけ」

そう言った直ぐ後に「って、想像の中でもこの体質なのかよっ!?」と一人憤る乱馬。
それを見てまたあたしは笑いが止まらなくなってしまう。


こんな綺麗な月明かりの下、繰り広げられるのはこの上なく意味不明でバカげた会話。
でもあたしは、どんな愛の告白よりも乱馬の気持ちが伝わってくる気がして、すごくすごく嬉しかった。




くすくすと笑いながら、そっと乱馬の胸にあたしの手を置いてもたれ掛かる。
と、それを待っていたかのように、あたしの背中に回される乱馬の太くてたくましい腕。
その腕の中から、あたしはもう一度聞いてみる。

「今日のあたしの願い事、これからも叶え続けてくれる?」
「……おう」

顔を摺り寄せた乱馬の胸から、短い返事が聞こえてきた。





(来年も、その先も……)

(この先ずっと、二人の未来が続くまで……)



一筋縄ではいかない不器用な乱馬とあたし。
そんな臆病で奥手なあたし達が、ゆっくりとその距離を近付けた七夕の夜。
互いの想いが確かに通じ合ったのを、二つの輝く星が遠い空の上から見守っていた ――。




< END >


♪ Touch Me / 三浦大知


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2018/06/28 Thu 11:18:55
Re: こんにちは。 : koh @-
Y~コメント主様

ああ、これまたなんて懐かしいお話を……////
でも当時、書いている自分が一番楽しんでいたような記憶があるお話です笑。
まさにコメント主様が仰るように「おおっ!?いつになく乱馬がスマートだぁ」と思いきや、天の川を泳ぐんかーい!って。
しかも架空の世界ですら変身体質ですからね……乱馬ごめんってなりました笑。
傍から見てる分にはあかねちゃんに「心配無用だよ!」といってあげたいのですが、そうはいかないのもまた恋する女の子ならではなのかもしれません^^。
私もコメント主様からいただくお言葉にいつも幸せな気持ちをいただいています。
ありがとうございます♡
2018/06/30 Sat 02:12:14 URL

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